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菜の花通信 アーカイブ

2022年

指宿 菜の花 通信(No219) 田舎医者の流儀(194)・・・2022年

12月18日小山田の農園は午前中からみぞれとなり、昼前には粉雪が舞った。寒さの中、小屋で暖房機の前を離れられない。プーチンの理不尽な攻撃で、発電装置を破壊され暖を取れないウクライナの人々に思いを馳せる。ウクライナの冬の厳しさが伝えられる、そこを狙って破壊を繰り返すロシア・プーチンの狂気に慄然とする。

世界が2020年からのコロナ禍を克服できず呻吟しているとき、2022年2月24日、ロシアは突然ウクライナに侵攻を開始した。プーチンは「自分の目的は、威圧され民族虐殺に遭っている人たちを守るためだ、ウクライナの非軍事化と非ナチス化を実現するのだ」と言った。2014年ウクライナ東部へのロシア軍の侵攻時、ロサンゼルス・タイムズ紙から派遣された60代前半のロシア人ジャーナリスト、セルゲイ・ロイコは「この戦争は変わった戦争だな」と言った。「なぜならこの戦争には何の理由もないからだ。あげられる理由の数々はまったく架空のものだし、すべてがロシアのテレビが流した噓の上に成り立っている。人びとが殺し合う理由などどこにもない。まるで不条理劇だ」。その言葉はそのまま今回のロシア・プーチンの侵攻にも当てはまる。

ウクライナでの犠牲が拡大する中で、「ウクライナはロシアと早く妥協すべきだ」とする論調が見られる。しかし、「ウクライナの人々はホロドモール、つまり1930年代の飢饉を思い出していた。ソヴィエトはウクライナが凶作に悩んだとき、スターリンの部下たちがやってきて穀物の最後の一粒まで取りあげ、結果的に数百万人を飢餓に追いやった(330万人から数百万人)。」

「その後もソ連寄りのヤヌコーヴイチ政権が、警察、軍隊、『ベルクト』と呼ばれる特別機動隊だけでなく、犯罪者やフーリガンから募った『テイトゥーシキ』と呼ばれる金で雇ったごろつきどもを自由に使い、平穏な抗議する人々に対し無慈悲に催涙ガス、ゴム弾、閃光弾、そして水点下であってさえ高圧放水銃を使い弾圧した。活動家たちはどこかに消え失せてしまったが、ある者は戻り、ある者は戻らなかった。戻ってきた者たちは、しばしば不具にされ、たとえば耳の一部を失うなどあとに残る傷を負わされた。」

「彼はユ—リー・ヴエルブイーツイクイ教授の遺体が森のなかで発見されたまさにそのときにリヴイウに戻った。マイダンで警察の放った閃光弾の破片が、ヴエルビツキの目に飛びこんだのだ。別の活動家が彼を病院に運んだが、両名ともそこから拉致され、森に連れこまれて暴行を受けた。翌日、殴られたあとで放置され、凍死したユーリー・ヴエルブイーツイクイ教授の遺体が発見された。ヴエルブイ—ツイクイ教授は過激派であったことなどなかった。50歳の地質学者で、地球の地殼変動を研究していた」。これがウクライナの現実であった。

「プーチンは俺たちをかつてのソ連のようにしたいと願った。だが俺たちは、一つの巨大な牢獄のような、有刺鉄線が張り巡らされたソ連なんてまっぴらごめんだ。ソ連に戻るのはごめんだよ。俺は自由な国で育ったんだ。ドナルド・ダックやトムとジェリー、ビデオプレィヤーや車とかね。そういったもので育ったんだし、そいつらは俺の人生の一部だ。俺は奴隸みたいに、工場で朝から晚まで働きたくない。そんな単調な生活はまっぴらだ。そしてプーチンは俺たちをそんな人生に戻そうとしている。だが俺たちは、それとは反対に、民主主義のあるヨーロッパに魅かれている。ソ連で奴隸のように暮らしたくない。プーチンは俺たちがそれを望んでいないのを知って、力で抑え込もうとしている。だからこういう事態になったんだ。もしウクライナが負ければ、俺たちはソ連に戻されてしまう。奴らが俺たちの人生を吸い取り、あるかないかの報酬でむちゃくちゃに働かせ、手荒に扱うに決まっている。もし俺たちが勝てば、民主主義になるし、俺や子どもたちは未来を手に入れるだろう。それが俺の見立てだよ」。(ウクライナの夜より引用)。私はウクライナの人々のそういう思いに寄り添いたい。

年末になり、コロナ患者が鹿児島でも2000人越えとなり、知事は8波の流行だと言った。22年は6波より始まり、現在8波に及んでいる。ワクチンの接種もあり重症化は抑えられているが、医療現場では感染者を休ませるため、医療体制の構築に苦慮している。個人的には5回のワクチン接種を受け幸いに感染を避けられている。それでも患者さんを診察するので濃厚接触者の指定を受けたりした。

2021年1月より南日本新聞「論点」欄の執筆を求められ、12月まで10回記事を書いた。この10回分を小冊子にしようと、正月明けの1月より準備にかかった。6月初めには本が出来上がった。500部印刷し、循環器グループの先生方(約90名)、あとお付き合いのある方約300名計400名近くに郵送した。60名以上の方からやお手紙やメールを頂いた。過分な評価いただいたことに感謝している。また、家人の花写真が良く取れていると褒められていたので家人は嬉しそうであった。2018年6月に「田舎医者の流儀(自家出版)」を出したので2冊目の本になった。それなりにエネルギーのいる作業になるけれど、この時の編集人Aさん、Oさんのコンビが力を貸してくれたので今回も気にいった体裁のものが出来上がった。

11月3日、叙勲を受けた。過分な章を戴いたが素直に喜んでお受けした。多くの方々からお祝い、メッセージを戴いたこれもまたありがたく頂戴した。鹿児島の心臓病患者さんが治療のために他県に赴かず、地元で治療出来るようにしたいと1992年3月現在の鹿児島医療センターに赴任した。優秀な後輩たちに恵まれ、30年かかったが達成されている。ただ出来るというだけではなく高い技術レベルで達成できている。皆で達成したその到達点に対して代表して「章」を戴いたと受けとめている。

11月中旬、3年ぶりに札幌に行った。コロナで長く旅行が出来なかったが、久しぶりの旅となった。未だコロナが終息せず、少々の不安はあったが幸いに何事もなく旅を終えた。小学5年生の孫は家内より身長が伸びていた、この次会うときは私より大きくなっていそうだ。スキーが好きで早く雪が降らないかと待ち望んでいた。娘夫婦も東京から来てくれてささやかな叙勲のお祝いをしてもらった。

来年は戦争が終結し、穏やかな年になる事を願う。

令和4年12月23日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No218) 田舎医者の流儀(193)・・・ベスト8ならず

サッカーワールドカップで日本はクロアチアにPK戦の末惜しくも敗れ、悲願のベスト8入りを逃した。サッカーに詳しいわけではないが、予選リーグはドイツ、スペイン、コスタリカの組で突破は困難ではないかと考えられていた。優勝経験のあるドイツ、スペインを破って堂々の一位突破であった。ドイツに勝ったとき、ドイツが日本を甘く見て油断があったのではないかと思った。事実、前半ボールを8割がた支配され、1点を失っていた。厳しい状況であったが、後半攻撃的布陣を取り、2点取り逆転した。ドイツの猛攻撃を凌いで勝ってしまった。驚いたな!!

コスタリカ戦も日本流の戦い方をした。結果が悪かったので、前半の守備的な戦い方に批判が出た。結果論でありその批判は当たらないように思う。次のスペイン戦も戦い方は変わらなかった。結果は奇跡的なボール1ミリライン上の判定で2点目が入り勝利した。クロアチア戦も戦い方は変わらず、日本流の組織的戦い方を貫いた。PK戦で結果負けになったけど感動的な戦い方であった。ベスト8には及ばなかったが世界の中で日本サッカーが実力を付けていることは間違いないようだ、今後も期待して見ておれる。

サッカーで盛り上がっている中で、国内では情けないニュースが多い。保育園や幼稚園で不祥事が続出している。送迎のバスの中に園児が置き去りになり、熱中症で死亡した事件。昨日は保育園の園児に暴行を働いたとして保育士3人が逮捕された、前代未聞だ。子供が好きで保育士をしているのではないのか、なんとも情けない気持ちになる。

我らも患者さんを相手にした日常だ。患者さんの訴え、状態にしっかり向き合わないととんでもない間違いを犯すことになる。訴えの多い患者さんも多数見える。「胸が痛い」「息苦しい」とみえたとき聴診器を当てて呼吸音、心音を聞き必要なら心電図、レントゲン写真を撮る。何も所見がないとき写真を見せて丁寧に説明することが大事だ。「肺、肋膜、心臓、大血管に異常所見ありません、症状は筋肉痛か神経痛の可能性が高いです」と説明する。ただ、狭心症の場合、非発作時は心電図などに所見が出ないことがあるので、その点も説明しておく。

政治家の先生方の金銭感覚はずさんを通り越しでたらめだね。私も公務員であったので、公金を扱っていた。我々下々には会計検査は厳しく、旅費にしても証拠物件を求められ、電車の切符も駅で頂いて添付していた。下々にはそれ位厳しかった。政治家の先生方は間違っていましたと修正申告すれば良いとの事、それは楽ですね。しかし、本当はでたらめですね。

令和4年12月7日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No217) 田舎医者の流儀(192)・・・札幌

先週札幌に行ってきた。3年ぶりに孫(10歳)に会うためであったが、東京在住の娘夫婦も来てくれて受賞のお祝いもしてもらった。コロナがまた流行りだしたので一抹の不安はあったが2泊3日の旅行を無事に終え帰り着いた。

人の多さにびっくりした。福岡まで新幹線で行き、福岡から新千歳空港行の便に乗った。福岡空港に余裕をもって到着したが出発ゲートに入るのに長蛇の列でびっくりした。飛行機も満席であった。空港まで息子嫁と孫が来てくれて車で札幌に向かった。道中、山には雪が見られたが道端は未だ雪は見られなかった。樹々は紅葉も過ぎて落葉し、白い幹が目立った。

夜、息子夫婦に孫、娘夫婦、それに我々3家族で食事をした。娘は4年前結婚したがそれからコロナが流行りだし会うこともままならなかった。一緒に食事するのは結婚式以来であった。仲良く暮らしているようなので何よりである。孫はスキーが好きで得意らしく、シーズンの到来を楽しみにしている。お勉強も大事だが、体を鍛えることはもっと大事。スキーで体を丈夫になってくれたら嬉しい。体も大きくなりおばあちゃんより大きくなっていた。今度会うときは僕より大きくなっていそうだ。

翌日、息子嫁のお父さんが今年亡くなっていたので、墓参りに連れて行ってもらった。札幌を一望する高台に眠っておられた。嫁の話ではこの周辺は熊が出没するそうだ。そこから、小樽の方に降り立った。小樽も人人で賑わっていた、コロナが流行しているというのに大層な人出であった。お昼、てんぷらの店で食事して札幌に帰り着いた。

夜はお肉を食べようと息子夫婦、孫と食事した。娘夫婦はジンギスカンが食べたいとのことで別行動となった。こちらは糖尿を気にしながら食事をしたが、おいしいものが多かったので少々食べすぎたかな。帰ったら調節しなくちゃ。

帰って、家の鍵が見当たらない事に気づいた。どこを探しても見当たらない。帰り荷物を宅急便で送ったので、そこに入れ込んだかなと思って待った。幸い荷物が届いたらそこに紛れ込んでいてひと騒動は決着した。年取ると嫌だね、こんなことが起こるから。

来月で79歳になる。残り人生も少なくなってきた。今回みたいな事が出来るのもそう多くないだろう。孫が小学5年生だから、大学に行くまではしぶとく生きて、見定めたいものだ。

令和4年11月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No216) 田舎医者の流儀(191)・・・22・11月中旬

秋も深まり、日が短くなり5時半頃は暗くなり始める。季節外れ(?)にシイタケが3個収穫できた。先週皆既月食があり、赤黒いお月さんが見られた。農園のドーダンつつじ、ブルーベリー、もみじ等が紅葉してきた。11月3日、叙勲の発表があり、私は瑞宝中綬章を受けた。過分な「章」を戴き、恐縮している。世間的には大変な「章」であるので多くの花やお祝いメール、手紙を戴いた。有難いことだと思っている。残された人生も短くなってきた、更に後輩の育成等に意を注ぎたい。

今週、3年ぶりに孫見に札幌に行こうと準備している。先週末には5回目のコロナ予防接種も済ませた。第8波の流行が始まり、少々気になるが、気を付けて行こうと思っている。それにしても第7波が終息し、1ヶ月も立たないのにまた流行の兆しとは、コロナさんしつこ過ぎはしませんか。20年1月に1例目の患者さんが発生して以来、間もなく3年近くなるけど終息を見通せない。コロナの初期の病像は深刻で重症肺炎を起こし死亡率も高かった。現在、死亡率はインフルエンザに近くなり、現状にあった対策、コロナとの共存も必要になってきている。それでも、患者さんが増えると医療現場の対応は苦労が多い。

20数年前大学病院に勤務していたころ、隣の研究室の研究助手の女性が統一教会に入り、出家した。フェリーのつき場で物売りをしていて、両親が嘆き悲しんでいると聞いた。その後、合同結婚式など教会の特異な行事が報道され、彼女がどうしているだろうと気にかけていた。長いことこの教会の事をわすれていたが安倍元総理の銃撃事件を契機に、この教会への関心が高まった。過度な献金などによる家庭崩壊などが報道され、特異な状況に国民は驚いている。国会議員がこの団体に陰に陽に関連し選挙の支援を受けていた実態が明らかになった。辞職した大臣はネパールでのこの教会の会合に出席しているが、外国にまで行ったのによく覚えていないと「弁明」した。外国での会合に出席したのもよく覚えていないとはこの人の「頭構造」はどうなっているのだろうか。これだけでもまともな判断が出来る人とは考えられない。大臣辞職は当然であろう。議員になろうとするなら、選挙を自立して戦う覚悟が必要だ。怪しげな支援を受けてはならないだろう。

誰もが「人生には苦難、困難、災難などいろいろな難問が死ぬまで海の波のように絶えない」「欲や怒り・ねたみ・恨みなどの煩悩は死ぬまで減りもしなければ無くなることもない」(歎異抄ってなんだろう 高森顕徹著)。その苦しみから逃れるため、人は皆苦悩するのであろう。お金を出して解決することではない、お金を出せばご利益ありますと言うのは全くの嘘であろう。私はささやかに毎朝仏壇に線香とろうそくを点し、「南無阿弥陀仏」を唱える。

令和4年11月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No215) 田舎医者の流儀(190)・・・練習

誰もが「人生には苦難、困難、災難などいろいろな難問が死ぬまで海の波のように絶えない」「欲や怒り・ねたみ・恨みなどの煩悩は死ぬまで減りもしなければ無くなることもない」(歎異抄ってなんだろう 高森顕徹著)。その苦しみから逃れるため、人は皆苦悩するのであろう。お金を出して解決することではない、お金を出せばご利益ありますと言うのは全くの嘘であろう。私はささやかに毎朝仏壇に線香とろうそくを点し、「南無阿弥陀仏」を唱える。

大谷はオフでも都内の自宅とジムなどトレーニング場の往復にほぼ終始し、野球漬けの日々を送るという。元NPB球団の監督はその姿勢に感心する。「メジャーで好成績を残しても浮かれた様子が一切ない。うまくなろうと一日たりともおろそかにしていないようだ。おごらず、さらなる高みを目指す姿勢は選手の鑑。一番才能がある選手が一番努力している。今年は過去最高の状態でキャンプインしたと言っていたが、来年もそうするため、1日たりとも無駄のない練習スケジュールの下で動いているのではないか。」という。

不動裕理(ふどうゆうり)は、1976年10月14日生まれ、熊本市出身の女子プロゴルファー。日本女子プロゴルフツアーで、2000年から6年連続で賞金女王に君臨。通算成績でツアー優勝50回、生涯獲得賞金は13億円を超える超一流プレーヤー。2004年にツアー30勝を達成したことから、27歳285日の史上最年少記録で永久シードを獲得した。

不動裕理が「サラリーマンは1日8時間働くのだから、プロゴルファーが8時間練習するのは当たり前」と言ったという。プロゴルファー古閑美保は清元さん(不動の師匠)に師事していた。朝8時に練習場に集合し、球拾いと打席の掃除をして、9時に打ち始め。12時にランチと休憩。きっちり13時から再開し、自分のキリのいいところでパター練習やアプローチ練習を18時くらいまでやり続けた。あるとき師匠が「あんた、いつになったら不動と同じことやるの?」と。「不動は朝5時に起きて、ランニングしてストレッチして素振りして、朝7時にご飯を食べて、練習場に来てんのよ」と。

日本男子ゴルフ「日本オープン」でアマチュアの蝉川泰果(東北福祉大)が95年ぶりとなるアマ優勝、アマでのツアー2勝も史上初の快挙だという。豊かな才能を雑事に時間を費消することなく、「練習・練習」で名のごとく和製「タイガー」になって欲しいと思う。

私も下手ゴルフを続ける以上は練習しなくちゃと思って、時々打ちっぱなしに行く。100球やっと打てる程度、素振りをしても10回位で息が上がる。パター練習をしても5~10分も転がすと根気が続かない。要は練習する能力に欠けているということだ、上達しないはずだ。

令和4年10月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No214) 田舎医者の流儀(189)・・・トランプの当選

前回の菜の花通信(No213)で「カースト アメリカに渦巻く不満の根源(イザベル・ウィルカーソン著)」を紹介した。その中でトランプが支持された理由が解説されている。

「リベラル派の解釈は、労働者階級の白人が自分たちの利益に反する投票行動をとって右派の富豪たちを支持してきたというものだったが、この考え方は、その人たちの動かす政治力やカースト重視の信念を過小評価している。実際には、多くの有権者は自分の置かれた状況を見極め、目の前の短期的な利益ではなく、支配カーストとしての地位の維持と自分たちの生存という、かれらの観点からのより大きな目的のほうに目を向けた。・・・歴史的にアメリカを支配してきたカーストの一員として当然のように受けていた利益を守るためなら、今は医療保険を失いホワイトハウスが不安定になり、政府が閉鎖され、遠くの国から脅かされるなどの危険を冒しても構わなかったのである。」

「2015年の末、プリンストン大学の経済学者二人が、『中年の白人アメリカ人、特に学歴の低い中年白人アメリカ人の死亡率が1950年以来初めて上昇した』という驚くべき調査結果を明らかにした。中年白人の死亡率上昇は、アメリカのほかのすべての民族集団が示す傾向とは反対だった。歴史的に周縁化されてきた黒人やラテン系アメリカ人でさえも、調査対象となった1958年から2013年のあいだの死亡率は下がっていた。白人の死亡率上昇は、アメリカ以外の西洋世界で優勢な傾向にも逆らっていた。」

「この重要な調査を行なったアンケースとノーベル賞受賞者のアンガス・ディートンによれば、21世紀に入る直前から、45歳から54歳までの中年の白人アメリカ人の死亡率が上がり始めた。特に、もっとも学歴の低い人たちが自殺、薬物の過剰摂取、過度の飲酒による肝臓病などで亡くなっていた。著者二人が『絶望死』と呼ぶこの現象によって、調査期間中に約50万人の白人アメリカ人が亡くなっていた。」

「どう説明できるのだろうか?ケースらは、『1970年代以降、ブルーカラー労働者の実質賃金が停滞して経済的不安定につながり、それまでの世代ほど裕福でない世代が生まれた』と述べたが、同様の停滞はほかの欧米諸国でも起きたことを認めた。賃金停滞と貧弱なセーフティーネッ卜に影譬されるのは白人アメリカ人だけではないはずである。黒人の死亡率は歴史的にそれ以外の集団の死亡率よりも高かったが、それでも毎年下がっていた。絶望による死亡者が増えていたのは中年の白人アメリカ人だった。」

「カーストの観点から見ると、これらはアメリカの支配カーストのなかでもっとも貧しく、もっとも立場が危うい人たちである。これらの人たちは何世代にもわたりヒエラルキー内の地位を約束され、そこから生じる利益を当然得られるものと考えることができた。しかし、人口構成の変化や労働組合の弱体化の余波、地位を失ったという認識、世の中での居場所についての懸念、父親が頼ることのできた安定が、人生の最高潮であるはずの時期に消えつつあるかもしれないことへの恨みをわたしたちは過小評価している可能性がある。太平洋やリオグランデ川の向こうからの移民が増え、黒人が大統領にまでなったことで、多くの人にとっての世界がひっくり返ってしまった。そのなかには、2008年以降の『わが国を取り戻そう』や2016年の『アメリカをふたたび偉大に』といった呼びかけに特に影響を受けやすかった人がいた可能性もある。」

更に「オバマが当選すると、共和党は選挙関連法の改正を始め、投票するのをより難しくした。連邦最高裁が投票権法の一部を無効にし、選挙について連邦政府が州を監督できないようにすると、この動きはいっそう活発になった。マイノリティによる投票を妨害してきた歴史のある州が、連邦政府の監督はもはや必要でないと主張したのが認められたのだった。」

「2014年から16年までに、複数の州で1600万近くの有権者が有権者登録名簿から削除された。ブレナン司法センターによれば、こうした登録抹消の動きはオバマ政権の末期に加速した。複数の州で新たに有権者身分証明書(ID)法が制定されると同時に、投票するために新たに必要になった身分証明書の取得を難しくする障壁が増えた。総合すると、このような措置は全体として周縁化された人びとや移民の投票参加を減らす効果を持った。どちらも民主党に投票する可能性が高いと見なされる。」

「『ある論文によれば、マイノリティの直近の投票率が上がっていた場合』と評論家のジョナサンシエイトは書いた。『その州で投票を制限する法律が制定される可能性がはるかに高いことがわかった。』」

トランプ大統領が出現したのはオバマが大統領になったからだとも云える。「最下層」の黒人が最上位のポジションに就いた。どんなに貧しかろうと黒人を見下し、上位にいると信じてきた白人はこの現実を許せなかった。トランプには岩盤支持層と言われる熱狂的支持基盤がある。彼がどんな不合理な政策を推進しようと、白人が上だと示してくれさえすれば良いのだ。そのためにはトランプのフェイクだらけの言動も支持される。

令和4年10月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No213) 田舎医者の流儀(188)・・・アメリカとカースト制度

今年読んだ社会科学系系統の書籍で、最も啓発された本は「カースト・・・アメリカに渦巻く不満の根源」イザベル・ウィルカーソン著であった。私はそもそもアメリカについて豊富な知識があったわけではない。しかし、「トランプを大統領に選び」「相も変わらずの黒人への差別的扱い」など理解に苦しむことが多かった。私はこの本でアメリカ社会に潜むカースト制度というものを始めて知った。この理解こそがアメリカ社会を理解する根底になるように思われる。

著者は人類学者が行った膨大な調査研究をもとにアメリカ社会がカーストに支配されているとし、その理解なしにはアメリカの現実を評価できないとした。「レイシズム(人種主義)とカースト主義との違いは何だろうか? アメリカではカーストと人種が絡み合っているので、二つを区別すのは難しい場合がある。人種という社会構成に基づいてばかにし、痛めつけ、決めてかかり、劣っていると見なしたり固定観念を持って見たりする行為や制度は、レイシズムと考えることができる。ある人を制限し、引き留め、規定された序列に入れておこうとする、その人が属していると区分に基づいて高く評価したり貶めたりしようとする行為や構造は、カースト主義と見なすことができる。」

アメリカはそのレイシズムとカースト主義の結びつきが社会行動を規定している。現在の黒人に対する理不尽な暴力もそれなしには語れない。250年続いた奴隷制度を支えたのは、底知れぬ暴力であったという。些細なことでむち打ちの刑が横行し、それは死に至る刑罰であった。その黒人への暴力主義は奴隷制度が廃止されてもなお続き、今の警官にも引き継がれている。黒人への刑罰は些細な犯罪でも過酷となり、白人とは明らかに違う現状がある。日常の生活、レストランでの食事、飛行機への搭乗、日常会話などの隅々にカーストが現れる。著者はその差別的実態を明らかにしている。

2016年のアメリカ大統領選で民主党のクリントン元国務長官を破ってトランプが当選した。この時、私はまさかアメリカ国民がトランプを選ぶことはなかろうと思っていた。日本で有名な評論家がトランプ当選もあり得ると言っていたのに対して「あり得ないだろう」と思っていた。

ところがこの本の著者は『「みんな状況をよく見ていない」「わたしはあの人が勝つ可能性があると思う」まだ時期が早く、予備選挙も始まっていなかった。わたしは誰がどう見ても政治畑の人間ではなかったが、力—スト制度のことなら知っていた。力—ストはアメリカの日常のすべてを説明するものではないが、アメリカの日常のどの面もカーストと、組み込まれたヒエラルキーを考慮に入れなければ十分に理解することはできない。政治分析家や左派寄りの観測筋の多くは、トランプの勝利は不可能だと考え、2016年の大統領選挙の結果に不意打ちを食らった。それは一つには、かれらがアメリカの日常や政治における永続的な変数としての力—ストがどれほど確実で手堅いものかを計算に入れなかったことがあった。』という。

アメリカでも民主党寄りで反トランプと考えられる知識人が客観的にアメリカの現状を分析し、「トランプ当選」を予測していたとは驚きだ。次回はトランプ当選に至った要因を紹介する。

令和4年10月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No212) 田舎医者の流儀(187)・・・台風14号

9月18日台風14号が鹿児島市に上陸した。鹿児島市に上陸した台風は私の記憶になかったが、報道でも初めてだと指摘していた。午後7時ごろ上陸とされたが、そのころ市内は殆ど無風状態になり、青空は見られなかったが台風の眼に入ったのかなと思わせた。その後の吹き返しもそれほど強くはならなかった。幸いにして大きな被害も出ず、通過した。「過去最強」と繰り返し報道されたので、一部には「騒ぎすぎ」との指摘も見られたが、それは結果であって自然現象を完全に予測することは困難なので、避難対応がうまくいって被害を最小限度にとどめられたと考えたい。

個人的には台風で2つの事が影響を受けた。21日水曜日は出勤日であったので、いつものように中央駅から指宿行のJRに乗った。ところが列車は喜入までしか行かず、喜入-指宿間は不通であった。倒木が発生しその整備が間に合わず、その日は喜入-指宿間は運航されなかった。喜入まで行って、診療に穴をあけるわけにいかず、タクシーで行き何とか診療に間に合った。

もう一つは、それでも「大風」だったので農園は周りの大きな竹が屋敷の方に3本倒れてきており、その処理をした。設置していた防寒用のビニールハウスが倒れて、修復の作業を余儀なくされた。一番の難儀は庭に散らばった落ち葉の処理であった。芝部分は箒等で除去したが老体には結構な作業量で休み休みの作業であった。それでもきれいになったら嬉しいものだ。コケ庭の落ち葉は掃くわけにもいかず、丁寧に手で落ち葉を拾い除去した、3日ほどかかりやっと終了した。

台風に備えて、停電や断水が起こるかもしれないと懐中電灯や飲み水のストックをした。幸いに鹿児島市内は停電も断水も発生しなかった。九州電力によると、台風14号の影響で、22日午前11時現在、鹿児島県内7市町の計約2110戸で停電している。肝付町の約900戸が最も多く、鹿屋市約390戸、曽於市約330戸、志布志市約250戸、東串良町約160戸、大崎町約40戸、霧島市約30戸。電気が来ないと現代生活は途端に大変な不自由になる、被災した地域の方々のご苦労に思いを馳せた。

今回の台風、地震、干ばつ、大雨による停電、家の被災などそれは自然災害なので仕方ないと諦めもしよう。しかし、ウクライナではプーチンロシアがダムを破壊、原発の近辺まで砲撃、一般住民の住居・アパート、学校、病院まで砲撃の対象にしている。ウクライナの人々の生活を徹底破壊している。戦争であっても最低限のルールがあるはずだ。自然災害ならそれなりの我慢もするし、耐えもする。しかし、プーチンロシアの蛮行には情けなさを超えた怒りの気持しか起こらない。

令和4年9月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No211) 田舎医者の流儀(186)・・・エリザベス女王が亡くなった

9月9日英国のエリザベス女王が96歳で亡くなった。「大英帝国の衰退とともに社会が急速に変化し、国民の意識も多様化した。女王に寄せる期待と失望が交錯した70年間の在位期間は、あるべき王室の姿を模索し続ける歩みだった」「そんななかで女王が社会に寛容を求めたメッセージは、価値観を提示する王室の新たな機能を感じさせた」「他者に歩み寄ることで、得られるものがたくさんある」「多様性とは脅威ではなく、強みである」(朝日新聞)。「コロナ禍で死者が急増した際には、『私たちが強い意志を持って協力すれば、必ず克服できます』と演説し、国民を勇気づけた。 国内外で分断が深まる中、融和を説き、社会の安定に寄与した。世界各国で共感を呼び、英国の地位を高めたのはその姿勢である」(毎日新聞)。

天皇陛下は「我が国との関係においても、女王陛下は両国の関係を常に温かく見守ってくださり、英王室と皇室の関係にも御心を寄せてくださいました。私の英国留学や英国訪問に際しても、様々な機会に温かく接していただき、幾多の御配慮をいただいたことに重ねて深く感謝したいと思います。 また、女王陛下から、私の即位後初めての外国訪問として、私と皇后を英国に御招待いただいたことについて、そのお気持ちに皇后とともに心から感謝しております」と談話を発表された。ぜひご夫妻での葬儀への参列を期待し、個人的な気持ちとしては「愛子様」もご一緒されたらいいなと思う。

私どもより一世代上で、この時代を象徴するゴルバチョフさんと稲森和夫さんが相次いで亡くなった。ゴルバチョフさんは8月30日に91歳で死去した。ゴルバチョフさんは、「ペレストロイカ(建て直し)」や「グラスノスチ(情報公開)」といった国内改革の実施を通じて、1991年の冷戦終結に至る条件を作り上げた。1990年には「東西関係の抜本的な変化において指導的な役割を果たした」として、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、どういうわけかゴルバチョフの改革はロシアで根付かず、逆方向のプーチンが国を支配し、現在のウクライナ侵攻という異常事態に至っている。ロシア国内でのゴルバチョフの評価は低いそうだ。私にはゴルバチョフの目指した方向は後世の歴史が評価するように思える。

稲森さんは90歳で8月24日に亡くなった。稲盛和夫さんは 京セラ、KDDIの創業、JALの再生に辣腕を振るい“経営の神様”と言われた。鹿児島大学工学部の出身で鹿児島大学には稲森会館があり、その教えを受け継ごうとしている。稲森さんは厳しい資本主義のまっただ中にあって「利他の心」を説き、それを曲げることなく実践した稀有の存在であった。

令和4年9月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No210) 田舎医者の流儀(185)・・・苔庭

小山田の農園は約170坪あり、30坪が農園、40坪が芝生庭、50坪が白い砕石をひいた庭になっている。残り30坪部分に、苔庭を造ろうとしてきた。2017年から道路端、知人の山野に生えている苔を戴いて、水洗いをして「苔苗代」を作り3か月ぐらい育てて、生えそろってから、苔庭部分に移植してきた。5年位かけて7割位には移植した。残りの部分は自然に苔が生えるのを待とうとしている。

基本そのやり方で苔庭が出来てきている。周りはアナグマなどに荒らされないように柵を張り巡らしてある。それでも何度もアナグマに侵入されて、せっかく育った苔を掘り返されたことも数回ある。さすがに今はアナグマなど入り込まない対策は出来ているが、それでもモグラや大型の鳥が春先はミミズを求めて侵入してくるのを防げないでいる。朝、農園について苔が掘り返されていることは今でも時々ある。そのたび、修復する作業が待っている。

雑草も生えてくる、除草にも精を出さざるを得ない、落ち葉の処理も難儀である。苔の上の落ち葉は箒で掃くわけにはいかない、ブロアーで吹き飛ばすわけにもいかない、いずれも苔がはがれてしまう。仕方ないので一枚一枚手で取り除いている。苔は霧状の水気が必要と言われている。苔庭の部分には霧状の水を撒けるようにそれ用のホースが張ってあり、定期的に人工的霧が発生できるようにしてある。手間暇のかかる苔庭作りだ。しかし、手入れの行き届いた苔庭の緑はきれいで、心癒される。単純にその魅力に取りつかれて、作業の大変さを忘れている。

苔そのものの美しさは欧米でも認識されているが人工的な苔庭は日本以外では作られていないようだ。部分的に苔を植えてはいるようだが、苔を中心とした庭造りは日本独特のようだ。苔の持つ魅力を突き詰める「苔美」の追求は、我が国の精神文化の独特さを象徴しているのであろう。

5200年前のミイラ、「アイスマン」がチロル地方の溶けた氷河の中から発見されたとき、彼のブーツには苔が一杯に詰まっていた。その中にはヒラゴケの一種が含まれていたが、アイスマンがどこから来たかを知る重要な手掛かりとなった。なぜならこれは60キロほど南の低地の谷にしか生えないことがわかっていたからである。「近代植物分類学の父」リンナエウスは、ラップランド地方に土着のサーミ族の人々の土地を旅したとき、スギゴケ属の苔でできた携帯用毛布で寝たと書いている。苔は防寒に利用されていたという事だ。
(コケの自然誌R・W・キマラー著 築地書館)

令和4年9月7日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No209) 田舎医者の流儀(184)・・・メダカは共存を選んだ

友人のAさんがお兄さんの飼っているメダカを分けてくれた。「青みゆき(青幹之)」という種で、青白いカラーの筋が背中から尾にかけて発色し、輝青色のラインを持っている。池の中に入れるとシルバー系で青白く発光しているよう見え、良く目立つ。楊貴妃メダカと共に改良メダカの人気種である。

頂いた30匹位を従来飼っていたメダカの池に入れた。飼っていたメダカはホームセンターで買ってきた黒っぽいものや橙系のメダカで、ありふれた種である。このメダカを池に入れた時、先住のメダカが突きまわすような行動をとった。異種が入ってきて、従来のメダカさんは納得できないのかと見守った。一時したら、突きまわるような行動は見せなくなった。その後は仲良く共存し泳ぎ回っている。ネットで調べると、大型のメダカが極小さいメダカを食べることがあるそうだが成人したメダカは仲良く暮らすそうだ。その後、日を経てもメダカたちは共存し、仲良く暮らしている。

以前も紹介したが、なんとヒトと同じで、魚も相手個体の顔を見て個体識別をしているという。メダカも顔で個体識別をしているとの報告がされている。メダカといえば、童謡に歌われるわれる国民的な魚である。あのメダ力が顔で相手を識別しているのである。よく見るとメダカの目の体側寄りのところに、小さな小判型の模様がある。この小判に個体変異が認められ、どうやらこれで個体識別をしているようだ。メダカはダツ目というスズキ目とは別の系統群に属す。つまり、スズキ目と力ダヤシ目に加え、ダツ目でも顔模様に基づいた視覚による個体認識が確認されたことになる。
(魚にも自分がわかる 幸田正典著 ちくま新書)

メダカは個体識別が出来るので、今回みたいに異種が入ってくると、異種を認識できると思われる。新しいメダカを入れた直後はよそ者が入ってきたと認識したと思われる。直後に両者が突きあうような行動を見せたのは納得できる。しかし、一時すると両者は仲良く泳ぎ回り「けんか」をするそぶりは見せなくなった。どうも共存する道を選んだようだ。

人の歴史は、民族により争いごとを繰り返してきた。ヒトラーはアーリア人のみが優秀で、その他の民族を敵視した。特にユダヤ人に対してはその存在すら認めず、アウシュビッツに送り込んで絶滅を計った。現在でも、中国政府によるチベット人に対する弾圧はすさまじく、強制収容所に入れて民族の存在を認めようとしていないようだ。メダカは利口だ、少々の違いを認め合い共存の道を選んでいる。指導者たちよ、少しはメダカに学んだらどうだ!!

令和4年8月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No208) 田舎医者の流儀(183)・・・土を育てる

20世紀の初め、窒素肥料の化学合成が可能になり、作物の単収が飛躍的に向上、世界の食料生産は急拡大した。それとともに人口も急速に増加した。農業は品種改良、肥料や農薬等、栽培・飼育技術の改善などにより、単位あたりの収量(生産量)の増大や安定化をもたらした。同時に農業機械・施設の開発・改良などにより、単位面積・単位頭数(羽数)あたりの労働時間の節約をもたらした。これらは経営規模の拡大によりその優位性が更に発揮されるようになった。

農業は大規模経営となり、効率化のため単一作物の栽培が進んできた。更に、最近は遺伝子改変により除草剤耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大を目指す作物の開発が進められている。除草剤耐性により例えば代表的除草剤ラウンドアップに耐性を持つ作物が開発され、その除草剤をまいても作物は影響を受けない(通常は除草剤によって作物も枯れてしまう)。しかし、これも万能ではなく、長年使っていると除草剤耐性の雑草が出てくる。現代農業は果てしない自然改変の様相を呈している。

こうした中で、土の「健康」は失われ、更なる収益を得るために、化学肥料、除草剤使用の増大に追い込まれ、ますます土の本来持つ機能は損なわれていく。際限のない悪循環が形成されている。大型農業機器の導入により、土は掘り返され、ますます土の本来持つ機能は損なわれて行っているという。こういう状況に対して本来土の持つ「健康性」を取り戻そうという試みが行われている。

米国現役農民ゲイブ・ブラウンは「土を育てる」という本でその方向性と実践を示した。彼は言う。

「生産者の多くは、耕すことで土は良くなると信じている。これほど事実からかけ離れた考えはないだろう。耕せば、土の団粒構造はたちまち破壊され、水分浸透速度は大幅に低下し有機物の分解が早まるなど、さまざまな影響が生じる。このよけいな介人によって、酸素が地中につぎ込まれ、特定の日和見菌が刺激されてあっという間に増殖し、地中に溶け込んでいる炭素べースの生物的な”糊”を摂取する。このきわめて複雑な天然の糊状物質は、大小さまざまな団粒をまとめる役割を果たしている。これらがなくなってしまうと、沈泥や粘土の粒子が隙間を埋め、土の多孔性が低下する。そうなると土は嫌気状態となって、地中の生物相が変容し、それが今度は病原菌の増加や、脱窒菌の増加による窒素の減少につながる。また、ニ酸化炭素も大気中に放出される。さらに、微生物が死ぬと、地中の水分のなかに硝酸態窒素が放出され、それが雑草の成長をうながす。土を耕すと、菌根菌の複雑なネットワークも損なわれる。菌糸のネットワークが切断されるので、アミノ酸やその他の有機物・無機物が行き渡らなくなる。」

「化学的に土をかき乱すのもダメージは大きい。大量の化学肥料や除草剤を撒き続けることで、土壌の構造と生態系の働きが破壊されてしまう。植物に水溶性の化学肥料を与えれば、程度の差はあれ、その植物は怠けはじめる。もはやそれまでのように炭素を地中に放出して微生物を引き寄せる必要がなくなるからだ。その結果、有益な微生物や真菌の数が減少する。土壌生物が減少すると、土壌の団粒や隙間が減り、水分浸透速度も下がる。その過程で、窒素を固定するバクテリアの数も著しく減少する。これらすべてが土壤生態系の機能の劣化となって表れる。」

「除草剤の使用も打撃は大きい。農業のひとつひとつすべてのアクションに複合作用がある。特定の害虫を殺すために殺虫剤を散布すれば、殺虫剤はその虫だけを殺すのではない。ほかのまったく害のない生物や、有益な働きをしてくれるたくさんの虫や生物をも殺してしまぅ。そのことに気づかなければならない。自然は『一時的なストレス』ならやりすごせる。実際、「一時的なストレス」はプラスの作用をもたらすこともある。でも、『慢性的なストレス』―毎年耕す、毎年化学肥料や農薬、殺菌剤を散布するなどーをやりすごすことはできない」

私は農家に生まれたので、中学生までは家の農業を手伝っていた。作物を植えるときはまず畑をよく耕して、種をまく、苗を植えるのが当たり前と思ってきた。その行為が土の機能を劣化させるなんて考えてもみなかった。大規模農業、単一作物の生産で最先端を行く米国でその方向に疑問を持ち、実践し成果を上げている農業者がいることは驚きだし、その理屈に共鳴する。私の小さな農園でも早速その方向での土育てをしてみたい。楽しみがまた一つ増えたね!!
(参考文献:土をそだてる ゲイブ・ブラウン著 NHK出版)

令和4年8月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No207) 田舎医者の流儀(182)・・・小屋での昼飯

今日の昼飯は小さいいなり一個(コンビニで買った)、タンの燻製をフライパンで焼いたもの、ちくわの半分、作り置きのゆで卵一個、それに桃半分、ミカン小さなもの2個である。これ位の量であれば昼食後の血糖は150を超えることはない。リブレを付けているので血糖をいつでも測れる。ただ、リブレの測定値は実際に穿刺血で測ったものより私の場合は20位低く出る。

昼飯は外食になる。水曜日、金曜日は指宿に行くので出前を頼む。幕の内弁当を頼むことが多い。それを全部食べることはない。ご飯は半分だけにしている(全部食べると血糖が上がる)。木曜日はゴルフすることが多いのでゴルフ場のレストランでの昼食になる。定番はカツオのハラ皮(焼き物)とおにぎり一個だ。

それ以外の日は農園にいるので、小屋で昼食を作ることになる。小屋には電熱器や電子レンジがあるので少々の煮炊きは出来る。卵焼きを作ったり、農園の葉物を取ってきて野菜炒めも出来る。どうしたら美味しいものが作れるか考えることは楽しい。最近はコンビニに行くと味噌汁もお湯を注ぐだけで、そこそこの味の物が出来上がる。種類も多いので、いろいろ試してみるのも面白い。

田舎の育ちなので、昔を思い出す。畑で取れたものを母親が料理して食べさせてくれた。果物は例えばスイカは朝収穫して、近くの川に浸して夕方引き上げて食べていた。ミカン、ビワ、ボンタンなどはそれぞれの時期に取れた物を食べていた。タンパク質は親父が時々ニワトリを処理して食べていた。これなどは特別なもので、お客さんが来た時のご馳走で出していた。母が作るニワトリの照り焼きは美味しかった。

食べるものは自前で作っていた。僕の田舎は田んぼが少なかったので米は買っていた記憶がある。今みたいに食べるものを殆ど全部買っている状況はなかった。ロシアのウクライナ侵略によって世界的食料不足が懸念されている。ウクライナで取れた小麦などの輸出が妨害されている。国連を仲介にしてウクライナ産の小麦などを輸出する体制が出来たとニュースが報じていたが、例のごとくロシアがその港をロケット攻撃してぶち壊そうとしている。ロシアへの制裁を解かないと約束は履行できないようなことを言い始めている。

食料の自給率を高めておかないといざというときにはお金を出しても誰も売ってくれない。自給率の向上が必要だと皆が理解をしているが、この国はそのような方向へ向かう気配がない。

令和4年7月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No206) 田舎医者の流儀(181)・・・普通の人の老後

書店で「87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし」(多良美智子著 すばる舎)という本が目についた。読んでみた。「普通の人」が老後を愉しく暮らす様が淡々と描かれていた。

「私は今87歳、築55年の古い団地でひとり暮らしをしています。以前は家族5人で暮らしていましたが、娘1人と息子2人はそれぞれ独立し、7年前に夫を亡くしました。
長崎で8人きょうだいの7番目として生まれ、小学5年生のときに被爆しました。幸い、病気になることもなく成長し、会社勤めを経て、27歳で結婚。夫には亡くなった前妻との間に10歳の娘がいました。結婚後は主婦として家のことを担い、子育てが一段落してからは習い事やボランティアをしたり、パートで働いたりして過ごしてきました。」

そんな普通のおばあちゃんが2020年(85歳時)当時中学生だった孫と「Earthおばあチャンネル」というYouTubeの番組を始めた。ひとり暮らしの日常をアップしていたが、多くの人が見てくれて本にしませんかと言われた。「87年間生きてきたご褒美ね」と考え本にすることにしたという。

「毎晚、寝るときに、一番幸せを感じます。今日も1日元気に過ごせて、雨露をしのげる家があって、ぬくぬくと寝られるベッドがあって、本当にありがたいと思います。たしかに年はとりました。昨年は2回も転び、大きなケガをしました。そんなことは今までなかったので、ショックでした。大きな掃除機が重くなり、使いこなせなくなりました。食べることが大好きなのに、食が細くなって、たくさん食ベられなくなりました。日々少しずつ、当たり前にできていたことができなくなっているのを実感します。でも、それは仕方のないこと。できないことはあきらめます。そして、まだできることを楽しめばいいのです。」私が日常感じているそのものです、おおいに共感する 。

「子どもたちが結婚してからは、こちらから口出しすることはありません とくに息子2人は、『お嫁さんにあげた』と思いました。孫はかわいいけれど、こちらから連絡することはなく、子どもの側から『運動会だから見に来る?』と呼んでくれたときは、喜んで行っていました。お友達との付き合いと同様に、家族とも深入りはしません。もちろん、困ったときは、お互いに助け合おうとは言っています。」この距離感がいいね!!

「夫も亡くなり、ひとりの暮らしです。お金は節約しなくちゃと思い、年金の中で生活するようにしてきました。貯金には手を出しませんでした。でも80代も半ばを過ぎ、近頃はむしろ『お金を使わなくちゃ』と思うようになりました。あの世にお金を持っていくことはできません。きっちり使って死にたい。生きているうちに、もっと楽しまなければ。残すのは葬式代だけで十分。そんなふうに考えるようになっています。」これにもおおいに共感、いいね!

「普通の人」が老いに向き合いながら、生き生きと暮らしている様子が見て取れる。なにしろ、著者は健康に恵まれ、その努力をされてきたことがこの生活を支えている。その長い努力も素晴らしい。

令和4年7月20日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No205) 田舎医者の流儀(180)・・・ブルーベリーが実ったよ

小山田の農園を始めて5年になる。1年目に植えたブルーベリーは2年目までは多くの実がなり収穫できたが、2年目の夏日照りが続き、樹勢衰え3年目、4年目は殆ど実を付けなかった。調べてみると、ブルーベリーは乾燥に弱いそうだ。その後水やりを出来るだけやり、土を酸性化する処置をした。5年目の今年はそれなりに多くの実がなった。朝農園に行って、4本あるブルーベリーの木を見回り、熟したものを収穫、その場で頂くと大変美味しい。

今年もキキョウの花が多く咲いた。この土地にあうのか毎年咲いてくれる。家人によると自生のキキョウは殆ど見られなくなったという。清々しい青紫色をしている星形のお花と紙風船の様に蕾が可愛く膨らむ花が魅力的で、「気品」があって見飽きることはない。家に持ち帰って生け花にしているが美しい。ヒマワリを種から育て6本育ってくれた。間もなく花が咲いてくれそうだ。ヒマワリが咲くと本格的な夏の風情だ。

先日徳さんが来て、スイカを植えてくれた。めしべが咲いたので受粉をした。昨年は1個しかスイカにならなかったが今年は5個ぐらいはなって欲しいと水やりには励んでいる。イチゴを今も収穫できている。1日5個近くは採れている。無農薬なので水洗いして、そのまま頂いている。後輩の奄美で開業しているO先生は20本のバナナ園を持っていると写真を送ってくれた。見事なバナナが育っている。管理に追われていると書いてあったが、育て、実がなることを楽しんでいるようだ。すばらしいね!!

今年はもう梅雨明けだそうだ(6月27日)、史上2番目の早い梅雨明けで、例年より2週間以上早いようだ。雨の量も少なかったので夏水不足にならなければいいが。私の友人がいうには、29年前の鹿児島8・6豪雨災害のときも梅雨が2週間位であけ、短かったそうだ。7月下旬よりまた大雨になり8・6に至ったのだという。「油断はなりませんよ」と言う。8・6の災害は忘れようもない位大惨事だったので警戒しなくては思う。

ロシアが戦争と暴力でウクライナの小麦輸出を阻止し、世界的な食糧危機が起こりそうだという。特に発展途上国では餓死者の増加も懸念されている。冷夏、洪水など自然条件で食料が不足するのではなく、暴力で危機が訪れている。こんな理不尽な不法行為を見逃すことは出来ない。ウクライナという他国に勝手に侵入し、悪いのはウクライナだという。妥協的な論調もあるがこの不正義を1ミリでも認めるならナチスの二の舞になる。歴史の教訓を忘れてはならない。

令和4年7月13日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No204) 田舎医者の流儀(179)・・・小冊子が出来ました

2021年1月より南日本新聞「論点」欄の執筆を求められ、12月まで10回記事を書いた。この10回分を小冊子にしようと、正月明けの1月より準備にかかった。小冊子にするにあたり、新聞社にも了解していただいた。本文、表紙、序文、あとがき、それに前回同様家人の撮った花写真などの原稿を編集人Aさん、Oさんに渡した。

2月末には一次稿が出来上がり、校正を始めた。数回の打ち合わせを経て、6月初めには本が出来上がった。500部印刷し、循環器グループの先生方(約90名)、あとお付き合いのある方約300名計400名近くに郵送した。60名以上の方からやお手紙やメールを頂いた。過分な評価いただいたことに感謝している。また、家人の花写真が良く取れていると褒められていたので家人は嬉しそうであった。

後輩のT先生はA4紙に3枚半の長文の感想文を寄せてくれた。「全体として先生の視点を通して社会の問題点をまず提起し、社会学と自然科学を組み合わせた視点でその病理や解決策を提示した点がユニークと感じ、双方の学問を結び付けた概念に」共感したと言って頂いた。「サルも小鳥も嘘をつくという章は特に気に入った、人間以外の動物のこのような行動に関して初めて知った」「老医を生きるの章は特に感銘を受けた。〝日々、見知らぬ自分と逢うのが老いと言うものか″・・・藤沢周著「世阿弥最後の花」・・・というこの文章がこの章を一行でまとめているように感じた」との感想を戴いた。家人の花写真撮りの仲間Sさんも上記の世阿弥の言葉に感動し、この小説「世阿弥最後の花」をぜひ読みたいと言われるので、この本をお貸しした。

平成30年(2018年)6月に「田舎医者の流儀(自家出版)」を出したので2冊目の本になった。それなりにエネルギーのいる作業になるけれど、この時の編集人Aさん、Oさんのコンビが力を貸してくれたので今回も気にいった体裁のものが出来上がった。似顔絵をゴルフ仲間のMさんに書いていただいた、なかなかの出来栄えで評判が良いので嬉しい。

相変わらず指宿医療センターHPに「菜の花通信」を書き続けている。先日200号になった。今は月2回位のペースで書いている。よくそんなに書くことがありますねと言われるけど、不思議にテーマは湧いてくる。知らない事が多いし、面白そうな本があると読みたくなる。本は新聞の書評を見て選んでいる。新聞の書評は日曜日に乗るのでなんとなく日曜の朝はワクワクする。本を読むと書きたいことも多くなる。

令和4年7月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No203) 田舎医者の流儀(178)・・・30年かかりました

2022年3月18日、鹿児島医療センター循環器内科チームは「僧帽弁閉鎖不全症に対する経カテーテル的僧帽弁修復術(MIitraClip )を初施行した。」「僧帽弁閉鎖不全症に対しては薬物療法でコントロールできない場合、僧帽弁形成術や人工弁置換術など外科手術が行われるが、体力低下している方、手術による合併症リスクが高い場合は手術が出来ず、根本治療は困難であった。」「そこで2018年4月より国内で経カテーテル的僧帽弁修復術(MIitraClip )という新しい治療法が開発された。カテーテルを使用し開胸することなく、低侵襲に僧帽弁にクリップをかけることにより逆流を制御する方法で、外科手術に比し身体への負担が少なく高齢者や他疾患を有して手術困難例にも施行できる。」僧帽弁閉鎖不全症に対する新しい治療法である。

鹿児島医療センターのチームは先進施設で十分な研修を受け、この技術を導入した。現在まで4例に施行、いずれも成功、近いうちに5例目を行うという。この治療には循環器内科医、心臓血管外科医、麻酔科医、心エコー医、臨床工学技士、放射線技師、生理検査技師、専門看護師のハートチームの連携が不可欠である。ハイブリッド型の手術場も必要である。様々な困難を乗り越えて本治療法が軌道に乗ってきていることを喜びたい。
(鹿児島医療センター鹿医セン便り Vol.193より引用)

同チームは経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVI)も、2017年6月より鹿児島県で最初の症例を施行、開始から4年を経た今では年間100症例以上を施行、2022年1月13日には400症例に達し九州では2番目の症例数になったという。最近は人工透析患者さんへ施行も施設認定され、適応患者さんがますます増加しているという。この療法も外科手術困難例になされるので、患者さんにとっては朗報である。

不整脈チームも高度のアブレイション治療、リードレスペースメーカー術、リード抜去術など九州でも有数の症例を行う組織に成長した。現在は症例が多くて施行までの待ち時間が長い悩みがある。更なる、体制強化が求められている。従来から行ってきた冠動脈形成術は難しい症例が増えているが、蓄積した技術で成績も良好である。急患対応も素早く、例えば急性心筋梗塞で搬入されてから形成術に至る時間も短縮し、心機能の保持に貢献している。

私どもは平成4年(1992年)3月に国立病院南九州中央病院(現鹿児島医療センター)に赴任した。目的は鹿児島の循環器病の患者さんが治療のため小倉や熊本に行かざるを得ない状況を解決し、鹿児島で治療が出来る体制・技術を確立したいという事であった。一筋縄で出来る事でなかったが、我々のチームは出来ないことは先進施設に勉強に行き、着々と体制を整えてきた。幸いにして優秀な後輩が苦しいなかで研修を受けて帰ってきてくれた。今や鹿児島で出来ないで他県に行って治療を受ける分野は例えば心臓移植などの特殊なものを除きほとんどなくなった。

私どもは平成4年3月に赴任したが、当時の南九州病院は世間では「なんちゅう(南中)病院」だと揶揄されるぐらいアクティビティが低かった。赴任して3日目に3人の患者さんを入院させたら、看護婦さんに大目玉を食らった。「心電図モニター、非常時の電気ショック装置もない。そんな病棟に循環器疾患の患者さんを入れて、事故があったら先生が責任を取るのでしょうね」と。会計に行って、これらの装置を買って貰えないかと相談したら、「予算がありません」と素気無く断られた。腹立たしかったので「訴訟になったら僕は患者側に立ちますよ」と捨てセリフを吐いて退散した。

赴任時「君たちのカテーテル検査が出来る枠は週1例のみ、心エコーの検査枠は金曜日のみ」などの厳しい制限を受け、その契約書にサインさせられた。つまらない「いじめ」にあいながらも、我々には鹿児島で治療を出来るシステムを築きたいという大義があったので負けることはなかった。病院全体の改革を同時に進めながら、少しずつ仕事の出来る体制を築いて行った。

私は赴任時48歳、今78歳なので30年かかって今の体制が出来上がったことになる。感慨深いものがある。この間の皆の努力に敬服するとともに誇らしくもある。臨床的なことはハイレベルでたいていのことが出来るようになった、これを維持するためには若手の人材が必要である。今の仕事の「論文化」などに取り組み、更にレベルの高い、若い人に魅力のあるグループに育つように現役の先生方に一層の努力をお願いしている。

令和4年6月22日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No202) 田舎医者の流儀(177)・・・監査

いつの間にか、年の真ん中6月になってしまった。国道3号線沿い甲突川のアユ釣りが解禁になり、釣り人たちが並んでいる。例年、この後は梅雨入りしてくるので間もなく雨の季節になっていくのであろう。農園では昨年植えたバラが赤、白、ピンクの花を咲かせた。かなり多く咲いたのできれいであった。グミは今年もいっぱい実を付けた。完熟するまで待っていると渋みが取れておいしくなる。枝ごととるときれいな生け花になる。自宅に持ち帰って部屋に飾ると見栄えがする。

知床観光船の事故は26名もの死者・行方不明者を出す大惨事となった。どこに真の事故原因があるのかは今後の解明を待たなければならないがずさんで安全無視の運航が続けられていたことに驚かされる。勿論、運航会社の安全を無視した儲け主義の体質が事故の直接的原因であることは論を待たない。こうしたことがあるたびに監督官庁のずさんな監査体制に驚かされる。ずさんな運航状況はきちっとした監査をしていたら避けられたのではなかろうかと思われる。

医療界でもジェネリック医薬品の不正があり大問題となった。ジェネリック医薬品は先発医薬品と同等な効果を持ち公的機関の検査を経ているから安全と厚生労働省は宣伝し、ジェネリック医薬品の使用を促している。厚生労働省は「添加剤の成分や配合量が先発医薬品と異なっていても、有効性や安全性に違いが出ることがないように、ジェネリック医薬品の承認審査においては、生物学的同等性試験のデータの提出を求めて、主成分の血中濃度の挙動が先発医薬品と同等 であることを確認しています」と言う。

「生物学的同等性試験とは、ジェネリック医薬品が、先発医薬品と治療学的に同等であることを証明するために実施する試験で、ヒト(健康成人)に先発医薬品とジェネリック医薬品を常用量投与して、両者の血中濃度の推移に統計学的な差がないことを確認するもの」。従って、安全性、効果が証明されていると宣伝している。

しかし、これはいずれも書類審査であり、提出されたデータはメーカーが出したもので、そこに不正が行われていたら、検査をすり抜けて合格していくことになる。外国ではこの生物学同等試験に審査を受ける医薬品の代わりに先発品を用いて試験を行いそのデータを提出した事例を知られている。メーカーの性善説に基づいて、そのデータを鵜呑みにしたら間違いを見抜けない。一流自動車企業でも堂々と検査データを長年ごまかし続けていることが明らかになっている。必要な立ち入り検査・強制調査を伴っていない監査は機能しない事を示している。

令和4年6月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No201) 田舎医者の流儀(176)・・・貧幸

理不尽なロシアのウクライナ侵攻に対して、欧米、日本などはロシアからの石油・天然ガスの輸入禁止に踏み切った。エネルギーのロシア依存の大きい特に欧州は大きな困難に直面している。日本も石油禁輸は経済的には大きな影響を受ける状況にある。しかし、ロシアの理不尽な戦争を止めさせるためには避けられない「制裁」である。

ガソリン代、電気料金は今後も上がっていくであろう。この中で我々のエネルギー消費のあり方を見直すチャンスではないか。今までどおりのじゃぶじゃぶのエネルギー消費ではやっていけない状況にある。供給が著しく制限されてきたので、当然その使用の制限にも本気で取り組む必要がある。この事態に至っても供給の確保のみを唱えても無理がある。これを期にエネルギー消費の抑制に向かう事が温暖化対策上も理にかなっている。

我々一人ひとりがエネルギー消費削減に取り組みたい。不必要な電気は1分1秒でも消したい。私は家の中で不要と思える電気が付いていたら必ず消すようにしている。家人にそこは未だ使っているのとよく文句を言われる、今使っていなければ1秒でも1分でも消す。朝起きて、家人が消し忘れたトイレやクローゼットの電気が付けっぱなしだったといちいち指摘するものだから嫌われている。私は運転できないので、自家用車も持たない、移動はもっぱらバス、JR、歩ける距離は歩く、出来るだけタクシーに乗らない。どこに出かけるでもすぐ自家用車で、ガソリンの不要・不急の利用は避けたいものだ。

最近の文藝春秋に作家の倉本聡さんが「老人よ、電気を消して『貧幸』に戻ろう」という一文を載せている。「我々老人には、ここ何十年地球を痛めつけ、ここまでの環境危機を招いてしまった。その犯人たる責任がある」と指摘し「使うエネルギーを減らすことを、真剣に模索することを提案している。

倉本さんは「何年か前から僕はしばしば、ローソクの灯だけで風呂に入る」。「一寸した汚れを拭くのにも、鼻をかむにもティッシュぺーパーである。一度使ってすぐ捨てる。紙をこれだけ使い捨てるということは、その原料たる木材を使うこと、即ちC02を固定して酸素を出してくれる森の資源を、惜しげもなく毎日使い捨てているということである」。そこで「我が家では何年か前から卓上の汚れを拭う為に布巾を使うように生活を変えた。布巾は汚れたらすぐ洗う。又使う。テーブルの上にいつもハンディ夕イプの清潔な夕オルがきちんとたたまれ、積まれている。醬油をこぼした時、鼻水の出た時、殆んどこれで済ます。紙を決して浪費することはしない」と言う。

また大きな浪費も指摘する。「JRは、今度は東京から大阪まで1時間で行けるリニア新幹線なるものを作るという。日本の国土を切り刻み、地中に穴を掘り、水路をこわし、1時間スピードが上ったといったって、ウサィン・ボルトじゃあるまいし、何がそんなに目出度いのだろう。1時間浮いたその時間で人間は何をしようというのだろう。判らない。」

倉本さんは『「貧幸」という素敵な言葉がある。貧しいが倖せ。そういう意味の言葉である。僕は貧幸の時代を知る、今の世に遅れた人間である。だが今僕はあの貧幸の時代に、出来得るならば戻りたいと思っている』。いいね!!。

令和4年5月18日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No200) 田舎医者の流儀(175)・・・200号になりました

菜の花通信が今回で200号になった。平成21年(2009年)3月に鹿児島医療センターを定年退官、4月より国立指宿病院(現指宿医療センター)に週3日非常勤医師として赴任、総合内科を担当するようになった。その年の10月30日、本通信1号を病院のホームページ(HP)に掲載、HPにいろどりを添えよう位の気持ちであった。

私の赴任した4月より田中康博先生(現鹿児島医療センター院長)が院長になっていた。指宿病院は平成14年に24名いた医師が平成18年には14名に減り、平成19年度は10名程度になり、病院としてやっていけないという瀬戸際に追い詰められていた。当時の院長が涙ぐましい努力をしていましたが、全体の流れの中でいかんともしがたい状況にあった。指宿病院は地域の中核病院であり、これがダウンしてしまうと地域医療・地域社会が成り立たないことになる、私は前院長と同期であり、近くにいたので、その苦衷が分かっていた。

平成18年秋、田中先生が所属していた鹿児島大学病院を出ることになり、その時の教授に「田中先生を指宿病院にどうですか」と話しました。教授は「えっ、指宿病院ですか。もっと彼にふさわしいポジションはないのですか」と言われた。もっともな話で、彼はその大きな内科教室で教授の次のポジションにいた。その人を当時、国立病院機構の中でも最も下位にランクされる大赤字病院、その診療部長にという話だから、普通では考えられない事だった。私は田中先生に「日本一の赤字病院を再建できるのは先生しかいない」とロ説いた。そして平成19年4月、教授も彼の「心意気」を是とし、消化器内科3名を加え、計4名で赴任することになり、それから2年後、平成21年4月、田中院長が誕生した。

そんなわけで、私には定年後田中院長を応援する以外の選択肢はなかった。院長として力を発揮してもらうため、少しでも外来とかの診療を手伝おうと思った。総合内科医として、外来の患者さんをなんでも診るようにした。定年後もまだ多くの公の仕事をしていて、国保の審査委員、県医師会の常任理事、鹿児島大学経営委員、平成21年からは鹿児島県保健福祉部地域医療特別顧問として鹿児島県の初期研修医の確保の仕事も始めた。菜の花通信の多くはそこから出て来た話題を記事にし、月1回を目安に書いた、どういうわけか続けることが出来た。後輩や仕事仲間から「読んでいますよ、楽しみにしています」とリップサービスを受けると本気にしてしまい続いたのかも知れない。

医者になって40年近くをほとんど循環器・心臓医者で過ごしてきた。総合内科外来には発熱、腹痛、頭痛など様々な訴えの患者さんが来院し、古びた頭を切り替えるのは難しく、冷や汗をかくこともあったが、何とか持ち堪えてきた。一方で総合内科を担当したお陰で、今までで診たことのない疾患にも遭遇した。マラリアの患者さんにはびっくりした。22歳の青年が「2週間前から1日1回40度以上の発熱がある」と受診した。この青年は1年以上東南アジア、インド、バングラデシユなどを旅行して10日ほど前に帰国、指宿に帰ってきた。病歴、生活歴から直感的、臨床的にマラリアと考え、鹿児島大学病院に連絡した。かつての同僚で血液内科の医師がマラリアと確定し、即刻入院となった。後日談がある。この症例が大学病院のカンファレンスにかかった時、教授が「マラリアと誰が最初に疑ったのだ」と言われたそうです。我々の世代はそのようなシチユエーションでは、いまだそんな疾患が頭に浮かんだ。その他、ご婦人の大きな卵巣腫瘍、冠攣縮性狭心症で通院中の患者さんにみられた手背の浮腫と関節痛を認めるRS3PE症候群等も経験した。専門医の助けを借りながら、今まで経験したことのない新しい疾患との出会いがあり、そんな経験が菜の花通信の格好の材料になった。

70歳を過ぎたころから、公の仕事から身を引こうと考え始めた。平成30年(2018年)春に県内科医会会長を辞任し、殆どの公の仕事から身を引き、隠居を目指した。隠居には形が必要と考え、小山田に170坪の土地を求めた。2016年暮れに購入し、翌年から本格的に整備を始めた。農園、コケ庭、ゴルフの練習の出来る芝部分と3等分し、駐車場の小屋が残っていたので居住部分として、快適に暮らせるようにトイレ、冷暖房、冷蔵庫、台所などを作った。

現在、週に2日は指宿に行って外来診療、週一はゴルフ、残りの4日は殆ど農園で過ごす。農園では草取りなどの作業、雨の日は小屋で本読み、ゴルフの素振りをする。少なくとも3つの事が出来る、飽きることはない。家人などはそんな生活がいつまで続くのかといぶかっていた。幸い、農園に野菜を植えたりしてくれる友人の徳さんや頼むと芝刈りに来てくれる庭師さん、シイタケの生える樹や花木を持ってきてくれるSさんなどに支えられこの生活は成り立っている。

最近の「菜の花通信」はそんな生活の中での出来事を書くことが多くなった。
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」
「たのしみは 庭にうゑたる 春秋の 花のさかりに あへる時時」
(橘曙覧)

そうは言っても、コロナの大流行、プーチンの暴虐に関心を失ったわけではない。心痛めることも多い。齢78歳、80も近くなった、いつまでこんな生活が続けられるやら。新聞に「80歳の夫が精米所を始めた」という奥さんの投書が載っていた。80を過ぎて、新たにことを始めるには誰でも抵抗があるかもしれないが、今を大事にするこの方の生き方に共感し、学ばされている。

令和4年5月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No199) 田舎医者の流儀(174)・・・落葉

先週、農園の野ばらが白い花、モッケイバラが黄色い花を咲かせた。植えてから4年以上経つので樹も大きくなり、見栄えがするようになってきた。友人が黎明館の裏の桐の花が咲いているよと知らせてくれた、見に行った。20メートル位の大木になった桐に薄紫の花が見事に咲いていた。鹿児島医療センターに勤務していたころは歩いて通勤していたので、この時期この花をよく見ていた。それから13年経つので久しぶりの出会いであった。そのころに比べれば桐の木はだいぶ大きくなっていた。そこから中央公園の方に歩いて、ウコン櫻を見た。これも見事に咲いていた。春は花との出会いの時だ。

この時期、農園には孟宗竹のタケノコが生えてくる。朝行って、一回りして収穫時期を考える。週の真ん中3日間は農園に行けないので、土曜日に大きくなりすぎたタケノコにビックリさせられることもある。丁寧に掘り出して持ち帰り、新鮮なタケノコ料理を楽しんでいる。農園には動物侵入阻止用柵がしてあるが、その支柱の真下からタケノコが生えて、掘り出すのに難儀をした。予測外のところに生えてくるから油断ならない。

3月下旬の朝、農園に行ったら芝生部分の半分ぐらいを無残に掘り返されていた。イノシシの仕業と考えられた。この農園を開いて6年になるが初めてのことだった。今まで起こらなかったのがラッキーだったのかもしれない。侵入してきたと思える部位に新たに柵をこしらえてもらった。その後3週間位経つが侵入した形跡はない。しかし、侵入できる経路は未だ残っているので、完全に防げるとは思っていない。イノシシとの知恵比べだ。

コケを植えた部分への落葉除去は厄介だ。この時期、どんぐりの樹などの常緑樹は新しい葉っぱに入れ替わるので、古い葉は落葉する。私の農園では秋の落葉よりこの時期の落葉が多い。コケの上に落ちた葉っぱは箒で掃けないし、ブロアーで吹き飛ばすわけにもいかない。コケも一緒に剥げてしまう。仕方がないので座り込んで、葉っぱを一枚一枚手で除去している。コケを守るためには欠かせない難儀な作業だ。

こんな生活をしながら、プーチンの暴虐にさらされたウクライナの人々の苦悩に思いを馳せる。ノーベル賞受賞の大隅良典先生は「昨年1月に、初めてロシアを訪れる機会があった。学生時代にはロシア文学を読み漁ったこともあったので、憧れの国の一つだったのだが、ソ連時代のさまざまな報道もあって、自由で豊かだというイメージは持っていなかった。しかし、案内されたモスクワ大学には、歴史ある大きな建物や立派な講堂が保存され、大学の博物館の素晴らしさにも感激した。ロシアで、この大学が歴史の中にしっかり位置づけられていることを知るに十分だった。モスクワ滞在中に急にチケットをアレンジしてもらって音楽会に行くことになったが、会場の雰囲気から市民にとつてコンサートがとても身近なのだと感じた。劇場やバレエなどの施設が市内のあちこちにあるのにも驚いた。

残念ながら急ぎ足の訪問となったサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館では 修復や保存のために実にたくさんの人が働いていて、文化財が大事にされていることを知った。」
(未来の科学者たちへ 大隅良典・永田和宏 著 角川書店)

友人のM先生は訪れたサンクトペテルブルグの博物館、美術館のすばらしさを良く話してくれる。そんな深い文化を持つ国がウクライナに暴虐の限りを尽くしている。ロシアの多くの人々は真実を知れば、それを容認しないだろう。プーチンはまず、その圧倒的な暴力を自国民に向けて働かせ、反対勢力を毒殺し、刑務所に入れて、国民が物申せぬようにして、今回の暴挙に至っている。ヒットラー、日本の軍部も圧倒的な暴力で自国民を黙らせ、外国の侵略に向かって行った。

どの国も真の民主主義を育てていかないと、プーチンのような独裁者を阻止できないのかも知れない。

令和4年4月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No198) 田舎医者の流儀(173)・・・ウクライナ

ウクライナの事を書こうと思うけど、筆が進まない。理不尽、あまりに圧倒的暴力、凄惨な現場・・・言葉を失う。この事態に世界中の人々はロシアの蛮行に強い「拒否感」を持ち、ウクライナの人々に深い「同情と共感」を抱く。ロシアの外相や国連大使などはこの明白な事実を前にしてもウクライナの作ったフェイクニュースだと主張する。大嘘だ。ロシア正教の最高責任者までもがウクライナ侵略を支持しているという。宗教者までも、ロシアは正義を持つことを止めたのか。

ロシア軍が撤兵した後、後ろ手に縛られ、拷問を受けたと思われる死体もあるという。人間がすることとは思われない。この画像の進歩した世界は残酷な現実を映し出す。明々白々な事実・画像が映し出される。この現実をロシアのマスコミは否定する。これを支持するのは中国の国営放送のみだ。世界中の世論はロシアの蛮行に怒りの声を上げている。

「戦争は不道徳で、不快で、野蛮で、無益で、愚かで、無駄ばかりで残酷なものになったのだ、と。そして、それと同じぐらい重要なのは、馬鹿げているということだろう」(暴力の人類史)。それを我々は長い歴史の中で、そして二度の大戦を経て学んできた。少なくともこの70数年、紛争に武力を用いることを避ける努力をし、話し合いを続けてきた。十分機能してはいないが二度の大戦を経て、次の大戦を防ぐために国連を大事にしてきた。

その中でこの世界の問題解決のスキームをあざ笑うかのように、プーチンはウクライナに侵攻した。「ウクライナがネオナチの思想に侵され、ロシア系住民を圧迫している、今後、ロシアに脅威を与えてくる。今のうちに叩いておかないと」プーチンは言う。このような状況に内田樹氏は「ロシアは悪くない。NATOが東方に進出したのが悪い。正当防衛だ」と訴えるくらいで、ロシアが自国益を超えて、世界の人々が共有する「上位価値」のために戦っていると思っている人はどこにもいない。ウクライナが悪くて、ロシアが正しいと声高に主張する支援者が国際社会にまったくいない。これはかなり致命的なことだと思います。国際社会におけるプレゼンスというのは軍事力や経済力だけでは決まりません。思想的指南力とか道徳的な高潔が国際社会における地位にはおおきくかかわってきます。大義名分のない、自国益だけのための戦争を仕掛けたことでロシアの地位はいま劇的に低下した。もう歯止めがきかないと指摘する。(ネット配信記事より)

プーチンの蛮行により、世界中のロシアへの否定的感情は極限に達し、ロシアはこの状況に今後50~100年否もっと長い間、向き合わざるを得ないことになる。

令和4年4月21日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No197) 田舎医者の流儀(172)・・・坊ノ岬灯台

南日本新聞(4月9日)に坊ノ岬灯台の記事が出た。
「南さつま市坊津町坊の坊ノ岬灯台周辺で1日(4月)、県内の観光関係者ら約10人が卜レッキング体験をした。地元の街歩きガイドグループNPO法人坊津やまびこ会が、灯台を自由に利用できる航路標識団体に指定されたのを受け、観光活用の可能性を探るのが目的」

「歩いて魅力を体感した。近くの海岸に駐車し、同NPOの案内で約1キロの山道をたどった。息が上がるような起伏が激しいコースにめげず、沿道から見えるリアス式海岸や自生する希少な植物に歓声を上げた。海抜約80メートルの灯台に到着すると、東シナ海や開聞岳を一望する絶景を堪能した。」
参加者からは「冒険心が強い海外観光客の需要に応えられそう」と感想が聞かれた。元県観光プロデューサーの古木圭介さん(79)は「歩いてしか来られないので達成感が違う。灯台を目指すトレッキングは観光コンテンツになる」と話したという。

私は坊泊小学校の出身、遠足で坊ノ岬灯台に何度も行った。案内のように獣の道みたいな道を歩いていくと灯台にたどり着く。眼下に海が広がり景観である。坊は漁業の町で、カツオ船が何艘もいて、中学校を卒業すると同級生5名が漁船に乗り込んだ。夕方になると拡声器で「本日の漁況」についての放送がある。町の人はその放送を聞いて漁の状況を感じ取り、いつ頃帰るかもわかる。そんな街なので灯台を大事にする気持ちが強い。

小学校5~6年生の頃、この灯台から片道1時間近くかけて毎日登校する同級生がいた。雨の日も風の日もあの山道を通学していた。こちらは遠足で行く程度でも結構きつかったのに、彼は毎日通学していた。大変だろうなと子供心にも思った。O君は小柄ではあったが勉学もよく出来、運動能力も高かった。都会から転校してきたと思われるので田舎者の私にはなんとなくまぶしい存在であった。なにしろ、この時分、私は靴下など履いたこともなく、はだしの事も多かった。お父さんが転勤になったのか、2年ぐらいで転校していった。田舎の小学校に都会的雰囲気を持った子が来て、強い印象に残した。そして今でも、あの灯台守の子はどうしているだろうかと思い出す。

その坊ノ津も今や人口3千にも満たない過疎の町になった。私がいた中学校時分までは13000人いたが、南さつま市になった頃は5000人となり、その後も人口減は止まらない。私の実家も母が亡くなり、住む人を失い、台風などで危ないのでついに取り壊してしまった。お墓があるので年2回位は墓参りに帰っている。しかしそれも私の代でお終りになるだろう。

令和4年4月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No196) 田舎医者の流儀(171)・・・薄墨桜が咲いた

忘れかけていたら、薄墨桜が咲いたとの便りが届いた。早速、県立図書館の前庭に行った。2本の桜に200個以上(新聞報道)の花びらが咲いて、メジロが2羽花びらを突いていた。高い位置にあるので特徴のある「薄墨」の花弁はよく見えなかったが、長年期待していた開花にようやくめぐり会えた。新聞報道によると「2本の木は、鹿児島県と姉妹県盟約を結んでいる岐阜県から1990年に寄贈された。土壌改良をして14年目に初めて開花。その後も花が咲かない年が多く、昨年3月に樹木医の診察を受けていた」「今年は8年ぶりの開花」という。

実は、薄墨桜の事はこの通信に過去2回書いている。1回目は2000年4月で「鹿児島県立図書館の前庭には平成2年に岐阜県から寄贈された薄墨桜の木がある。花を期待しながら見に行くが、今年も咲かなかった。あるいは彼の地で育っていたら、可憐な花を咲かせていたかもしれない」。2回目は2016年4月で「天気が良かったので鶴丸城跡のあたりの桜が咲いているかもと思い、自宅を出た。暖かくて、歩いているうちに汗ばむほどであった。まず県立図書館前庭の薄墨桜を見に行ったが、やはり咲いていなかった(と思った)。後で県立図書館のホームぺージを見たら皆さんお待ちの薄墨桜が咲きはじめました。花の状況が判別しにくいですが、数輪咲きはじめています」と記載され、開花した花の写真もアップされていた。しかし、少なくとも目につくほど花は咲いていなかった」。この桜を意識してから、実に22年で花に巡り合えたことになる。

農園では今年も「つくしすみれ」が花を付けた。昨年より個体数は少なかったが、小さな可憐な花が咲いた。鉢植えにしたのもよく咲いた。すみれに詳しい家人によると、鹿児島県には2か所しかこのすみれはないそうだ。愛好家は福岡あたりから、「花見」にみえるそうだ。私の農園にどうして自生しているのか良く分からない。農園のまわりを探しても生えていないので、その貴重なすみれさんが何を気にいったか私の農園に生きている。なんだか不思議な気がする。

年末に植えたチューリップの花が咲き始めた。黄色と赤の花を咲かせている。朝行って、花が咲いているのを見るのは楽しい。日本水仙の花も白色が鮮やかで、花ぶりも良いのでいつまで見ても飽きない。これから、利休梅、ドウダンつつじ、ブルーベリーも咲いてくるはずだ、楽しみだ。

私は当たり前の日常を過ごしているが、ウクライナの人々の苦しみに深く思いを寄せる。理不尽な無差別爆撃に晒され、住むところを失い、電気、水道、食料もない、命すら保証されない生活を強いられている。この理不尽さを解決できない「世界」が悲しい!!

令和4年3月23日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No195) 田舎医者の流儀(170)・・・ゴミ掃除

部屋が綺麗であるためにはごみを出さない、出て来たごみを掃除することであろう。人の健康も病気を誘発する食事や生活習慣を避け、病気を起こさないようすること、生命活動に伴って出てくるゴミを排除することであろう。

我々は動脈硬化の発生を避けるために、食事に気を付け脂質の多いものを避けてきた。体を動かす方が健康に良いと努力してきた。それはそれなりに成果を上げていることは疑いない。

しかし、生命活動により発生する「ゴミ」が原因で発生する病気については対応が難しいままである。

「体の細胞はつねに新しいものに入れ替わり、古い死んだ細胞のゴミは生きているかぎり無尽蔵に生成される。外から来る敵の場合、普通は敵の数に限りがあるが、体の中から出るゴミは、生きているかぎり生成される。だから、慢性炎症という反応はエンドレスで終わりがない。

アルツハイマー型認知症、腎臓病は「ゴミの蓄積」が病気の原因となるとされている。脳内では、少ないが一定の割合で、正常な形でない「アミロイドが」という夕ンパク質断片ができてしまう。それがうまく取り除かれず溜まってしまうと、脳の中にかたまり(「ブラークJと呼ぶ)が形成されていき、病気の原因となるのだ。

そのため、極論すれば、溜まりゆくゴミの影響を受ける腎臓や脳などの組織は、死ぬまで機能が低下し続けることになる。
(猫が30歳まで生きる日 宮崎徹著)。

私たちの体の中には「貪食細胞」と呼ばれ、「不要な物を食べて体内を掃除する役目」の細胞が存在する。その代表がマクロファージで、100年以上前に、ロシアの科学者メチニコフ博士が、マクロファージが細菌を食べて体を感染から守るシステムを発見し、「食細胞機構」と名づけた。

食細胞機構は生体が持つ外敵に対する防御機能の一つといえる。

宮崎先生はそのマクロファージから出る「マクロファージの細胞死(アポトーシス)を抑制する分子」―「Apoptosis Inhibitor 0f Macrophage=AIMというたんぱく質を発見した。

研究の結果、AIMでマクロファージの機能を高めると、実験動物の急性・慢性腎障害を改善することが判ってきた。ネコは15年位しか生きないが、その死因は殆ど「腎不全」であるという。そこで、AIMをまずネコの腎不全を治療する「動物薬」として開発を始めた。

一方、宮崎先生はお医者さんなので、現在、有効な治療法のない人の腎不全やアミロイド沈着によって起こるアルツハイマー型認知症への治療薬としてAIMの可能性も検討している。動脈硬化の治療薬としても期待が持てそうだという。

医学者の間で、人の生命活動に伴って必然的に出てくるゴミ、それによって発生すると思われる病気、それの治療法への関心が高まっているといえる。

令和4年3月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No194) 田舎医者の流儀(169)・・・怪物を止めろ

2月24日ロシアのプーチンはウクライナへの侵略を開始した。ウクライナとウクライナ人の尊厳を踏みにじる要求を出し、それを認めないからだと言う、無茶苦茶な話だ。「人道回廊」を設置してウクライナの非戦闘員が安全に避難できるように「人道的配慮」をしていると主張している。しかし、その避難先の多くはロシア国内やロシアの属国ベラルーシになっており、とてもウクライナ人が行けるはずもないルートだ、認めないのはお前たちが悪いからだという。なんという事だ!!

あろうことか、ウクライナの原発への攻撃も行っている。旧ソビエト時代にあの悲惨なチェルノブイリ原発事故を経験しているのに、分っていて攻撃している。原発への攻撃は一歩間違うとヨーロッパ全体を巻き込む大惨事になる。ある日本人の原子力専門家と言われる人が原子炉格納庫は頑丈にできているので、少々の攻撃では安全性は冒されないような解説をしていたが、情けない議論だ。福島の原発事故でも原子炉格納庫が直接損傷を受けたわけではなく、冷却するシステムが損傷を受けて大事故になった。原発への攻撃は常にそういう危険を伴っている。とても容認できない。更にプーチンは核兵器の使用さえもちらつかせている。まともな判断力を失っているとしか言いようがない。世界中の世論が「怪物を止めろ」(一般紙の見出し)と叫んでいる。

プーチンは20年間も最高権力者の位置にある。権力は腐るものであることは歴史が証明している。多くの民主主義国は権力者が永くその地位にとどまることを抑制してきた。アメリカの大統領は2期8年を過ぎて大統領になることを禁じている。一般社会でも「停年」を設けて、独裁になることを抑制してきた。プーチンは権力者の位置を確保するために憲法を改正し、選挙になると対立候補を毒殺したり、言いがかりをつけて立候補出来ないようにした。いざ選挙になると「不正選挙」を行い、その地位を確保してきた。この状況を許してきたのはロシア人であり、そのつけは今まさにロシア人の上に降りかかっている。ロシアが再生していくためには当たり前の民主主義的な政治体制に刷新するしかないように思う。

我が国の近隣にもまともな選挙も行わず、権力を握り続けている指導者がいる。いずれも国民の苦しみをよそに核・ミサイル開発を続け、周りの国に緊張を強いている。国民が自分の意思で指導者を選べる当たり前のシステムの構築をしない限り、平和は訪れない。「アナタは反国家的だ」と権力者が勝手に決めて、まともな裁判もなしに刑務所に入れる国には住みたくない。我が国でも憲法を改悪して、国民の権利を縛ろうとする一派が存在する。憲法は権力者の横暴を縛るためにある。それを理解していない政治家がいる事は悲しい!!

令和4年3月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No193) 田舎医者の流儀(168)・・・老舗

最近の地元紙によると、鹿児島で100年以上続いている会社は11社、全国には1065社あるそうです。鹿児島の最長寿企業は小園硝子という1922年創業の会社のようです。新たに設立された会社や個人事業が1年後に残っている生存率は約72%、3年後約50%、5年後約40%という。起業された事業のうち5年後は実に6割が潰れていることになる。事業を継続することの難しさを示しており、長寿企業の秘密を知りたくなる。

世界最古の会社は西暦578年、飛鳥時代から続いている大阪の「金剛組」という建築会社で、寺や神社を建てつづけてきた。西暦593年、難波に四天王寺を完成させたのが、そもそもの仕事始めだったとか。創業、実に1400年。なぜかギネスブックには登録されていないが、間違いなく「現存する世界最古」の会社にして「世界最長者企業」とみられている。

老舗というと、旅館やお菓子屋さんを思い浮かべる。創業して1300年になろうかという北陸の旅館(石川県にある「法師」という旅館)は養老2年(718年)に開湯して、世界最古のホテルとして、ギネスブックにも認められているそうです。1200年以上の京都の和菓子屋、同じく京都の1100年以上の仏具店、1000年を優に超える薬局といった具合に、開業当時に思いを馳せると、気が遠くなりそうです。鹿児島では安政元年(1854年)創業のかるかんの明石屋が古いようです。

製造業では古いだけでは決して生き残れないし、絶え間ない技術革新がないと事業の継続は難しいでしょう。ケータイは現代社会においては欠かせないが、なんとここには老舗の技術が多く使われているそうです。着信をぶるぶる震えて知らせる機能、ここになくてはならない特殊な極小ブラシ。これを作っているのは、今年で121年目、もとは東京日本橋にあった「田中商店」という両替商で質屋、現在でも「金」の売買で有名なあの会社だそうです。「金」の加工をやる長い歴史が生かされているようです。

ケ—タイの折り曲げ部分。ここには、京都にある創業なんと300年の「福田金属箔粉工業」の製品が、もともとは金箔屋さんだった会社の技術が生かされているそうです。ケータイから漏れる電磁波を防ぐ銀の塗料や、ケータイの中の配線基板の小型化を進める部品を開発したのも、この会社といいます。液晶の画面には、静岡で明治時代にランプや鏡台を製造販売していた会社の小さな鏡が多用されているそうです。ケータイの心臓部にあたる発振器。これが極寒の氷の世界でも灼熱の砂漠でも機能するには、神奈川の老舗企業が開発し、世界の特許を持っている発振器が欠かせないそうです。世界最大のケータイメーカーであるフィンランドのノキアの製品にも、組み込まれているそうです。このようにケイタイという現代を象徴する機器に、日本の老舗企業の技術が多く使われていることは驚きですし、感嘆の限りです。

企業が永続するためには何よりも平和が大事です。それにしても、昨今のロシアの「戦争ごっこ」にはうんざりさせられる。ウクライナへの軍事侵攻の口実は歴史上何度も聞いたことのある「自国民の保護」という言葉だ。かってに緊張を作り出し、自国民が圧迫されているという。ウクライナという小国がロシアに圧迫を掛けれるはずもありません。ありもしない脅威を作り出し、戦争を起こしている。なんとも「理の通らぬ話」で腹立たしい。歴史上の教訓を踏まえ、甘く考えずに国際社会は強い制裁をロシアにプーチンに課すべきであると思う。

フランス、ドイツなどEUはロシアにエネルギーを依存している。ロシアはそこから圧力をかけてくる。エネルギーにしろ、食料にしろ、他国に大きく依存すると脅しを受けることになる。我が国もそこの自立を長期的に考えていかないと、自国を守れない。そこを強く自覚し、必要な施策を打っていくべきだ。目先の利害だけで国民は守られないと思う。
(参考文献:千年働いてきましたー老舗企業大国ニッポン 野村進著)

令和4年3月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No192) 田舎医者の流儀(167)・・・血糖測定

従来、血糖は針で指先を穿刺し測ってきた。朝起床時空腹時に測定し、糖のコントロール状態を把握し、それを見ながら、食事の量を調整し、月一回位は病院でも採血をしてコントロール状況を見てきた。

最近、血糖を持続的に測る「リプレ」という方式が実用化してきた。小さな計測器を上腕に張り付けて検出器で測る。小さな柔らかい針が付いていて、そこで組織間液の血糖を感知する。血中の糖濃度と全く同じではないがよく反映しているという。この計測器を使うと、2週間の間持続的に血糖測定が可能になる。

使ってみると、意外な結果に出くわす。朝起床時は指穿刺で測定した値とリプレの値を同時測定し比較すると、リプレの値が少々高く出る。同時測定した16回全部がリプレの値が高く出た。9回は10以内の差であったが、最大21の差(この一回ののみが20以上)あと6回は10~19の差であった。しかし、これ位の差は許容範囲かと考えられる。

血糖は食後に上がるのは当たり前であるので、3食後に上がって下がっていく。そこのところが理屈とおりにいかない結果も出てくる。私の場合、昼飯後上がって2時間ぐらいから下がり始めるが4時間後位から何も食事していないのに再上昇がみられる。この傾向は殆ど毎日あるので、確かな事実と考えられる、その原因は説明できない。今は説明できない血糖の動きをするのが糖尿病者の特徴かと考えている。

夕食後1時間位したら、訓練用の自転車踏みをする。30分続ける、老体には結構な負荷で時々はさぼりたくなる。宴会で飲酒をした時などしないこともあるが、それは月に2~3回だ。あとは頑張って続けている。運動をすると、その直後は血糖が下がる。15回の平均では36下がっていた。運動前血糖が150以上であれば確実に下がっていた。運動前の血糖が130~140の場合、下がらないか、若干上昇することもある。私の場合運動は基本確実に血糖を下げるようだ。

理解に苦しむのは、お風呂前後の血糖だ。風呂に入った後、血糖は下がるだろうと思っていた。それが、逆に上昇する。前後で50位上がることも珍しくない。15回ぐらい測った結果なので間違いなさそうだ。遺伝子や腸内細菌の違いで同じ食事をしても「血糖値」に違いがあると指摘する学者もいる。私の血糖値に食事、運動その他がどう影響するのか、今後も注意深く観察してみたい。

令和4年2月17日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No191) 田舎医者の流儀(166)・・・冬もいいね

国道三号線沿いの梅と桃の木がそれぞれ白とピンクの花を咲かせ、一部は満開になってきた。農園の梅も3本とも花が咲き始めた、春が始まったのだろう。コロナは未だ収まる気配を見せず、全国で10万、本県でも600名超えの新規感染者が出ている。年末復活した人出も途端に減少した。日曜日の朝、農園に行くためバスに乗ったら、乗客は私一人で途中乗車客は一人のみ、私が下車した所で一人の乗車があり、串木野行きのバスは2人の乗客で走り去った。

冬は寒いが、私はそれほど嫌いではない。今朝も4時半には目覚めて、起き出した。そんなに早く起きなくてもよさそうにと家人は云う。そう思うが、寝ておれないから仕方がない。若いころはいつまでも寝ていたくて、起きて学校や職場に行くのが恨ましく思ったものだ。年を取るに従って、いつまでも寝ているのが逆にきつくなり起きだしてしまう。

朝起きて、薪ストーブの火をつける。うまく燃やすためにはそれなりの工夫がいる。今は慣れたもので薪が早く、よく燃えるように出来るようになった。薪ストーブの熱は柔らかく、暖を取るには心地よい。仏さまに線香をあげて、お茶を入れて飲む。小さなお菓子の半分(炭水化物5G以下)を戴くと目覚める。部屋が温まった頃、家人は起きてきてこの部屋は暖かいねと宣う。

小山田の農園は少し高台にあるので寒い。先月の寒い朝、庭は霜に覆われていた。バケツの水は氷が張っている。小屋は駐車場を改造したもので、朝、部屋の中は氷点下も珍しくない。暖房を入れても、10度以上になるには小一時間かかる。その間は厚着のままで震えている。しかし、寒さが酷いほど農園の虫が死んでくれるので、その点はありがたい。

長寿研究者D・A・シンクレアは長寿遺伝子を働かせるために「寒さに耐えろと自分にいい聞かせ、肌を刺すような寒さのなかを歩き、冬のさなかにチャールズ川につま先を浸せばよかった」と述懐する。「なぜって、長寿遺伝子を働かせるには、快適とはいえない温度に身をさらすのも一つの有効な手段だからだ」という。
(老いなき世界 東洋経済新報社)

「冬枯れの景色は、秋に優るとも劣らない。庭の池の水際に紅葉が散りとどまっていて、その上に霜が真っ白に降りている朝、遣水から水蒸気が煙のように立ちのぼる光景は、なんとも風情がある。また、荒涼たるものとして誰も目もくれない師走の月が、寒々と澄んだ光を放つ20日過ざの空は、心に深くしみてくる感じがする」と吉田兼好は云う。
(徒然草 第19段)

令和4年2月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No190) 田舎医者の流儀(165)・・・老化を治療する(その3)

老化を遅らせ、健康寿命を延ばすためには「過食を戒め、カロリー制限を行い、定期的運動を行う」これこそ貝原益軒が江戸時代に主張したことである。最新の研究でもその正しさは証明されている。抗老化の方向に働く既存薬ラパマイシン、メトホルミンの研究も進み、その有用性は確立され、そのうち抗老化薬として認定されていくであろう。

もう一つ注目される抗老化法開発の標的は長寿遺伝子サーチュィンである。体内のエネルギー伝達体NAD (ニコチンアミド•アデニン.ジヌクレオチド)の量を増やすことで、サーチュィンを活性化しようとする。最近になって加齢に伴い、線虫、ハエ、マウス、さらにヒトでも体の中のNADが減ってしまうことがわかってきた。それが様々な組織の機能不全、老化に伴って起こる病気の原因につながる事が明らかにされ、NADの減少が老化の重要な原因となる」事が老化研究者の共通認識になりつつある。

体内のNAD量が下がる理由は二つある。一つは、NADの合成量が下がること、もう一つはNADの消費量の上昇。DNAに傷がついたりすると、その傷を修復しようとしてNADが消費され、また炎症を起こすのに重要な働きをしているマクロファージという細胞でも、加齢とともにNADを壊す酵素の量が上がってくる。このように、合成の低下と消費の上昇で、NADの量がどんどん下がる。そこでNAD量を上げるため、その前駆物質であるNMN(ニコチンアミド•モノヌクレオチド)を投与する研究も進んでいる。

可能な限り代謝過程を効率化しても老化細胞の蓄積は避けられない。東京大学の中西真教授は「老化細胞は、細胞分裂せず増殖をやめてしまった細胞で、その老化細胞が、死ぬことなく生き延びていることで、私たちの体が老化していく」という。「老化細胞は慢性炎症を引き起こし、「ゾンビ」細胞は自死できないので、除去されないまま蓄積すると、炎症因子や細胞老化関連分泌形質(SASP)というタンパク質を分泌する。SASPはまわりの環境を変え、がんを発生させることがある。つまり、細胞はがんにならないよう老化するのだが、それが組織内に蓄積すると、やはりがんや他の加齢性疾患を引き起こしかねない。

「人間の細胞の中には、リソソームという細胞小器官がある。リソソームは古くなったタンパク質を取り込んで分解するための器官で、その内側は強力な酸性になっている。細胞が老化してくると、リソソームの膜に傷がついてしまい、そこから内部の酸性物質が染み出してきて細胞全体が酸性に傾いてしまう。細胞全体が酸性化してしまうと、本来の細胞であれば死んでしまうはずだが、老化細胞はGLS-1という酵素を活性化し、大量に発現させて生き延びてしまうということがわかってきた」。

「なぜGLS-1という酵素が出てくると老化細胞が生き延びるのか-GLS-1はグルタミンをグル夕ミン酸に変換する酵素、この代謝の過程でアンモニアをたくさんつくり出す。アンモニアはアルカリ性の物質のため、酸性化していた老化細胞を中和してしまい、老化細胞を延命させてしまう。老化細胞は、酸化してしまった自分を中和することで生き延びるべく、GLS-1酵素を大量に発現させていると考えられている」。

そこでGLS-1阻害薬が注目されている。すでにアメリカで臨床治験が始まっている薬で、老化治療のためではなく、抗がん剤のひとつとして開発が進められ、すでに臨床治験が始まり、大きな副作用の懸念がないという。ちなみに、なぜGLS-1阻害薬が杭がん剤として開発されているかというと、がんそのものの増殖において、グルタミンからグルタミン酸の代謝が必要になっているという点に注目した。グルタミン酸というのは、核酸の材料になるものですから、細胞が増殖する過程で必ず要になる。それはがん細胞も例外ではなく、増していくためには、このグルタミン酸が確実に必要になる。つまり、それを枯渴させていけば、がんの増殖が抑制されるのではないかと考えられた。

中西教授のマウスを用いた実験ではGLS-1阻害薬の投与で、腎機能、肺機能、肝機能の改善、動脈硬化、糖尿病などの進展も抑制することが判ってきている。「セノリテイクス」は、老化科学者とバイオテクノロジー企業が老化細胞を減らすために開発している薬品群の名前である。げっ歯類による前臨床実験では、老化細胞をたくさん持つ動物の健康全般が、セノリテイクスの投与で大きく改善しているという。

私見であるが、昨年9月に薬価収載された新しい糖尿病治療薬イメグリミン塩酸塩(商品名ツイミーグ)はミトコンドリアに作用して血糖を下げるとされている。原理的にはこの薬は抗老化の方向に働くと期待され、今後の研究が待たれると思う。

老化の抑制、健康寿命の延長という人類の夢を実現しようという研究が大きなうねりで進展している。
(参考文献:菜の花通信No186で紹介した4冊の本)

令和4年2月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No189) 田舎医者の流儀(164)・・・老化を治療する(その2)

現在市販されている薬(内服薬、約3000種)の中で、寿命を延ばす作用を持つと老化研究者らが認めている薬はラパマイシンとメトホルミンの2つである。

ラパマイシンは現在、免疫抑制剤として、臓器移植後患者の拒絶反応抑制に使われている。ラパマイシンは動物実験でマウスの老化を遅らせ、寿命を延ばすことができると証明されている。2014年には、ラパマイシンの濃度が高いほどマウスの中間寿命がより長く延びたこと、またその効果には性差があって、メスのほうで顕著であったことを報告された。薬の試験で、使用した量に従って特定の効果が出るということは、特定の効果がその薬の作用によるものであることを強く示すことになる。

TORは夕—ゲット.オブ.ラパマイシンの略語で、細胞内のたんぱく質、脂質、核酸などの分子の合成にかかわっているという。細胞内の栄養やエネルギーの状態を検知して、細胞の「数」を増やすのではなく、分子の合成を通じて細胞を「成長」させることにかかわるたんぱく質だという。

ラパマイシンを投与しmTOR(哺乳類TOR)の働きを抑えるとたんぱく質合成が少し落ちる状態になる、この作用が抗老化に結びつくという。マウスの実験ではラパマイシンには老化に伴う体の働きの低下や病気の始まりを遅らせる効果もあり、脳、腎臓、筋肉、心臓免疫系の機能を改善した。さらに重要なのは、中年や老年になってからラパマイシンを与えても、寿命を延ばす効果があったという事らしい。

ラパマイシンは免疫抑制剤であるので通常は一般の患者には使えない。そこで、メーカーはラパマイシンの誘導体ラパローグを開発して、抗老化薬としてものにしたいと、しのぎを削っている。

メトホルミンは糖尿病治療薬で、世界的に糖尿病の一番最初に使用することを推奨されている薬である。メトホルミンは、寿命を延ばすAMPキナーゼを活性化しつつ、寿命を縮めるmTORを抑える(小食が寿命を延ばすメカニズムと同じだ)。AMPKを活性化させることにより、NAD (ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)の濃度を上昇させ、サーチュィンのような老化への防御機構全体を始動させる。病気の上流でサバィバル回’|路を働かせ、代謝を抑えることで、あらゆる器官が若く健康でいられるようにするという。

メトホルミンは60年以上前から、安全に使用されてきた。その安全性に加えて、新しい臨床試験により、メトホルミンを飲み、他にも病気を抱えている糖尿病患者の死亡率は、他の糖尿病薬を飲んでいた糖尿病患者の半分だった。いくつものデーターがある。「糖尿病予防プログラム」という無作為化臨床試験では、メトホルミンによってあらゆる年代の大人3000人以上の2型糖尿病の発病が、偽薬より31%減った。また「英国プロスペクティブ糖尿病研究(UKPDS)では、メトホルミンが従来の治療より、2型糖尿病患者の糖尿病関連死のリスクを42%下げた。心臓血管疾患になる人が偽薬より40%少なかった。

がん発症や、がんに関連した死亡率もメトホルミンで減少することが、いくつかの疫学研究で示されている。メトホルミン効果についてのさまざまな研究を分析すると、がん発症は31%減り、がんに関連した死亡は34%下がった。また、メトホルミンは乳がん、結腸がん、すい臓がん、前立腺がん、肝臓がん、肺がんに有効だとわかった。これはメトホルミンが老化そのものに効くことを示している。これらのがんに共通するリスクは老化だけだからだ。認知低下に関しては別の臨床試験で、軽度認知障害(MCI)のある糖尿病ではない被験者とうつ病を患う2型糖尿病患者に認知能力の改善が見られた。観察研究の報告によれば、認知機能障害になるリスクが51%下がったという。

メ卜ホルミンはミトコンドリアの酸化経路を適度に調節し、その結果として、インスリン感受性の改善と自食作用の誘発という代謝的適応が起きる。別の面では、ミトコンドリアの活性低下は酸化ストレスとDNA損傷の予防にもつながるので、細胞と組織が生物学的に若くなる。いいかえれば、メトホルミンには細胞を回復させる効果があるため、結果的に病気の発症が遅れて健康寿命が延びるという事になる。

メトホルミンを抗老化薬として、認めるべきだという主張も強まっている。
(参考文献:菜の花通信No186で紹介した4冊の本)

令和4年1月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No188) 田舎医者の流儀(163)・・・年賀状

今年もまた多くの年賀状を頂いた。年末、年賀状を出すのは難儀ではあるが、近況を知らせ、未だ生き残っておりますぞとお知らせするのも悪くはなかろうと、その習慣を続けている。それぞれのお考えでお止めになる方がいても、それはそれで尊重する。

私は昨年、南日本新聞「論点」に10回ほど寄稿したが、そのたびにいつも4~5名の方からメールや電話を頂いていた。久しくお会いしていない方からの便りもあった。その縁で、若いころよくご一緒した方と、年末には20年ぶりぐらいにお会いして食事した。80歳を超えておられたが、昔とお変わりなくかくしゃくとしておられ、楽しい夜を過ごした。今年の年賀状には、「論点」読んだよというコメントが25件もあった。まずい文章と中身を多くの方にお読みいただいたようで恐縮している。東京在住の方からも鹿児島から「論点」が送られてきたと感想が寄せられた。新聞は依然として影響が大きいものだと感じた。

ゴルフ好きの仲間からも近況が寄せられた。1年先輩は最近85以内で回れなくなったと書いてあった。私は昨年50ランド位したけど84が1回出ただけで、90台半ばが定位置、数回は3桁も打った。先輩は相変わらずうまいものだと感心している。福岡にいる友人は昨年98ラウンドしかできなかったと言ってきた。私より2~3歳下ではあるが、年100ラウンド近くは大変だ、週2回は回らないと達成できない。私も時に週2ラウンドすることもないわけではないが、体力的に持たない。週2する元気さに「敬意」を表したい。

長いこと年賀状のやり取りをしてきた大学時代の後輩から今年は来なかった。もともと筆まめな人なので、何かあったのかなと心配する。この年になると身の回りで体調を崩す人が多くなる。年末には古くからの友人・同級生が「大動脈破裂」で急に他界した。予想外のことだったのでびっくりした。ただ、そんな年になってきているので他人事ではない。自分は元気などと思わず、それなりの備えをすべき年になってきたのだろうと自戒する。

姪っ子の賀状には、子供が大学受験で心配でならないと記されていた。あの子がもう大学受験かと思いながら、希望の大学に入ってくれると良いがと願う。今年もまた、コロナが猛威を振るう中での受験になった。今まで懸命に努力してきたことがコロナで受験の機会さえ奪われかねない非常事態だ。なんとか、無事に受験の機会が奪われないようになって欲しい。大学、高校受験と自分も大変だったし、息子、娘の受験の時も心配した。本人も親も気が休まらない時期だ。

令和4年1月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No187) 田舎医者の流儀(162)・・・老化を治療する (その1)

前回、最近老化研究が著しく進展したことを報告した。今回は従来から言われてきた食事制限と運動の効果について、最新の考え方を紹介したい。

1934年から35年にかけて、コーネル大学のクライブ・マッケイ博士がラットを使った研究で、必要な栄養を保ったままえさ(食餌)のカロリーを制限すると、老化が遅れて寿命が延びるという実験結果を発表した。その後、多くの研究者が追試し、様々な生物でカロリー制限による老化の遅延と寿命延長効果が確認された。

1980年代には、アカゲザルを使った長期の研究が始まった。米ウイスコンシン国立霊長類研究センターのリチャード・ワインドリュック教授率いる研究グループは、普通に食餌を取らせたアカゲザルのグループと、3割カロリーを減らしたグループを20年にわたって飼育し、カロリー制限の効果を検証した。その結果、心臓病やインスリン抵抗性を抑え、霊長類でも寿命が延びる効果があることを明らかにし、2009年に『サイエンス』に発表した。ついに霊長類でもカロリー制限の効果が確認された。(異なった実験結果もあるが、基本その結果の正当性は認められている)

力ロリー制限によって、mTORの働きが主に抑えられる一方、AMPキナーゼは活性化される。この結果として、インスリン感受性が上がり、空腹時のインスリンの値が減り、さらに細胞の中ではミトコンドリアの働きが活性化されて、代謝の効率が上がる。また、オートファジ—と呼はれる、細胞が自分の中のいらなくなった小器官などをリサイクルする働き(自食作用とも呼ばれます)も強まる。こうした作用が、力ロリー制限における老化を遅らせ寿命を延ばす効果に重要であると考えられている。運動はAMPキナーゼを活性化させる。

TOR(ラバマイシン標的たんぱく質):哺乳類のTORはmTORと表現される。TORの働きが抑制されると細胞は分裂の回数を減らし、細胞内にある古い成分を再利用する。AMPキナーゼ(AMP活性化プロテインキナーゼ AMPK)は代謝をコントロールする機能を持つ遺伝子で、エネルギー量が低下したときにミトコンドリアの機能を回復させる機能ももつ。それらの機能が長寿の方向に向かわせると考えられている。難しいですねスミマセン。そんなもんかと思って下さい!!

ところでストレスも長生きの「敵」と言われている。ストレスは細胞を酸化させて老化細胞へと誘導、老化スピードを加速させてしまうのだそうです。先日テレビでサクソフォーンを演奏していた90歳代の音楽家が司会者に「どうしてそんなに若々しいのですか」と質問されたら、ただ一言「嫌な奴と付き合わないようにしている」。なるほどすごいストレス除去術だ!!学ばなくちゃ。

令和4年1月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No186) 田舎医者の流儀(161)・・・老化

2022年、令和4年が明けました、おめでとうございます。正月3ヶ日、4日と鹿児島は晴天に恵れましたが寒かった。小山田の農園は一面真っ白な霜、小屋の中は氷点下になっていた。年明けになり、コロナウイルスオミクロン株の市中感染が広がり、国の新規感染者は1000名越えとなった。第6波流行の様相である。私たち老夫婦は自宅で穏やかに正月を迎え、今年も笠沙の漁師さんが作ってくれたおいしい「おせち」を食べながら過ごした。

年末、「老化」に関する本を立て続けに4冊読みました。「老いなき世界」 デビッド・A・シンクレア/マシュー・D・ラプラント著(20年9月初版)。「老化は治療できる」ニール・バルジライ トニ・ロビーノ著(21年6月初版)。「開かれたパンドラの箱―老化・寿命研究の最前線―」 今井眞一郎著(21年7月初版)、「老化は治療できる」中西真著(21年12月初版)。いずれも20年~21年にかけて書かれた一般向けの本ですが、著者はいずれも「老化研究」の最先端研究者です。老化研究が最近急速に進んでいることを反映し、私もこれらの書物により、認識を新たにしました。

「老化はあらゆる慢性疾患のリスクを非常に高める。また、どんな種類のがんでも、主要な危険因子は老化であり、糖尿病とアルツハィマー病のおもな原因も老化である。肥満や高コレステロールのような他のリスクで死亡するよりも、老化で死ぬ可能性のほうが100倍から1000倍も大きい。コレステロールが心臓血管疾患を引き起こすとよく 言われるが、そのリスクはたったの3倍である。一方、老化による心臓血管疾患で死亡するリスクは1000倍だ」(老化は治療できる。P22)。「スタチンによる臨床試験では、心臓発作の発生とそれによる死亡が、ス夕チンを飲んでいない人に比べて25〜30%少なかった。そのー方で、心臓病が死亡率の大きな割合を占めているにもかかわらず、スタチンを使っても全死亡率は変わらなかった」(同書P102)

東京大学の中西真教授は老化の起こるメカニズムを次のように指摘する。 「老化細胞は、細胞分裂せず増殖をやめてしまった細胞で、その老化細胞が、死ぬことなく生き延びていることで、私たちの体が老化していく」「老化細胞は慢性炎症を引き起こし、肉体を老化させる要因のひとつとなる細胞。臓器、脳、皮膚の老化……。それらの少なくとも一部は、老化細胞によって引き起こされる「老い」の現象」「老化細胞は、細胞老化関連分泌現象(SASP)を起こして炎症性タンパク質を分泌、このSASPによって臓器や組織に引き起こされた慢性炎症が認知症、白内障、動脈硬化、肺の線維化、糖尿病のリスクも高める」という。次回「老化治療」の現状・可能性について述べる。

令和4年1月5日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2021年

指宿 菜の花 通信(No185) 田舎医者の流儀(160)・・・私の2021年

2021年を振り返ってみたい。2021年、本県でもコロナ患者さんが10名越えの中で新年を迎えた。3月はじめにいったん収まったかにみえたが、3月下旬からまた増え始め5月の連休明けには60名を超す状況であった。それもまた、6月下旬に少し収まりかけたが7月下旬からまた増え始めお盆明けには260名を超す患者数となった。10月になり患者数0の日が出るようになり、11月は患者発生のない日が増えてきた。この1年コロナに翻弄された。最近はオミクロン株の発生でまた見通しが立てにくくなっている。それでもワクチン接種が始まり私自身も4月はじめには2回接種を終えた。今月末には3回目接種が出来る予定だ。全国的にはワクチン接種が7割を超え、少し安心感が広がったが、それでも次の6波発生の懸念は消えない。

この数年、年末年始は家人と鄙びた温泉宿で過ごしていたが、今年はコロナの状況から自宅で正月を迎えた。笠沙の漁師さんが作ってくれたおいしい「おせち料理」を食べながら過ごした。1月8日は雪が降り、小山田の農園は一面積雪で覆われた。1月18日南日本新聞「論点」に私の書いた「総合内科医としての役割」の記事が掲載された。それから大体月1回、計10回掲載された。多くの友人から「読んだよ」メール、はがき、電話を頂いた。新聞の影響も依然として大きいものだと感じた。

3月下旬、それまで慣れ親しんだガラケー携帯が故障し、ついにスマホに変えた。情報が早く、いつでも得られるが、それに振り回されたくない。5月下旬、「ぐみ」がいっぱい実を付けた。少々渋いがそれなりにおいしい。家人が来て、タッパ2個に収穫して帰った。夏ズボンがだぼだぼで82cmあったお腹周りを76cmに修正し、何とか着やすくなった。なにしろ体重68kgから段々年取り干からびてきて50kgになっているので・・・・。

8月お盆前後、大雨が続きJR指宿枕崎線は運休が続き、指宿に行けず、2回連続休まざるを得なかった。ゴルフは段々「へた」になってきたが、同期の熊本Dr、久保Drらと毎週木曜にラウンドしている。8月下旬久しぶりに84で回れた。結果的にはこれが今年のベストで、殆どは90台で時には100を超すこともある。年取ってアプローチ、パターが特に下手になったのはなんでやろうと思っている。まーこの年で毎週ラウンドできることを良しとするか。

9月、読んだ本のサマリーを作るのに使っていたスキャナーが不調で、ヒオキさんが新しいものを見つけてパソコンに設置してくれた。それが優れ物で作業が進むようになったのが嬉しい。10月、コロナが落ち着いたので若先生方と飯を食う事を再開した。彼らの頑張りをサポ-トしたいだけだ。特に話しているのは「論文」を書いて欲しいという事だ。いくら頑張っていると主観的に思っていても、世間で評価されるときは論文の数だと強調している。

10月末、今年のキンモクセイは1か月遅れ位で咲いた。農園の4本が例年より良く咲いた。今年はキンモクセイの当たり年(?)みたいで、どの木も多くの花を咲かせていた。11月はじめに2年前に置いたシイタケ原木が2夏を経て大きな実を付けた。10個ぐらいは取れた。新鮮なシイタケは焼いて食べたら美味しかった。山芋も6個それなりの大きさのものが取れた。とろろにして食べたら結構な粘り気があり、いつもよりおいしく感じた。

コロナで席巻された1年であった。旅行が出来なかった、福岡も東京も北海道も長く行かないな。その分、自宅と農園で過ごす時間が長かった。さて来年はどんな年になるか。

令和3年12月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No184) 田舎医者の流儀(159)・・・また年を取りました

今年1月からはじまった南日本新聞「論点」への執筆は今回で最後になった。「老医を生きる」という表題にした。今回はその抜粋を記す。

「私はあと2週間で78歳、老医と言える年齢になってきた。御多分に漏れず、私も知っているはずの人や場所の名前がなかなか思い出せない。のどもとまで出かかっているのに出てこない。脳科学的に少し小難しく言うと、記憶のサーチエンジンである脳の前頭前野がそれを呼び出せなくなっている。海馬(脳の一部)が他のつながりを頼りに記憶を呼び起こそうとするのだが、すんなりとはいかない。診察をしていて、使い慣れた薬の名前がさっと出てこない。「日々、見知らぬ自分に合うのが老いというものか」という世阿弥の言葉をかみしめる。
(世阿弥 最後の花 藤沢周著 河出書房新社)

私の診ている患者さんは殆ど高齢者。「肩こりがひどい」「腰が痛い」「眠れない」「体が痒い」「夜何度もおしっこに起きる」等々、私の持つ症状そのものだ。当然、患者さんの訴えに共感できる。25歳で医者になり65歳迄の40年間、主に急性期医療を行う病院で働いてきた。そこでの医療は『救命・根治・延命』の世界であった。とにかく患者を助ける、病気を治す。できるだけ命を生かす。それが最高だと考える世界に住んできた。命に係わる症状には真剣に向き合ってきたがそうでない症状に対しては、距離を置いていたように思う。

定年後、指宿医療センターに赴任し総合内科医を名乗るようになった。そうなると「命助ければ良いでしょう」という診療態度では患者さんに納得頂く事は出来なくなった。こちらも、年を取り、様々の患者さんの訴えに共感できるようになり、それを改善して、患者さんの日常が快適であるようにしようと考えるようになってきた。

それでも年を取りつづけ、そのうち「春愁や老医に患者なき日あり 」(播水・神戸で内科を開業している医師)という状況が出てくるであろう。私にも、形は違ってもそう遠くないうちに、そんな日が訪れるだろう。それまで、心通じ合う患者さんと穏やかに交流し、残された医療人としての人生を歩めたらいいなと思う。

「年逝くや、我が行く道を悔ゆるなし」 四元義隆

令和3年12月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No183) 田舎医者の流儀(158)・・・長寿をもたらす薬

現在一般に使われている医薬品の中で長寿をもたらすことが証明された薬が2つある。一つは「ラバマイシン」という臓器移植後、免疫抑制剤として使われる薬、もう一つは2型糖尿病の治療に広く使われる「メトホルミン」という薬だ。

ラバマイシンは巨大な石頭像で有名な「イース夕―島」で見つかった新種の放線菌から得られた。当初、抗真菌薬として研究が始まったが、間もなく強力な免疫抑制機能があることが明らかになった。臓器移植後は拒絶反応が起こり、術の成否を左右する大問題だ。ラパマイシンは免疫反応を抑えて、臟器が確実に受け入れられるようにしてくれる、なくてはならない薬だ。

このラパマイシンは、人の生命も延ばしてくれる可能性が示唆され始め研究が始まった。近年の研究から、ラパマイシンはただの抗真菌性化合物でもなければ、単なる免疫抑制剤でもないことが突き止められている。寿命を延ばす働きをもつことが、様々な動物を使った実験によって確認されているのだ。ただ、ラバマイシンは免疫抑制剤であるので、臓器移植を受けた患者にしか使えない特殊な薬である。そこで、ラバマイシンの寿命延長作用に特化したラバマイシン類似薬「ラパログ」の開発が進められている。

もう一つの「メトホルミン」は糖尿病の薬として広く使われている。2型糖尿病の治療をする場合、世界中でまず最初に処方される薬だ。私の糖尿病外来患者さんには殆ど使っている。一部にお腹の調子が悪くなり、使えない方もいるが可能な限り処方している。1950年代の半ばより、ガレガソウという植物の主成分グアニジンの誘導体が2型糖尿病の治療薬として使われるようになった。長い歴史を持つ薬なので安価でどこでも手に入る薬だ。

数年前、ある研究者がメトホルミンを服用している患者は、そうでない人より健康状態が良さそうだと気づいた。動物実験が行われ、マウスの寿命が6%延びること、齧歯類にメトホルミンを与える研究26件のうち、25件でがんの予防効果が確認された。臨床的にも、68歳から81歳までのメトホルミン服用者4万1000人あまりを対象に、9年間の追跡調査を行なわれた。その結果、服用者のあいだで、認知症、心血管系疾患、がん、虚弱、うつ病になる確率がメトホルミンによって低減されることが確認された。老化に関する研究は世界中の学者がしのぎを削っている。日本でも十分な研究費が調達され、研究の発展が望まれる。
(老いなき世界 デビッド・A・シンクレア/マシュー・D・ラプラント著 東洋経済新報社)

令和3年11月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No182) 田舎医者の流儀(157)・・・秋が来た

11月になり、朝晩の冷え込みが強くなった。10月の夏のような日和から一挙に冬みたいになった。日の暮れるのも早く、夕方6時ごろはもう暗くなる。あれこれしているうちに11月になった、コロナも急に勢いが衰え、全国で新規発生患者は200名台になり、鹿児島も新規発生0の日が多くなった。ワクチン接種が進んだせいもあるのだろうが、それのみでは説明しがたい。コロナウイルスの勢いが衰えたのであれば良いが。11月がこのまま推移し、年末年始を迎えられると嬉しい。

寒くなり、キンモクセイが一斉に花を付け、心地よい匂いを発している。今年はいつもより1か月程開花が遅かった。花の色は濃い銀色と金色と木によって色合いが微妙に異なる。それを感じるのも心地よい。白い菊の花が咲き綺麗だ、ホームセンターで仕入れた黄色、暗赤色の菊も美しい。パンジーを紫、白をそれぞれ5株づつ買って植えた、朝来てそれを眺めるのも楽しい。

2年前に植えたシイタケの木が2夏を経て、初めて実が生えてきた。現在、10個ほど実を付けている。11月初旬、広げた手のひら大になった2個を収穫した。肉厚で新鮮なやつを焼いて、食べたがおいしかった。里芋とショウガも収穫できるようになった。美味しく食べている。長芋もそろそろ収穫しないといけない。大きいのが取れそうな予感がする。

庭に植えたもみじ、ハナミズキ、ブルーベリーが紅葉している。ブルーベリーに似た花を咲かせるドーダンつつじも秋になると紅葉する。そして落葉していく。「落葉とはつまり、気候に対する優れた防衛手段なのだ。それに樹木にとってはトイレをすませる機会でもある。私たちが夜寝る前にトイレに行くように、樹木も余分な物質を葉に含ませて体から追い出そうとする。木にとって葉を落とすことは能動的な行為であり、冬眠に入る前にすませておかなければならない。翌年も使う物質を葉から幹に取り込んだら、樹木は葉と枝のつなぎ目に分離層をつくる。あとは風が葉を吹き落としてくれるのを待つだけだ」。

「この作業が終わると、木はようやく休むことができる。活動期の疲れを癒やすためにも、休息は絶対に必要だ。睡眠不足が命にかかわる問題なのは、樹木も人間も変わりない。実際、ナラやブナを植木鉢に植えて、室内に置いてもその木は長生きできない。人間がいるのでゆっくり休めないからだ。ほとんどの場合、一年以内に枯れてしまう」。樹々も人の営みに似ている。
(樹木たちの知られざる生活―森林管理官が聞いた森の声―ペーター・ヴォールレーベン著 早川書房)

令和3年11月17日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No181) 田舎医者の流儀(156)・・・メダカは相手の顔がわかる!!

小山田の農園に小さな池があり、そこにメダカが泳いでいる。ホームセンターで最初、10匹ほど買ってきた。今や自然繁殖して数十匹になっている。定期的に餌も与えているので、元気に泳ぎ回っている。

そのメダカが顔で個体識別をしているとの学説が出て来た。メダ力が顔で相手を識別しているというのである。メダカの目の体側寄りのところに、小さな小判型の模様がある。この小判に個体変異が認められ、どうやらこれで個体識別をしているようだという。様々な観察、実験により実証的に研究され、どうも確からしい。すごい話だ、魚なんて下等な生き物だという思い込みが学術的に否定されてきた。

「デボン紀(約4億年前)に広大な淡水域が出現し、そこに入り込んだ硬骨魚類が大繁栄した。そのなかに、ユーステノブテロンという肉鰭類の魚がいた。その仲間が陸に上がり、イクチォステガと呼ばれる原始的な四肢動物へと進化し、そして両生類へと繫がっていく。ユ—ステノブテロンの仲間は、陸上脊椎動物の魚類段階のご先祖様である。この魚の非常に貴重な脳の化石が見つかった。その化石を見るとユーステノプテロテンの脳構造と脳神経がわかる。驚いたことに、魚段階の遠い祖先の脳神経も、ヒトと同じく12本なのである」

「つまり、魚類の段階ですでに大脳・間脳・中脳・小脳・橋・延髄と、脳は完成しているのである。そして、この6つの脳の構造は、魚からヒトに至るまで脊椎動物のなかで共通している。つまり、ヒトの脳の構造と魚類の脳構造は、殆ど同じなのである。新たな脳が付け加わることなどない。ただし、動物群間での脳の大きさや形、そしておそらく内部構造も、多少なりの違いはもちろんある」

「我思うゆえに我あり」と言ったデカルトは、人間の存在を特徴づけているのは、自己の存在を認識する事とした。彼は動物にも知能はあるとしたが、動物には自己を振り返る能力はないと考え、動物が自己や「こころ」を持つことはないと見なしていた。ところが、1970年代になり、チンパンジーが鏡で自分を認識できること、すなわち鏡像自己認知を証明され、イルカ、ゾウ、そしてカラスの仲間のカササギでも、自分の鏡像が自分であると認識できることが確認された。動物は魚も脳構造はヒトと同じであり、その能力の程度は勿論ヒトとは異なるがその連続線上にあると理解すべきであるようだ。
(魚にも自分がわかる 幸田正典著 ちくま新書)

令和3年11月12日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No180) 田舎医者の流儀(155)・・・植物で発電!!

生きた植物で発電するという夢のような研究が進んでいる。バルバラ・マッツォライというロボット学者によると「最近、私の研究グループは、革命的な可能性を秘めた発見をした。植物が電気を生産できることを実験で証明したのである。とすれば、人類は自由に使える、文字通り緑のエネルギー源を新たに手に入れたことになる。それは完全に自然の生態系に組み込まれており、世界中で手に入り,地球のエネルギー問題を解決することに役立つエネルギー源である」。

「高等植物(維管束をもつ植物)の葉の組織にはクチクラ層と呼ばれる一番外側の層と、その下の表皮の層からなる二重の層がある。それがコンデンサとして機能し、繰り返し触れられると電気を生み出すという事が最近発見された。つまり、葉の表面が一定の物質と接触したときに電気が作り出されるのだ。同様の現象を体験したこともあるだろう。例えば、寒くて乾燥した冬の日に、ウールのセーターが電気を帯びたり、車から降りようと車のドアに触れるとビリッときたりするのがそれだ。葉の場合は「接触帯電」と呼ばれるプロセスにより、クチクラ層-表皮の二重の層が、葉の表面に電荷を移動させることで起こる。私の研究グループは、この自然現象を詳しく研究し、葉の表面の電荷が内部の異符号の電荷で補似されて内部組織に伝わり、この組織がケ—ブルの役割を果たして他の場所に電気を運ぶということを発見した。したがって、植物の茎に「プラグ」を接続するだけで、発生した電気を集めて、電子機器の充電などに使う事ができる」可能性があるという。

約20万年前に発生した現代人はそれまでの狩猟・採取の生活から12000年前農耕を始め、定住生活に移行した。比較的安定した食料供給により人口は増え、都市の発達をみるようになった。18世紀半に起こった産業革命は化石燃料を使い、様々な産業、交通を発展させた。二度の世界大戦を経ながら人類は飽くことなき産業発展を求め、石炭・石油など化石燃料の大量消費の道を突き進み、近代的で快適な生活をつくりあげた。その結果、地球は温暖化し、現在、干ばつ、豪雨、巨大台風、山火事、海水上昇などなどの自然災害に見舞われている。

そもそも石炭や石油は植物の化石で、我々はそれを燃やしてエネルギーを得ている。しかし、この化石燃料を燃やすと大量のCo2が発生し、地球温暖化の主要な原因になっている。そこで、世界は化石燃料に頼らないエネルギー源として太陽光発電、風力発電、地熱発電など新しいエネルギー源を探し求めている。しかし、いずれも安定的エネルギー確保には不安が残る。新たなエネルギー源として「植物」が利用出来るとしたら、夢のような話だ。
(ロボット学者、植物に学ぶ  バルバラ・マッツォライ著 久保耕司訳 白揚社)

令和3年11月5日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No179) 田舎医者の流儀(154)・・・ジェネリック医薬品

我が国においてもジェネリック医薬品使用が強く推奨されている。ジェネリック医薬品を製造販売するためには、厚生労働大臣の承認が必要で、品質、有効性、安全性が先発医薬品と同等であることを証明しなければならない。

審査機関である独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMD)は、提出された試験結果をもとに、先発医薬品とジェネリック医薬品とが同レベルの品質、有効性、安全性を有するか審査を行い、先発医薬品と同等であると確認されたジェネリック医薬品だけが製造販売承認を得る。また、提出された試験結果は、生データを含めてチェックがなされ、データの信頼性が確認される。

厚生省はジェネリック医薬品の使用を強く推奨している。いわく、ジェネリック医薬品は、先発医薬品と治療学的に同等であり、先発医薬品に比べて薬価が安く、患者負担の軽減や医療保険財政の改善に資するとした。なるべく早い時期にその使用を80%以上とするように求めている。

そんな中で、ジェネリック医薬の信頼性を疑わせる事例が表出した。ジェネリック大手「日医工」では、出荷検査で不合格となった錠剤を取り換えて再試験したり、錠剤を砕いて再加工したりするなどの不正が明らかになった。同じくジェネリックを手がける「小林化工」で、同社の経口抗真菌剤(水虫薬)「イトラコナゾール錠」に、睡眠導入剤の成分が混入していた問題が発覚した。この薬を飲んだことによる意識消失や記憶喪失などの健康被害は100件以上報告され、なかには運転中に意識を失い、物損事故を起こしたケースもあったという。

現状は会社側が提出した書類に基づいて審査がなされ、偽造された書類であれば審査側は解らず、審査をパスする可能性がある。現に上の事案はそのような事例にあたる。メーカーの「善意」に頼っていては残念ながら、こういう事は起こり得る。米国のFDAのように抜き打ちの立ち入り検査が出来るようにしていかないと安全性の確保は難しいと考えられる。

最近発刊された「ジェネリック医薬品の不都合な真実 」(キャサリン・イーバン著 翔泳社)は世界的な規模で不正が起こっている事例を列挙している。我々臨床家はジェネリック医薬品を無条件に信用せず、問題が起こりうることを認識しながら、患者さんの利益を損なう事がないように、慎重な対応も併せ持つ必要があると思っている。

令和3年10月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No178) 田舎医者の流儀(153)・・・真鍋博士 ノーベル物理学賞受賞

米国在住(米国籍)日本人、真鍋淑郎博士が今年のノーベル物理学賞を受賞した。真鍋博士は1967年に発表した論文で、二酸化炭素の濃度が2倍になると、地球の平均気温がおよそ2.3度上がると試算した。地球温暖化の要因として二酸化炭素濃度の上昇が重要であると初めて指摘、その後の地球環境の悪化はこの説の正しさを証明する形となり、ノーベル賞受賞なった。

最近、国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が第6次評価報告書第1弾を発表した。今回の第1作業部会報告書は気候変動の科学的根拠に関するもので、気候変動のさまざまな面において、科学の結論が従来よりもクリアな像を結んだことを示している。まず、人間活動が気候システムの温暖化をもたらしていることに「疑う余地はない」と結論づけた。前回2013年の第5次評価報告書で、人間活動が地球温暖化の主な原因である「可能が極めて高い」としていたのに比べ、明快な見解になった。

報告書は大気中の二酸化炭素議度が2倍になって十分な時間がたった時の世界平均気温の上昇量は、「2.5〜4度の可能性が高い」と推定、最良の推定値を3度と明示した。人間活動が引き起こした気候変動により、熱波、大雨、地域によっては干ばつ、山火事などの頻度や強度が世界的に高まっており、これからちさらに高まる事が明確に述べられた。日本に関しては台風のうち強いものの割合が増え、しかも日本により接近したところで強さのピークを迎える傾向も示された。更に、海水の熱膨張と陸氷の減少によって生じている海面上昇は今世紀末には最大1m程度だが’ 今後数百年から数千年にわたってさらに続き、2千年後には数メートルから十数メートルに達する。最悪の場合には南極の水床が不安定化し、海面上昇を加速する恐れもあると指摘する。

このIPCCの報告書は世界66ヵ国から集まった200人以上の専門家が、1万4千件の論文を精査、さらに世界中から集まった7万8千ものコメント全てに対応して報告書は完成した。まともな気象学者が容認する内容になっている。しかし、相変わらず、ネット上には気象学をまともに研究していないスピンドクター(情報操作に熟練し、世論を誘導する技術を持つ人物)が大声で温暖化を否定する。これらの議論をIPCCの科学的に裏打ちされた報告書と同列に扱うべきではない。

最近、英国のエリザベス女王が気候変動問題について「口だけで何もしないと」世界の首脳に対する不満をこぼしたと報道された。正論である。
(参考:IPCC報告書 今すぐ温室ガス大幅削減を 国立環境研究所 地球システム領域副領域長 江守 正多 南日本新聞 21・8)

令和3年10月20日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No177) 田舎医者の流儀(152)・・・頭脳流出

『「光を当てるだけで化学反応を促進する「光触媒」を発見し、ノーベル賞候補に名前が挙がる藤嶋昭氏(79)=東京理科大元学長、東京大特別栄誉教授=が、中国の上海理工大で研究を進めることが3日、分かった。中国は外国の優秀な人材の引き抜きを積極的に進めており、日本の「頭脳」が中国へ流出する懸念も高まっている。藤嶋氏は共同通信に対し、新型コロナウイルス流行の収束後、年に数回上海を訪れ「光触媒を用いた空気の清浄技術の研究」に当たると述べた」』
(共同通信配信・ネットニュース)

日本の研究環境の劣化は女性研究者の置かれている状況によく表れている。海外で働いている日本人の自然科学研究者2万4000人のうち、女性研究者が占める割合は60%であり、日本国内の女性自然科学研究者の比率10%より はるかに高いという。日本での競争から排除された優秀な女性が外国に移住し、外国の大学•企業の国際競争力の向上に貢献している。
(英国の週刊誌「タイムズ・ハイヤ—・エデュケーションズ」の2014年10月9日号)

識者は指摘する。「引用回数の多い論文の国際比較で日本は10年前の4位から9位に転落した。論文数も减って2位から4位になったが、4倍に増えた中国はじめ主要国は軒並み増加している」 (「毎日新聞」2018.6.14)。各国の政府の科学技術関係予算の伸び具合を2000年と比べると、中国が13.48倍 (2016年)、韓国が5.1倍(同)、日本は1.15倍(2018年)。日本の博士課程への進学者はピークの2003年度を100とすると2016年度は83。海外派遣研究者の数も2000年度を100とすると2015年芰で57にまで減った。注目度の高い研究分野への参画度合い(2014年)では、米国91%、英国63%、ドイツ55%に対し、日本は 32%。科学研究の全分野で壊滅的な劣化が進行している。日本の学術的発信力の低下が指摘され始めたのは 2002年のことである。一国の科学研究のアクティヴィティの高さの最もわかりやすい指標である「人口当たり論文数」は2014年に世界37位(すなわち先進国中最低)をマークした。高等教育機関への公的研究資金の投入と論文数生産は相関するが、日本はこの対GDP公的支出ランキングでここ数年、先進国最下位を定位置としてキープしている(一度ハンガリーに「負けた」が、翌年すぐにめでたく最下位に復帰した)。日本の学術論文の80%は高等教育機関が生産しており、そのさらに60%は国公立大学が生産している。国公立大学からの論文生産の停滞が日本の学術研究の停滞を招いていることは久しく指摘され続けていた。特に2004年の独立行政法人化以後の国立大学の学術的生産力の劣化が顕著である。
(生きづらさについて考える 内田樹 毎日出版社)。

日本の良さが壊れて行っている。

令和3年10月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No176) 田舎医者の流儀(151)・・・植物にも意思がある

夕方、日の暮れるのが早くなってきた。農園からの帰り、午後6時半頃のバスに乗っていたがバスを降りる午後7時前はすっかり暗くなってきた。帰り時間を30分早める事にした。

小山田の農園を始めて5年になる。1年目、幹回り80cmの梅の老木が風の強い日に倒れてしまった。1年目、2年目と結構な実を付けたビワの木が3年目全く実をつけず、4年目には枯れてしまった。1年目に植えたブルーベリーは2年目までは多くの実がなり収穫できたが、2年目の夏日照りが続き、樹勢衰え3年目、4年目は殆ど実を付けなかった。調べてみると、ブルーベリーは乾燥に弱いそうだ。今年は水やりを毎日やり、土を酸性化する処置をしたので、来年は実が多くつく事を期待している。

さくらランの花を咲かそうとしているが、3年目今年こそ花が咲くかなと期待していたら、夏直射光にやられ葉焼けを起こし、枯れてしまった。寒さには弱いことを知っていたので、その対策はしていたがまさか葉焼けを起こすとは考えなかった。植え替えたさくらランは今のところ順調に育っている。来年ぐらいは花を咲かせてくれないかと期待している。利休梅も植えたが、未だ花を咲かせるところまで行っていない。

当初から、コケ庭を造ろうと思ってきた。道端や友人の土地に生えていたコケをもらってきて、水洗いしてこけ苗代を作り、数か月してきれいに生えそろってから庭に移植した。5年目になるので意図したエリアには移植できた。それなりにきれいなコケ庭が出来ている。移植に耐えるのはハイゴケで、ほかのコケはうまく育たない。本当は自生のコケが生えるのを期待したが、ごく小範囲しか育っていない。今のところは枯れないで育っている。

植物にも「意思」がある事が少しずつ証明されてきた。オーストラリアの研究者モニカ•ガリアーノは熱帯植物ミモザを研究した。ミモザは触れると羽根のような葉を閉じる習性がある。検証するために、ミモザの葉に一定の間隔で水滴を落としてテストした。初めのうちは葉がすぐに閉じたが、し ばらくすると水滴を落としても葉は開いたままで閉じなくなった。閉じなくても危険ではないと学んだからだ。さらに驚いたことに、数週間の中断をはさんでからテストを再開すると、ミモザは前回に学習したことを覚えていたのだ。植物も意思を持って生きている。それを尊重しないとうまく育たないようだ。
(樹木たちの知られざる生活―森林管理官が聞いた森の声―ペーター・ヴォールレーベン著 早川書房)

令和3年9月15日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No175) 田舎医者の流儀(150)・・・朝顔・夕顔

今年は朝顔と夕顔を植えた。朝方は青い朝顔の花が咲き、夕方は手の平大の真っ白な夕顔の花が咲く。それなりに数が多いのできれいだ。ところで朝顔はなんで朝咲くのだろう。朝顔は、夕方、太陽が沈んで暗くなるという刺激を合図に時を刻みはじめ、約10時間後に花を開くのだそうだ。たとえ、真っ暗闇の中でも約10時間後には花が咲く、暗闇を感じるのはツボミ自身だそうです。

「なぜ、朝早くに、花はいっせいに開くのか」というと 「朝早く花が開けば、この植物にとって、何かいいことがある」ということのようです。これについては、推測することしかないが、花を咲かせるのはタネをつくるためで、タネをつくるためにはハチやチョウに花粉を運んでもらわねばならない。そのためにはハチやチョウを誘い込むことが必要、朝早くには他の種類の植物の花がまだ開いていない、他の花が咲いていないと競争相手がおらず、ハチやチョウを誘い込むために有利なると推測されるそうです。

なぜ、ツボミはいっせいに開くのか?ハチやチョウがうまく運んでくれたとしても、花粉を受け取ってくれる仲間の花が咲いていないと、花粉をつけられない。花粉を託されたハチやチョウは困ってしまう。 そのため、同じ種類の仲間の植物は、同じ時期にいっせいに花を咲かせることが大切。同じ種類の植物がいっせいに花を開くことは、子孫を残すうえで大切なようです、そんなわけで同じ種類の植物は同じ季節に花を咲かせるようになるようです。
(植物はすごい七不思議篇 知ってびっくり、緑の秘密 田中修著 中央公論新社刊)

キリンはサバンナアカシアの葉を食べるが、アカシアにとっては迷惑な話。この大きな草食動物を追い払うために、アカシアはキリンがやってくると数分以内に葉の中に有毒物質を集める。毒に気づいたキリンは別の木に移動する。しかし、隣の木に移動するのではなく、100m位離れた木で食事を再開するそうです。最初に葉を食べられたアカシアは災害が近づいていることを周りの仲間に伝えるため、警報ガス(エチレン)を発散する。すると警告された木は有毒物質を準備し始める。それを知っているキリンは警告の届かない場所に立っている木のところまで移動するのだそうです。植物間のメッセージの伝達には根のネットワークや土の中の菌類が関与している事や化学物質のみではなく、電気信号も使われているようだという事も解ってきているそうです。植物も自分の意思を持って生きているようです。
(樹木たちの知られざる生活 ペーター・ヴォールレーベン著 早川書房)

令和3年9月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No174) 田舎医者の流儀(149)・・・チンパンジーも嘘をつく

ヒトだけが嘘をつくと思っていたら、学者の研究によると「サバンナモンキーやチンパンジーも嘘をつく」という。「例えばサバンナモンキーは、あたりにライオンがいないときに、気をつけろ!ライオンだ!という意味の鳴き声を上げるところが観察されている。バナナを見つけたばかりの仲間のサルがこれを聞いて逃げ出したので、嘘をついたサルはまんまとそのバナナをせしめた」と。

NHKのダーウィンが来たという番組(5月末)に出演した動物言語の研究を続ける京都大学白眉センターの鈴木俊貴助教によれば、小鳥も嘘をつくという。エサを求めて争いが起きると、最も身体が小さいコガラは、大きいシジュウカラやゴジュウカラに追いやられてしまう。そこで、コガラは「ヒヒヒヒ」と鳴き声を上げた。「ヒヒヒヒ」の鳴き声の意味は「タカが来た」で、その鳴き声を聞いてエサ場にいた群れの鳥たちはいっせいに避難する。その隙をついて、コガラは見事エサを食べることに成功したという。動物は生き抜くためにそもそも嘘をつく習性を備えているのかも知れない。

ホモ・サピエンスは7万年前頃から急に「賢くなった」という。約7万年前から約 3万年前にかけて、舟やランプ、弓矢、針を発明し、伝説や神話、神々、宗教も初めて現れた。類い希な言語能力を基盤にした認知能力の獲得がもたらした結果であった。ホモ・サピエンスは認知能力向上のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う物語を作る能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、ホモ・サピエンスの特徴であるという。

ホモ・サピエンスは「虚構」の物語を作りだす能力に長けている。そのことが他の動物種には見られない「世界戦争」「大規模虐殺」を引き起こしている。現代も様々の「虚構」の物語が横行している。ワシントン・ポスト紙のファクト・チェックのチームによるとトランプ元アメリカ大統領の「間違っているか、または誤解を招く発言」は就任869日の時点でなんと10796回にのぼり、一日当たり10回、2018.9.7には正味2時間で125回以上もあったという。日本の政治家も似たり寄ったりで、ありもしない嘘を平気でつく。

「人」が他の動物と違うのは自らが嘘をつくのみではなく、「他人」に嘘をつかせることではなかろうか。嘘をつかされた「人」が耐えきれずに自死に追い込まれることも稀ではない。最近もそんな事例があった。嘘をつかせた人が「自分の心に咎めるところがない」としたら、呆れるばかりだ。そんな世界にまともな人材は集まらないのではないか。日本の官僚機構の劣化が懸念される。

令和3年9月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No173) 田舎医者の流儀(148)・・・鹿児島のコロナ

作家の高村薫さんは言う。「いまや日本は何から何まで三流だ。昨年、欧米とほぼ同時にスタートしたはずの新型コロナのmRNAワクチン開発は、結局失敗したのか何なのか、話題にもならない。あれほど拡充が叫ばれてきたPCR検査の実施数も、いまなお諸外国にはるかに及ばない。さらには国公立の医療施設が少なく、私立病院はコロナ患者を敬遠するため、欧米より一桁少ない感染者数で医療崩壊が起きる」(作家は時代の神経である 高村薫 毎日新聞出版)。

台湾では「新型コロナのワクチン」が出来て、総統が接種したと報道された。我が国では未だ国産ワクチンのめどが立っていない。ワクチン接種も進まず、世界で60番ぐらいの順位であるという。伝染力の強い変異株の蔓延もあるが、感染爆発は止まらない。首都圏ではコロナに罹り、発熱などの症状があっても入院も出来ない。自宅療養を余儀なくされ、重症化する事例が報道されている。今まで、日本の医療は世界でも最も充実していると言われてきたはずだが、この非常事態に何ら対応できていない。

政府は、「感染急増地域での入院を重症患者や重症化リスクの高い患者に限定。リスクが低い中等症と軽症の患者は、原則自宅療養とするよう都道府県に求めた」。患者さんを入院させるかは診察した医師が決めることで、患者さんを診てもいない保健所に決めれるはずがない。政治や行政が行うべきことは、入院が必要であると臨床家が判断したケースを速やかに入院できるように体制づくりをすることで、政治や行政が入院の基準・可否を判定することではない。

鹿児島県でも新規患者数が200人を超える日もあり、ここ2週間連続100人を超えている。新規の発生を抑え込むためには、ワクチン未接種者への早急な接種、今回の増加は夏休み、お盆などによる人の流れの増加などが関連していると思えるが、間もなく夏休みを終えようとしている中で、子供たちへの感染の広がりも懸念される。それこそ、夏休みの延長など可能な方策を大胆に実施すべきではなかろうか。上からの指示待ちでなく、県や市は必要な決断をして、感染拡大を防止する施策を打ち出すべきである。トップが必要な決断すれば、県民は支持しますよ。

鹿児島市で感染が拡大し、入院の必要な患者さんを市内だけでは確保できず、当院でも受け入れている。そういう工夫をして、必要な治療の出来る体制を作るべきである。今までコロナ患者を受け入れていない病院でも、可能な方策を検討する責務が医療関係者に求められている。

令和3年8月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No172) 田舎医者の流儀(147)・・・はがき

夕顔が真っ白の花を咲かせるようになった。手のひら大の花が夕方になると咲きだす。数が多いと結構きれいなものだ。バラの苗も植えたので、深紅、真っ白、ピンクの花が咲くのを楽しんでいる。油断するとアブラムシが花ビラを食い散らすので、虫取りも大事な作業になる。ずーと日照りが続いているので、水撒きも欠かせない。

今年はブルーベリーが不作であった。いろいろ調べてみると、ブルーベリーは乾燥に弱いそうだ。水をやり易いように、新たにホースを購入し、それを装着するために水道の蛇口を2連のやつに変えた。装置を整えると水撒きがストレスなしに出来るようになってきた。当然だがなんでもし易いようにシステムを変えることが大事なようだ。ブルーベリーは酸性の土壌を好むそうだ。根っこが酸性の土になるようにそれ用の土壌改善剤も買ってきて、土のPHを下げようと試みている。来年は春に花が咲き、一ぱい実が取れることを期待したい。

最近ハガキを書くようにした。受けとった方は、悪筆の中村が手書きのハガキをといぶかっておられるのではないかと思う。今まで、パソコンでつくった文章を手紙にして出すことが殆どであった。徒然草第35話に、「字の下手な人が、読み手に遠慮しないで、どしどし手紙を書くのは、大いにけっこうだ。逆に書く字がみっともないからと、他人に代筆させるのは、自意識過剰で、いやけがさす」とある。悪筆が恥ずかしく、パソコンに代筆させていた。

兼好さんが言うのはまっとうだと思い、隠居の身で暇もあるので、実行してみようと思った。それでもなかなか実行できないままであったが、片付けをしていたら、モンブランの上等の万年筆が出て来た。これをそのまま「寝たきり」にするのももったいないし、使ってみるかと思った。インクが枯れていたので、いくつかの店に買いに行ったが、なかなか売っていない。店員さんが言うには。そんなものは売れないので置いていないという。ネットで売っていそうなところを調べたら、私が時々使うバス停の近くにあるお店に売っていることがわかった。

はがきを手書きするときは、パソコンを開いて、漢字を確認しながらになる。今まで、パソコンの漢字変換に頼っていたので、いざ手書きするとなると漢字を思い出させない、なんとなく自信がないなど今までのパソコン頼りの弊害が出てくる。手書きを続けていたら、そのうち手が昔みたいに勝手に動いてくれることを期待している。

令和3年8月11日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No171) 田舎医者の流儀(146)・・・柔道大野二連覇

東京五輪・柔道男子73キロ級の決勝が日本武道館で行われ(7月26日)、日本代表大野将平選手(旭化成)はラシャ・シャフダトゥアシビリ(ジョージア)に延長の末、勝利、金メダルを獲得した。2016年リオデジャネイロ五輪に続く、2連覇。今回、大野は一回戦から圧倒的な強さで勝ち進み、その勝ちっぷりは見事としか言いようがない。

大野選手の柔道を見て、鹿児島の生んだ柔道家、全日本選手権で3回優勝した故吉松義彦さんの話を思い出した。もう40年前の話だが、私に「あんなぁー、あたいが全盛期はなぁー。組むと相手は身動きできず、はね飛ばされる感覚になったそうや」と話してくれた。最強の柔道家吉松さんのそんな感覚は私には当然理解できなかったが、そんなもんかと思った事があった。大野選手の組みさえすれば相手を投げ飛ばす柔道を見て、吉松さんが語ってくれた話を思い出した。

大野将平は2016年リオデジャネイロ五輪後、天理大大学院体育学研究科に進学。29ページに及ぶ学位論文「柔道『大外刈』の効果的な施技方法に関する研究-オリンピック選手の指導に活用するために-」を書き上げた。大野は約1年間、畳から離れた。得意の大外刈りを研究対象とした修士論文の制作に着手。18年1月に完成し、学術研究に裏付けされた自信を得た。「ここまで1つの分野に絞って研究するのは初めての経験だった。稽古だけをしていたら気づけなかった部分があり、人間的な成長があった」という。文武両道の修練の上に今回の快挙が成し遂げられたことになる。

大野選手だけではなく、日本柔道は14階級のうち9つの金メダルを獲得した。それぞれの選手が限界を超えた鍛錬の中で勝ち取った成果であり、その努力をする能力に感銘を受ける。鹿児島出身の女子柔道濵田尚里.さんの金メダルも30歳まで進化を続けた結果であり、それもまたすごいことだ。

女子ソフトボールの金もすばらしい。2008年北京オリンピックでは「エース」上野由岐子が力投、悲願の金メダルを獲得。この金メダルを最後にオリンピック競技から除外されるという憂き目にもあったが、2020年東京オリンピックで「復活」。13年の時を経てまたまた上野由岐子が力投「2大会連続の金メダル獲得」になった。それにしても、このスポーツらしい競技を除外したり、入れたりするIOCさんのやり方は理解に苦しむ。選手中心に物事を考えて欲しいですね。

令和3年8月4日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No170) 田舎医者の流儀(145)・・・二刀流

4月以降、毎日のニュースにコロナと大谷選手が出ないことはない。大谷選手は前半戦を終え、84試合に出場、打率.279、84安打、33本塁打、70打点、12盗塁。7月7日のレッドソックス戦で日本選手最多ホームランを更新する32号を放ち、松井秀喜選手の持つ記録をあっさり更新した。本塁打は6月に球団最多タイの月間13本、7月に入っても10戦5発と量産しており、2位ゲレロ(ブルージェイズ)に5本差。打点では同選手を3点差で追っており、二刀流を実践しながら2冠を視野に入れている。

一方でピッチングの成績も上々だ。勝ち星こそ4勝(1敗)ながら、67イニングを投げて、奪三振率11.69をマーク。さらに自身のメジャーキャリアでは最高となる6度のクオリティースタート(6回以上に投げて3失点以内)も達成するなど、投手としての成績も並ではない。速球は160kmを超えることもあり、高速のカットボールなどの変化球もコントロール良く決まり、脱三振も多い。並みいる大リーガーの一流ピッチャーと肩を並べている。まさに二刀流で最高の成績を残している。

今や、比較の対象はあのべーブ・ルースのみだ。1921年6月13日、ヤンキースのべーブ・ルースはトップの19本塁打を放ち、タイガース相手に先発投手のマウンドに上がった。100年のときを超え、2021年4月26日。大谷翔平は7本塁打で両リーグ本塁打トップタイに立ち、レンジャーズ相手に先発した。本塁打トップの選手が先発投手を務めるのはメジャーの歴史上でこのふたりだけ。結果はルースが5回0/3・4失点で勝利投手。大谷も5回4失点の勝利投手。

野球は投げる、打つ、守る、走るという4つの要素からなり、それぞれに得意にする選手がいる。走塁のスペシャリストという言葉もあるし、守備の得意な選手を守備固めで使うこともある。野手には走攻守3拍子揃った名選手という表現もある。高校生ぐらいまでは投手で4番バッター、いわゆる2刀流は珍しくない。それがプロ野球になると、2刀流はいなくなるし、それが両立することは難しいのであろう。その難しいことをベーブルース以来100年経て、大谷選手がやっている。

大谷選手は足も速い、その走塁でもチームに貢献している。すべての面でレベルを超えた活躍だ。日本人の身体能力は欧米人などに比し、高くないと思われている中で、理解の程度を超えている、ただただ驚くのみだ。この原稿を書き終えたところで、メジャーリーグオールスター戦で大谷選手が先発し3者凡退で抑え、勝利投手になったという。凄過ぎる〃

令和3年7月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No169) 田舎医者の流儀(144)・・・カリコ博士

今回の新型コロナウイルスワクチン開発に大きく貢献したのは女性研究者カタリン・カリコ博士である。ハンガリー出身、大学卒業後アメリカに渡り、遺伝物質の1つ「mRNA」の研究をしていた。しかし、その仕事は評価されず、研究費の獲得もままならず、在職した大学で役職が降格になったりするなど、40年にわたる研究生活は苦難の連続であったという。

2005年には、当時同僚だったドリュー・ワイスマン教授と、今回のワクチンの開発につながる革新的な研究成果を発表したが、これも注目を集めることはなく、その後大学の研究室を借りる費用も賄えなくなり、2013年にドイツの企業ビオンテックに移った。

今回のmRNAワクチン。かつては、実用化は困難というのが常識で、カリコさんも壁にぶつかった。人工的に作ったmRNAを細胞に加えると炎症反応が起き、細胞そのものが死んでしまうことがあったという。それでも、カリコさんたちは実験を繰り返し、mRNAの一部を別の物質に置き換えると炎症反応が抑えられることを発見。これまでの常識を打ち破った。

ワクチンには生ワクチン、不活性化ワクチンなどがあるが、今回のコロナワクチンはmRNAワクチンという手法です。mRNAワクチンを作るのにはウイルスそのものは必要ない(設計図であるmRNAだけあればよい)ので、培養するのに時間を要せず、従来のワクチンに比し短時間で大量生産できるメリットがある。世界的なパンデミックに対して迅速に対応できたという点で画期的な手法であったと言える。

カリコ博士は女性研究者。我が日本では女性研究者は正当な評価を受けていない。そのため、海外で働いている日本人の自然科学研究者2万4000人のうち、女性研究者が占める割合は60%、日本国内の女性自然科学研究者の比率10%よりはるかに高くなっている。つまり、日本での競争から排除された優秀な女性が外国に移住し、外国の大学•企業の国際競争力の向上に貢献していることになる。スイスのダボスで国際会議を主催する世界経済フォ—ラム(WEF)は「男女平等ランキング」と「経済的な国際競争力のランキング」には、強い相関関係があると指摘する。日本はこれらの二つのランキングにおいて、同時に低下している。これからの、日本の再生・回復のためには、女性がまともに登用されるシステム作りが必要になっている。
(参考文献:日本再生のための「プランB」 ゆう炳匡 集英社新書)

令和3年6月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No168) 田舎医者の流儀(143)・・・ワクチン接種

今年の梅雨入りは5月11日で史上2番目に早かったそうだ。梅雨前線の上下で晴と大雨が交互する。5月23日は快晴、24日は一転大雨だ。この時期、アジサイの花が咲き始め、農園のグミの実が赤く色付き始めた。よく熟れた実を食べてみると、独特のすっぱみはあるがまあー食べられる。グミの実はパントテン酸、ビタミン、タンニンが豊富で、動脈硬化予防につながるという。ビタミンEの量は、フルーツのなかでもトップクラスといわれる。

5月24日朝、注目のゴルフ・メジャー全米プロ選手権最終日の中継を見た。50歳のフィル・ミケルソンが優勝、全米プロ選手権最年長優勝という。さきのマスターズで松山秀樹選手がアジア人初の優勝をしたのもすごいことであったけど、今度のミケルソンの優勝もすごいことだ。この年齢まで一流プレイヤーであり続けることは並大抵の努力ではなかろう。77歳の年寄りも励まされる。

新型コロナのワクチン接種が始まった。予約をするのが大変なようだ。当院では診察の時、接種券を持ってきていただきその場で1回目、2回目の予約日を決めている。近いうちに診察予定のない方は午後2時から、来ていただいて予約をしている。来院されるのは大変かもしれないが、電話、ネットでの予約より確実で、患者さんも喜んでいただいている。指宿という小都市ではそんなことが可能だ。高齢者にスマホで予約しなさいと言っても現実的ではない。電話予約にしてもそもそも病院の回線は多いわけではないので、繋がらない事も多い。現実に、いくら電話してもつながらなかったと患者さんから言われた。

日本はワクチンも作れない、接種もなかなか進まない。どうして、こういう国になってしまったのか。真剣に現実を見極める必要がある。ワクチンを手に入れて、接種を進めるのは厚生・労働省の役割だ。どうもその機能が劣化しているようだ。官僚が事態を見極めながら、計画を準備し事態に備える。ワクチンの確保、接種体制の構築など先々を見越した計画が求められる。報道をされるところではどうも後手後手にまわっているようだ。

政治家の先生方が「政治主導」とかを誤解されて、人事権を振り回し、真に有能な官僚を登用せず、国民の方を向かず政治家の方を向いた官僚のみが上がっていくようになっているようだ。有能な官僚機構がないと国は治められない、例えば、国の予算案を作るにもそれに習熟した官僚がいなければ出来ない。そこは国民も理解をしなければならないと思う。

令和3年5月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No167) 田舎医者の流儀(142)・・・「脳」力アップ

アメリカ・イリノイ州ネ—パ—ヴィルの高校で、朝授業が始まる前にランニングなどで心拍数を増やす運動が取り入れられた。その結果、ある高2のクラスでは、太りすぎの生徒は3%しかいなくなった(国の平均30%)。さらに、そのプログラムによって、学区の生徒が国内有数の頭のいい生徒へと変身したという。

1999年、ネーパーヴィルの8学年の生徒は、世界の約23万人の生徒が参加するTIMSS (国際数学•理科教育動向調査)という国際的基準の数学と理科のテストを受けた。 当時、それらの大切な教科において、アメリカの生徒は中国、日本、シンガポールの生徒に大きく水をあけられてきたが、ネ—パ—ヴィルの生徒は明らかに例外だった。彼らは数学では世界6位、理科では世界1位という結果を出したのだ。

運動をすると、セロトニンやノルアドレナリンやドーパミンー思考や感情にかかわる重要な神経伝達物質―が増えることは知られている。更にニューロンの回路、つまり脳のインフラを構築し、維持するタンパク質群で、脳由来神経栄養因子(BDNF)も増えることが判ってきた。つまり、授業前の体育が学習のために必要な道具(ニューロン)を脳に与え、その後、授業で受けた刺激はその新たに生まれたニュ— 口ンに仕事を与え、ネットワ—クにつなげて、学習効果を上げるように働いたのだろうと考えられている。

2007年にドイツの研究者グループが人間を対象として行った研究では、運動前より運動後の方が20パ—セント早く単語を覚えられ、学習効率とBDNF値が相関関係にあることが明らかになった。数学や英語の成績が悪いとよく授業時間を増やして、改善しようとするが、殆ど成功していないそうだ。朝の授業前の運動で成績が上がったネーパーヴィルの実績は「脳」力を上げる方法に示唆的である。

僕が高校に入った時、二年先輩の方が早朝、講義の前にいつも校庭を走っていた。田舎者の私は都会には変わった人がいるものだと思った。その先輩は学年でトップクラスの成績で、難しい旧帝大の医学部に現役で合格した。その先輩が学習前の運動が脳を活性化することを理解していたかは解らないが、今の進化した脳科学から言えば、時代を先取りしたやり方であったのだ。
(参考文献:脳を鍛えるには運動しかない ジョンJレイティ、エリック・ヘイガーマン 著 NHK出版)

令和3年5月7日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No166) 田舎医者の流儀(141)・・・4月

4月になり、新学期が始まった。職場も転勤等移動があったであろう、3月まで同じJRの列車で指宿まで通勤していた人が乗っていない。高校生も山川の方向に向かう高校生が大変多くなった。毎年の事であるが、それなりの変化がある。

4月9日2回目のワクチン接種を受けた。2回目は発熱、倦怠感などの副反応が多いと聞いていたが、幸いに接種部の軽い痛み以外の症状はなかった。厚生・労働省の発表では高齢者は副反応の頻度が少ないという。77歳の高齢者である私はその範疇になるのだろう。

関東1都3県に対する2度目の緊急事態宣言が解除されわずか3週間後、政府は4月9日、「まん延防止等重点措置」を東京、京都、沖縄の3都府県にも適用すると発表、すでに適用が開始されている大阪、兵庫、宮城と合わせて、対象地域は6都府県に拡大された。新型コロナは収まる気配を見せず、第4波流行の様相を呈している。

このような状況の中で、ワクチン接種を急ぐ必要がある。1度以上ワクチンを接種した人は6日時点でイスラエル61%以上、英国46%、アメリカ32%、英国の患者数は激減してきている。それに比べて日本は4月9日の段階で0.87%、先進国の中で最もワクチン接種が進んでいない。ワクチンの国産も出来ない、ワクチン接種も進まない、日本国はどうなっているのだ。

政治家は2世議員が多く、国家国民のために働く気概を持った者が少ない、官僚は政治家におもねて国民の方を向いていない。2世議員だからだめだと言っているのではない、選挙の地盤があるのだから、その有利さを政策研究と国家・国民のために充てて欲しいと思っている。政治家が人事権を悪用して、官僚を見下す風情は見苦しい。学術会議会員も自分と反対の意見を持つものを排除しようとするなど、国家100年の計に反するぐらいの常識は持って欲しい。

池江璃花子さんはすごい。10カ月の入院、約2年の療養を経て、水泳日本選手権で4種目優勝、東京オリンピックの出場権を得た、信じられないほどだ。MBAの大谷祥平選手もすごい、160kmを超す球を投げて、ホームランも打つ、半端ない活躍だ。天性の素質もあるだろうが、それを支える努力がすごいのであろう。日本国の政治家、官僚、それに一部企業人の責任感の欠如は目に余る、その中で池江選手、大谷選手の活躍は子供たちに希望を与える存在だ。

令和3年4月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No165) 田舎医者の流儀(140)・・・そこまでやるか

新型コロナワクチンの接種が始まり、私も3月19日1回目の接種を受けた。翌日、接種部位の痛みが少々あったが、大きな副作用はなく、2回目の接種を4月初めに受ける予定だ。第3波の流行は終息を見通せない、逆に第4波の流行を懸念する見方も出ている。従来の対策では限界がある中、ワクチン接種が早急に進むことが望まれている。いろいろ難しい問題はあるのだろうが関係機関の一層の体制整備を望みたい。

報道によると、ワクチンを供給する巨大製薬会社はワクチン供給の交渉に担当大臣が当たろうとしたら、「大臣ではだめで、総理を出せ」と言ったらしい。なんでそういう事になるのか判らないが、少しでもメーカー側に有利になるように画策しているのであろう。実際にワクチンの供給は先進国優先で、お金のない発展途上国には供給されていない。この地球規模の災難に対して「儲け優先」を貫いている。グローバル巨大製薬企業に「倫理感」を求めても厳しいことを認識しなければならないのだろうか。

こんなことまでやっているそうだ。
「遺伝子組み換え作物開発などに多額の研究資金を投入してきたバィオテクノロジー企業は、 遺伝子と遺伝子組換え作物の利用を支配することによって、投資への見返りを確保しようとしている。前述の除草剤ラウンドアップと耐性作物をセットで購入させる販売戦略もその一つだ。また、企業が開発した特許権のある種子を用いて農作物を栽培している農家は、新たな種子の購入はもちろん、収穫作物からの自家用種子保存でも、特許使用料を支払わなければならない。さらに、これらの企業は、自分の特許を守るために、開発品種の子孫が種子をつけられないようにする『ターミネーター遺伝子』を開発して開発品種に組み込むまでになっている。この結果、農民は毎年種子会社から種子を買うことを余儀なくされる。それだけではない。ターミネーター作物の生態系への漏出により、種子植物に種子のつかない不稔性が徐々に広がれば、生態系そのものの滅亡の恐れもあることが指摘されている。」
(生物多様性を問い直す-世界・自然・未来との共生とSDGs 高橋進著 ちくま新書)

そこまでやるかグローバル巨大企業という感じだ。儲けのためなら何でもあり、後世に禍根を残そうと今の儲けを追及する企業に何らの歯止めもいらないのか。2015年9月国連で193か国の首脳は「地球の再生能力を超えない持続可能な世界」を目指すことを決議した。その重みを企業も受け止めてと欲しいものだ。

令和3年3月31日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No164) 田舎医者の流儀(139)・・・地球2.76個分

3月初旬、下げ止まり傾向にあった首都圏の新型コロナ新規患者数は再び増加傾向が明らかになってきた。このままでは3月21日迄の非常事態宣言の解除も怪しくなってきた。感染の増加傾向を抑えるため新たな施策が必要になる可能性があり、厳しい局面を迎えている。

2019年12月に突然出現した新型コロナは瞬く間に全世界に拡がった。航空機など交通の発達は人に乗り移ったウィルスを世界中に拡散させた。3月12日現在、世界の感染者数は約1186万、死者は約263万人、最も死者の多いアメリカは53万人を数え、バイデン大統領は第一次、第二次世界大戦、ベトナム戦争の合計死者を上回ったと述べた。この急性の新型コロナ危機の中でも、世界の慢性的危機は進行している。2015年9月国連で193か国の首脳の合意のもとに採択された「持続可能な開発目標」(SGDs)にもっと深い関心と行動を求められている。

「持続可能な開発目標」は拡大する貧困と格差、気候変動や生物多様性の喪出など人類に破局的状況をもたらしかねない慢性的危機に対して2030年という年限を切り「持続可能な社会・経済・環境」に移行することを目指し、克服しようとするものである。これは後戻りの出来ない地球の現状に対する強い危機感のもとに合意に至ったもので、我々に真剣に向き合う事を求めている。

2012年6月、ブラジルのリオ.デ•ジャネイロで国連の「持続可能な開発会議(Rio+20)」が開催され、188ヵ国および3オブザ—パ—など約3万人が参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われた。この会議で「持続可能な開発目標」の作成が決まり、3年の年月を掛けて、決議に持ち込んだ。このリオの会議でウルグアイ大統領ホセ・ムヒカは「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしようか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしようか。西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしようか。可能ですか。なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。マーケッ卜経済の子供、資本主義の子供たち、つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです」と演説、世界中の人々に強い危機意識を訴え、世論の形成に大きな影響を与えた。

現在、人類は地球資源の再生能力の1.69倍の資源を消費する事で成り立っている。米国4.97個、日本2.76個分という。この状況では地球が破綻するとの危機感が共有されなければならない。
(参考文献:SDGs-危機の時代の羅針盤 南博、稲葉雅紀著、岩波新書)

令和3年3月31日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No163) 田舎医者の流儀(138)・・・コロナ禍の中で判った事

農園の梅の花が咲き、そこにメジロが飛んできて、春の訪れを感じさせる。コロナのワクチン接種が世界中で始まり、日本でも準備が進んでいる。どういうわけか日本はワクチン接種も世界に後れを取っている。一刻も早い、全国民へのワクチン接種を望みたい。

新型コロナの流行が始まり、まず、マスク不足が表面化した。日本では十分生産されていず、外国からの輸入に頼っている現状に驚いた。ワクチンも国産は未だ実用化せず、接種するのは外国メーカーのワクチンである。ロシアや中国でも生産されているのに、日本は自国で生産できていない。科学立国を自認している我が国の現状がなんとも情けない状況だ。

実は我が国の学術的生産力は低下しており、ワクチンが自国で生産できないのはその表れに過ぎない。内田先生は指摘する。「人口当たりの修士•博士号取得者が主要国で日本だけ減っていることが文科省の調査で判明した。これまでも海外メディアからは日本の大学の学術的生産力の低下が指摘されてきたが、大学院進学者数でも、先進国の中でただ一国の「独り負け」で、日本の知的劣化に歯止めがかからなくなってきている。」「人口当たりの学位取得者数を2014〜2017年度と2008年度で比べると、修士号は、中国が1.55倍、フランスが1.27倍。日本だけが0.90倍と微減。博士号は、韓国が1.46倍、イギリスが1.23倍。日本だけが0.90倍と数を減らした。」

要は学術研究をする人が減ってきているという事だ。なんでこういうことになってきたかというと、この分野への予算配分が低いからである。「各国の政府の科学技術関係予算の伸び具合を2000年と比べると、中国が13.48倍 (2016年)、韓国が5.1倍(同)、日本は1.15倍(2018年)」「高等教育機関への公的研究資金の投入と論文数生産は相関するが、日本はこの対GDP公的支出ランキングでここ数年、先進国最下位を定位置としてキープしている。日本の学術論文の80%は高等教育機関が生産しており、そのさらに60%は国公立大学が生産している。国公立大学からの論文生産の停滞が日本の学術研究の停滞を招いている」。2004年国立大学が独立行政法人化されて以降、大学への予算は減らされ続けている。

「2017年の3月には英国の自然科学のジャ—ナルである「Nature」が日本は遠からず、科学研究において世界に発信できるような知見を生み出すことのできない科学後進国になるリスクがあると警告を発した」という。
(生きづらさについて考える 内田樹 毎日新聞出版)

コロナ禍の中で見えてきた今の国のあり様を見直すチャンスであるように思う。

令和3年2月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No162) 田舎医者の流儀(137)・・・ワクチン

あけましておめでとうございます。令和3年はコロナの勢いが止まらない中で新年を迎えました。一日7千名超えの新規感染者も報告され、1月7日、政府は東京、神奈川、千葉、茨木に非常事態宣言を出した。その後、関西圏、中部圏の感染拡大も続き、そこでも非常事態宣言が出された。それにも関わらず、1月20日現在、感染の拡大が続いている。このままでは3月迄感染者数を抑制できないのではという数理疫学者の試算も出ている。有効な治療法の確立していない新型コロナに対し、何より発症を減らすことが重要と考えられ、基本的予防法―マスク、手洗い、密を減らすーの更なる徹底が求められている。中でも人と人との接触を減らすことが最も肝要と思われる。

そこで、感染を抑え込むために、ワクチンの接種が待たれている。欧米では接種が始まったが、わが国でも2月下旬には始められるよう準備が急がれている。医療従事者、高齢者、リスクを持つ人々から順次接種されるが、全国民に接種が完了するのはいつになるのか見込みが立っているわけではないようだ。今年中頃までに完了すればと希望的観測が流れている。この状況下で7月の東京オリンピックの開催を危ぶむ声も現実味を帯びてきている。

ワクチンには当然ある程度の副反応がある。それが過剰に強調された例に、子宮頸がんワクチンがある。本ワクチン接種は一時70%位まで行ったが、現在、1%程度に激減している。子宮頸がんは年間約1万人が罹患し、約2,800人が死亡する、患者数・死亡者数とも近年漸増傾向にある。開発された子宮頸がんワクチンは90%以上の子宮頸がんを予防すると言われている。副反応に対する過剰な対応がこのような事態を招いている。これらの健康被害が本当にワクチン自体の問題によるものなのかについては証明されていないし、多くの権威ある研究でははっきりと否定されている。世界的には多くの国で接種が行われており、日本のみが接種が進んでいない。

新型コロナワクチンの接種が始まった欧米では当然副反応の報告も増えている。その中でワクチンに対する過剰な忌避感情•恐怖症があることも事実だ。しかし、このコロナを世界が克服していくためには、ワクチン接種率を上げなければならない。ワクチンは今までの治験の結果からは90%以上有効のようだから、そこをまずやり切って、次のステップに進んだ方が良かろうと思う。今回のコロナワクチンに対してもスピンドクター(情報操作に熟練し、世論を誘導する技術を持つ人物)などから接種反対論が出てくると思われる。「真の専門家」の意見を尊重し、冷静な対応が求められる。私はもちろん接種するつもりだ。

令和3年1月20日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2020年

指宿 菜の花 通信(No161) 田舎医者の流儀(136)・・・天然の造水装置

今週、寒波が訪れ、農園の小屋は室内温度0度以下まで下がり、外は霜で覆われている。農園は自宅のある街中より、少し北にあり高台になっているだけで霜が酷いし、小さな池に氷も張る。ポセイリアは室内に入れないといけなかったが、理解不足で屋外に出しっぱなしにして、枯らしてしまった。ジャガイモや里芋の葉が枯れたので、掘り出すと多くの芋を収穫できた。ブロッコリーや 大根は霜が付くのもめげずに成長を続けている。

14日から日本海側は大雪となり、新潟県湯沢町では24時間降雪量が観測史上最大となる113cmを観測したという。高速道路で多くの車が立ち往生し、2日間も閉じ込められたと報道され、落雪による事故も多く報告された。軒下迄高く積もった雪に住民の生活は大変だ、特に高齢者住民は雪かきに苦労しているようだ。

「冬の日本海は西高東低の気圧配置で強い北西季節風が吹き荒れる。大陸起源の冷たく乾燥した季節風が日本海に強く吹き込むと、対馬暖流の影響を受けた暖かい海面からは蒸発が盛んに起こり、生成した大量の水蒸気は上空で冷やされ凝縮して雪雲を発達させる。大量の雪雲は季節風とともに日本列島めがけて吹き寄せられる。日本列島の屋台骨をなす脊梁山脈・・・奥羽山脈や日本アルプス、中国山地など・・・にぶつかって上昇気流が生じ、日本海側の平地から山地にかけて大量の雪を降らせる。大量の積雪に見舞われる地域は道路の通行止めや集落の孤立など社会・経済活動に大きな損害を被ることもある。一方で我が国の豊かな水資源を維持するため、冬の降雪は大変ありがたい存在である」

「日本列島に降る雪はもちろん淡水の結晶、その源は日本海がたたえていた海水、海水は飲料には適しないが、淡水は飲むことができる。日本海は大量の海水を蒸発して淡水を作り、日本列島に供給する天然の造水装置の働きをしている。山地の雪は簡単に溶けない、ゆっくり時間をかけて溶けたあとは河川水として海に戻るものもあるが、一部は地中にしみ込み地下水となって地下に長期間貯蔵される。日本列島で暮らしてきた人々はこの天然の造水装置から限りない恩恵を受けてきた」 という。
(日本海・・・その深層で起こっていること・・・蒲生俊敬著 講談社より一部改変)

ユーラシア大陸と日本列島に囲まれた縁海・日本海がその独特の深層循環システムにより日本列島に温暖で湿潤な気候をもたらし、豊かな水産資源をもたらしていると言う。すごいね‼

令和2年12月23日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No160) 田舎医者の流儀(135)・・・冬支度

冬景色になってきた。霜が降りる前に、霜に弱いさくらラン、ハイビスカスなどの鉢植えを小屋の中に取り込んだ。長芋、ショウガも霜の降りる前に収穫した、長芋は今年出来がよく大きなものが5個取れた。冬場から春先に咲く水仙やチューリップの球根を鉢に植えた。うまく育ってくれると良いが素人にはなかなか難しい、ネットで調べながらの作業となる。

冬前もなると熊が人里近くに出没、人的被害も報道される。熊は冬眠に入る前に、栄養を蓄える必要があり、食い物を求めて行動する。生活する森の中でそれが確保できれば、あえて人里に出てくる必要ない。開発による森の縮小や気候条件によっては、生活圏で食料が十分確保できず、人里まで出てこざるを得ない。冬眠は熊にとっては冬場のえさの少ないときを生き残るための戦略である。熊だけではなく、ヤマネ・リスなどのげっ歯類、ヘビやトカゲ・カエルなどの爬虫類・両生類なども冬眠、日本に住む陸上の哺乳類のほぼ3分の1の32種が冬眠するのだそうだ。

植物にも冬眠に似た現象があり、休眠と言うのだそうだ。観葉植物は冬期間に入ると成長がほぼ止まり、いわゆる「冬眠状態」になるそうだ。「サクラのツボミは開花する前の年の夏、7〜8月につくられ、ツボミを越冬芽という、硬い芽の中に包み込み、冬の寒さに耐え、春を待つ」「ツボミが寒さを感じると、開花ができるように目覚めた状態になり、暖かくなるにつれて、開花がおこる」という事らしい(植物はすごい七不思議篇 知ってびっくり、緑の秘密 田中修著 一部改編)。植物たちも冬季や乾季などの生育に適さない時期を生き抜くため「休眠」するようだ。大賀ハスは2000年前の地層から出土し、大賀博士の努力により2000年の眠りから覚め、鮮やかな花を咲かせた。チリのアタカマ砂漠では数年に一度、大雨が降ったあと一面花畑が出現し、不毛に見える砂漠が生きている事が示される。花の種子は砂漠の中で生き長らえ、水分が供給されたら花を咲かそうと耐えているのであろう。気の遠くなるような生き残り戦略だ。

人もまた冬支度をする。豪雪地帯はそれなりの備えをするのであろう。鹿児島はそれほど雪が降るわけでもないし、個人的には着るものを冬用に衣変えする程度であろうか。この時期、例年なら忘年会の季節である。今年はコロナの関係で全て中止となった。年に一回旧友と会うのや循環器グループの後輩たちの診療や研究の状況を聞くのを楽しみにしてきたが今年は叶いそうにない。この10年位、年末に仲間と宮崎に出向き、1泊2日のゴルフ旅行をしてきたが中止した。コロナの終息が見通せない中で、例年と異なる過ごし方になる。来年末は普通に戻れるかな・・・・・・。

令和2年12月11日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No159) 田舎医者の流儀(134)・・・路線バス

朝、路線バスに乗って農園に向かう。家から12~13分歩くと、バス停に着く、バスに乗って17個目のバス停で降りる、約20分かかる。降りたところにコンビニがある、お昼ご飯を仕入れて、農園に向かう。坂道だが10分ほど歩くと農園に着く。

帰りは逆方法の同じ行程だ。冬になると午後5時半頃のバスに乗る。夏場は6時半でもまだ太陽が出ていて明るいが、今頃の季節になるともう真っ暗になる。5時半ごろのバスだと路線内にある高校生も乗っているのでそれなりに乗客もいる。この1時間後だと、乗客も少なくなり私一人の事もある。赤字になるのだろう、この路線を利用するようになって4年近くなるが、そのころに比べると便数は半分近くになった印象だ。現実的に利用者が減っているので便数が減るのも仕方ないかなと思っている。ただ、この路線には鹿児島交通とJRバスの2社が走っているので便数はそれなりにあり、不便は感じない。

私が乗るバス停の次から80歳を過ぎたと思われる男性が乗ってみえる。この方はいつも敬老パスを右手に高く掲げて乗る意思を示している。運転手さんもわかりやすくて良いのではないかと思う。若い方はバス停でもスマホとにらめっこ、乗る意思があるのかその雰囲気が伝わってこない。バス停にいるのだから、そんな必要はないという見方も出来るが、乗車するならそれなりの意思が表されたほうが運転手さんもやり易いいのではないかと思う。

私の乗る路線バスは朝、甲突川沿いの国道3号線を北に向かっていく。春になると、川沿いに咲く櫻がきれいだ。梅雨が明けるとアユ取りが解禁になるので、釣り人が点々と川の中に並ぶ。大雨が降ると濁流が流れる。27年前の8・6水害の時はこの川は氾濫して大被害となった。その頃は現在の鹿児島医療センターに勤めていたが、私の外来担当の看護婦さんはこのラインを自家用で通勤していた。国道が不通になり大回りをして通勤が大変だと嘆いていたのを思い出す。幸いにして、4年前からこの路線バスを利用しているががけ崩れで国道が不通になったのは1回のみで、それも半日で復旧したので不便に思うことはない。

そもそも、私は自動車運転免許を持っていない、移動は公共交通機関を利用している。農園に行くのにバスを利用していると言うと大変ですねと同情されることが多い。私はもともと免許証がないのでそれを前提とした生活スタイルである。自家用車の「便利」さ」を知らないので、バスや列車の移動に不自由を感じることはない。

令和2年12月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No158) 田舎医者の流儀(133)・・・分断

アメリカの新しい大統領にバイデン氏が選ばれたようだ。選挙はルールに基づいて行われ、民主主義国家では政府や権力者が関与する事は出来ない。公明・正大な選挙は民主主義の根幹である。しかし、トランプ前大統領は郵便よる投票に不正があるとした。そのような事実に基づかない主張がなされること事態、アメリカ民主主義の根幹を揺るがすものであり憂慮される。

トランプさんの4年間、アメリカ社会の分断が広がったように思える。アフリカ系住民に対する差別的な言動、黒人に対する警察の過剰な対応が繰り返された。その中で、今年5月ジョージ・フロイドさん事件が起こった。米中西部ミネソタ州ミネアポリスで白人警察官がフロイドさんの首を膝で約8分間圧迫され続け殺害した。その残酷なシーンが通行人によって撮影されSNSで拡散、一気に抗議運動が高まった。トランプさんはこの事実に向き合うことなく、抗議行動の一部が暴徒化した事のみに焦点を当て、事態の鎮静に陸軍の投入も辞さないとした。

トランプさんは移民に対して厳しい態度を取った。メキシコとの国境に不法移民の流入を阻止するためとして巨大な壁を建設した。現在在米の在留資格のない「不法移民」には強制送還も辞さない構えを取った。国際関係においてもパリ協定からの離脱、WHOの脱退、イラン核合意の破棄など今までの積み重ねを反故にする政策をとり、国際的な緊張をもたらした。

アメリカは移民の国でもある。移民もたらす結果については、多くの経済学者、社会学者は実証的研究で否定的な影響を及ぼしていないと言っている。(絶望を希望に変える経済学 アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ著 村井章子訳 日本経済新聞出版)。アメリカのプリンストン高等研究所は、世界でもっとも優れた学術研究機関の一つとされる。現所長のロベルト・ダイクラーフは言う。「高等研究所はヒトラーの恩恵も受けている。なぜなら、数学者のアインシュタイン、ノイマン、人文科学の分野ではハーツフエルドやパノフスキ—は、 ヒトラーのおかげでアメリカに来たのだから。さらに過去6年間に、この傑出した人々の影響を受けて、数多くの優秀な若者がアメリカにやってきて、すでに国内のあらゆる場所でアメリカの学問強化に尽力している。アメリカは戦中戦後多くの優秀な科学者(移民)を受け入れることにより、科学技術の中心となりえた」
(『役に立たない』科学が役に立つ エイブラハム・フレクスナー ロベルト・ダイクラーフ著 初田哲男監訳 東京大学出版会)

世界が平和であるためには、人々の尊厳やプライドが尊重され、決して一部政治指導者のごとく怒りを煽り、不信感を蔓延させ二極化を深刻化させてはならないと思う。

令和2年11月18日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No157) 田舎医者の流儀(132)・・・冬が来た

10月下旬になり急に寒くなり、慌てて下着を冬用に変えた。ほんの先日まで避けていた陽だまりが恋しくなってきた。この気候の変化がコロナにどう影響するのか注視している。ヨーロッパでは流行がぶり返し、アメリカは依然として収まる気配がない。基本、わが国の感染状況も予断を許さない。その中で、鹿児島は9日連続感染者ゼロで、楽観は出来ないが、なんとなくほっとする。

先週は鹿児島中央駅から指宿行きのたまて箱も満席なり、久しぶりに観光地指宿も賑わいを取り戻しつつある。地元のタクシー運転手が言うには、有名ホテルの利用者が増えているそうだ。ゴーツなんとかという補助金が功を奏しているのであろう。報道によれば、全国的にも旅行者が大幅増していると言う。この人の往来の増加が感染にどう影響していくのか注視されている。

コロナワクチンの開発も急ピッチで進んでいる。アストラゼネカの治験は、参加者に副作用が疑われる症状が現れたため、9月以降、日本を含む各国で一時ストップ。J&Jも今月、参加者1人が原因不明の病気になったとして、治験を中断した。しかし、両社とも「ワクチンがこの症状を引き起こしたという根拠は見つからなかった」として、治験の再開が認められた。ワクチンの開発・治験にはこうした慎重な配慮が必要であり、安全なワクチンを開発するには必要な手順である。そのことは開発されたワクチンの信頼性を高めることになる。政治家が介入して、早くしろと手順を無視してワクチン開発を急がせるなどは論外である。治験の情報を公開して作成されたワクチンでないと個人的には私は打ちたくないし、皆さんにもお勧めしたくない。

コロナがらみで、地元紙南日本新聞は巷間で流布している「鹿児島の某進学校を受験した生徒がコロナ陽性で入学を断念した」「某学園で看護師を目指していた女学生がコロナ陽性で、退学に追い込まれた。その子の父親も自殺に追い込まれた」等の噂を、取材の上デマであると報じている。私もその噂を聞いていたが、事実と違うことが判り安堵した。なにしろ当事者にはその後の人生を左右しかねない事で、今風の無責任フェイクニュースに惑わされてはならないと改めて感じる。

指宿でもある病院でクラスターが発生した、一生懸命地域医療を支えてきた医師、看護師、病院関係者には晴天の霹靂で、大変なご苦労・心痛を受けられたのではと推察する。このような事態はどの病院、施設でも起こりうる、見えないウイルスとの戦いは困難を極める。心無い噂、非難はなんの解決にもならない。当院の医師、看護師が地域医療の中での自分たちの立ち位置を理解し、多くの患者さん(最大14名)を受け入れた。当たり前のようであるが凄いと思う。

令和2年10月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No156) 田舎医者の流儀(131)・・・役に立たない

農園のキンモクセイが9月の最終週に花を付け、その匂いと共に秋の訪れを知らせてくれた。庭には夏の花のハイビスカス、すずらん、オクラの花などがまだ咲き、夏から秋への季節の移りを知らせてくれる。私の行くゴルフ場(蒲生町)の途中、道路際に5m位の大きなキンモクセイの木があり、銀色の花がその表面を覆いつくす、満開時はことのほか美しい。

最近読んだ本で、「役に立たない」科学が役に立つ(エイブラハム・フレクスナー、ロベルト・ダイクラーフ著 初田哲男監訳、野中香方子+西村美佐子訳 東京大学出版会)が面白かったし、勉強になった。現代生活に欠かせないGPSには100年前アインシュタインが示した相対性理論が使われ、実用化されているのだそうだ。宇宙を高速で回転する人工衛星の信号を地上で受信し、正確な位置情報を得るには相対性理論に基づく補正が欠かせないなんて知らなかった。

著者のひとりエイブラハム・フレクスナーは米国プリンストン高等研究所の初代所長で、「講義や管理業務のない・・・最高レベルの研究者が日常の雑事や実務的な仕事から解放されて、思索に没頭できる環境・・・役に立たない知識を誰にも邪魔されないで探求する」研究所を目指した。ヒットラーの台頭でヨーロッパを出ざるを得なくなったアインシュタインを迎い入れ、更に、同様にハンガリーの数学者ジョン・フォン・ノイマンを迎い入れた。彼は「宇宙人かと思うほどの天才で、アインシュタインを凌ぐほど優秀であった」「量子力学の数学的基盤の確立、今日のコンピューターの基本的概念作りに貢献した」という。

アインシュタインは「創造力は知識よりも重要だ。知識には限界があるが、創造力は世界を覆う」「重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ」と言う。素直に疑問と向き合い研究することが大事だが、最近の大学・研究所ではすぐ成果の出る研究しか認められない。特に基礎的な研究は、研究費の獲得が難しい。これは世界的な傾向であるが、日本はその傾向が更に強く、次世代のイノベーションに繋がる研究は続けることが困難だ。優秀な人材が研究に専念出来る環境を作っていくことが、日本の将来を明るくするのではなかろうか。

最近、政府は「日本学術会議」の新会員について、会議が推薦した候補者105人のうち6人を除外して任命した。任命を拒否された学者は何らの形で政府の方針に批判的意見を表明した学者だ。ロベルト・ダイクラーは言う「思慮に欠けた人物が制約のない自由な学問の重要性を疑問視する事がある」「真の敵は、人間の精神を型にはめ、翼を広げさせないようにする人々なのだ」と。

令和2年10月7日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No155) 田舎医者の流儀(130)・・・台風10号

9月6日午後から7日の明け方に九州西海上を北上した台風は久しぶりの大型台風であった。気象庁は発生当時より特別警戒クラスの台風、九州に接近・上陸の恐れありとした。幸いにして、特別警報が本土で初めて発せられる事態は避けられたが、それでも長崎では60メートル近い最大瞬間風速、枕崎市45.9m/s、鹿児島市35.5m/sを観測するなど暴風に見舞われた。鹿児島市内も一部停電があり、それなりの被害があったが人的には大きな被害には至らなかった。

しかし、倒木が結構あり南薩地方では道路状況が悪くなったりしたという。本日受診した農家の方は「ビニールハウスが破損した、お金のことを考えると頭が痛くなる」と話していた。指宿はオクラの生産日本一で、通常なら10月まで出荷出来るそうだが、強風で倒れ収穫は見込めなくなり、収入面での打撃が大きいという。町中の樹の一部は塩害のため葉が黄色、茶色になっている。見えないところで被害が出ているようだ。

台風というと、私は小学低学年の頃襲ってきたルース台風を思い出す。ルース台風は1951年10月9日にグアム島の西海上で発生し、14日19時頃に鹿児島県串木野市付近に上陸。上陸時の勢力は935hPaと、後に統計開始以降で4番目に低い中心気圧で日本に上陸した。この台風の時、私の家に近所の人も避難して来て、多人数で台風が過ぎ去るのを待った。田舎の家は床下が高く、完全には防風されていず、風が通り抜ける。床の一部が竹を並べて作ってあり、風で畳が吹き上げられ、上に持ち上がってきた。必死になって畳の上に乗って、押さえつけた記憶がある。

台風が来るとなると、親父と雨戸が飛ばないように竹で結わえて補強した。台風の怖さを知っていたので、予報を聞きながら準備を怠らないのがつねであった。結婚して一軒家に住むようになり、台風前に吹き飛ばされる可能性のある物を家の中に入れたりすると、大きな台風を経験していない熊本の生まれの家人は大げさだといつも不満顔であった。しかし、1985年(昭和60年)8月31日台風第13号が最盛期の勢力で鹿児島県枕崎市に上陸した。この時、家が酷く揺れて、倒れるのではないかと思うぐらいであった。親子4人どうしようと震えていた。幸いに、家が倒壊するには至らなかったが、窓の一部壊れて風が吹き込み、凄く怖い思いをした。翌日、屋根瓦が半分ぐらい落ちていた。

それ以来、私が出張でいない時などは、家人と娘は二人でさっさと町の中のホテルに避難していた。今度の台風で、避難する人でホテルが満杯になったと聞いて、そんな事を思い出した。

令和2年9月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No154) 田舎医者の流儀(129)・・・猛暑

日本各地で40度近い気温が記録され、静岡県浜松市では8月17日、41.1度とわが国史上最高気温を記録した。アメリカのデスバレーでは16日、日中の気温が54.4℃まで上昇、これは1913年に同じ場所で観測された56.7℃に次いで世界2番目の最高気温となる可能性があるという。世界各地で異常高温が報告されている。鹿児島市でも連日35度越えの猛暑が続いている。

農園の小屋はもともと駐車場として作られたものを改装し使っている、屋根はプレート引きなので直射光が強いと冷房も効きにくくなり、先日は室内で33.5度まで上がった。こうなるとじーとしていても汗がにじみ出てくる。このままでは熱中症になりそうなので、その後、屋根や前庭に水をまいたり、室内にペットボトルを凍らしたものを置いたりしている。28℃以上になることは何とか阻止している。これ位だと汗をかくこともなく暮らせる。

連日のニュースはコロナと猛暑が中心だ。猛暑で熱中症が増え、救急搬送の増加を伝えている。熱中症予防のため、適切な冷房の使用などが連日強調されている。そんな中で、私の診ている外来患者さんは熱中症症状を訴える人は殆どいない。診察の初めに「毎日暑いですけど、体調はどうですか」と聞くけど、「暑いですねー、けど気を付けているので、私は大丈夫」と。70代後半のあるご婦人は毎日オクラの収穫に出て、午前中は働いているという。私が心配そうな顔で見ると「暑いけど、上手に働いているの」とケロッとしている。生活者は逞しい。

ところで、熱中症の診断は意外と難しい。熱中症の診断基準は「暑熱環境に居る、あるいは居た後の症状として、めまい、失神(立ちくらみ)、生あくび、大量の発汗、強い口渇感、筋肉痛、筋肉の硬直(こむら返り)、頭痛、嘔吐、倦怠感、虚脱感、意識障害、痙攣、せん妄、小脳失調、高体温等の諸症状を呈するもので、感染症や悪性症候群による中枢性高体温、甲状腺ク リーゼ等、他の原因疾患を除外したものとする」とある。(熱中症診療ガイドライン 2015)

例えば、心筋梗塞は症状を裏付ける心電図、血液検査、心エコーなどで客観的証拠が得られれば診断が確定する。多くの疾患はそれを裏付ける客観的所見・証拠があって診断に至る。熱中症の中でも労作性熱中症の場合は暑熱環境の下での労作で上記のような症状があれば診断はし易い。しかし、高齢者の熱中症は症状以外に客観的証拠が得られないことが多い。重症になれば、電解質・生化学検査異常が見られることがあるが、それは稀である。暑熱環境が推察され、倦怠感など不定の症状があれば、熱中症と診断せざるを得ない。客観的指標のない難しさがある。

令和2年9月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No153) 田舎医者の流儀(128)・・・さくらランも熱中症

梅雨が明けたら、一挙に猛暑になった。小屋の前に置いていたさくらランの葉っぱが急に黄色く変色した。水・肥料不足?と思うも、なんとも納得出来ずにネットで調べてみた。すると、なんと高温や強い陽射しに長い時間曝されていると、葉や幹の温度も高くなり、その部分の組織が死んでしまい、「葉やけ」「幹やけ」を起こすのだそうだ。ちょうど人が長時間日光に当たって日焼けを起こし、日射病や熱射病を起こすのに似ているそうだ。植物も「熱射病」を起こす事を初めて知った。

2016年鹿児島に大雪が降った。その時、自宅に植えていたさくらランの葉っぱに雪が積もり、「霜焼け」を起こしたのか葉が変色し、枯れてしまった。それまで順調に育ち、花も付けるようになっていたのに、一回の雪でダメになり、寒さに弱いことは認識していた。小山田の農園ではさくらランは鉢植えにし、冬場は小屋の中に入れて、霜・雪がかからないようにしていた。それなりに順調に育っていて、密かに今年は花を付けないかなと期待をしていた。さくらランが極端な高温、低温いずれにも弱いことが初めて判った。

鹿児島市天文館、デパート丸屋ガーデンの壁面は緑のカーテンに覆われている。家庭でも暑さ対策として、緑のカーテンは広く推奨され、ゴーヤ、アサガオ、へちま等がよく利用され、花や実も合せて楽しまれている。ある調査によれば、晴れた日の日なたでは、緑のカーテンによって、 10℃位の温度低減効果がある」そうだ。そんなわけで、イメージとして植物の葉っぱは直射光に強く、葉焼けを起こして枯れることがあるとは考えも及ばなかった。

「昼間、太陽の光が強いとき、植物は光合成に使う光を吸収するために葉っぱを広げている。葉っぱは強い日差しをまともに受け、かなりの熱を吸収して直接温められ、葉っぱの温度はかなり高くなるはずだ。しかし、熱くなってしまっては、葉は生きていけない。葉っぱの中ではブドウ糖やデンプンを作る光合成を進めるために、多くの酵素が働いている。酵素はタンパク質であり、温度が高くなりすぎると性質が変わって働かなくなる。葉っぱには気孔と呼ばれるたくさんの小さな孔があり、そこから水蒸気を出して温度の上昇を抑えている」のだそうだ(植物はすごい 七不思議編 知ってびっくり、緑の秘密 田中修著 中公新書)。当然植物により、暑さに対する対応の力には差があり、さくらランは直射光に弱いようだ。

人様も植物もこの猛暑に耐えられず熱中症を起こしたり、くたばり気味だというのに、コロナさんだけはめげずに拡大を続けている、なんということだ。

令和2年8月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No152) 田舎医者の流儀(127)・・・向き合う力

梅雨が明けたら、一挙に猛暑になった。長雨と日照時間の不足で野菜の発育が悪い、ようやくスイカ、ナス、ニガウリ、オクラが取れるようになった。虫の発生も多く、ブドウ、バラの葉っぱに黄金虫がつき駆除に追われている。急に猛暑になったので、老いの身には堪える。それにしても新型コロナの勢いが衰えない、新型コロナさんはこの暑さをものともしないようだ、困ったものだ。

小堀鴎一郎さん(医師)が書いた「『死を生きた人々』・・・訪問診療医と355名の患者 みすず書房」 という本を読んだ。小堀さんは「久米宏 ラジオなんですけど」TBSラジオ2019年11月30日(土)に出演、久米宏のインタビューに答えている。小堀さんは1938年、東京都生まれ。81歳。祖父は明治の文豪で陸軍医の森鷗外。東京大学医学部を出て東大病院の外科医となり、消化器外科特に食道がんを専門にし、その手術治療に携わった。定年前の3年間は国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)の院長を務めた。

65歳で定年退職、名誉職的なポジションに就くことを潔しとせず、友人のやっている埼玉県新座市にある堀ノ内病院に赴任。ここでも外科医として手術をやっていたが、退職する同僚の医師に、寝たきりの患者2名の訪問診療を引き継いでほしいと頼まれ、2005年から訪問診療を始めた。小堀さんはこのとき初めて、医者が患者宅を訪ねることで成り立つ「在宅医療」というものがあることを知った。引き受けたものの、初めはあまり気が進まなかったが、徐々に考え方が変わった。「3年やって患者が非常に増えた。平均30名ぐらいだったのに一挙に倍ぐらいに。危機感を持って、そのときから本腰を入れて、外来もやめちゃって、訪問診療一本になった」。

「そこでいろんなことを考えて、いろんな人と会って、これはすごい世界だなと」。「全く違うものでしたか、いままでの医療の考え方と」(久米さん)「そうですねえ。それまでの医療というのは『救命・根治・延命』の世界です。とにかく患者を助ける。病気を治す。できるだけ命を生かす。それが最高だと考えられる世界に住んでいたものが、そうでもないなと」「97歳でどこも悪くなくて、ただ、ご飯を食べられなくなって、動けなくなって…という患者がいる。大事なことは、その人たちにも語るべき豊かな人生がある。それに基づいて、最期はこういうふうにして過ごしたいとか、こういうふうにして死にたいという望みがある。これはいままでの世界とは違うなということを、だんだん学んでいった」
(患者が望む死に方を叶える 訪問診療医・小堀鷗一郎さん 久米宏 ラジオなんですけど より引用)

超一流の消化器外科医であった小堀先生が定年後、畑違いの訪問診療に立ち向う姿に感銘する。

令和2年8月12日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No151) 田舎医者の流儀(126)・・・熊本豪雨

7月24日激しい雨が降り続いている。小山田の農園にいたが、帰りのバス運行が心配になり、雨雲の予想を見ながら早めに引き上げることにした。線状降水帯が熊本付近に停滞し、半端ない大雨になっている。それが南下してきたら、鹿児島も今後豪雨の予想だ。甲突川の水嵩も上がってきている。25年前の8・6災害のようなことにならないように願いたい。

新型コロナで苦しんでいる中で、7月7日、熊本は豪雨に見舞われ、球磨川の氾濫もあり80名以上の死者・行方不明が出ている。時々訪れる人吉も川の氾濫で大きな被害が出ている。人吉に行ったとき宿泊するビジネスホテルは川沿いにあり、浸水したようだ。その近くにある総合病院が泥水に襲われた映像が流れた、救急病院でもあるので診療ができないと住民の不安は大きかろう。その時よく行く、料理屋さんも川沿いにあるので被害を受けたのではなかろうかと心配する。

最近、わが国では毎年のごとく豪雨被害にみまわれている。昨年2019年10月、台風21号から湿った空気が流れ込んだ為、千葉、福島県では200ミリを超える大雨となり、死者98名、行方不明者3名。2018年6月末~7月初め、広島県、岡山県、愛媛県を中心に大雨、死者224人、行方不明者8人。2017年6月末~7月初め梅雨前線や台風の影響で西日本から東日本を中心に局地的に猛烈な雨が降り、福岡県、大分県を中心に大規模な土砂災害が発生。死者40人、行方不明2人。最近はかつて経験したことのない大雨が日常になっている。地球温暖化による海水温上昇が関与していると考えられている。

現状では、豪雨が避けられないとしたら、少なくとも人的被害が最小になるようにしたい。残念ながら死亡者多数を出した特別養護老人ホームはリスクの高い土地に建てられていたようだ。自力避難困難な入居者の多い施設は建築許可の段階から配慮が求められる。過去の氾濫と向き合ってきた住民、自治体がいかなる治水対策を立てていくのか、堤防が破堤すると一挙に水が押し寄せるので、人的被害も大きくなる。越流はさせても、破堤はさせない、そのような堤防づくりの技術も進化しているという。
(洪水と水害をとらえなおす 大熊 孝 著 農文協)

ところで、雨さんももっと穏やかに降りたいと思っているかもしれない。人様が自分たちの都合だけで環境悪化、温暖化を進めているために水蒸気の供給が多くなり、激しい雨にならざるを得ない。もっと穏やかに降りたいのだから温暖化の問題を真剣に考え、行動してよと警告しているのかもしれない。コロナも豪雨も私たちに問いかけているのであろう。

令和2年7月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No150) 田舎医者の流儀(125)・・・クラスター

心配されていた新型コロナのクラスターが鹿児島でも発生した。6月末までの感染者は11名で鹿児島では大きな流行には至らないかなと「甘い」期待を持っていた。しかし、7月1日に天文館のショーパブ店関係者の感染が確認され、翌日には一気に8名に拡大した。その後、この店を訪れた人の感染が次々に明らかになり、7月14日現在で155名に達し、まだまだ増えそうな状況だ。

私も緊急事態宣言もあり、5月までは外食等も控えていたが、6月になり小規模・2~3名の飯食いはするようになった。少しずつ人出も増えて、今までの日常が復活しそうに思っていた。そこに7月に入ってまさかのクラスター発生、山形屋も臨時休業日があり、一挙にまた社会活動の縮小に向かった。今のところは比較的若年層の感染が多いが、ここから高齢者などリスクの高い層に拡大していくと対応は難しくなると思われる。

感染者をどう隔離していくか、県のHPによると253床のベッドを確保しているという事であるが、現実には入院できない患者が多いようだ。感染症ベッドは県内で45床ぐらいしかない。それ以外の病院で受け入れてもらえるかというと、現場の状況を知る者にはそう簡単にいかないとように思う。結核病棟の一部35床を確保し、ここに収容するような話も出ているがそんなことは出来るはずがない。現に結核病棟を持つ病院の院長は受け入れがたいと言っている。無症状者はホテルを借り切って、そこに収容する方針のようだ。ホテルは個室化されているのでそれなりに条件を満たしている。それを誰が世話するかが問題だ、今回の経験を踏まえあるべき方向を探るべきだ。

有症状の感染者、高齢者、リスクのある患者は出来れば病院で見たほうが良い。まず感染症ベッドに入ってもらうとそれなりの対応が出来るが、一般病棟の一部を使うとなると対応は難しくなる。レッドゾーン、イエローゾーンを設けたり、人と物が必要になる。訓練された感染症担当の医師、看護師がいないと現実には対応が難しい。そこいらの支援策をしっかり描いていかないと、ベッドを確保しましたと言っても、現実には受け入れてもらえないだろう。

一般病院で感染性の強い疾患を診療する事は困難であり、通常診療が著しく制限され、ストップする。死亡率の高い脳卒中、心筋梗塞の診療機能が低下しては困る。今後とも、今回のコロナ様の新規感染症の発生は避けられない。今回の経験から、特定の病院に重症感染症対応病棟を整備しておくべきではなかろうかと思う。通常はそこに患者さんは入れられない、維持するにはお金がかかる。その負担が必要である事を県民に判ってもらう必要がある。

令和2年7月15日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No149) 田舎医者の流儀(124)・・・コロナ後の世界

新型コロナウイルスは我々に未曾有の経験を強いた。イタリアの作家・パオロ・ジョルダーノは 『「今度の新型ウィルスの流行は、何もかもお前らのせいではない。どうしても犯人の名を挙げろと言うのならば、すべて僕たちのせいだ」「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを」「僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを」「僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかった事を」』という。
(コロナ時代の僕ら パオロ・ジョルダーノ 飯田亮介訳 早川書店)

新型コロナの流行でまずマスク不足が起こった。日本人にとっては生活必需品であるマスクの生産が外国に頼っていることを知らしめられた。当然、生産している国は自国優先で、輸入がままならず店頭からマスクが消えた。医療用のガウンなども不足し、医療者は十分な防護が出来ないまま、感染の危険にさらされながらの診療を余儀なくされた。基本的な機材が安易に、効率ばかりで外国に依存しては国民を守れないことが判った。今後も、このような感染症のパンデミック、それ以外の災害は避けられない、それに備えた国造りが求められているのであろう。今回、食料不足は起こらなかったが、その事態に至ったら今の我が国の食料自給率で大丈夫なのだろうか。

新型コロナの流行による、経済活動の低下は4割を占める非正規雇用労働者を直撃した。テレビを見ていたら40台の夫婦が雇い止めにあい、住んでいた寮を追い出され、ホテルに泊まっていたがお金が無くなりもちろん仕事もないので無収入となり途方に暮れていると報道された。役所の準備したアパートに入ったが、そこも期間限定で、今後の暮らしのめどが立たないという。「生活保護」の申請ということになるのだろうか。不安定な雇用は一挙に生活破綻に結びついていく、こうした事態の進展は社会不安に結びついていく。危うい国になったものだ。

経済競争に「勝つ」ために、規制を取っ払って非正規労働者を増やし続けてきた。その政策を推進した「学者」「経済人」今頃は大金持ちになっている。経済優先の中で一般庶民は人としての「尊厳」を保つ事も難しい、この際、安い労働力として使われる事を拒否し、新たな道を模索したらどうだろう。そのためには東京を離れて「田舎」に来てください。田舎には空き家もいっぱいあります、住むには困りません。仕事も視野を広げるとあります、指宿の人は80過ぎても働いていますよ。

令和2年6月17日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No148) 田舎医者の流儀(123)・・・見えない実相

6月に入り鮎釣りが解禁となり、国道3号線沿い甲突川にも釣り人が見られるようになった。私の農園の野ばらは満開となり、梅が熟して落ちてくる。完熟したものはそのまま頬張ってもおいしい。小さな池は修理してもらい濾水がなくなった、メダカを買い10数匹入れているが元気よく動き回っている。先日は真っ白のメダカを買い、別の水槽で飼っている。友人が蓮を持ってきてくれたので、先月池に入れておいたら花が咲いた。朝開いて夕方は閉じて、また翌朝は咲く。朝、咲いた花を眺めるのは楽しみだ。

新型コロナの終息は見通せない状況が続いている。このウイルスはまだまだわからないことが多い。新型コロナによる死亡者は重症肺炎が中心であることは理解の範囲であるが、凝固系に異常が起つたり、脳卒中なども起こるという。更に過剰な免疫反応によるサイトカインの嵐も起こるようだ。しかし、その実相はよく見えていない、今後の医学的な検討に期待をしたい。

エイズにはかかりにくい人がいる事が知られているという。「不思議なことに、同じ汚染血液製剤で治療を受けながら感染しなかった人がいた。またリスクの高いセックスをしていたゲイやセックスワ—力—の間でも、エイズかからない人の存在が早くから知られていた」「HIVは人体の免疫の中枢を担っている「T細胞」を狙い撃ちにする。その結果、免疫力が低下して「日和見感染」を起こす。T細胞はCD4 という触覚のようなたんぱく質で守られている。防備はこれだけでは十分ではなく、CCR 5というたんぱく質がCD 4を助けている。 ところが、HIVは「力ギ」を持っていて、CCR5の「カギ穴」と合うとドアを開けて侵入してくる。エイズ耐性の人はCCR 5をつくる遺伝子を欠いていたため、HIVが侵入しようにもカギ穴がなかったのだ」という。(感染症の世界史 石弘之 角川ソフィア文庫) 新型コロナも細胞内に入るにはそれなりの機序があると思われるので、研究が進めばそれなりの事が判ってくると思われる。

一部にワクチンや治療薬の開発がすぐにでも出来そうな論調が見られるが、我々の医学的な常識からすると事はそう簡単ではないだろう。実際に我々がワクチンを打つには2年ぐらいはかかると思っている。それまでは3密を避けて暮らすより他に方法はない。 過密な都市を作り、効率・効率で暮らしてきたあり方を変えなくてはならない。東京一極集中を変えようと思えば、出来るはずだ。東京に本社の持つ企業の税金は2割増しにして、50万以下の都市に本社機能を移した企業の税金は8割にしたらどうだろう。テレワークの実態はそれが可能であることを示した。人とお金が地方に移転したら、全体としたら住みやすい日本になるはずだ。

令和2年6月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No147) 田舎医者の流儀(122)・・・それでも春が来て

新型コロナ感染症による我が国の非常事態宣言は5月中には解除の方向性が出てきた。解除後に第二波の再流行は否定できない。ただ3密を避ける、マスク着用、手洗い等それなりに我々は経験を積んできた。日常生活が戻っても、今までどおりのウイルス対策は進めなくてはなるまい。

現時点では、プロ野球、大相撲、サッカー、プロゴルフなど多くの観客を集める試合は開催の見込みが立たない。夏の甲子園、高校総体などのアマチュア競技も難しくなってきた。これを目指し努力してきた高校生などは唯一のチャンスを失うことになる。経済面の不況は来年の就職に不利な条件が出て来た。学校も休んでいるので、来年受験を控えた学生には不確定要素が多くなり、これも一大事だ。社会生活の各方面に大きな影響が出てきている、特に社会的弱者にはその歪みが大きくなる。何とか「支え」あってこの難局を乗り越えて行きたいものだ。

それでも春が来て、季節は移ろいで行く。今年はミツバチさんが農園の巣箱に帰ってきてくれた。一昨年は蜂蜜がいっぱい取れたが、昨年は置かれた巣箱にミツバチが一匹も入ってこず、蜂蜜も取れなかった。箱の設置者であるSさんが昨年体調不良で、十分な仕掛け・管理ができなかった。今年はハチが入るような仕掛けを丁寧にしてきた結果帰ってきてくれたと思われる。秋の蜂蜜の出来栄えが楽しみだ。

4月、農園ではブロッコリーが取れた。5本の苗木に夫婦2人で食べるには十分な量が取れた。農薬も撒かないし、新鮮でみずみずしい、柔らかいものが取れる。苗の成長し始めのころは葉虫がついて、葉を食い散らす。朝行って、丹念に虫を取った。ある程度、葉が茂ってきたら、今度は鳥が来て、葉を食い散らすようになった。周りに枯れた竹を立てて、鳥さんに食い散らされるのを防いだ。手間暇のかかったブロッコリーの収穫を楽しんだ。

春になり、すみれが咲く時期になった。今年も自生した「つくしすみれ」が農園の片隅に可憐な花を咲かした。すみれにやたら詳しいか家人によると、鹿児島県で自生した「つくしすみれ」は3か所しかないそうだ。愛好家は福岡あたりからも見に来るらしい。このすみれは、昨年生えていた場所からはるかに離れたところに生えてくるから不思議だ。どうしてそういうことになるのか観察中だ。

5月になり、孟宗竹のタケノコが農園に頭をもたげてくる。今年は10本以上のタケノコ堀をした。家人もタケノコ料理を勉強したらしく、それなりにおいしく頂いている。

令和2年5月20日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No146) 田舎医者の流儀(121)・・・コロナ禍の中でのGW

ゴールデンウイーク(GW)が終わった。コロナ旋風でかつて経験したことのないGWとなり、外出制限で人の移動は極端に減った。山形屋、丸屋、アミューは休業、レストラン、料理屋さんも殆ど休業、家人は毎日毎日、こんなに食事を作ったことはないと嘆いていた(?)。列車も新幹線も間引き運転、指宿・枕崎線の「たまて箱」も3月末より運休中、トッピーの指宿寄港便も運休している。観光客も殆ど来ないので、駅前のタクシーは暇そうだ。運転手さんは「昨日、2回しか走れなかった。売り上げが激減して、給料はがた減りだ」と嘆く。

病院は休めない。「三密」を避けて、待合の患者さんたちには間隔を空けて座って頂いている。お互いに近づかないようにしたいが、そうはいかない場合も多い。外来診療中、2mも離れることは出来ない。聴診、血圧測定など近づかないと出来ない。出来るだけ不要・不急(?)な検査は避けて、待ち時間・病院にいる時間を短くしようと努力している。そんなつもりでも先日は患者さんに「今日は1.5時間も待ったよ」と言われ、「ごめん、ごめん」と謝るばかりだ。

新型コロナウイルスそのものがなくなることはない、我々は共存していかなければならない。現に麻疹(はしか)のウイルスとは共存している。全世界での麻疹による死亡者数は1963年以前には、2~3年に一度は大流行が発生し、毎年推定で260万人死亡していた。世界保健機関(WHO)と米疾病対策センターによると、全世界の2018年度感染980万件、死者14万2000人という。わが国では国立感染症研究所 感染症情報センター(平成14年10月)の報告では推計で患者数10~20万人と考えられ、20人近くの死亡例がある。4月9日現在で、全世界の新型コロナウイルス感染者は400万人を超え、死者も28万人になった。

それでも新型コロナウイルスの感染者は現時点では麻疹の半分、麻疹が流行したといっても非常事態宣言が出ることはない。有効な治療法がないことは麻疹も同様であるが、死亡者は少なくなったとは言え、脳炎などの重篤な合併症を起こす重篤疾患であることは変わりがない。ただ、麻疹にはワクチンという有力な予防法があり、2回のワクチン接種で95~99%の予防ができる。ワクチンの接種で少なくともパンデミックな流行を抑える事が出来る。医療崩壊と呼ばれる状況も起きにくい。新型コロナウイルスはワクチンが出来ていないので事態が深刻になっているのだ。

ワクチンの開発が待たれる。しかし、実用化には2~3年はかかると考えられる。それまで耐え忍ぶより方法はない。それでも、進化したワクチン製造法で、一刻も早い完成が期待される。

令和2年5月13日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No145) 田舎医者の流儀(120)・・・新人医師・ここでのスタート

春が来て4月、いつもなら新学期を迎え、新たな出発が始まり多くの人々が希望に胸を膨らませる時期である。新し年度の始まりは入学式、入社式などで始まり、人生の中での節目、思い出の場でもある。そしてそこから、人生が彩られていく。今年は新型コロナウイルス感染症が世界中に拡がり、そうした式はいずれも中止になった。この節目にあった人々は残念ながら、稀有の経験を強いられた。新型コロナウイルス感染症は現時点でも、ピークに達したとは考えづらく、終わりが見えない中での新年度である。

その中で、本県の医療界にも106名の新人医師が加わってきた。医学部を卒業、医師国家試験 に合格し、新たな出発である。2年間の初期臨床研修を経て、正式に保険診療の出来る資格を得られる。本県で研修をスタートすると、引き続き本県で医師として働く可能性が高くなる。医師確保という側面からは、初期臨床研修医の確保は重要である。新しい初期臨床研修制度が始まった平成16年105名いた本県の初期臨床研修医はその後激減し、平成21年に54名まで落ち込んだ。「何とかしなくては」と協議会が設置され、オール鹿児島での取り組みが始まった。8年かかったが平成29年には109名と3桁に戻った。

私は平成21年5月、県の「特別顧問」に任じられ、研修医確保の仕事に関わった。平成29年3月、研修医確保が3桁を超えたので、かねてよりその数字に達したら一区切り付けようと思っていたので辞任した。後任が任命されると思っていたが、どういうわけかかなわなかった。その後の研修医確保にマイナスにならないか気になっていたが、その後、本年まで4年連続の3桁の確保が出来た。杞憂に過ぎなかった。

研修医確保の活動は前例も無いし、「向き合う力」の強さが求められた。幸いにして、事務局を担当したのが県庁・保健福祉部の面々、極めて有能であった。各研修病院には担当者が決まり、ある病院には研修医担当の専属秘書も出来た。研修病院の院長さん達は年二回、協議会を開いて、活動方針・予算・決算が討議・決定されていった。活動を続ける中で、組織的な活動が強化されていった。システムの整備・強化が本県の研修医確保の鍵になっているように思う。

コロナの蔓延の中で、各国とも医療体制の在りようが問われている。医療崩壊が声高に叫ばれている。そうなってからは遅い、かねてからの備えが必要である。地味ではあるが、本県の研修医確保の成果は「県民の命・健康」を守る上で、最大の危機管理であるとも言える。

令和2年4月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No144) 田舎医者の流儀(119)・・・免疫力

新型コロナウイルス感染症が世界中に拡がり、WHOもパンデミックと宣言した。簡単に収束する見通しはなく、専門家からも厳しい、長期化の見解が多くなってきた。感染拡大を防ぐため、学校の休校、集会の禁止、プロ野球、サッカー、ゴルフなど試合が中止に追い込まれた。身近なところでも、いつも人通りの多いJR鹿児島中央駅、天文館などがひっそりしている。この時期送別会などが多い時期だが殆ど中止になった。タクシーの運転手さんもお客がいないと嘆いている。7月からの東京オリンピック延期も発表された。

過去に起こったパンデミックでは1918年(第一次世界大戦中)のスペインインフルエンザがよく知られていて、5000~1億人の死亡者があったといわれている。1957年の“アジアインフルエンザ(200万人が死亡)、1968年の“香港インフルエンザ(およそ100万人が死亡)もパンデミックと言われている。今回の新型コロナウイルス感染症はそれ以来のパンデミックとなる。

我々の体は細菌やウイルスが侵入すると、異物を排除する機構が働き、発病しないようにするシステムが備わっている。しかし、新規の感染症の場合、免疫機構が出来ていないために重症化し、死亡率も高くなる。例えば、はしか(麻疹)が1875年、フィジーで大流行し、当時の人ロ約15万人のうち、約4分の1にあたる約4万人が亡くなったという。はしかは一度かかると免疫ができて、2度罹ることはない。現在はワクチンを打って免疫を作るので発病が抑えられている。日本ではワクチンの接種が義務付けられているので、重症化することは稀になっている。それでも、世界的には2017年だけで11万人が死亡したという。

今回のコロナ感染症は新規の感染症であるので、人々に免疫が形成されていないために大流行に至っている。さらに、ウイルスに直接効果のある薬剤はないので、合併症が起こった時対症療法をしながら、形成される免疫機構が働くのを待つしかない。新規感染症の場合、ワクチンも出来ていないので予防も出来ない。最近のワクチン作成能は進歩しているので(例えばDNAワクチンなど)そのうち出来ると思えるが、それでも実用化は1~2年はかかる。

新規の感染症の場合、病原菌の毒性も強く死亡率も高いが、時間を経るとその毒性も低下してくる。感染した個体が死亡すると、病原菌も生きられないので、自分たちが生き残るためには、感染個体を殺してはならない。今回のコロナもそういう方向に向かうと考えられるが、それまでに感染しないようにし、免疫力を高めてこれに打ち勝つしかない。(参:免疫力を強くする 宮坂昌之 講談社)

令和2年3月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No143) 田舎医者の流儀(118)・・・10億分の1との闘い

人の大きさの10億分の1しかないウイルスが人々を苦しめている。中国を発生源とする新型コロナウイルス感染症は世界中で猛威をふるい、終息のめどが立たない。そもそも、かぜ症候群を起こすウイルスとして、ライノウイルス(全体の30~40%)、コロナウイルス(10~15%)、インフルエンザウイルス(5~15%)等が知られている。今回流行している「新型」コロナウイルスは遺伝子変異で発生したと考えられている。この新型ウイルスには、当然、人は初めて接するので抗体も出来ていない、広範な感染・重症化・死亡のリスクが高まっている。

世界保健機関(WHO)は3月2日現在、67カ国・地域で感染が確認され、世界全体の感染者数は8万8000人を超え、3000人以上が死亡と発表。日本では日本で感染した人や、中国からの旅行者などが260人、クルーズ船の乗客乗員が706人、チャーター機で帰国した人が14人、計980人、このうち死亡したのは、国内で感染した人が6人、クルーズ船乗船者6人、合わせて12人となった(3月3日現在)。感染の拡大を防ぐため3月から学校も休校、人の集まる行事は中止の方向になり、社会生活は著しく制限され、各方面に重大な影響を及ぼしている。

そもそも、人類は自然災害、飢餓、戦争などにその生存を脅かされてきたが、すべての災害の中で感染症はもっとも人類を殺してきたという(感染症の世界史)。14世紀、中国大陸で発生したペストは世界規模で大流行し、およそ8000万人から1億人ほどが死亡したと推計されている。スペインかぜは、1918年から1919年にかけ全世界的に大流行したインフルエンザの通称である。感染者5億人、死者5,000万~1億人と爆発的に流行した。スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である。

その他、肺炎、結核など多くの感染症に人類は苦しめられてきたが、ペニシリン、ストレプトマイシンなどの抗生剤が発見され、保険制度の整備により一般にも使われるようになった。その治療効果は劇的で多くの命を救った。ワクチン療法の進歩もあり、1980年WHOが天然痘の根絶を宣言し、我々は感染症との戦いに勝利したかの「幻想」を持った。

そんな一面的な見方を変えさせたのが1980年台のエイズの大流行であった。その後も重症急性呼吸器症候群(SARS)、エボラ出血熱など致死率の高い感染症が発生し、感染症との戦いは終わりのない戦いであることを思い知らされた。密林の奥深くに密やかに生きていたウイルスが開発により人が接するようになり、経験したことのない「病」を引き起こしている。
(感染症の世界史 石弘之著 角ソフィア文庫)

令和2年3月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No142) 田舎医者の流儀(117)・・・騙されない劇場

NHKの朝4:30からのニュース番組の後半に、「騙されない劇場 ストップ詐欺被害!私は騙されない」というコーナーがある。キャシュカードの変更が必要になったなどと言って銀行員に成りすまし、カードを預かり暗証番号を聞き出し、現金を引き出す被害が後を絶たない。そんな手口の実例を挙げて紹介し、注意を喚起している。それでも年間300億位の被害が出ているのだそうだ。

投資を呼びかけ金を集めて破産、お金が返ってこない事件もたびたび報道される。最近も1000億規模の負債を抱えて倒産した事例があった。投資をしてもらうと10~20%の還付が得られるなどとうたい、当然破綻をして原本も帰ってこない悪質な詐欺商法である。そもそも今頃、10~20%の利子を得られるおいしい話なんてないはずだ。それでも、酷い低金利で将来に不安を持つ人々がうまく乗せられて、身ぐるみを剥がれる、悲しい事だ。詐欺師たちは月収ウン百万も得て騙すことを辞められない。こうした人種にもっと厳しい制裁は出来ないのだろうか。

医療界にも詐欺まがいの治療が横行している。特に進行した癌は治療が難しいので、「わら」をもすがる気持ちの患者・その家族につけ込み、効きもしない治療に大金を貢がせる。がん細胞を自身の免疫でやっつけようという考えは昔からあり、古くはBCG療法、丸山ワクチンなどがある。しかし効果の客観的証拠はなかなか得られず、公的保険にも採用されなかった。患者さんの血液を取り、免疫細胞を試験管内で培養、増やして体内に戻す「免疫細胞療法」なども原理的には良さそうで期待をされたが、効果は実証されなかった。このほか「ペプチドワクチン」「サイトカイン療法」などが研究されたがどれも「効く」という証明は得られなかった。

この中で京都大学の本庶佑教授らは全く新しい発想で、がん細胞が免疫細胞にブレーキをかけて免疫機構が働きにくくしている仕組みを解明し、そこから免疫チェックポイント阻害剤「オプジーボ」を開発した。同様の研究はアメリカテキサス大学ジェームズ・アリソン教授も行い、お二人ともノーベル賞を受賞された。効果が証明されたので2014年オプジーボは保険医療として採用され、正式に使われようになった。肺がん、皮膚がん(メラノーマ)、腎がんなどの20~30%が治るようになった。しかし、副作用の問題、治療成績の向上など課題は多く、研究は進行中、世界中で1000件を超える治験が進行中だそうだ。

それでも、末期がんの治療は難しい。一部の医師・クリニックが効果の証明されていない治療法で法外の料金を取り、患者・家族を騙している。何とも悲しいね。
(文藝春秋2020・3月号 がん免疫療法の正しい理解のために 本庶佑)

令和2年2月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No141) 田舎医者の流儀(116)・・・分岐点

先週、ある方のお通夜に出た。40数年前から診ていた方で86歳、老衰状態で亡くなったという。もっとも、私はこの10数年、鹿児島市内で診察をしていなかったので、診察をする機会はなかった。私が循環器医者として、鹿児島で初めて狭心症の患者さんとして接した一人であった。この頃は、循環器疾患は弁膜症、先天性心臓病が多く、冠動脈疾患(狭心症、心筋梗塞)は少なかった。

昭和52年、狭心症症状があり、40歳代で明らかな狭心症であった。当時、我々には冠動脈造影の技術がなかったので、小倉記念病院延吉先生に診察を依頼した。検査の結果、冠動脈の厳しい狭窄が見つかり、今だったら冠動脈形成術を行うところであるが、当時は未だそれが出来ず、東京医科歯科大学胸部外科の鈴木教授に冠動脈バイパス手術を受けた。鈴木教授はアメリカから帰国され、この手術の本邦での開拓者であった。

見事な手術で、患者さんは一命を取り留め20数年間症状もなく、会社経営者として活躍された。バイパス手術から22年後急性心筋梗塞を起こされ、治療を受け、成功して現職に復帰された。バイパス部は問題なく、別の枝が動脈硬化を起こしての心筋梗塞であった。この頃は冠動脈形成術が進歩し、我々のチームもそれが出来るようになっていた。その後も、数回冠動脈形成術や再度のバイパス手術を受けながら、仕事を続けられた。

昭和47年、私は当時心臓病診療のメッカであった久留米大学第三内科で研修を受けていた。当時受け持った患者さんに狭心症発作の頻発する方がいた。私は主治医として冠動脈バイパス手術の適応ではないかと思い、回診時恐る恐るそのような意見を述べた。当時有名な循環器医であった助教授はその時は了解されなかったが、次の回診の時はその方向性を了解された。しかし、その当時は最先端であった久留米大学でも選択的冠動脈造影は行われていず、大動脈起始部に大量の造影剤を注入し、かろうじて冠動脈を造影された。冠動脈3本とも狭窄があり、バイパス手術の適応という事になった。久留米大学病院で初めてのバイパス手術であった。残念ながら、手術は不成功で患者さんは亡くなられた。

結果が悪かったので手術をお勧めしたことが良かったのか、心に重くのしかかっていた。数か月後、唐津の方だったのでお線香をあげに行った。奥さんが「本当に手術という選択が良かったのか」とポツンと言われた。それから僅か5年後、鹿児島の患者さんは我が国の冠動脈疾患の治療の歴史とその発展の恩恵を受けられ、生を全うされた。歴史の非情を感じる。

令和2年1月29日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No140) 田舎医者の流儀(115)・・・令和2年・新年

明けましておめでとうございます。今年の鹿児島は天気も良く穏やかな新年であった。今年が災害の少ない、穏やかな年であることを願いたい。年末・年始は田舎の温泉地で家人と過ごした。多くの家族連れが来ていたが子供連れは案外少なく、それなりの高齢夫婦が多かった。温泉中心の宿などでそうなるのかなと思った。

2日には帰ってきたので、さっそく小山田の農園に行った。落ち葉がいっぱいあったので、正月早々庭掃除に精出した、きれいになると気持ちが良いね。小山田に農園と小屋を作って3年が過ぎ、4年目になった。家人をはじめ、周りの人たちからはどうせ長続きしまいと思われていたようだ。一人で頑張るとそうであったかもしれない。農園の方は友人の徳さんが来て季節ごとに野菜を植えてくれる。今は大根、ネギなど植えてあり、里芋が収穫の時期になった。煮ると柔らかい口当たりの良い芋を食べられる。ショウガも結構な大きさのものが取れて、生ショウガが味わえる。

芝生を植えた部分は春~夏の成長期は芝刈りも大変だ。そんな時期は老体にはなかなかきつい。自分でも芝刈りをするけれど、追いつかないときには庭師の友人に手伝ってもらう。1~2回やってもらうと、こまごました部分は自分でも出来る。細かい草取りはある程度自分でやらないと人頼みのみではうまくいかない。家人に草取りに来なさいと言っても、草取りなんてまっぴらごめんだと思う人種だ。私は中学まで百姓していたので、それほど苦痛ではない。最近は草取りグッツもいろいろあるので、それを使うと草取りも楽だし、面白いよ。

この土地を紹介してくれた不動産屋のSさんが、ミツバチの箱を置いている。昨年はハチさんが入って来ず、蜂蜜が取れなかった。正月早々にSさんが来て、ミツバチが入ってくるように仕掛けをしている。Sさんも協力者の一人で、庭の小さな池が濾水して水が貯まらなくなったので修繕をする業者さんを紹介してくれたり、ウンべの木が手に入ったので近いうちに植えてくれるという。いろんな人が協力してくれて、農園が成り立っている。ありがたいことだ。

イラン情勢が緊迫してきている。イランの司令官がアメリカの爆撃で殺され、イラン国民は怒って報復すると言っている。そうなったら、トランプ大統領はイランの52か所に徹底的な攻撃をするという。戦争の危機が迫っている。戦争になったら、双方の庶民、アメリカ、イランの軍人という庶民が殺されることになる。戦争の犠牲は庶民に重くのしかかる、しかし、戦争によって得られるものは何もないはずだ、双方の指導者の自制を望むほかない。

令和2年1月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2019年

指宿 菜の花 通信(No139) 田舎医者の流儀(114)・・・令和の始まり年

今年は平成から令和に年号が変わった。国民は新しい天皇のもとで、引き続き平和で安寧な世であって欲しいと望んでいる。今年初めの菜の花通信No117号で「平成の時代は次世代に多くの積み残しをした。国の借金は1100兆円を越し、平成の初め頃に比べ4倍にもなったという。子や孫の世代に膨大な借金を残し、今の我々の生活が成り立っている。原発の廃棄物も処理が出来ないまま、次世代に積み残される。もう限界なのに、原発は稼働を続けている。環境問題も深刻だ。温暖化が進行し、災害が大型化してきている。平成30年はその転換期と後世に位置づけられるかもしれない」と書いたが、残念ながらその方向性の改善は見出されなかった。

今年、台風15号、19号による被害は深刻であった。大雨により各地で堤防が決壊し、100名近い死者・行方不明者を出した。温暖化が進む中で、今後も台風の大型化、豪雨が避けられない状況になってきている。日本の石炭火力発電の推進の政策が世界中から批判されている。方向転換が求められているが、目先の経済優先政策で事態の改善が進んでいない。事態は深刻なのだ、出来ない理由を並べ立てないで覚悟を決めて前に進むことを求められている。

明るい話題が少なかった中で、ラグビー世界選手権での日本チームのベスト8進出は国民を熱狂させた。日本チームは7ヶ国出身の選手が「ワンチーム」になって、勝ち進んだ。過去の大会の実績からすると信じられないような勝ちっぷりであった。多国籍出身の選手たちが一体になって勝ち進んだ様は今後の日本の社会のあり様を象徴するかのようだった。どの国籍・人種であろうと仲良く一体となって住み・暮らす日本の将来を暗示する出来事であったと思う。

身近な現場の医療を担当する後輩たちに注目すると・・・。我々は45年前鹿大病院に循環器グループを立ち上げた。志を同じくする90名近くがこのグループで診療・研究してきた。鹿児島の循環器医療の中で一定の役割を果たしてきたと自負している。現在、鹿児島医療センターを中心に診療・研究に勤しんでいる。このグループの行っている循環器診療は冠動脈、不整脈、心不全など、その診断と治療レベルは高く、九州管内においてもトップクラスにある。診療のみではなく臨床研究も熱心に行い、米国や欧州の学会で発表している。

我々のグループは「規範性」を重んじ、過剰も過小もない医療を目指してきた、後輩たちはその伝統をしっかり受け継いでくれている。本県の一部にある「乱れた」医療に対する、対立軸の役割を果たしている。医師としての「矜持」を保とうと努力する後輩・仲間を誇らしく思う。

令和1年12月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No138) 田舎医者の流儀(113)・・・鳥頭

鳥頭なんて言葉があるのだそうだ、寡聞にして知らなかった。ネットで調べてみると、「物忘れの激しいこと」、あるいは「物覚えが悪くて記憶力の弱いこと」とある。齢76になり、そのような状態を自覚する。いつも、使い慣れている薬の名前が出てこなくて、こっそり本をめくったりして情けない。そんなんで、最近はなんでもメモして置くことにしている。

ヒトは「鳥頭」とか言って、鳥の知能?の低さを笑っているが、例えばカラスは利口らしい。イソップ物語にはこんな話があるそうだ。「ある日のこと、喉が渴いたカラスは偶然、少しだけ水が入っている水差しを見つけました。けれどもなんということでしよう、カラスが飲もうとしても水面が低すぎて、くちばしでは届きません。 そこで水差を倒して壊そうとしましたがあまりにも重すぎてそれもできませんでした」

「喉が渴いてどうしても水を飲みたかったカラスはあることを思いつきました。一つ小石をつかむと水差しの中にぽとんと落としたのです。そしてもう一つ、さらにもう一つと続けていきました。少しずつ水差しの水面は上がり、カラスは喉の渴きを癒やすことができました」 「いい話だね、でもおとぎ話だ」と思うかもしれない。確かにそれはそうだが、この話はカラス科について研究した米国のグループが行なったさまざまな実験によって現実であることがわかっているのだそうだ。

もう一つ、カラスの話。日本で観察された事例だ、「ある一羽のワタリガラスが口にくるみをくわえて道路の上を飛んでいた。信号機のそばの、横断歩道を見渡せる電線の上に止まると車の往来の激しい道路の上にくるみを落とした。何台か車が通り過ぎるころにはクルミの殻は割れていた。しかも、もっと驚くべきことがそのあとに続いた。カラスは歩行者信号が青になるのを待った。青になると横断歩道を渡る人々の間を飛びぬけてすっかり殻の取れた実を回収したのだそうだ」。このことはフランス、米国でも観察され、この分野の研究者に認められているようだ。カラスはなかなかの知恵者ということだ。

鳥だけではない、例えば砂漠のアリは餌を持って数百メートルの先から確実に巣穴に帰れる、森のチンパンジーは奥深いに密林の中でえさ場を探し、そこに最短で到達できるという。こうしたナビゲーション能力はヒトより優れているようだ。この豊かな命溢れる地球を大事に大事にしながら人さまも生きて行きたいものだ。
(「鳥頭なんて誰が言った?」 エマニュエル・プイドバ 著 松永りえ 訳 早川書房)

令和1年12月13日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No137) 田舎医者の流儀(112)・・・言葉の重み

11月下旬、38年ぶりにローマ教皇が日本を訪れ、長崎、広島、東京を訪問された。どんなメッセージを発せられるか全世界が注目した。教皇は長崎で「人の心にある最も深い望みの一つは平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を保有することは、この望みへの最良の答えではありません。それどころかこの望みを絶えず試練にさらすことになるのです」と。

広島では「ここで、大勢の人がその夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。・・・その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます」「戦争のために原子力を利用することは、現代において、犯罪以外の何物でもありません。・・・原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。これについて、私たちは神の裁きを受けることになります」「戦争のための最新鋭で強力な武器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるのでしょうか」と訴えた。

帰国の途中、原子力発電について、廃棄物の最終処理ができない中で、これの利用を続けることは後世に禍根を残すことであり、容認できないと踏み込んだ発言もされた。教皇は原子力の危険性を率直に述べられた。我々は、重く受け止めるべきではなかろうか。

上智大学での講演では「どんなに複雑な状況であっても自分たちの行動が公正かつ人間的であり、正直で責任を持つことを心がけ弱者を擁護するような人になってください。ことばと行動が偽りや欺まんであることが少なくない今の時代において特に必要とされる誠実な人になってください」と学生に語りかけた。

連日、「桜を見る会」の事が報道されている。誰が見てもおかしなことばかりだ。招待者名簿はシュレッダーで破棄した、電子データも残っていないという。ありえない話だ。担当の官僚の人たちは苦しい・見苦しい言い訳に終始している。かっこ悪いことぐらい本人たちが一番理解しているだろう、そうせざるを得ないのだろう。そうさせている上の人達はまっとうな心を失ってしまったのか。

フランシスコ教皇の言葉は重くて、深い。過去の歴史に対する洞察と人類の未来に対する想いにあふれている。現今の一部指導的立場の人々の目先の利益ばかりの言動、言い逃れに失望している中で、未来に対する希望を抱かせるメッセージであった。我々は歴史を直視し、未来に対する洞察力を持ったリーダーを選んでいかなくてはならないとの思いを強くする。

令和1年12月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No136) 田舎医者の流儀(111)・・・遠方からの患者さん

11月初旬、91歳女性の患者さんが私に診察を受けたいと指宿までみえた。「5~6年前よりフラツキがあり5年前地元の病院でペースメーカーの植え込みを受けた。その後フラツキはよくなったが最近また酷くなってきた。歩くとフラツキが酷く、座ると落ち着く」という。

離島からの方で、飛行機で鹿児島まで1時間弱、空港から鹿児島市まで約50分、そこからさらに1時間以上汽車に乗り、おそらく指宿に宿泊されたのであろう、朝早くの受診であった。当然、びっくりしてなんでまた「田舎医者」の私にわざわざ診察にみえたのかお聞きした。「11月初めに、新聞に先生の記事が出ていたので、ぜひ診察を受けたいと来ました」とのこと。60歳代の娘さんが一緒に付いてみえた。

確かに、地元紙南日本新聞南風録に「厚生労働省が全国424の公的病院を再編・統合の議論が必要との認識を示し、鹿児島県も8か所の病院が名指しされた」。「それに関する国の説明会が福岡であり、診療実績など数字だけの判断に対して九州各県の関係者から反発の声が上がった」という記事の中で私が昨年自費出版した「田舎医者の流儀」という本のことが取り上げられた。そこで「聴診器を当て、患者さんの体と対話することが大切」「言いたいことと聞きたいことを話してほしい」などという私の診療姿勢が紹介されていた。

一通りの診察・検査をして、「軽い心不全状態にあります、その原因としては心臓の血液を押し出す機能は保たれていますが、心臓の血液をため込む機能(拡張能という)が低下しています。これは年齢から来たもので、薬を調整すると改善すると思います」「ペースメーカー植え込みをしているので、脈拍低下によるフラフラではなく、血圧がいつも110~120台という事なので91歳という年齢を考慮すると低すぎると思います。血圧を150前後になるように薬を調節したほうが体調は良くなると思います」などと話をした。

患者さんがおっしゃるには「初めて、そんな説明を聞いた」という。「あまり遠慮しないで、なんでも疑問な点は主治医に聞かれたらいいでよ」と話すと、「忙しいのか、あまりこちらの言うことに耳を傾けて頂けない。一方的にしゃべって、とてもいろいろ聞けない」という。患者さん側の一方的な意見なので、主治医にも言い分があると思う、しかし、少なくとも患者さんは納得できないで遠方の田舎医者を訪ねて見えた。主治医の治療は確かにガイドラインに沿って間違ってはいないが、もう少し患者さんの訴えに耳を傾けて頂ければ、もっと納得して頂ける治療になったように思う。

令和1年11月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No135) 田舎医者の流儀(110)・・・電気を消そう

9月初めに本土上陸した台風15号は暴風で大きな被害が出た。千葉県を中心に建物損壊多数、約90万戸で停電した。その復旧に時間がかかり、電気なし、断水で住民は大変な苦痛を強いられた。行政や東京電力の初期対応の拙さが指摘されたが、現場は必死に自己犠牲的に対応したと思う。それに比べ、それぞれのトップに危機感の薄さが見え隠れしたのが残念である。

その約1か月後、台風19号が本土を直撃し、関東甲信地方、静岡県、新潟県、東北地方で記録的な大雨となった。各地で河川が氾濫し、7つの県合わせて71河川140か所で堤防が決壊した。人的被害は死者・行方不明者合わせて100人近くとなっている。土砂崩れ、水没などの住宅被害、それに収穫期の農産物の被害も甚大である。被害が広範囲に及んだため、住宅などの復旧が現時点でも進んでいない。被災者は生活再建のめども立たず途方にくれている。

台風の発生は自然現象であるため止められない。しかし、その台風・モンスーンが大型化し、被害を増大させている。その背景には地球温暖化があると指摘されている。気候変動に関する政府間パネル(略称:IPCC)は、世界中の数千人の専門家の科学的知見を集約、温暖化による災害発生増大の危険性を警告している。一部の学者・評論家がそれを否定する見解を発表しているが、いずれも多くの専門学者の科学的論文を無視した根拠に乏しいものである。

ニューヨークで開かれた「温暖化対策サミット」でスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん(16)は温暖化阻止のための行動を訴え、世界中の若者が呼応している。この状況で、米国トランプ大統領は来年パリ協定から離脱するという。世界第二位のCO₂産出国でありながらその責任感はないようだ。日本は依然として石炭発電が全体の約30%を占め、それを改善する方向性に乏しい。逆に火力発電所を東南アジアに輸出したり、太陽光発電の買い取り価格を引き下げたりCO₂削減に逆行した姿勢を見せている。

地球が悲鳴を上げているのに、目の前の経済第一主義で地球環境は悪化の一途を辿っている。そんなリーダーを選んでいるのは我々自身である。意思を示す場はあるのだから、そのように行動したいものだ。私は日常、不要な電気は消すように心がけている。すぐ電気を消すので家人に「そこはまだ使っているの」と小言を言われている。今、不要であればいったん消したらよいように思うが・・・・。エネルギーを出来るだけ使わない生活をめざし、移動も公共交通機関を使い、出来るだけ歩く、ささやかに温暖化に対抗する生活を目指している‼

令和1年11月15日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No134) 田舎医者の流儀(109)・・・マッチング・ノーベル賞

今年度、研修医最終マッチングが10月17日に発表された。9月の中間マッチングで鹿児島県内病院での研修を希望したもの96名で、最終マッチング者数が注目されていたが107名であった。この人たちが国家試験を経て、来年3月から希望した病院で研修を始める。国試不合格者は直近5年、平均5.8人いるので最終マッチング者数より、翌年の研修医数は減ることになる。最終マッチング者数はH28、H29、H30年それぞれ121名、111名、104名と漸減していたので、心配されていたが今年度は107名と少し盛り返した。関係者の努力の結果と思う。

医学生は6年間の学生生活の後、国家試験を受け、合格すると医師免許が交付される。その後、2年間の臨床研修が義務付けられ、それを終了して初めて保険診療の資格が得られる。実質、それがないと保険診療ができないので、臨床家になれない。厚生省が指定した研修病院は鹿児島県内では鹿児島大学病院、鹿児島市立病院、鹿児島医療センター、慈愛会今村病院など12病院、全国では1037病院ある。指定された病院であれば、全国どの病院ででも研修が出来る。

医学生は各病院が示す研修プログラムや研修条件(給与など)を調査し、対象病院を見学したりして、希望病院を決める。研修病院側は試験や面接をして、どの学生を採用するか順位を決め登録する。当然、人気病院には希望者が多くなる。それを、調整するのは臨床研修マッチング協議会という機関である。このマッチングの手法を開発したのはアメリカ・スタンフォード大学実験経済学者アルヴィン・ロスで、医学生をどのように研修病院に割り振るかを研究テーマの一つにしていた。彼の開発した手法が現在わが国でも用いられている。ロスのマッチングの手法・考え方は社会に与えた影響が大きく(例えば結婚相手を探す)、彼はこの功績で2012年にノーベル賞を受賞しているのだそうだ。知らなかった。
(大分断・・・格差と停滞を生んだ「現状満足階級」の実像 ダイラー・コーエン著、池村千秋訳 NTT出版)

平成16年新医師臨床研修医制度が始まり、初年度、本県全体で105名の研修医がいたがそれ以降が徐々に減少し、平成21年は54名まで激減した。他県で研修をすると、そこに居ついてしまうことが多く、本県の医師数の減少に繋がる。危機感を持った関係者は平成21年5月28日、鹿児島県初期臨床研修連絡協議会(県、県医師会、鹿大病院など14の県内管理型臨床研修病院(当時)などで構成)を発足させた。「オール鹿児島」体制での地道な努力が実り、8年かかったが平成29年4月の本県の研修医数は109名と3桁に復活した。私は「鹿児島県地域医療研修特別顧問」としてこの事業に関わり、平成29年3月に辞任したが、今でも気になっている。

令和1年10月23日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No133) 田舎医者の流儀(108)・・・10月初め・ラグビー・関電

10月の初めになり、夜明けが遅くなり夕方暗くなるのも早くなった。指宿に行く時は午前6時に家を出る、最近はうす暗いままだ。夕方帰るときも6時過ぎると暗くなってくる。日の出、日の入りは暦通りに変化している。しかし、朝夕は少し涼しくなったが、日中は30度を超す暑い日がまだ続いている。温暖化の影響だろう、季節感が変わってきている。

農園では今年、茄はよく取れたが、オクラが不作であった。オクラの苗がよく育たず、徳さんによると連作の障害であろうという。冬物の野菜として、ダイコンやネギなどを植えた。順調に育つことを期待したい。今年はミツバチが寄り付かず、残念ながら蜂蜜が全く取れなかった。ミツバチの箱を設置している坂口さんが他のところでとれた蜂蜜を一瓶持ってきてくれた。パンにつけて戴いたら大変おいしかった、ありがたいことだ。

最近の明るいニュースは第9回ラグビーワールドカップ日本代表の快進撃であろう。1987年第1回大会以来、1回勝っただけで引き分けはあるが、第7回まで負け続けていた。4年前の第8回大会で南アフリカに勝ち、奇跡の勝利と言われた。この大会で3勝したが、決勝進出はならなかった。実に前回大会までの通算成績は4勝22敗2分けである。それが日本開催の第9回大会は3連勝、それもはるかに格上のアイルランドに勝ち、日本中が沸き立った。決勝ラウンドへ進めるか否か、次のスコットランド戦次第である。体力的に勝る外国勢に対抗するスピード、組織戦、何よりも勝とうという意志力の強さに日本中が感銘を受けている。目標である決勝ラウンドへの進出し、歴史を作ってほしいと願う。

愉快でないニュースも多いが、関西電力(関電)幹部の金品授受の件は呆れる。それも1億以上を2人の幹部が受領し、現時点では合計3億以上という。国税の税務調査が入り、慌てて発表したようだ。送り主は原発地元の元助役さんだという、地元会社の顧問も兼ねていて関電関連の工事を多く受注している、その見返りに金品を送ったとしか考えられない。会長や社長まで多額の金品を受領し、原発事業を推進するにはやむをえなかったと弁解する。そんなものを一回でも受け取ったら、それをネタに脅してくる事ぐらい判らなかったのだろうか。

日本のトップ企業の一つ関西電力のリーダー達がダメなものはダメだと言えていない。それでは下の者は大変困るわけで、リーダーとしての資質が問われる。そう言えない言い訳をくどくどとしているが、それほど原発事業は深い闇を持つのであろうか。

令和1年10月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No132) 田舎医者の流儀(107)・・・子供虐待

幕末から明治の初めに日本を訪れた外国人が日本をどう見ていたか、日本近代史家渡辺京二は膨大な資料をもとに、「逝きし世の面影」という労作を著している。資料は半端ではない、例えばアーネスト・サトウの滞在記だけでも新書版にして14巻もある。私も読み始めたが未だに読み終えていない。あまたの資料を読みこなし、「在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持ちの良いものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実」を解明した。

「逝きし世の面影」第十章「子供の楽園」は子供に関することがまとめられている。明治初め来日したE・Sモース(米国、動物学者、大森貝塚の発見者)は「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」と述べ、彼の著書「日本その日その日」においてその見解を繰り返しているという。

また、ツュンベリ(1770年代オランダ長崎商館に勤務したスエーデン医師)は「注目すべきことにこの国ではどこでも子供を鞭打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」。またフュッセル(オランダ人)も「日本人の性格として子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と述べているという。

私は昭和30年前後に小学、中学を過ごした。貧しい時代ではあったが親たちは戦争後の苦難から立ち上がろうと必死であったし、我慢に我慢を重ねて子供の教育を後押しした。そんな時代、「虐待やいじめ」は私の周りでは殆ど意識しなかった。学校から帰ると、近所の子供同士で遅くまで遊び惚けていた。日曜日はあまり好きではなかった、親と一緒に農作業に駆り出され、真夏のカンカン照りの中で芋畑の草取りはつらかった。学校に行く方がはるかに楽であった。

そんな子供の天国であったわが国で子供の虐待・死亡事件が多発し、いつの間にか子供の天国ではなくなってきている。最近も9歳の子供が義理の父親に殺される事件が報道された。親の虐待で子供が死亡する事件、陰湿ないじめに耐えられず自殺に追い込まれる子供など等、子供をめぐる嫌な事件がたびたび報道される。戦後の高度成長後、コミュニティーの崩壊が進み親も子供も孤立している。そんな世の中にしてしまった我々の在り様が問われている。 

令和1年9月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No131) 田舎医者の流儀(106)・・・患者さんが教えてくれる

9月になり、大分日が短くなった。農園から帰るとき、大体18:30分頃のバスに乗る。7月頃は太陽がまだ山の上にあり、強い日差しが降り注いでいた。今は山のかなたに消えて、日差しもない、少し薄暗くなった。季節の移ろいは確実にやってくる。

77歳のご婦人が、昨夜10時ごろ頭がボーッとしてフラツキがあり、今朝も10時ごろ同様の症状が2回あったと来院された。手足のマヒ(一過性を含め)、言語障害、眼振などはなかった。診察時、脈拍は100位で頻脈気味、血圧も130/74mmHgで問題はなかった。具合が悪かった時血圧は127/45mmHg、脈拍は35位しかなかったという。

この患者さんは12年前、冠動脈バイパス術と僧帽弁形成術を受けていた。発作時、脈拍が少なかったというので、心電図検査をしたが心拍数100、左脚ブロックで以前と変わりはなかった。しかし、過去の僧帽弁手術もあるので、完全房室ブロックなどの徐脈性不整脈も想定され、ホルター心電図を装着し、明日持ってきてもらうことにした。

ホルター心電図検査では3.8秒の心停止が記録されていた。そのほかにも2.5秒ぐらいの部分も数か所見られ、私の予想した完全房室ブロックではなく、洞不全症候群であった。明確な症状もあるので、ペースメーカー植え込みの方向で入院となった。その晩の心電図モニターでは25~30の徐脈が認められたという。週明けの月曜日にはペースメーカー植え込みが行われ、その晩は創部が痛かったようだが、大きなトラブルもなく、必要な処置が行われ退院の運びとなった。

病棟主治医は冠動脈バイパス手術の既往はあるが、2年前心筋シンチ検査を受け、虚血を示す所見なく、その後、胸痛などないことより、現時点ではそれ以上の検査は必要ないと判断した。フラツキの症状あったがマヒ等なく、こちらも頭部CT、MRIなどの検査は行わなかった。当たり前に患者さんの話を聞いて、検査や治療の方向を探るならこういう方向になるだろう。主治医は過剰でもなく、必要なことをきちっとやっている。

患者さんの訴えに向き合い、訴えに耳を澄ますことが出来れば、患者さんが多くのことを教えてくれる、過剰な検査も必要なくなる。過剰も過小もない「品」のある診療を目指したい。知識も必要であるが、患者さんの内なる声を聞き取るこちら側の「心」の在り様が大切なのかもしれない。医師としての「矜持」を保ちながら、診療に当たりたいと思っている。

令和1年9月4日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No130) 田舎医者の流儀(105)・・・熱中症

不覚にも、熱中症になった。その日は30度越えの真夏日で、午前中から日差しが強かった。梅雨明けの日、秋咲く菊の剪定をやる予定にしていた。ぼさ菊の植え替えや剪定、その枝を挿し木したりした。草取りもあったので2時間半位の作業になった。終わったときは汗びっしょりで、下着まで着替えた。その後は水分を多めに取り、冷房の効いた小屋でゆっくり休んだ。

その日は午後3時から会議の予定があった。自宅に帰り、シャワーを浴び、着替えをして会議に臨んだ。この間は特に何の症状もなかった。会議が終わり、自宅に帰ったらなんとなく具合が悪く、体がだるくて仕方がない。その後は予定がなかったので、ゴルフの練習にでも行こうと思っていたがとてもそれをする元気がない。そこで熱中症だなと気づいた。冷房の効いた部屋で水分と塩分を取り,休んで夜にはなんとか回復した。

それ程長い時間の作業ではなく、水分も十分取っていた(後で考えると塩分の摂取は少なかった)、経験的にこれ位のことでへばったことはなかったので、熱中症症状は意外な感じであった。しかし、75歳という未知の年齢に踏み込んでいるので、今までの経験がそのまま通用しないのだろう。こんな局面が増えてくると思われる、それを受け入れ、生活する知恵が必要になるのだろう。

それにしても、日本列島は連日猛暑が続き、熱中症警報が毎日の如く出されている。フランスのパリは40度越を記録し、ヨーロッパ全体が猛暑と干ばつに襲われているという。温暖化は猶予できない状況になってきている。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)という公の団体が出す温暖化の警告は気象学者の出した「査読済みの権威ある学術論文」を精査し、確かな事実に基づいて作成されている。一部の評論家・学者などの温暖化を否定する偏った意見に惑わされてはならない。

しかし、その対策は経済等への悪影響が強調され遅々として進まない。地球の未来が危ないのに、今の生活の維持に主眼が置かれ、未来の危機に対しては頬かむりしている。「デモクラシーの平等化の原理は人々をバラバラにして個人主義に陥らせ、自分と家族の私的世界に閉じ込め共同の利益への関心を薄めてきた」(デモクラシーの宿命・・・歴史に何を学ぶのか 猪木武徳 中央公論新社)。我々が未来に責任を持つ政治家を選んでいないツケが表れ始めている。

暑さ対策で、昨年から日傘を使っている。直射光を避けられるので、気に入っている。

令和1年8月21日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No129) 田舎医者の流儀(104)・・・本読み

日曜日の朝は新聞の書評をみる楽しみがある。ネットで調べると、現在、新刊は毎日約 200冊、1ヶ月で約 6,000冊、年間に約 7万冊も出ていると言われている。新聞、テレビ等で宣伝された本は知ることが出来るが、殆どは我々一般人の目に触れることはない。ましてやその中から読みたい本を探すのは至難の技だ。その点、書評は本の中身が紹介され、有力な情報源である。

本探しをするのにネットで書評欄を探すのも一法であるが、本屋さんに行って、ぶらぶら本探しをするのも楽しい。時々、とんでもない(?)題名の本に出合うことがある。「病は気からを科学する」なんて題名だと、思わず読んでみたくなる(この本の事については本通信No114に書いた)。以前、テレビでも本を紹介する番組があり、時間があるときはよくチャンネルを回していたが最近こんな番組が見当たらなくなった。

先週は書評欄に載った本から「日々是日本語・・・日本語学者の日本語日記 今野信二著 岩波書店」、「中央銀行の罪 ノミ・プリンス著 早川書房」「デモクラシーの宿命 猪木武徳著 中央公論新社」の3冊を買った。通勤の列車や農園の小屋で読んでいる。この年になると残念ながら、長時間読むことが出来ない。同じ姿勢を続けていると首や腰が痛くなり、眼も疲れる、休み休み読んでいる。そんなんで読む終えるのに時間がかかる。頭もボケてきたので小難しい本は一度で理解できず2度読みすることも珍しくない。

「日々是日本語・・・日本語学者の日本語日記」は日本語学者今野信二さんの日記風の本である。なんでこんな変な題名の本(?)を読もうと思ったかといえば、この「菜の花通信」を書いていて、私の「日本語」の不確かさと不勉強を思い知らされており、常々恥ずかしいと思っていたからである。そこで、日本語学者が日本語とどう向き合っているのか、その一端でも知ってみたかった。

驚かされるの、その日々の膨大な読書量である。殆ど毎日一冊は読破しているようである。分野が違うとは言え、9割以上の本は私の読んだことないものばかりだ。いかに読書量が貧弱化を思い知らされる。この世には膨大な知識が蓄積されており、知ったかぶりをしてはいけないし、単純化した言葉で解ったように喋る人は疑ってかかるべきであろう。

この号の表題を「本読み」にしたが、「本を読む」「読書」などもあるが、本当は何が適切なのかは私の「国語力」では判らない。

令和1年7月31日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No128) 田舎医者の流儀(103)・・・良妻賢母後症候群

80歳代のご婦人が紹介で受診された。「胸が苦しくなることがある、急にひどく寒くなったりする、出かけるのもままならない」という。近くのベテランの精神科の先生が主治医で「心身症」などの診断で治療中である。「胸が苦しい」との訴えがあるので器質的心疾患がないか診察して欲しいという依頼であった。

心電図、心エコー図検査などをした。心電図は正常範囲で、不整脈も出ていなかった。心エコーは画像を見せながら説明をした。動画を見せ、「少々の肥大はありますけど、有意の弁膜症もなく、心臓はよく動いています、心配いりませんよ」と説明した。「心臓のことは安心しました、しかしどうして急に寒くなったりするのでしょう、外出する時もそれが不安で洋服をいくつも持って出ないといけないのです」と云われる。

このご婦人は「ご主人を支え、3人の男の子もしっかり育てた」と話された。ご主人が亡くなり、子供たちもそれぞれ自立した後,こんな症状が出だしたという。私は「それは自律神経が不安定なための症状で」「良妻賢母であった方が、その役割を終え、自分一人になったとき、よく出てくるんですよ」と説明した。私は勝手に「良妻賢母後症候群」と名付けている。ご主人の定年あるいは亡くなるまで完ぺきに支え、子供たちも希望の学校に行かせ、就職させた。それぞれ結婚し独立していく、それらが全部終わって、これから何をするのか。一瞬、心に隙間が出来る。その時に更年期障害、初老期の体・心の変化が重なると、自律神経の不安定さが増強される。それによって、さまざまな症状に襲われることになる。

今までも、ストレス過剰・交感神経緊張に晒されると血圧が上がり、血管壁を傷つけ心臓血管系の死亡が増えることが知られていた。最近の研究によれば、慢性的なストレスは免疫系統の抑制をもたらし、感染に弱くなることや慢性の炎症状態を起こし、がんや動脈硬化性疾患の発生に繋がっていくと考えられている。

特効的治療法はないが、今までの生き様が症状を起こしている元なので、「これからはやりたくないこと、頑張らないと出来ない事は止めたらどうでしょう。今はその必要はないのだから手抜きをしてみたらどうだろうでしょう」「そうしたら、過度に反応していた自律神経が少し鈍感になってくれるかもしれません」と話しした。
(参考文献:医者が教える非まじめ老後のすすめ 大塚宜夫著 PHPエディターズ・グループ)

令和1年7月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No127) 田舎医者の流儀(102)・・・JR指宿・枕崎線

指宿に通勤するようになって10年経つ。週2回は往復しているので、年100回、10年で1000回以上乗車したことになる。沿線の四季の風景の変化を感じながら通勤している。相変わらず午前6時に家を出て、6時20分の電車に乗る。1時間7分で指宿に着く。同じ電車で通勤している人が7~8名いる、この顔ぶれは4月になると変る、転勤があるのだろう。沿線に高校や専門学校があるので多くの学生が乗ってくる。時代の流れか、殆どがスマホとにらめっこしている。

指宿は古くからの温泉場でもある、観光客も多い。タクシー運転手さんによれば指宿・枕崎線は「揺れが酷い」と観光客に不評なんだそうだ。実はこの路線の中に殆ど揺れない区間がある。谷山駅と慈眼寺駅の間だ。この間は3年前に駅の高架化に伴う改修工事が終了し、線路も新しくなった。今の技術では揺れないように出来るのだと感心している。しかし、他のところは相変わらずガタピシと揺れている。車両も旧式で快適ではない、この10年殆ど改善はない。夏場は冷房が効きすぎ、上着が必須である、今の時代に温度調節位はして欲しいものだと思うが・・・。

この線は海沿いの山に近い所を走っているので、雨が少し降るとすぐ運休になる。5年ほど前に観光列車たまて箱が崩れた土砂に乗り上げ脱線事故を起こした。それ以来、少し強い雨が降ると運休になる。梅雨の季節は私も3~4回は運休に出会う。朝、途中運休が起こると大変だ。喜入駅までは走ることが多いので乗ってしまうと、その後はバスに乗り換えたりしなくてはならない。JRは親切ではないので代替えバスを準備してくれることは殆どない。予約の患者さんを待たせるわけにいかないのでタクシーに乗って行くことになる。

帰りに列車が運休になると、バスに乗るが各駅停車で鹿児島中央駅まで2時間かかる。これもまた「老いた体・腰」には負担になり、考えただけで憂鬱になる。最近、上手い方法を見つけた。屋久島を出たトッピーが夏場は2便指宿に寄る、帰る時間がちょうど合うので、それに乗って鹿児島港まで行く。これは快適で45分で着くのでありがたい。ただ、料金は列車の2倍以上掛かる。バスで帰る負担を考えたら仕方ないかと思っているが。 

雨が降ったらすぐ運休にする。事故が起こったら大変なので、対応はそれなりに理解できる。一方では、住民・学生にとってはなくてならない「足」である。利用する側としては「少しの雨」ですぐ運休になるのでは困ったものだ。あの事故から5年経つ、今までの運行状況を総括し、自転車並みの徐行運転も含め、利用者目線で見直すところはないか検討して欲しい。

電車は指宿観光や生活に欠かせない存在である。雨が降ったら運休する、そのままで仕方ないと置いておくのか。JR、沿線自治体などが向き合って改善策を模索していいのではないか。JRは明治以来、国民が営々と育ててきた鉄道事業を運営している。株式会社になったからと言って「株主様」の方だけに目を向けては役割を果たせまい。営業成績だけでなく、長い国鉄の歴史に想いを馳せながら、苦しくても本来の役割を果たして欲しいと願っている。

令和1年6月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No126) 田舎医者の流儀(101)・・・媒子(梅の実)

2月初めに花を付けた梅の木に実がなり、熟して落ちてくる。もぎ取ってもよいが、脚立に乗って落ち、怪我でもすると格好悪いので、落ちてくるのを待っている。一応、持ち帰っているが、家人がどうするのかは判らない。梅酒や梅干しが出来てくるかなと、かすかに期待しているが・・・。

「雨つつみ 日を経てあみ戸 あけ見れば 摽(お)ちて梅あり その実三つ四つ」(橘曙覧)

今年はビワがなり、3年前植えたグミが実を付けた。グミは少し渋みがあり、完熟まで待とうと思っていたら、殆どを鳥(カラス?)に食べられてしまった。今、ぶどう、サワーポメロに小さな実が付いている、今後の成長が楽しみだ。植物は時期が来れば花が咲き、実がなる。動物も成長し、雌は子を産み、年を取ると自然に消えていく。百獣の王・ライオンでさえも、自ら狩りが出来なくなったら生きていけない。人だけは高齢になっても、周りが助けてくれるので暮らしていける。人の寿命は延び続け、そのうち100歳まで生きるのは普通になるかもしれない。

私が学生の頃、車を持っている人はごくわずかであった、医者になって4~5年すると殆どの人が車に乗るようになった。その頃25~35歳の人が今は75~85歳になっている。この世代は車を生活の必需品として利用してきた。世の中も、近所のお店が消えて郊外型のスーパーに買い出しに行かなければならなくなった。車中心の生活様式に転換せざるを得なかった、その世代が高齢ドライバーになったのだ。

一方的に、高齢者は車に乗るべきでないと云われると、田舎に暮らす人は日常生活が難しくなる。みかん作りをしている80代の方が、畑が坂道にあるので軽トラがないと仕事にならないと嘆いていた。運転が出来なくなるとみかん作りも諦めなくてはならなくなるという。そういう人が安全に乗れる車を開発することも必要だ。

ただ、都会では公共交通機関もあるし、それを利用する方向に生活を変えていくことも必要と思う。高齢者は人混みで、走っている車も多い所での運転は控えるべきであろう。私は免許証を持っていないので自家用車は持っていない。農園にはどうやって行くのかと問われる。自宅から12~3分歩くとバス停で、バスに乗って約20分位で目的地バス停に着く、そこから坂道を7~8分登っていくと農園にたどり着く。帰りもバスに乗って帰る。「大変ですね」といわれるが私にとってはそれほど苦痛ではない、運動になるのでよろしいかなと思っている。高齢になったら、それなりに観点を変えてやってみると、それほど大変ではないことに気づかされる。それもまた楽しい。

令和1年6月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No125) 田舎医者の流儀(100)・・・関係性

5月になり、農園も花が咲いて華やかである。昨年植えた白鳥花、紅鳥花がかわいい花を付けた。以前に植えた野ばらが大きく成長してピンクの花が予想以上に咲いた。今年植えた芝桜もそこそこに咲いた。つつじは今まで剪定をしなかったので、花の咲き方がデコボコであまり気にいらない。今年うまく剪定して来年の咲き方を美しくしたい。春にハナミズキ、ヤマボウシ、ニオイバンマツリ、白いつつじなどを植えた。今年は十分に咲かなかったが来年は楽しみである。自然相手なので、すぐに結果が出るわけではないがその花木に思いを寄せながら見守るのも楽しい。

日常の診察も自然に接するがごとく穏やかでありたい。患者さんが言いたいこと、聞きたいことを話せて、満足して帰って頂ければ幸いだ。主病以外の症状に対しても、聞いてあげてアドバイス出来れば満足だし、待ち時間も少ないほうが良い。予約時間の30分以内には診るように努めているが、おおよそ守れたら嬉しい。途中に急患や具合の悪い患者さんが入るとなかなか予約時間を守れないこともある、「待たせてごめんなさい」とこちらから謝ることにしている、殆どの方は納得して頂ける。たまに「長く待たされた、予約の意味がない」きつく言われる方もいる。「ごめんなさい」としか言ようがない。

医師と患者さんとの関係では圧倒的に医師が強い立場にある。医師は医学的専門知識を持ち、治療の選択権を握っている、患者さんは逆らいにくい状況にある。患者さんはこちらの医学的知識に敬意を表して「先生」と呼んでくれる。そんな関係であるので上から目線はよろしくない。確かに医学的知識はこちらが持っているが、そのことが人として「上」であるわけがない。人格的には対等平等と思い接している。

「白衣高血圧」というのがある。診察室に来ると患者さんは緊張して血圧が高くなる現象で、自宅での血圧は正常である。血圧の治療においては自宅血圧を測って頂いて、それを治療の基準にしていく。最初、白衣高血圧でお互いに慣れてくると、その現象が見られなくなることもある。これは診察室で患者さんが「圧迫」を感じなくなったということだろうから、やっとまともな関係になったという事だろう。多くの方をそういう方向に持っていきたいが、なかなかそうはいかない。50年も医者をやっているのにまだまだ修業が足りない。

目指すのは患者さんがこちらからの圧迫を感じないで、対等平等な関係でありたいという事だ。おじいちゃん、おばあちゃんに「今日は先生に会えてよかった」と言ってもらえたら嬉しい。

令和1年5月29日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No124) 田舎医者の流儀(99)・・・借金問題

「平成」が終わり、「令和」の時代が始まった。代替わりの儀式も厳かに、滞りなく行われ大多数の国民に歓迎されているようである。平成の30年間は戦争もなく、平和に暮らせたことが何よりであった。しかし、一方で我々は約1100兆円の借金を背負ったまま「令和」の時代に入った。

平成の時代、いわゆるバブルの絶頂で幕を開け、その崩壊で銀行や証券会社の倒産を経験、更にリーマンショックで深刻な経済危機に見舞われた。その後アベノミクスで回復したように見えるが、実は日銀がお金を増刷して実態の伴わない「経済成長」を続けているだけのようだ。その間に、国の借金は平成の初め282兆円弱であったのが、現在は1100兆円に膨らんだ。国の借金のめどはGDPの6割と言われ、300兆円位と考えられる、今やその4倍近くもある。 (GDPの6割はマストリヒト条約で決められたEUの加盟基準である)

経済学者よれば「50年先または100年先までの長期推計によると、日本の財政を健全な水準に戻すためには、毎年の財政収支をいますぐ約70兆円も改善しなければならない」と言う。「2018年の一般会計予算は約100兆円だから、70兆円を節約すると国家予算を約70% も削減する計算である。これと同じ財政収支の改善をもし歳出の削減ではなくて消費税の増税で達成しようと思ったら、消費税率を約30%程度も引き上げる必要がある」のだそうだ。(時間の経済学 小林慶一郎)

「次世代に借金を残すわけにはいかない」と信念に満ちた総理が100兆の予算を50兆に減らす政策に踏み切る。当然、猛反発が与・野党から湧き上がる。しかし、今これに取り組まないと国家は破綻し、かつてのアルゼンチンやギリシャのようになってしまうと懸命に説得、実行しようとする。それでも政界のみでなく、マスコミなど総反発を受け、解散に追い込まれる。選挙の結果は惨敗し、総辞職、野党が政権を担うことになる。結果、何も解決せず、ついには国家破綻に至り超インフレ、公共サービスの破綻が起こり、国民生活は危機に瀕する。金持ちは海外逃亡するが、どこにも行けない一般国民はただただ耐えるしかない」。これは作家・真山仁の描く「オペレーションZ」という小説の話である。

100兆円の予算を組み、税収は50~60兆、足りない分は国債で補う。子や孫世代に膨大な借金を残して今の生活を維持する、こんなことはまっとうではなかろう。しっかりと現実に向き合う政治家を選ばないと、この国の未来はないように思う。 (参考文献:時間の経済学 小林慶一郎著 ミネルヴァ書房。オペレーションZ 真山仁 新潮社)

令和1年5月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No123) 田舎医者の流儀(98)・・・令和

4月1日、新元号「令和」の発表を農園のコンピューター実況で聞いた。安倍総理は「この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました」と総理大臣談話で述べた。

一方、外国メディアは例えば英BBC放送が「order and harmony」(秩序と調和)を意味すると伝え、「令」については「Command=指令」を意味すると報じる欧米メディアもあったという。慌てた外務省は、「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示したという。令は命令、令嬢など強制を意味する側面と麗しい、美しいを表す両面を持つと言う。「令和」が「いい方の意味」の時代であって欲しいと願うばかりだ。

「平成」発表時、時の竹下総理談話は「国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められております」と述べた。この言葉通りに、最も厳しく向き合われたのが現天皇と美智子皇后であったように思う。戦争という不条理の中で悲しい運命をたどった人々を深い想いで慰問された。天皇は沖縄、広島、長崎など国内のみでなく、中国、サイパン、フィリピン、パラオなど戦争被害の地を歴訪され、「深い悲しみと反省の気持ち」を吐露された。そうした当たり前の事を快く思わない人がいる中で、毅然とした態度を取られたことに深い敬意を覚える。

平成の時代は阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など規模の大きい、人的被害の多い地震にみまわれた。特に東日本大震災では福島原発事故という人災も加わり、その復興は困難をきわめている。更に地球温暖化の影響と考えられる豪雨災害も相次いだ。陛下は被害を受けた人々を頻繁に見舞われ、励まされた。その誠実で、心のこもった慰問は感動を呼んだ。一部政治家の形だけの慰問とは明らかな一線を画するものであった。

「令和」の時代が「麗しく、平和な」時代であることを心より願うが、我々国民一人一人がそれを強く希求し、壊すような勢力を容認しないことが大事のように思う。「令和」の天皇陛下が相応しい「象徴」としての道を歩まれる事を応援し、現天皇と同様に敬愛の念で見守りたいと思う。

平成31年4月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No122) 田舎医者の流儀(97)・・・3月・春

桜の季節になり、各地から開花や満開の便りが届くようになった。それでも朝夕はまだ底冷えのする日も多い。農園とその周りにスミレが咲く時期になった。その濃い紫色の花びらは雨上がりには特に鮮やかである。雑草を取るとき、自生しているスミレを意識的に残してきたので数も増えた。昨年見つけた「つくしスミレ」は今年その個体を増やし、小型の可憐な花を咲かせている。自分の屋敷以外の周辺地を探してもこのスミレは見つからない。今まで無かった所にも生えている、どうして増えて来たのか判らない。

庭の片隅に今まで見たことのない「マムシグサ」生えてきた(家人に教わった)。葉以外に花様の部分があり、紫褐色のまだらな模様がある。この模様がマムシに似ているとの事で、この名がつけられたと言う。実はこれ、毒草で「やばい」のだそうだ。きれいな実を付けるが毒を持つようだ。実はきれいなようだから大事に育てて、その実を見てみるか〃。

冬に植えた野菜が収穫できるようになってきた。ブロッコリーはメインの部分を収穫した後も次々と新しい孫目が出来てくる。徳さんが4本植えてくれたが、二人暮らしには食べきれない位だ。高菜、深ネギ、ラッキョウなどもこの時期は取れる。ビワ、梅が小さな実をいっぱい付けているので、今年は多く収穫できそうだ。昨年、3房取れたブドウが今年はどうなるか楽しみだ。

今は隠居の身なので、花や野菜の事が気になるこんな生活をしている。しかし、3月は学生の頃は高校、大学入試の結果を心配し、医師国家試験の合格にホッとしたりした。医師になり循環器病を専門にするようになり、大学病院、国立病院にいたころは専門学会に研究成果を発表することに追われた。あまり、桜を楽しむ余裕もなかった。桜が散ると来年度にどんな発表をするのか、その整理に追われていた。

前の病院にいた後半7~8年は管理職だったので、3月は病院の収支がどうなるかが最大の関心事であった。ゆうゆう黒字であれば気を病むこともなかったが現実は収支スレスレ、綱渡りであった。赤字を出したら設備更新のための投資が認められない、そんなルールであったので必死にならざるを得なかった。定年後の心配は研修医確保の仕事をしていたので、医師国家試験に何名合格してくれるかであった。今は隠居の身、ひどく気を揉む出来事は少なくなった。そのうち孫の事で気を揉むことになるのかな〃

平成31年4月3日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No121) 田舎医者の流儀(96)・・・聴診器

テレビドラマの中では、聴診器は相変わらず医者のシンボルである。しかし、現実の病院の中では聴診器を首に掛けている医者は少なくなってきた。我々の世代は超音波検査、CT、MRIなどの検査機器はなかった。視診、触診、聴診器による聴診などの所見が診断に到達するために大切であった。確かに検査機器は発達してきたがそこにもって行くまで、聴診を含めて基本診察が重要である事は現在も変わらない。

初診の患者さんの場合、例え腹痛を訴えているにしてもやはり全身一通りの診察が必要である。一部の患者さんはお腹が痛いのに何で胸を見たり、聴診器を当てたりするのを怪訝な表情をされる方もいる。そこで脈の乱れがあったりしたら、心電図を検査する必要がある。心房細動(よくある不整脈)という不整脈があったら、心臓の中の左房・左心耳に血栓が出来、その血栓が飛んでお腹の血管を閉塞し腸閉そくを起こすこともある。血圧は必ず自分で測るようにしている。聴診器を当てて血圧を測ると、不整脈を見つけたり、上と下の血圧差が大きくて(脈圧大)心臓弁膜症などを疑うきっかけになったりする。

私が診察する患者さんは高齢の方が多い。検診や風邪症状でみえても聴診器をあてることにしている。今まで指摘されていない心雑音を聴取することも珍しくない。特に高齢になってくると大動脈弁の硬化が起こってくるので、大動脈弁狭窄症が見つかることがある。この疾患は突然死を起こすこともあるので臨床的な意義は大きい。

そうは言っても、高血圧や高脂血症でかかっている患者さんに、毎回毎回聴診をしているわけではない。少なくとも年に1~2回は聴診器を当てるようにしている。時に診察を終わった患者さんが受付で、「先生は、今日は聴診器も当ててくいやらんかった」と不満を訴える事がある。それは大体会話が少なかった時なので「ゴメンナサイ」と謝らざるを得ない。

私の恩師佐藤八郎先生の診察は視診、聴診、触診など駆使して、詳細に患者さんの状態を把握、正しい診断にたどり着こうとするものであった。患者さんの話をよく聞き、丁寧に診察する姿勢を教えられた。そんな厳格な先生であったが、学生のポリクリ(実習)の際、聴診器を患者さんの胸に当て心音、呼吸音異常なしと言われた。しかし、よく見ると聴診器の耳に当てる部分(イアーチップ)は耳にはなく首にあった。そんなユーモラスな思い出と共に先生の教えを守もろうと思う日々である。

平成31年3月13日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No120) 田舎医者の流儀(95)・・・ネット炎上

依然としてガラケーを愛用している。周りがスマホに変わっていく中、「まーだ」ガラケーですかと言われる。「あんまり不自由を感じないので、そのままにしているの」と答えている。本音は携帯の小さな画面を見るために、いちいち老眼鏡を掛けないといけない、それが面倒で嫌だからだ。情報は自宅、病院、農園に行けばコンピューターがあり、ゆっくりと「眼鏡を掛けて」見れば良い。それほど、早く情報を仕入れないといけない立場にはない。移動中はバス、電車とも手持ちの本を読む貴重な時間だ。

ネットが使えるようになり、確かに便利になった。私の若い頃(50年も前の事だが〃)外国で起こった出来事が伝わるのは数日遅れであった。今は世界の片隅で起こった事も殆どリアルタイムに知ることが出来る。野球やゴルフの途中経過も結果も待たずに知ることが出来る。それはそれで世の中が「進歩」したということでしょう。 ネットではまた簡単に情報・意見を発信も出来る。不適切な動画や意見がその匿名性もあり、簡単にアップされることも多い。そこには、待ち構えている者がいるようで、たちまち拡散してしまう。不祥事の発覚や失言・暴言などとインターネット上に判断されたことをきっかけに、非難・批判が殺到して、収拾が付かなくなる事もある。「ネット炎上」と言われ、これをきっかけにして個人情報が流出したりして、いわれのない批判に晒される事もある 。

文化庁がことし、全国の16歳以上の男女、およそ3500人を対象に実施した調査によれば(6割から回答)、いわゆる「炎上」を目撃した場合書き込みや拡散をするか聞くと、「ほとんどしない」と答えた人は10.1%、「全くしない」は53.2%で、全体の6割を超えた。一方で、「大体する」、「たまにする」と答えた人は、あわせて2.8%とごく一部であるという。他人の「間違った意見」が許せない人がそれ位の割合でいることを承知しておく必要がある。

ネットは多くの人が見るので、例えば10万人が見てその2.8%が反応したとすると2800になる。それ位の書き込みがあればネット炎上ということになろう。人は異物、例えば細菌が入ってくると、免疫機構が働き病気を治す。人は「非自己」を認識し、「自己」以外は排除するように作られている。異なった意見に対して排除するのは、人の作られ方からして宿命(?)なのかもしれない。一方、免疫は「寛容」という「非自己」を許容するシステムも持っている。社会も排除のみではなく「寛容」を広げながら平和な暮らしを担保してきた。そのバランスを失うと、この世は住みにくくなりそうだ。

平成31年3月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No119) 田舎医者の流儀(94)・・・地名

鹿児島医療センター時代に一緒に働いた事務方、看護部の人達が集まって、年一回「同 窓会」を開いている。私が院長を終えた後に始まったので、10年位続いている。今年は2月の初めに佐賀の唐津・鎮西町国民宿舎波戸岬に集まった。院長、看護部長、事務部長経験者が5人、いずれも定年退職、現役の事務部3人の計8名であった。1人が大病を患ったが今は元気になっている。定年組はそれぞれの分野で「実務」に携わり楽しそうである。現役組はこんな医療情勢なので苦労をしているようだ。夜遅くまで、語り合い楽しかった。

唐津は古代より唐(から:韓・唐)など大陸への玄関口(津・港)として栄えてきた。私は坊津(現 南さつま市)出身で「津」という名前と、出来の良い後輩の出身地であったので親しみを覚えてきた。残念ながら今まで行く機会がなかったが、やっとこの地を訪れることが出来た。時間がなくて観光をする暇はなかったが、宿泊した波戸岬は眼下に玄界灘が一望でき西に開かれた町の様子が実感できた。帰りは所用があり、朝早く唐津から博多行きの電車(JR筑肥線)に乗った。途中の駅名が珍しく、興味深かった。唐津側から和多田、虹の松原、鹿家、福吉、一貴山、加布里、美咲が丘、波多江、周船寺、今宿、下山門、室見など珍しい駅名が続いた。

虹の松原(にじのまつばら)は三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原のひとつである。三保の松原は、静岡県静岡市清水区の三保半島にあり、気比の松原はその名の由来は気比神社にあるという。いずれも地名に関連した名であるが、虹の松原は何で「虹」なのだろうか。調べると元々は「二里ノ松原」と呼ばれたらしい。江戸時代から、「虹の松原」というようになったらしい。 沖からみれば渚が虹のように大きく湾曲しており、とくに夕陽のさかんな時刻など、浪も白沙も赤く陽に染まり、その色が松原に揺曳(ようえい)して 虹がかかったように見えることがあるらしい。

私の育った町坊津は遣唐船の昔から海外との貿易基地、また龍厳寺一乗院の坊舎があり栄えた。地名はこの坊舎と港があったことに由来している。集落には上中坊、上の坊、中坊など一乗院との位置関係で付けられた名が並んでいる。地名には歴史があるから面白いね。その名刹一乗院は明治の初め廃仏稀釈で取り壊されたらしい。小学校の正門の所に、当時谷川に投げ捨てられた仁王像が立っている。その怖い顔をした仁王像の辺りが遊び場であった。150年前の日本ではイスラム過激派がしているような事がやられていたようだ。

平成31年2月15日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No118) 田舎医者の流儀(93)・・・「息」の話

スタンフォード大学はアメリカ西海岸にある世界有数の大学で、ノーベル賞受賞者も一大学で日本人受賞者数をはるかに越えている。又、スポーツの名門大学でもあり、2016年リオデジャネイロオリンピックでは27個のメダルを獲得、アメリカの獲得した全メダル121個の22%を占めたそうだ。全米大学体育協会による米国大学のスポーツの強さを示すランキングで23年連続一位となっている。ここ出身のプロアスリートも多く、ゴルフのタイガー・ウッズなど、野球、バスケットボール、アメフトなどに有名選手を輩出している。

そのスタンフォード大学にはアスリートの「疲労予防」「疲労回復」を専門に扱う「スポーツ医局」なる部署があり、専門トレーナーが多数在籍し、選手の体調管理にあたっている。そこのアスレチックトレーナー山田知生さんによれば、その中心になっているのは「IAP呼吸法」という「息を吸うときも吐くときも、お腹の中の圧力を高めてお腹周りを固くする呼吸法で、お腹周りを固くしたまま息を吐ききる」という方法だという。呼吸法は東洋的なものと理解していたが、スタンフォード大学という最先端の大学で、トレーニングの核に位置づけられていることにびっくりさせられた。

呼吸法はお釈迦様以来、東洋における健康法の基本である。坊さんは長生きだが、その質素な食事と読経が関与していると考えられている。読経で「南無阿弥陀仏」と唱えれば呼気を伸ばすことになる。笑いは健康に良いとも言う。笑いの息は吐く事が中心になる、一方悲しみの息は吸気が中心になる。

人の体の動きを司るのは体性神経と自律神経である。こう動きたいと思ったとき脳が指令をして意志通り動かすのが体性神経・末梢神経である。一方、自分の意志とは無関係に作動しているのが自律神経である。心臓は自分の意志では動かしたり、止めたりできない。食事をしたら、消化管は自動的に機能する。

呼吸は自律神経が支配し無意識にしているが、意識しても出来る。吸気は交感神経、呼気は副交感神経を興奮させる方向に働く。ストレス過剰な状態では交感神経が過剰に働く、呼気中心の呼吸を意識してすれば、沈静化する方向に向かわせる。呼吸法にはいろんな流派があり、それぞれのやり方が提唱されているが、要は呼気中心にすることが肝要と思う。

文献:「スタンフォード式疲れない体」 山田知生著 サンマーク出版。「息の発見」五木寛之、玄侑宗久著 平凡社

平成31年1月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No117) 田舎医者の流儀(92)・・・平成の終わり年

平成の終わり年を迎えた。このトシになると正月もなんとなく迎えてしまう、それでも七草粥やお餅を頂くと正月気分になれる。ここ数年、孫のいる札幌で正月を迎えていたが、昨年お正月の後、肺炎を起こし入院する羽目になった。今年はおとなしくしていなさいと家人に言われ、鹿児島で過ごすことになった。例年、札幌行きは天候に恵まれていたが、今年は大荒れで新千歳空港は大混乱したようだ。行っていたら大変だったなと思っている。

平成が終わり、5月には新しい時代が幕あけする。昨年末、天皇陛下はお誕生日会見で「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられた。陛下の戦争・災害で苦しむ人々への思いは深い。皇太子時代、沖縄ひめゆりの塔への参拝の際、火炎瓶が投げられ、酷暑の中汗も拭かず毅然として参拝をされた。自分の意志で戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を慰霊のため訪問されたという。多くの国内の災害の際にも慰問された。

就任された早々は「少々頼りない感じがあった」(某評論家)、昭和天皇との比較でそういう受け止め方もあったかと思う。しかし、象徴としての自分の立場に「真剣に向き合う」中で今のお姿を作り上げてみえたように思う。「物事に真摯に向き合う」半端ない姿勢、その誠実なお姿こそが多くの国民に敬愛の念を抱かせている。

平成の時代は次世代に多くの積み残しをした。国の借金は1100兆円を越し、平成の初め頃に比べ4倍にもなったという。子や孫の世代に「膨大な借金」を残し、今の我々の生活が成り立っている。原発の廃棄物も処理が出来ないまま、次世代に積み残される。もう限界なのに、原発は稼働を続けている。環境問題も深刻だ。温暖化が進行し、災害が大型化してきている。平成30年はその転換期と後世に位置づけられるかもしれない。そんな方向に終止符を打つべきであるが、我々が選んだ政治家は「真剣に向き合っている」とは言い難い。

人類は新しいテクノロジー(AI、生命工学など)の獲得により、どこに向かうのか。再生医療、遺伝子治療と医学の進歩は際限なく進んでいる。そのうち、故障した臓器はすべて取り換えて、寿命は際限なく伸びていくことになる。しかし、それにはとてつもない費用が掛かる、それを負担する能力のある者だけがその恩恵を受けられる。そんな世の中が目の前に迫っている。
(ホモ・デウス テクノロジーとサイエンスの未来 ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社)

平成31年1月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2018年

指宿 菜の花 通信(No116) 田舎医者の流儀(91)・・・最近の日常

今月で後期高齢者の仲間入りをした。医療保険も医師国保に入っていたが、75歳以上は全て後期高齢者医療保険になるというので、そちらに移行した。保険料が大幅に増えそうだと家人が言っていた。

7月に鹿児島県内科医会長を辞し、これで殆どの公の仕事を引退した。2~3の「公」の仕事は残っているが、大きな影響力のある仕事ではない。これで晴れて「終わった人」になった。今年からは指宿医療センター総合内科の仕事もそれまでの週3回から2回にした。そんなに暇が出来て何をしているの、惚けるよとご心配を頂く、しかし、まあー生きていると次から次にやることは出てくるね。

「先月11月は指宿での診療8日、ゴルフが5日、農園に行ったのが14日、孫会いに札幌に行ったのでそれが3日という状況であった。それまで多かった会合はゼロ、個人的な飲み方が4回と今までの生活と一変してしまった。飲み方も片意地張ったものは全くなく、後輩や気の合う友人とのことが多いので楽しい。

農園に行くと、天気が良ければ草取り、落ち葉が多いので庭の掃除、それがきつくなったら小屋に入って本を読んだり、調べ物をしたりしている。ゴルフもまだまだ発展途上(?)と思っているので、時に素振りしたり無駄な(?)努力もしている。農園にいると少なくともこの3つのことが出来るので、終日居ても飽きる事はない。

農園は生き物なので、昨年たくさん取れたビワが今年は全く実らなかったり、ミツバチが全く来ず蜂蜜が取れなかったりした。それでも新たにショウガや山芋が取れた。庭に変わったスミレが咲いた、やたらスミレに詳しい家人が言うには「つくしスミレ」という珍しい(?)種類だという。鹿児島では3か所しか自生していないそうだ。

今年初め、風邪をこじらせ肺炎を起こし、それに伴い糖のコントロールが悪くなり1ヶ月近く入院する羽目になった。まあそれも年寄りが生きていくための貴重な経験と前向きに捉えている。7月に「田舎医者の流儀」という本を自家出版した。この「菜の花通信」が100号を超えたので、それを一冊にしただけで、それほど労力を使ったわけではない。熟練の編集人大迫さん、有川さんの力でそれなりに見栄えの良い本ができた。満足している。

平成30年12月21日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No115) 田舎医者の流儀(90)・・・病は気から

「絶え間のないストレスが人の体を破壊する方向に働き、例えば、イギリスの公務員数万人を追跡した試験で、ストレスの強い仕事を持つ人は著しく短命で、死因のほとんどが心疾患である」という。様々のデータから、ストレスに晒された人たちの寿命が短いことは明らかである。最近、そのメカニズムが最新科学で解明されつつある。

遺伝子レベルの研究では『「数年間、孤独を感じてきた「特に寂しい人たち」8名と、よい友人を持ち、「特に人とのつながりのある人たち」6名を選び、各群で活性化している遺伝子を分析した。孤独な人たちで発現が亢進された遺伝子は大部分が炎症に関与し、発現が抑制された遺伝子の多くが抗ウイルス反応と抗体産生に関与していた。社交的な人たちはその逆だった。つまりストレスに晒されると炎症が起こりやすい方向になる』という。

「母親たちをニ群に分け、テロメアを研究した。片方の群は健康な子を持つ母親たち、もう片方の群は自閉症などの慢性疾患の子を持つ母親たち。その結果、女性のストレスが大きいほど、テロメアが短くなることが明らかになった。最も疲れ切っていた女性たちのテロメアは、ストレスの小さい女性たちのものと比べると、十年速く老化しているように見え、テロメアの伸長を行う酵素テロメラーゼの値は半分だった。ストレスを感じると、人は病気になるだけでなく、老化も進む」という。*テロメア:染色体の末端にあり、老化や寿命に関係する。

慢性的なストレスは自律神経の緊張をもたらし、免疫機能の低下などを介して慢性的な炎症状態を引き起こし、発病・老化を促進する方向に働くということのようだ。以前、本通信で紹介した勝海舟は、健康法の基本はまず「自分の心に咎める」事のない生き方が大事と説く。心に咎める事がないとストレスにさらされる事が少なくなり、何よりの健康法だと言う。現在の学説にも大いに合致する考えで、見識の高さに驚嘆させられる。

先日来、どこぞのカリスマ経営者は給与を低く記載し、私用の豪邸や家族旅行を会社に負担させ、政治家は政治資金の不正を指摘される。上に立つ人が一般社会では許されない事を平気で行っている。そんな「心に疾しい事」をしていたら、長生き出来ませんよと言いたいが、「疾しい事」と思っていないのかもしれない、困ったものだ。庶民は悪さをすると「心に咎める」ので、やはり「清く正しく」生きて、ストレスを受けないようにしたが良いかな。
参考文献:「病は気から」を科学する ジョー・マーチャント著 服部由美訳 講談社」

平成30年12月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No114) 田舎医者の流儀(89)・・・「痛い・痛い」飛んでいけ

心臓疾患の中にも「気」から起こったとしか考えられない「病気」がある。開業の先生から、70台女性で心臓が悪いようなので、診てくれないかと依頼を受けた。心不全状態であり、心エコーをすると左室の心尖部が全く動いていない、まさに「心筋梗塞」を思わせる所見であった。話を聞くと、数日前に娘さんの家が火事で、それを見て気が動転したと言う。病歴から言ってタコつぼ型心筋症と考えられた。広島の先生が見つけた病気で、過度のストレスに晒されたとき起こり、自律神経系の過度の緊張が関与すると考えられている。適切な治療により心筋の動きも改善、後遺症も残さず治癒、日常生活に復帰された。

なんで、こんな事が起こるのか、長い間疑問に思っていた。先日、本屋をぶらついていたら、『「病は気から」を科学する』と言う本が眼についた。著者が科学ジャーナリストとして「信頼置けそうな経歴」であったので読んでみることにした。

この本の一節。「レビン(歯科医)は、口腔外科手術後の患者に強力な鎮痛剤だと言って生理食塩水の静脈注射をした。患者の1/3以上が、プラセボ投与後、痛みが著しく緩和されたと言った。そのあと、レビンは患者に伝えることなく、エンドルフィンの効果を阻害する薬ナロキソンを投与した。すると、患者の痛みがぶり返したのだ。このことは実薬と同様に鎮痛剤だという思いに脳が反応して、エンドルフィンが出し、実薬と同様の実体のあるメカニズムが働いて鎮痛効果出した事を示している。
*(エンドルフィンは、脳内で機能する神経伝達物質、内在性オピオイドであり、モルヒネ同様の作用を示す。内在性鎮痛系にかかわり、また多幸感をもたらす)

今まで、プラセボを投与して「効く」のはそんな気がするだけの、気分の問題と考えられていた。実は痛み止めだと強く思う気持ちに、脳が反応して脳内の「天然薬局」からエンドルフィンを出しているという。今までの常識を覆す話である。

小さい子供が転んで手、足を打って泣いているとき、母親は患部をさすりながら『「痛い・痛い」飛んでいけ』とあやすと、子供が泣き止んでしまうことがある。これも単に気分的な問題でなく、実際にエンドルフィンが出て、鎮痛効果が出ていると考えられるのだろうか。人の体の構造は次から次へと新しい事が判って、面白いね‼
参考文献:「病は気から」を科学する ジョー・マーチャント著 服部由美訳 講談社」

平成30年11月21日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No113) 田舎医者の流儀(88)・・・勝海州の健康論

大河ドラマ「セゴドン」も佳境に入り、先日は「江戸無血開城」についての西郷・勝会談のシーンであった。勝は「とにかく西郷の人物を知るには、西郷くらいな人物でなくではいけない。俗物には到底分らない。あれは政治家やお役人ではなくて一個の高士だもの」「西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗込む。おれだって事に処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをして相欺くに忍びざらしめた。この時に際して、小籌浅略を事とするのはかへってこの人のために、腹を見すかされるばかりだと思って、おれも至誠をもつてこれに応じたから、江戸城受渡しも、あの通り立談の間に済んだのサ」 という。

その勝海舟の健康論は現代医学の観点から見ても「本質」をついている。ある行者が「自分の心に咎めるところがあれば、いつとはなく気がうえて来る。すると鬼神と共に動くところとの至誠が乏しくなって来る。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ」と言って聞かせた。「この話を聞いて、おれも豁然として悟るところがあり、爾来今日に至るまで、常にこの心得を失はなかった。全体おれがこの歳をして居りながら、身心共にまだ壮健であるといふのも、畢竟自分の経験に顧みて、いさゝかたりとも人間の筋道を踏み違へた覚えがなく、胸中に始終この強味があるからだ」と。

「人間長寿の法といふもほかにはない。俗物には、飲食を摂して、適度の運動を務めなさいと言へば、それでよいが、しかし大人物にはさうはいかない。見なさい、おれなどは何程寒くっても、こんな薄っぺらな着物を着て、こんな煎餅のやぅな蒲団の上に座って居るばかりで、別段運動といふことをするわけでもないが、それでも気血はちゃんと規則正しく循環して、若い者も及ばないほど達者ではないか」「さあここがいはゆる思慮の転換法といふもので、すなはち養生の第一義である。つまり綽々たる余裕を存して、物事に執着せず拘泥せず、円転豁達の妙境に入りさへすれば、運動も食物もあったものではないのさ」
(氷川清話 勝海舟 講談社学術文庫)

そうして、あの時代勝海舟は75歳まで生きた。現代医学はストレス過剰・交感神経興奮が「慢性の炎症状態」を惹起し、病の原因・進展に深く関与することを明らかにしつつある。勝は「自分の心に咎めるところがなく」「綽々たる余裕を存して、物事に執着せず拘泥せず、円転豁達の妙境」あることが養生の第一義であるという。その慧眼に驚かされる。

平成30年10月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No112) 田舎医者の流儀(87)・・・「眠り」の話

「眠れない、睡眠薬をください」「今の睡眠薬は効かない、もっと効くのはないの」など睡眠薬を欲しがる患者さんは多い。一方では、「眠れないことはないですか」と聞くと、「朝早く起きて農作業をするし、体が疲れて夜はよく眠れるよ」という患者さんもいる。

確かに、眠れないと不快で、昼間に眠くなり、事故を起こす可能性、仕事効率の低下の原因となる。睡眠時間が7時間の人に比べ、3~4時間の人は明らかに肥満が多いというデータもある(米国・女性)。不眠では食べすぎを抑制する「レプチン」というホルモンが出ず、一方で食欲を増す「グレリン」というホルモンが出るため太るという。不眠はインシュリンの分泌を低下させ、糖尿病の原因、コントロール不良の原因ともなる。又、交感神経の緊張状態が続いて高血圧や、 精神不安定になり、うつ病、不安障害、アルコール依存、薬物依存の発症率が高くなる。

夜間の頻尿、睡眠時無呼吸症候群、うつ病などの疾患、カフェイン、たばこ、アルコールなど不適切な摂取が原因になる事もある。しかし、多くは心理的・精神的な要因が多い。最近の睡眠薬は進化してきたがそれでも薬にのみに頼るわけにはいかない。生活習慣を見直す必要がある。

メラトニンという眠りを促すホルモンは、朝の光で分泌が抑えられ、夜になると分泌がうながされる。覚醒を維持するオレキシンという脳内物質も、朝起きて活動することにより分泌されてくる。理屈はともあれ、ヒトという動物は陽が上がったら起きて活動し、陽が沈むと眠りにつくように体を作ってきた。そのリズムを大事にする事が眠りの「コツ」ではなかろうか。体温も眠りには大事である。お風呂に入ると体温は上がる、その後、当然体温は元に戻ってくる。深部体温はお風呂後1時間半位が最も下がる、その時一番眠気が強くなるそうだ。現実には難しい事もあるが、眠る1時間半前にお風呂に入ると良いという。

米国スタンフォード大学の研究によれば、眠り始めて90分の熟睡が大事であるという。この時、グロースホルモンという大事なホルモンが出る。子供には成長に重要であり、大人ではアンチエイジングにも関連するという。この90分が最も大事で、ここがうまくいくと良質の眠りが得られる。眠ると決めたら、電気もテレビも消して眠り始めの90分が深い眠りになるようにしたい。
(参考文献:スタンフォード式最高の睡眠 西野精治著 サンマーク出版)

平成30年8月31日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No111) 田舎医者の流儀(86)・・・反響

7月の初めに「田舎医者の流儀」と題する本を自家出版した。平成21年4月より、当院に勤務するようになり足かけ10年、その間、病院のホームページに「菜の花通信」というコラムを書いてきた。月に一回程度をめどにしていたが、サボらずにやってきたようで100号を超えた。更に、この7月をもって殆どの公の仕事を引退した。一つの区切りと考え、本にすることにした。

原稿は今迄の「指宿 菜の花通信」のままで大きく手を加えたわけではない。ただ、例えば「JR指宿線」と書いてきたのは、正確には「JR指宿枕崎線」であるので、そのように統一した。表紙は開聞岳の山頂から雲が滝のように下っているもの、巻末に鹿児島の希少種の花の写真を載せた。これはいずれも家人が長年撮りためた写真の中から選んだもの、なかなか評判が良かった。かっこいい本が出来た、とお褒めを頂いたがこれは熟練の編集人・大迫さんの力に負うところが大きい。本人は大した「努力」はしていない。

出来上がった本を、恥ずかしながらお送りしたところ、多くの方から丁重なお手紙、メール、電話を頂いた。大学生時代、仲の良かった友人は新聞記者になり、年賀状のやり取りをするぐらいであったが、「若い時からの友人の本を見てうれしい」と言ってくれた。医学生時代「同棲」した友人医師(男ですよ)はそれぞれ違う道を歩いたけど、自立して歩んだことをみてくれていた。本が縁で友人たちの近況が知れたのも嬉しかった。

本の反響で一番多かったのは、コラーゲンについての記事であった。『コラーゲンは蛋白質である。蛋白質は人の体ではそのまま吸収される事はあり得ない。蛋白質はアミノ酸に分解されてはじめて体の中に入っていく。蛋白質がそのまま体の中に入ると、異物と認識されてたちまち抗原・抗体反応が起こり、大変な「病気」になってしまう。コラーゲンは分解されてアミノ酸として吸収されるが、そのアミノ酸は体の中で再びコラーゲンになるわけではなく、その他のいかなる蛋白質の構成要素になりうる。コラーゲンを食べたから、体の中にコラーゲンが増えるわけでない。そんな事は現代科学の常識である(1937年 ルドルフ・シェーハイマー)。従って、それによって体調が良くなったというのは奇妙な「個人の感想」でしかない』(田舎医者の流儀 P26)

この記事を読んだご婦人方から「コラーゲンは効果ないの」という意外そうな反響が多かった。残念ながら、その後もコラーゲンが「効く」という証拠は出ていない。(国立健康・栄養研究所 HP参照)

平成30年8月31日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No110) 田舎医者の流儀(85)・・・豪雨、猛暑

今年の梅雨・豪雨で広島、岡山、愛媛県など甚大な被害に見舞われた。現時点で死者、行方不明者は230名に達する。河川の氾濫、山崩れなどによる想定を超えた災害である。山崩れは急斜面で、ある程度想定された場所のみではなく、緩斜面でも広範に起こった。観測史上最大の豪雨のため想定外のところにも起こったという。

その後は、異次元の猛暑が日本列島を襲った。群馬県熊谷では日本歴代最高の41.1度、東京都内でも初の40.8度が記録されている。京都では観測史上初めて7日連続で38度を超えた。気象庁は「命に危険があるような暑さが続き、災害という認識だ」という。熱中症による死亡が連日報道されている。

この異常気象は日本のみではない、北半球全体で猛威を振るっている。世界気象機関(WMO)によると欧州で高温が続き、ノルウェーやフィンランドなど北極圏でも33度以上を観測した地点があり、最低気温が25度を下回らない熱帯夜があったという。米国では50度以上の最高気温を示した地点があり、各地で山火事が多発している。広範な山火事による炭酸ガスの放出が今後の気象に及ぼす影響も懸念されている。

これらの異常気象の原因は、それぞれ説明をされているが、その根底は進行する地球温暖化にあると言わざるを得ない。WMOによると地球の平均気温は産業革命前と比べ1.1℃上がり、近年の上昇傾向は更に強まっているという。1℃上がった結果がこのような異常気象の原因と考えるべきである。この異常気象は始まりにしか過ぎず、もっと深刻な気象状況が招来すると多くの気象学者、国際機関は憂慮している。

河野外務大臣の指示で今年1月に設置された「気候変動に関する有識者会合」(座長:末吉竹二郎国連環境計画金融イニシアチブ特別顧問)は「気候変動は地球規模の危機であり、この課題に真摯に立ち向かうこと抜きに日本の品格は保てない」と指摘。再生可能エネルギーに関する日本の取り組みは「立ち遅れが顕著になっている」と強調した。

多くの指摘があるにも関わらず、政府の温暖化対策は遅々として進まない。政治家は「博打法案」の成立には熱心であるが、温暖化対策には動きが鈍い。この状況を打破するには我々国民が声をあげるしかない、そうでないとこの星・地球は人の住めない所になってしまう。

平成30年8月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No109) 田舎医者の流儀(84)・・・終わった人

この7月で鹿児島県内科医会会長を辞し、これで殆どの「公」の仕事を引退した。現在、指宿医療センターで週2日外来診療をするのみで、他に仕事はなく「終わった人」になった。タイミング良く「終わった人」という映画が上演されていたので見に行った。

平日の午後なので、観客は少なかろうと思ったら50名位も入っていた。今まで映画見に行って、大体10人位が普通なのでびっくりした。2/3位はご夫人方で、男性は私を含めて高齢者が多かった。定年後に関心が高いのだろう。

映画は定年退職した東大出のサラリーマン男性が仕事ばかりしてきて、趣味もなく、居場所を見つけられず、右往左往する状況が描かれる。そのうち、スポーツジムで知り合った若いIT事業経営者に口説かれて、若い人ばかりの会社の顧問になる。それなりにうまく行っているようにみえたが、その若社長が病気で倒れ、急死、会社の若者に口説かれて、社長を引き受ける。しかし、会社は倒産、多額の負債を背負うことになる。

奥さんからは勝手にやったこととなじられ、離婚の危機になる。どうにもならず、生まれ故郷の盛岡に帰り、高校時代の同級生のやっているNPOの事業を手伝うことになる。今迄の経歴などを卒業し、新たに自立を目指す事で映画は終わる。

「終わった人」が過去を引きずりながら生きていくと、周りに波風を立てることになる。「求めない、期待しない、奢らない、こだわらない」という高峰秀子(女優、故人)流の生き方が求められているようだ。それでも、私は週二日の外来診療をしている。今のところは周りが気遣いして「助かっています」と言ってくれるので、素直に受けとっている。しかし、本当に「老害」になった時、率直に言ってくれる後輩を作っておこうと思う。

今までやってきた事を全てやめてしまうわけではないが、可能な限り譲ってしまった。時間が空いたので、小さな農園を作り、花や野菜を育てている。今はトマト、ナスが取れる、ブルーベリーの熟れたのを朝収穫すると結構美味しい。今年はブドウが3房なっている。食べられるようになってくれるか楽しみだ。こんな言うと、皆さん長続きはすまいと思われるようだ、そう言われることが多い、そうかもしれない。しかし今の私には草取りも、花が咲く、作物が実る、いずれも楽しく心落ち着く時間だ!!

平成30年7月4日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No108) 田舎医者の流儀(83)・・・大谷選手

今年から、大谷翔平選手がアメリカ大リーグに挑戦している。春先のオープン戦では全く打てず、投げても打たれてばかりで、通用しないのではという見方もあった。しかし、開幕するや投げる方も打つ方も実力を発揮し、大リーガー達の度肝を抜いている。更に、競技能力のみではなく、ファンやチームメートなどへの対応能力、そして何よりもさわやかな笑顔が周りを魅了している。

日本人で大リーグに挑戦した選手の中で、イチロー、松井、野茂らは超一流の存在であった。打者、投手それぞれの分野で成功することも容易ではない。大谷はその中で投手も打者もやって、それぞれが超一流の腕前である。最近は、大谷選手のみでなく、世界に通用する日本人スポーツ選手が多くみられるようになってきた。テニスの錦織圭、ゴルフの松山秀樹など、体力的ハンディを克服して対等な戦いが出来るようになっている。

大谷がなぜ今のチームを選んだかは詳しく知らないが、もっと良い「条件」を出したチームは他にもあったはずだと思う。しかし、彼にとっては何よりの好条件とは、「二刀流」でやりたいという希望をかなえる事であったのではなかろうか。目先の条件ではない、やりたい事をやれる場に自らを置いていく、そこのところがすごいと思う。

日大アメフト部員の違法タックル問題が連日大きく取り上げられている。違法タックルを行った選手は反省し記者会見、正直にきちんと自らの弱さも含めて告白した。一方、監督らは自らの責任を認めず、選手の受け止め方が悪いような発言を繰り返した。その後の、様々の検証結果では監督が指示し、違法タックルをさせたという結論になった(関東学生アメリカンフットボール連盟の声明)。勝つためには違法行為を選手に強いる、それがばれたら指示していないと居直る、根本的に学生スポーツの有り様に反するように思える。

一方で、帝京大学ラグビー部は人の入れ替わる学生スポーツで6連覇という信じられない偉業を達成、青山学院大学陸上競技部大学は箱根駅伝を制した。そこの監督はいずれも一人一人の学生の人としての成長が重要で、従来の体育会的指導ではだめだと説く。当たり前だがすごい。
(岩出雅之著『負けない作法』集英社 2015年、原晋著『フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』アスコム 2015年)

平成30年6月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No107) 田舎医者の流儀(82)・・・筍

農園の周囲4分の3は竹林になっている。その半分は孟宗竹が生えていて、当然、農園の方にも侵入してくる。2年目になるので、筍の出始めに気づけるようになり、地面からわずかに穂先が出たり、モグラでもいるのかと思える土の盛り上がりがあったりして判るようになった。今年は10本位の筍を掘り出した。用があり数日農園に行けないと、1メートル位に成長して、その成長の早さにびっくりさせられる。

筍掘りは初めてであった。ネットで調べると葉がついている方向に、穴掘りするといいらしい。一本目は慎重に穴掘りしたが、半分位のところで折れてしまった。二本目はかなり深くまで掘ったが、まだまだ完全には取れてこない。農園を見回りしてくれる徳さんが来てくれたので、掘ってもらった。徳さんはさすがに上手で、根まで掘ってお店で売っているような形の良い筍を収穫できた。

家で料理して、食べたが大変柔らかく、甘みもありおいしく頂いた。筍をおいしいと思って食べた記憶はあまりないが、自分で、苦労して収穫したせいか、収穫したその日のうちに食べたせいか、なんだかおいしく思えた。

周りの竹林の筍の成長は早い。数日見ない間に背丈の2倍ぐらいに成長している。まっすぐ伸びているのを見るのは楽しい。今年も本県には102名の新人医師が入ってきた。2年続きの3桁の研修医確保を大変嬉しく思う。ある程度一人前になるには時間が掛かる。診療科によって違いはあるが、内科では10年位はかかる。多くの研修医がまっすぐに育って欲しいと願うばかりだ。

大学病院に24年間、鹿児島医療センターに17年間在籍し、定年後8年間も研修医確保の仕事をしてきた。その為、絶えず新人医師と付き合い、その成長を見守る立場にあった。給与や勤務条件に厳しい者もおれば、そんなことは二の次で技術習得や研究に熱心な医師もいた。私は条件の決して良くない所に飛び込み、道を切り開く多くの人材・後輩に恵まれた。誇りだね。

私の友人のM医師は若い頃から、70歳を超えた今も、「先生こんな面白い所見が取れたよ、見たことなかったでしょう」とパソコンの画像をみせて「自慢」する。患者さんや病気の話をするM先生は生き生きとして楽しそうだが、管理面の話になると暗い?表情になる。臨床家としてのみだけで生きて行って欲しいが、ある年齢になると悲しいかなそうはいかない。それにしても、幾つになっても、医師になった原点を持ち続けている人と話したり、飲んだりするのは楽しい。

平成30年5月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No106) 田舎医者の流儀(81)・・・春・旅立ち

春を待ちかねたように花が一斉に咲き始めた。農園では梅の白い花、しだれ梅のピンクの花が初めに咲いた。庭の片隅にスミレが鮮やかな紫色の花をつけ、冬の間枯れてしまったのかと思っていた翁草が赤紫色の花を咲かせた。花が垂れているので、中を覗いてみると鮮やかな黄色の芯とその中に更に暗紫色の芯がある。椿も赤、ピンク、白とそれぞれ咲き誇ってきた。「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲けりを見る時」(橘曙覧全歌集 P179)、歌人ほど深い想いをいだくことは出来ないが、凡人にもそれなりに楽しい。

友人の後輩医師から、息子が医師国家試験に合格したとメールが入った。早くに奥さんを亡くし、幼少時より男手ひとつで育ててきた、いろいろの事があったのだろうが、あまり愚痴など聞いた事がない。「おめでとう、近いうちに一杯やろう。」とメールした。うちの孫殿も小学校に上るという。彼にどんな人生が待っているのか知るよしもないが、どの分野であれ一生懸命やれる事を見つけて、生きて欲しいと願う。

春は木々も芽吹き、人もまた新しい旅立ちをする希望に胸膨らませる季節である。こんな3月は社会もまた明るい話題が主であって欲しい。しかし、新聞は国有地が著しい低価で払い下げられた件を連日大きく報道している。一般庶民の眼からはこんな事が何らの工作なしに行われたとは信じがたい。世論調査を見ても多くの国民が疑義を抱いている。これほどの事を「官僚」が勝手に行ったとし、行わせた側が責任を取ろうとしない。こんな不法行為を一官僚に出来るわけがない。末端で汚い仕事をさせられた官僚は「自死」に追い込まれた。公のために仕事しようと公務員になったのに悔しかっただろう。

先日、国会でこの件に関する証人喚問が行われた。証人は訴追を理由に殆ど質問に答えなかった。なぜ行ったのか、誰の指示か等、何も明らかにならなかった。流れる映像を見ながら、証人にこんな態度をとらせる背後の大きな力に怒りを覚えざるを得ない。「政治家の関与」はなかったことのみを「明確に」証言させ、得意そうにしている議員もまた哀れである。証人は税の専門家として評価されていると報道されている。その能力を発揮して国民のために働いて欲しかった。この国の現状は人の能力を生かすような社会になっていないこと気づかされる。

希望に燃えて、旅立つ若者たちがそのまま成長し、その能力が「公」と「民の幸せ」のために使われる社会であって欲しいと願う。

平成30年3月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No105) 田舎医者の流儀(80)・・・冬・オリンピック

今年の冬は雪が多かった。北陸・福井では昭和56年以来、37年ぶりの豪雪という。車社会の中で突然(?)の豪雪に、多くの車が立ち往生、閉じ込められる事態となった。除雪もままならず、数十時間以上閉じ込められ、死亡事故も発生した。「便利さ」を基準にした現代の社会システム構築が災害時にはそのもろさを露呈する。

南国鹿児島も雪を見る日が多く、高台にある私の農園も一面の雪であった。寒さに弱い南国育ちの植物は一回の雪で全滅してしまう。かつて、自宅に植えていたサクラランは花を咲かすまでに育っていたが、3年前の大雪で葉が凍傷にかかったみたいになり、全滅してしまった。今農園に植えているサクラランは霜除けの防風ネットを被せたり、一部は鉢植えにして屋内に避難している。持ちこたえられたかは判らない。源平かずら、ブーゲンベリアも寒さに弱い。それなりに保護したが、春になったら芽吹いて欲しいと祈っている。

今、農園にいる動物はミツバチと小さな池のメダカである。水温が低くなるとメダカは底のほうに身を潜め、暖かい日に水温が上がると水面近くを泳ぎ回っている。ミツバチさんは全く外に出てこない。先日チェックに来た「ミツバチ屋さん」の話では中にはいっぱいハチさんがいるそうで、冬の間は食べるものをあげるのだそうだ。今年は池にオタマジャクシが孵化している。すぐ下が甲突川なので上がってきて卵を植えつけたのかもしれない。今は狭い池でメダカとオタマジャクシが共存しているがカエルに孵化した時どうなるのだろうと心配している。

韓国平昌で冬のオリンピックが開かれ、日本勢は金を含めて二桁のメダルを取り、大活躍した。世界中の選手がこの大会に焦点を合わせてきている。その中でメダルを取るのは至難の技だ。けがで出場すら危ぶまれた羽生選手は痛み止めを飲みながら金を獲得した。大変な技術・体力・精神力である。小平選手も前回の惨敗(?)を糧にして頂点に立った。基礎体力に優れたオランダ選手らを押しのけての栄冠ですばらしい。自らを「求道者」と表現していたが、そんな姿勢があったらからこそと感銘を受けた。高木姉妹らのショートトラックチームはあのオランダ相手(ドリームチームと呼ばれていた)に勝った。日本人の組織の力を最大にする能力はいい方向に発揮されるとすごい。高木のお姉さんの金二つもすごい、日本勢では女性の活躍が目立った大会であった。

フェアーに舞台に上がり、競い合う。この当たり前のことが規範になると、我々の住む社会はより安寧になるのではなかろうか。そんな思いでオリンピックを見つめていた。

平成30年2月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花 通信(No104) 田舎医者の流儀(79)・・・春愁

指宿医療センターの病棟からは眼下に穏やかな錦江湾と大隅半島の山々がよく見え、癒されるオーシャンビューである。日の出は対岸、大隅半島の山の上に出て真正面に見える、見事なものだ。先日は日の出前に、内之浦から打ち上げられたロケット(イプシロン3号)がよく見えた。炎のような尾を引いて飛び立っていった。打ち上げは成功し、小型ロケット、高性能、低価格で意義深い成功なのだそうだ。その後、オーロラのような夜光雲が各地で見られ、ニュースになった。日本のロケット屋さん達がいつまでも、人々の幸せのために仕事出来ることを願いたい。

今年も多くの年賀状を頂いた、年一回の消息でも嬉しい。同級生のK君はゴルフの名手だが、この歳になってもまだ70台でまわっているという。90を切るのも少なくなった我が方としたら羨ましいかぎりだ。しかし、当方とてまだまだ発展途上(!!)、練習すると良くなるかもと妄想を持ったりする。今年の年賀状には「元気にしていますか」という問いかけが多かった。昨年3月で殆どの公職を退いて「隠居」したので、いろんな場面で名前の出ることが少なくなった所為であろう。

「春愁や老医に患者なき日あり」(播水)(神戸で内科を開業している医師の句という)この句に作家五木寛之は「若い頃どこかの大病院の院長として活躍され、名医とうたわれた医師がいる。退職後まだまだ人の役に立ちたいと自宅に診療所を開かれた。日々、あのおばあちゃんはどうしているだろう、あの子の体調はどうかと考えて、過ごしているうちに、やがて年月がたち、老いもさらに深まってきた。ある日いつものように白衣を着て診察室で待っているけれどどういうわけか患者さんが誰も来ない。そのうち、こういう日が続いて、いつか誰ひとり訪れる人がいないときが来るんだろうなと思いながら窓の外を見ると桜がちらほら散り始めている。やわらかい陽ざしの中でぼうっとしながら老医師がしみじみと来し方行く末を考えている風景」、こんな情景をイメージするという。
(五木寛之著『孤独のすすめ-人生後半の生き方』中公新書ラクレ、2017年)

我が身にも、形は違ってもそう遠くないうちに、そんな日が訪れるだろう、心穏やかにその日を迎えたいものだ。それまで、今まで忙しさにかまけて、足りなかった部分を補いながら診察を続けられたらいいなと思う。患者さんが言いたい事、聞きたい事を全部話して、心地良い気持ちで帰ってもらえたら嬉しい。リップサービスだとしても、今日は「先生に会えて良かった」と言ってもらえたら素直に喜びたい。心が通じあう患者さんとの交流が「おいぼれ」のエネルギーとなってくれたら、もう少し働けるか。ただそうは言っても、診察は怜悧に科学的な側面がある、そこをないがしろには出来ない。医者としての矜持を持ち続けないといけないと自戒する。

平成30年1月31日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2017年

指宿 菜の花通信(No.103)田舎医者の流儀(78)・・・ナオミの警告

地球温暖化を危惧する意見が新聞、雑誌に毎日のように掲載されている。先月中旬、世界中の科学者15000人以上(ノーベル物理学賞受賞・梶田隆章さん等)が署名する「地球温暖化や自然破壊による破滅的な被害を防ぐため、人類は一刻も早く持続可能な暮らしに転換する必要がある」とする声明が、米科学雑誌に発表されたという。声明では「被害が拡大するのを防ぐため、石炭など化石燃料への投資や支援をやめるよう各国政府に提言。森林や海を守り、環境破壊につながる消費を控えるよう求めている」。

「1970年代の10年間に世界中で報告された干ばつ、洪水、異常気温、山火事、暴風雨などの自然災害は660件だったが、2000年代にはその数は3322件と、実に5倍に増えている。たった30年間でこれだけ増加したのは驚くべきことだ。そのすべての原因が地球溫暖化にあるとはもちろん言えないものの、気候変動の影響は明らかに見てとれる」。「私たちは誰しも、気候学者の97%が言っていることと彼らが書いた無数の査読ずみ論文、そして世界銀行やIEA(国際エネルギー機関)のような確立された組織は言うまでもなく 世界各国のすベての国立科学アカデミ—の言っていることを信じるべきだと、私は考える。それらはすべて、私たちが壊滅的なレベルの温暖化に向かっていることを教えている。」(ナオミ・クライン著、幾島幸子・荒井雅子訳『これが全てを変える 資本主義VS.気候変動』岩波書店、2017年)

ナオミ・クラインの本は上下巻で630ページに及び、正確にその内容を把握するのはボケ始めた頭にはなかなか難儀である。よく理解していないような気がしたので、二度読みした。それで、やっと書いてある事は大凡判ったような気がする。彼女は温暖化の原因、現状、対策などあらゆるものを取材、分析し、このままでは地球が我々の住めない星になってしまうと強く警告する。彼女が前著「ショック・ドクトリンー惨事便乗型資本主義の正体を暴く」(幾島幸子・村上由見子訳、岩波書店、2011年)で明らかにした現代資本主義の暗部も衝撃的であったが、この本も同様である。

石炭、石油など化石燃料を燃やし続けていたら、温暖化は止められない。再生エネルギー(風力、太陽熱など)に転換し、CO₂の発生を抑えるべきである。それによりエネルギー不足は起こらないと、多くの学者が試算をしている。EU諸国は再生エネルギーへの転換を進めている。一方、わが日本政府・財界は石炭発電所を20か所も輸出しようとし、日本の銀行は化石燃料企業に莫大な投資をしている。目の前の利益に固守、地球温暖化に向き合わない日本政府の姿勢に世界の厳しい目が注がれ始めている。そんな事実に我々はしっかり向き合うべきだと思う。

平成29年12月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.102)田舎医者の流儀(77)・・・蜂蜜

11月に蜂蜜が取れた。昨年、知人のSさんが小山田の農園にミツバチの巣箱2個を置いた。彼は他にも5か所に巣箱を置いていて、蜂蜜取りのベテランだ。農園の片隅に離して2個の巣箱が置かれた。2個ともミツバチが入ってくると思っていたら、一方にはどんどん入るのに、片一方には全く寄り付かない。働きバチが偵察に来て、この巣箱は巣作りに適しているか観察するらしい、気に入ったらそこに巣作りを始める。結果的には2個の巣箱のうち一個のみに巣作りをして、もう片方には全く寄り付かなかった。(Sさんの話の受け売り)

秋になると、スズメバチがミツバチを狙って来るようになった。ミツバチはパニックになり、巣箱の中に逃げ込む。巣箱の下方にミツバチが入れるような小さな隙間があり、大きなハチはそこからは侵入できない。働き者のミツバチたちはスズメバチの攻撃を避けながら、巣作りに励む。Sさんはスズメバチ対策で巣箱の上にハエ取り紙みたいなものを置いた。不思議なことにスズメバチはかかるのに、ミツバチは殆どかからない。巣箱の下側に置くと、両方ともかかるらしい。よく見ていると、ミツバチは巣箱の下側の入り口方向に飛んできて、巣箱の上方向には向かわない。スズメバチは箱の周りをうろつくのでその習性の差が出ているのかなと思う。

11月中旬、Sさんがそろそろ蜂蜜を採りましょうとやってきた。私も興味があったので、ハチ除けの防具をつけて作業を見守った。蜜の詰まったハチの巣が結構な量とれた。食べると甘いが大変おいしい。家に持ち帰り、パンにつけて食べると大変おいしく、一時その味を楽しんだ。巣を取られたミツバチは巣箱を元に戻すとすごい勢いで中に入っていく。何千匹(?)もの働きバチが巣に戻った感じだ。ありがとうミツバチさん 美味しかったよ 来年もよろしく!!という感じだ。

21世紀の初めごろより、ミツバチの減少が知られるようになってきた。蜂群崩壊症候群といって、ハチが忽然と消えてしまう現象も報告され、その原因は農薬、気候変動、ダニなどの害虫など考えられているが結論に至っていない。ミツバチはただ“はちみつ”を作るだけでなく、いちご、メロンなどの果物栽培の花粉交配という役割をも担っている。農作物の35%はミツバチの受粉によって実をつけ、大いなる恩恵を受けているのだそうだ。従って、ミツバチがいなくなると食料生産に深刻な大きな影響が出てくる可能性があるのだそうだ。

地球環境の悪化はまず小動物に現れるだろう。ハチさんが住めなくなった環境はそのままヒトの生存の危機に直結していくのであろう。

平成29年12月5日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.101)田舎医者の流儀(76)・・・惑星規模公害

11月に2回も台風が接近し、秋をすっ飛ばして冬景色になった。今年7月初め、福岡など九州北部を襲った集中豪雨では40名もの死者・行方不明者を出した。この夏も日本各地で50年ぶりとか、観測史上最高とかの雨量が観測され、大きな被害が出た。「最近の天気はおかしいね」と言うのが日常会話になってしまった。

世界的にもカルフォルニアの山火事、台風・ハリケーンの巨大化、干ばつなど尋常でない気候変動が起こっている。新聞によればトランプ米政権は3日、「地球温暖化は進行しており、人類の活動以外の原因は見当たらない」と結論づける全米気候評価報告書を公表した。報告書によれば「地球の平均気温は過去115年で1度上昇。大気中に放出される二酸化炭素の量は増加し続けており、過去数千万年で最も高い濃度になろうとしている。米国では温暖化の影響により、激しい降雨や洪水、自然発生した山火事などの被害が発生している」とした。

これではトランプ政権は地球温暖化を認めたことになるはずだが・・・。やっていることは全く逆、パリ協定を離脱し、温暖化対策には加わらないという。米国だけがパリ協定に加わらない世界で唯一の国なるという。地球平均気温が1度上昇しただけで、現在の異常気象が起こっている。2度上がったら、大変なことになりそうなので1.5度以内の上昇に留めたいと世界中が合意したのだ。97%の気象学者が温暖化の原因は温室効果ガスの増加によると考えている。反論する意見もあるが非専門の学者・評論家の「先生方」が多い。

水俣病はチッソが工程に使用した水銀を工場排水として垂れ流し、それが有機水銀(メチル水銀)となり、生物濃縮で高濃度になった魚介類をたくさん食べた人から発症した(1956年頃が発生のピーク)。水俣病患者の絶えずけいれんを起こす映像は衝撃的であった。多くの患者が中枢神経系の症状に悩まされた。いろいろの過程があったが、汚染水の垂れ流しを止めると患者発生は終息に向かった。チッソは高い対価を払わされている。当然である。

水俣病、新潟水俣病等公害病は汚染物質が拡散した地域に限定された。しかし、温暖化物質のCO₂、メタンガス等は大気中に拡散し、地球の気候に変動を起こしている。汚染物質は大気に撒かれているので、今までの公害と異なり地域限定ではない「地球という惑星」全体に影響が及ぶ。発生源を止めなければならないが、国も企業も経済への悪影響とか言って後ろ向きだ。対策を真剣に行わないと地球が悲鳴を挙げる日は近い。

平成29年11月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.100)田舎医者の流儀(75)・・・100号となりました

指宿「菜の花通信」は、平成21年10月に第1号を出しました。私が総合内科医(非常勤、週3日)として赴任した年(平成21年4月)、当時の田中院長にお願いをして病院のHPに乗っけて頂いたものです。それから、約8年で100号に到達しました、大体月一回位の心積もりでしたので、あまり怠けないでやってきたようです。

 

私はこの年から、二つの新しい仕事を始めました。医者としてはそれまで循環器病の患者さんしか診ていませんでしたが、総合内科を担当するようになりました。もう一つは鹿児島県の初期臨床研修医の確保の仕事です。二つとも容易ではなかったので、真剣に向き合わざるを得ませんでした。しかし、新しい分野なので私にとっては日々新しい発見があり、それをネタに雑文を書き続けたとも言えます。

 

総合内科にはいろいろの訴えの患者さんがみえます。その訴えに耳を澄まして聴いていると、思わぬ病気に巡り合えます。東南アジアを一年間旅行した青年が一日一回高熱を出すと来院、結果的には「マラリア」でした。その後、なんで「マラリア」という病気を考えたのかと云われましたが、彼の生活、行動に耳を傾けたら、その診断にたどり着いたという事です。「ガイドライン」も大事ですが、向き合って話をよく聞く事が前提になるように思います。

初期研修医確保の仕事も、最初はなかなか思うような結果が出ませんでした。本県の半減した研修医をどうしたら回復できるのか、呻吟する日々でした。事務局を担当する県庁の面々(地域医療整備課)が発案し、「出前セミナー」と称して本県出身の医学生に直接話をしに行く事を始めました。東京、名古屋、高知、福岡、沖縄などに出かけて、飯を食いながら鹿児島県の研修病院の宣伝をして歩きました。直接会って話をするのは大変効果的で、そんな努力が実って、今年は109名が本県で研修することになり、この制度が始まる前の数にやっと復帰できました。

それにしても、最近の「北朝鮮」の核、ミサイル開発は留まる事を知りません。多くの有為の人材がそれにかかわらされています。わが国もかつて細菌学者が「細菌爆弾」の開発に動員され、忌まわしい人体実験までやらされました。その時代、国策に反する事は許されず、「反戦主義者なること通告申上げます」と言った結核医・結核菌の研究者 末永敏事は捕えられ、不遇のうちに終戦前に亡くなっています(森永玲著『反戦主義者なること通告申上げます』花伝社、2017年)。有為の人材が人の幸せのために、その能力を発揮することを許されない社会は悲しいと思います。

平成29年9月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.99)田舎医者の流儀(74)・・・スイカ収穫

知人の徳さんが菜園にスイカを植えてくれた。うまく実ってくれるかと思っていたら、現在までに5個も収穫できた。あと3個ほど実がなっているので、そのうち収穫できそうだ。1個目は収穫が遅れたのか、熟れすぎて腐っていた。ネットで収穫時期を調べて、2個目からはうまくいった。取れたものでは2kgのモノが一番大きかった。完熟しているので味は上々で、家人は「あら結構おいしいじゃん。」とのたまっていた。

植え付けたとき、徳さんが「花が咲いたらちゃんと受粉させてくださいよ。」と言ったが、雄しべと雌しべが判らなくて、これもネットで調べてやっと見分けられるようになった。雌しべは花の下に小さな実のようなものを付けているし、雄しべに比べて小ぶりである。ある程度大きくなったとき、通りがかりのおばあちゃんが「このあたりはアナグマが出るよ、熟れた頃に食いちぎるのよ。」と教えてくれた。周りに侵入防止のネットを張り、なんとか被害を受けずに済んでいる。

徳さんはスイカの外、キュウリ、ナス、トマト、ピーマンと植えてくれた。いずれも結構な量を収穫できた。あと、カボチャ、ニガウリの実がなっており、里芋やネギも植えてあり、収穫を待っている。芝の雑草取りをしてもらったシルバーセンターのおじちゃんが、丸い山芋が取れる苗を持ってきてくれた。どんなものが取れるか楽しみにしている。初めての野菜作りにしてはそこそこに収穫できた。よく解らず肥料も撒かなかったが、菜園に入れてもらった土が良かったのだろう。来年もうまくいくとは限らないので、落ち葉などの有機物を入れてみようかと思っている。

今年植えたブルーベリーも結構収穫できた。ミカンも植えてあるが今年は実がなりそうにない。グミの苗も植えたのでそのうち実をつけてくれるだろう。知人がミツバチの箱を2個置いているが、1つの箱にはミツバチがたくさん来ている。不思議なことにもう一方の箱にはほとんど寄り付かない。ミツバチが自分の住みかを選択するのも面白い。秋になったら、蜂蜜がいっぱい取れそうだ。農園に小さな池を作ったが、メダカを10匹ほど買ってきて入れた、元気よく泳ぎまわっている。1か月も経たないのに、もう小さな子供メダカも泳いでいる。

雑草がわき出てくる。現実は雑草取りに追われている。今年は超暑いので、長い時間は作業できない。朝早く行って、3時間位しかできない。物を作っていくには手間暇がかかる。しかし、物が出来ていくのは楽しい。お金や情報を右から左に動かして大金を得る方法もあるらしいが、物を作り出す方がより価値があり、より利益を得る世の中になって欲しいものだ。

平成29年8月22日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.98)田舎医者の流儀(73)・・・電子カルテ

6月初めより、指宿医療センターもついに電子カルテへ移行となった。医師になって48年、手書きでカルテを作ってきたが、キーボードを叩いて所見を記載していくことになる。患者さんの訴え、検査の指示、処方など、全てを打ち込まないといけない。コンピュータは約束事が一杯あるので、その手順を間違えると一歩も前に進めず、四苦八苦することになる。私が苦労する分は構わないが、その分患者さんは待たされることになる。一週目は「一時間も待たされた」とお叱りを受けた。それまで30分以内のコンタクトを心がけていたので、一時間は長いのだ。

院長さんは、はなから73歳の老医には無理だろうと見越したのだろう、有能なクラークさん(診療を補助するスタッフ)を付けてくれた。操作のわからない部分は彼女が殆んどしてくれるし、教えてくれる。一緒にやっているとクラークさんの能力の高さが判ってきた。紹介状も私が口述するのを殆どそのスピードで打ち込んでくれる。ある面、今までよりスピードアップしたともいえる。有能なクラークさんをうまく「利用」すると楽になる面があることが判ってきた。一ヶ月経ったら、紙カルテ時代と同じ様に30分以内のコンタクトが可能になりつつある。それでも、時々は操作に詰まり一人の患者さんに15~20分を要し、「このぼろコンピュータめ」と悪態をついて、周りから白い目で見られている。

最近のAI技術の進歩は著しく、将棋、チェスの名人たちがコンピュータに打ち負かされ、不可能と思えた自動車の自動運転も実用化の一歩手前まで来ている。CT、MRIなどの画像診断もAI技術の導入で見逃しが少なくなるといわれている。病気の診断は従来我々の蓄積した知識と経験で行ってきたが、これもロボットにさせるとより特殊な疾患も診断出来る可能性が示唆されている。今後AI技術の応用は加速度的に進み、医学・医療の在り方を大きく変えていく可能性がある。

AIの進歩は留まることを知らないし速い。「未来学者のレイ・カーツワィルは、2029年までにコンピュー夕は人間と同等の知能を持つようになる・・・そして、2045年にはコンピユー夕は全人類の脳の総計より10億倍、賢くなっている、と言う」「産業革命の時代、織物エは蒸気機関に仕事を奪われた。そして今、第二次機械化時代になり、AIとロボットが「中流」と呼ばれる人々の仕事を奪う」「オックスフォード大学の学者は、20年以内に米国人の仕事の47パーセン ト以上とヨーロッバ人の仕事の54パーセントが機械に奪われる危険性が高い、と予測する」(参考文献:ルトガー・ブレグマン著(野中香方子 訳)『隷属なき道』文藝春秋、2017年)

そうなると大失業時代が到来することになる。医師、看護師らは今、過重労働に悩まされている。ロボットさんに代行して頂く部分はそちらに任して、本来の患者さんに接する部分を増やしていければよろしいが・・・そのためには医療制度も変わらなければならない。ブレグマンさんの意見はラジカルで一日三時間労働を目指すべきだという。AIやロボットが一部の者の儲けの手段にされたら社会は大変不安定になってしまう。技術の進歩は止められない。それが人の幸せに向けられて行く事を目指すべきであろう。

平成29年8月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.97)田舎医者の流儀(72)・・・土と人の健康

小さな隠居小屋と農園の片隅に、高さ5m位のびわの木がある。花が咲いたので、実を付けるか見守っていた。5月になり、思ったより多くの実がなった。市販の物よりずいぶん小振りであるが、「水っぽくなく、結構甘くて、おいしい」と家人は言う。知人の徳さんが、小さな農園に「スイカ」「ナス」「キュウリ」「トマト」「ネギ」などの苗を植えてくれた。初めての事で、水やり、肥料、害虫対策などよくわからない。いちいちネットで調べている。出来るだけ、葉っぱや麦わらなどの有機物を投入し、土の改善を基本にしたいと思っている。

土の健康状態はその中の微生物の状態によるようだ。化学肥料、殺虫剤、除草剤等の使用により、微生物の分布、数は減ってくる。土の健康を保つには有機物が投与され、土の中に微生物ネットワークが形成され、それが有効に機能することだと言う。

人も100兆個と言われる細菌と共存している。特に腸には大量の細菌が生活している。これが生体に及ぼす影響は最近までよくわかっていなかった。100兆個もいるので分析の手段がなかった。しかし、最近の遺伝子技術の進歩により分析可能になってきた。その結果、肥満、糖尿病、アレルギー性疾患、自己免疫疾患などの増加が腸内細菌叢の変化と関連付けて考えられるようになった。例えば、肥満者では血中のリポ多糖(内毒素 エンドトキシン)が増加している。この物質は腸内細菌の細胞膜を構成している。通常は、血中に入り込むことはないが、大腸の粘膜内皮機能の低下により、血中に漏れ出すようだ。血中に入ると慢性の炎症を起こす方向に働き、様々の疾患を誘発する。

大腸の内皮機能を正常に保つには、食物繊維を分解する細菌叢が十分に存在する必要があると言う。人はそもそも炭水化物を摂取する際、多くの食物繊維も摂取してきた。最近の米、小麦などは精製の技術が進歩し、食物繊維の多い部分を取り除き、美味しいご飯、パンなった。精製された米、パンは吸収されやすく、血糖の急激な上昇を起こす。繊維の多い食物をとって、それに適応するように大腸細菌叢を育ててきた人類は、最近、急に精製されすぎた炭水化物を食べるようになった。その事が人体の調節に不可欠な腸内細菌叢に大きな変化をきたし、種々の慢性疾患の増加に苦しめられるようになったという。

最近、炭水化物の摂取が万病のもとのように言われ、ニューヨークではパン屋さんが店じまいしているという。本屋に行くと炭水化物(米、パンなど)の「害」を説く書物が溢れている。今迄、人類の繁栄を支えてきた米、小麦が急に悪者にされるのは理解しにくい。精白されすぎた米、小麦が問題であって、玄米など繊維を多く含むものに立ち返る必要があるようだ。

本屋に行ったら、「土と内臓」などという変なタイトルの本が出ていた。著者は土の健康と人の健康はそれぞれが持つ微生物に依存することを強調する。視点の向け方に斬新さを感じ、勉強させられた。

(参考文献:デイビット・モンゴメリー、アン・ビクレー著(片岡夏実 訳)『土と内臓』築地書館、2016年)

平成29年6月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.96)田舎医者の流儀(71)・・・敬老パス

今年の初め、市役所に行き、敬老パスの交付を受けた。70歳になったら申請できるが、なんだか抵抗感があり、交付を受けていなかった。しかし、バス、電車に乗る事が多くなったので利用しようと思い立った。これを使うと、鹿児島市内であれば通常料金の三分の一となる。よく利用する区間は通常280円かかるが、このカードだと90円で済む。ずいぶん安い。バスに乗ったとき、観察すると、敬老パスを使っている人は結構多い。これがあるから、高齢者の外出を後押しているのであろう。それ自体は大変よろしいことではないかと思う

ちなみに小児料金は二分の一で、「老人」の方がより優遇されている。考えてみれば、子供達は自前の収入は全くない、高齢者は年金等それなりの収入がある。敬老パス割引率を上げろとは言わないが、収入のない子供が高い料金を払っているのはいかがなものかと思う。高齢者の中には収入の多い人もいる。そうした人まで割引をする必要はなかろう。その分を小児運賃の割引率の拡大に回せないものかと考える。

周知のごとく、日本では人口減少と並んで、高齢化が著しい速度で進行している。1970年に高齢化率(総人口のうち65歳以上が占める割合)が7%を超えて「高齢化社会」となった。その後1994年には14%、さらに2015年の「国勢調査」では、高齢化率は26.7%、いまや4人に1人以上が高齢者だ。それに伴い、今日、わが国の社会保障の給付(お金やサ—ビスの提供を「給付」という)は総額116 兆円、GDPは500兆円だから、GDPの4分の1に達する。給付総額のおよそ半分を占める年金は56.2兆円(2015年度)、続いて医療37.5兆円、 介護9.7兆円であるという。(吉川 洋著『人口と日本経済』中公新書、2016年)

残念ながら、これの財源は国債という借金で多くがまかなわれている。次世代に借金を付け回ししながら、現在の社会保障をまかなっている。このままでは国の財政は立ち至らなくなる。しかし、わかっているのに、有効な手だてが打たれていない。政治が取り組まないといけないはずであるが、「痛みを伴う改革」ゆえ何も進まない。

私も年金を受けているが、毎年毎年少しずつ減ってきている。福祉の水準が低下している事の意味するものはなにか、社会にいかなる影響を及ぼすのか注視する必要がある。次世代に借金の付け回しをして確保してきた「福祉水準」、しかし、それも維持できなくなってきた。今こそ、貧富の格差を拡大しない方向への政策転換が望まれる。

平成29年5月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.95)田舎医者の流儀(70)・・・転機

この3月末、鹿児島県地域医療研修特別顧問を辞して、殆どの公職を引退した。定年後8年、平成21年54名まで激減した初期臨床研修医獲得の活動をしてきた。幸いに、今年度109名の研修医獲得に成功した。それぞれの研修病院、県、大学病院、県医師会などオール鹿児島体制での取り組みが功を奏したと言える。毎週、県庁におもむき、事務局を担当する地域医療整備課の面々と打ち合わせを行い、行動計画を練った。優秀な事務局があり、成果を上げることが出来た。医師確保は県民の暮らしに直結する「大事」、引き続きこの事業の発展を願っている。

この時期、人生の転機になる出来事が起こる。私の人生、5度目の転機となる。医師になる迄の学生生活、医師になり循環器専門医を目指した鹿大病院での24年間、国立病院に就職し循環器医療の確立を図った17年間、最後の4年間は院長という管理者も経験させて頂いた。定年後、8年間は医師確保活動、県医師会の仕事、鹿児島大学の経営委員など様々な役職を経験させて頂いた。一介の臨床医にすぎない身で過分な経験をさせて頂いた、感謝している。

この年になって振り返ってみると、随分「無茶な」選択をしながら生きてきたと思う。鹿大病院で循環器・心臓の診療を始めたが、一人では出来ないことを十分に理解していなかった。幸いにして畏友宮原健吉(現新杏クリニック)が一緒にすると言ってくれた。その後も、どういう訳か人が集まってきた。トップの私が30代前半、研究実績、博士号もない、権威もないそんなグループに後輩医師が入ってきた。結果的には90余名の循環器医師が育った。そうなった理由は今でも解らない。

48歳の時、鹿大病院を出ざるを得ない状況になり、国立病院南九州中央病院に行くことになった。当時、この病院はあまり評判が良くなく、地元では「なんちゅう-病院」(南中病院)と揶揄されていた。後で聞いた話だが、「あんな病院になんの成算が合っていくのだろう」と噂されていたそうだ。当時、狭心症などで起こる冠動脈狭窄の患者さんは、治療に熊本や福岡の病院に紹介されることが多かった。地元で治療できる体制を作りたいという一心であった。優秀な後輩スタッフが辛苦し、今やどこにも負けないチームが出来上がっている。

いよいよ最後5番目のステージにたどり着いた。従来どおり、当院での診療に週に3日通い、週1はゴルフする、残り3日は空くことになる。小さな農園で花や野菜を育てている。先日は新菊が育ったので持ち帰ったら、家人が意外そうな顔をしていた。庭に咲くスミレを一カ所にまとめようと植え替えをした。スミレはかわいい花を咲かすが、その根は意外と太く、長いのにびっくりした。

平成29年4月11日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.94)田舎医者の流儀(69)・・・モンキーもウソをつく?

ヒトだけが嘘をつくと思っていたら、学者の研究によると「サバンナモンキーやチンパンジーも嘘をつく」という。「例えばサバンナモンキーは、あたりにライオンがいないときに、気をつけろ!ライオンだ!という意味の鳴き声を上げるところが観察されている。バナナを見つけたばかりの仲間のサルが、これを聞いて逃げ出したので、嘘をついたサルはまんまとそのバナナをせしめた」と。

現生人類と非常によく似た動物がおよそ250万年前に現れ、200万年前にはこの太古の人類の一部が故郷を離れて、ヨーロッパ、アジアの広い範囲に進出し、住み着いた。雪の多い森、熱帯の暑い密林でそれぞれの地に暮らす人類は異なる方向へ進化していった。ヨーロッパとアジア西部の人類は「ネアンデルタール人」、アジアのもっとも東側に住んでいたのが「ホモ・エレクトス」。2010年、シベリアのデニソワ洞窟で、指の骨の化石が発見された「ホモ・デニソワ」。東アフリカでも進化は止まらず、この中からホモ・サピエンス(「賢いヒト」の意)という新しい種が生まれた。

約200万年前から1万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していたという。今日でも、キツネやクマ、ブ夕には多くの種がある。1万年前の地球には、少なくとも6つの異なるヒトの種が暮らしていた。15万年前、東アフリカに住んでいたホモ・サピエンスはヨーロッパなどに進出し、ネアンデルタール人など他の人類種をことごとく滅ぼし、唯一のヒト種になった。

ホモ・サピエンスは7万年前頃から急に「賢くなった」という。約7万年前から約 3万年前にかけて、舟やランプ、弓矢、針を発明し、伝説や神話、神々、宗教も初めて現れた。類い希な言語能力を基盤にした認知能力の獲得がもたらした結果であった。ホモ・サピエンスは認知能力向上のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、ホモ・サピエンスの特徴であるという。

約12000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、500年前に始まった科学革命、わずか20年前に始まったインターネット、人類の進歩は留まるところを知らない。ホモ・サピエンスの高度の能力は科学や医学の著しい進歩をもたらし、現代はその恩恵に浴している。一方で、ホモ・サピエンスは「虚構」の物語を作りだす能力にも長けている。そのことが他の動物種には見られない「世界戦争」「大規模虐殺」を引き起こしている。現代も様々な「虚構」の物語が横行している。反知性的「嘘・虚構」を抑える努力をしていかないとホモ・サピエンスに未来はないのではなかろうか。

(参考文献:ユヴァル・ノア・ハラリ著(柴田裕之 訳)『サピエンス全史』河出書房新社、2016年)

平成29年3月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.93)田舎医者の流儀(68)・・・定年8年生

平成21年3月末に鹿児島医療センターを定年になり、当時の熊本院長、その後の田中院長にお願いして、週に3日総合内科外来を受け持つことになった。医者になって40年近くを、殆ど循環器・心臓医者で過ごしてきた。総合内科外来には発熱、腹痛、頭痛など様々な訴えの患者さんが来る。健康診断や人間ドックの説明も受け持ちである。65歳の古びた頭を切り替えるのは難しく、冷や汗かくこともあったが、何とか持ち堪えている。

総合内科を担当したお陰で、今まで診たことのない疾患にも遭遇した。マラリアの患者さんにはびっくりした。22歳の青年が2週間前から、1日1回40度以上の発熱があると受診した。この青年は一年以上東南アジア、インド、バングラデシュなどを旅行し、10日ほど前に帰国、指宿に帰ってきた。病歴、生活歴より直感的、臨床的にマラリアと考え、鹿児島大学病院に連絡した。旧同僚血液内科の医師がマラリアと確定し、即刻入院となった(本通信No.11)。後日談がある、この症例が大学病院のカンファにかかった時、教授がマラリアと誰が最初に疑ったのだと言われたという。我々の世代はそんなシチュエーションでは未だそんな疾患が頭に浮かぶ。

その他、大きなご婦人の卵巣腫瘍、冠攣縮性狭心症で通院していた患者さんにみられたリューマチ関連疾患のRS3PE症候群等を経験した。専門医の助けを借りながら、今まで経験したことのない、新しい疾患との出会いがある。最近はコンピューターが進歩しているので、不確かな知識は本をめくらなくともその場で検索できる。患者さんの訴え、身体所見に向き合い、それを解決しようとすると新しい疾患概念などに遭遇する。臨床家として楽しく、新鮮である。

新患の患者さんを診察するときは、必ず聴診器を当てる。今まで言われていない大動脈弁狭窄症などを見つけることもある。心雑音のみではなく、呼吸音も大事である。聴診器を当てながら、患者さんの体と対話するのは私の診察の中では大切なセレモニーだ。これを手抜きするとおそらく間違った方向へ結論が向いていくであろうと戒めている。

最近特に心がけているのは、私の診察を受けて患者さんに、一切の圧迫を感じて欲しくないと言うことだ。上から目線の言葉、態度を取らない、そう感じられないようにしたいと思っている。患者さんと対等・平等な関係を持ちたい。医学の知識はこちらが持っているが、人としては対等・平等、診察が終わったら、「言いたいこと、聞きたいことも話せた。良かった。」と思って帰って欲しい。全部がそういうわけにはいかないが、心地よい気持ちで病院を後にして欲しいと願っている。

平成29年3月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.92)田舎医者の流儀(67)・・・北斎には見えた

あの葛飾北斎「冨嶽三十六景・神奈川沖波裏」の砕ける波の形を想像上の造形と考えていたら、高速で撮影した写真と極めて類似しているのだという。北斎という天才画家には瞬時に砕ける波が見えたのか、瞬時を見切る特殊な能力があったのか。天才画家というのはすごいと思いながら、常人に見えない瞬時を見る能力をどう解釈するのか、疑問を持ち続けてきた。

葛飾北斎は「冨嶽三十六景・神奈川沖波裏」「冨嶽三十六景・凱風快晴(一般に赤富士と呼ばれる)」「北斎漫画」等で知られる江戸時代の画家・浮世絵師で、海外でも広く知られている。1999年、アメリカ合衆国の雑誌「ライフ」の企画、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人ではただ一人選ばれた。

「後年の北斎の冨嶽百景に収められている跋文には『・・・己6歳より物の形状を写すの癖ありて・・・』とあり、19歳頃より本格的に浮世絵師として活動を始めた。冨嶽三十六景は72歳で描き、90歳まで描き続け、本人は100歳まで生かしてくれたらもっといい絵が描けるのにと言っていたという。極めて多作で北斎漫画に収蔵された図は3900余にも及ぶ」(永田生慈著 『葛飾北斎』 吉川弘文館、2000年)。その絵の多彩さ、広範な対象は北斎がものを瞬時に視覚的に捉え、それを記憶する能力に長けていたことが窺える。

最近、「隠れアスペルガーという才能」(吉濱ツトム著、ベスト新書、2016年)を読む機会があった。恥ずかしながら、アスペルガー症候群のことは詳しくは知らなかった。この本によれば「アスペルガー人の3分の1は直感像(写真記憶)の能力があり写真で撮ったかのように脳内に画像として保存できる」「写真記憶が出来ないアスペルガー人でも通常より高い視覚能力を持つ」と言う。北斎の視覚能力の異常な高さはアスペルガーだったと仮定すればどうだろうか。

北斎には93回の転居、部屋を掃除しない、一切に眼をくれずただただ絵を描き続けるなどアスペルガー症候群によく見られるエピソードが多い。北斎がアスペルガー症候群であったかどうかは判らないが、そういう特質を持っていたと仮定すれば理解しやすいことが多い。世界的に有名な映画監督であるスピルバーグも自身がアスペルガーである事を公表、他、ビル・ゲイツ、アインシュタイン、ジョージ・ルーカス、トーマス・エジソン等もアスペルガー症候群だと言われている。アスペルガーという「障害」を持った人々が世界を変え、豊かにする存在であることに気づかされる。平凡な「健常人」が自分たちと少し違う人々を、排除する風潮はあってはならないと思う。

平成29年1月18日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2016年

指宿 菜の花通信(No.91)田舎医者の流儀(66)・・・2016年

今年は長雨、豪雨、猛暑、それに久しぶりの台風16号の直撃等厳しい気候が続いた。一方、桜島は不気味な位静かである。お隣、熊本県では予想だにしなかった激しい直下型地震に見舞われた。予期せぬ災害に遭遇、「生きている星・地球」に暮らす我々の宿命かと嘆息する。更に、人間がこの地球環境を悪化させている為、気象変動の激しさが増している。

英国が国民投票の結果、EU離脱を決定した。それに驚いていたら、米国大統領共和党候補にドナルド・トランプ氏が選ばれ、本選であっさり次期米国大統領に選ばれた。行き過ぎたグローバリゼーション、新自由主義のもとに進められてきた政策は貧富の差の拡大、中間層の没落をもたらした。世界の下位50%の資産は2010年には388人の最富裕層の資産と匹敵していたが、 12年は159人、14年は 80人と、格差は広がり富の寡占化が進行した。そんな中で、深刻なテロ・暴力が横行、安全な、当たり前の暮らしが阻害されている。これからの社会、庶民が安穏に暮らすにはどういう変革が必要になるのか、その処方箋を見いだせないでいることが社会不安を増大させている。

フランスの文化人類学者、人口学者エマニュエル・トッドは「世界の先進国は(1)共同体的な信仰の喪失、(2)高齢化、(3)社会を分断する教育レベルの向上、(4)女性の地位の向上、と4つの共通する現状に直面しているという。ホモサピエンスの最初の重要な転換点は、新石器時代の到来。この革命で、農業が始まり、定住化が起き、人は狩猟者であることをやめた。そして2番目の転換点が3千年紀に入るところで始まった。そこで人は高齢化し、高い教育を受け、女性は男性以上に教育を受けることになる。そして、人はもはや何も信じなくなる。私たちはまったく新しい世界にいるという。」という。(エマニュエル・トッド著『グローバリズム以後―アメリカ帝国の失墜と日本の運命―』朝日新書、2016年)。この中で、今後の我々の在り様を問われているのだろう。

平成27年度の医療費の推計値が発表になり、何と41.5兆円となるという。前年度に比べ3.8%増。高齢化に加えて、高額な新薬の登場等が原因という。医療の高度化の中で、費用の増加は避けられない、しかし、無制限に可能なわけではない。1961年以降、我が国は世界に冠たる国民皆保険を維持し、基本的に、国民が全て平等に、必要な医療が受けられる制度を確立してきた。これが我が国の安定と成長の基盤を担ったとも言える。今後、我が国が高齢化、人口減に向かう中で、国民が等しく必要な医療を受けられる制度をどのように維持していくのか、難しい課題に直面していくことになる。

平成28年12月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.90)田舎医者の流儀(65)・・・抗生物質

寒くなってきた。風邪の患者さんが多くなっている。総合内科担当の私も少々忙しくなる。「先生、風邪引いたよ。早く治したいので抗生物質を出してよ。ついでに点滴もね。」と言う。「風邪に効く抗生物質はないよ。風邪はビールスで起こる(約9割)から抗生剤は効かないの。」「普通に飯食えているなら点滴も必要ないよ。」と話す。

抗生物質は多くの命を救ってきた輝かしい歴史を持っている。「ニュ—ヨ—ク生まれの元看護師アン・ミラ—は、1942年、33歳のときに流産をした。引き続き連鎖球菌感染症(当時は殆ど助からない病気)を発症し、何時間も死の淵をさまよった。ミラーの体温は42℃に迄上がり、医者は最後の手段として、ある薬を試す許可を家族に求めた。薬の名はペニシリンといった。丸々一ヵ月にわたる高熱せん妄状態になっていたミラーは、小さじ一杯のペニシリンを注射された。数日後、彼女は完全に回復した。アン・ミラーは抗生物質によって命が救われた最初の人となった。」(アランナ・コリン 著(矢野真千子 訳)『あなたの体は9割が細菌』河出書房新社、2016年)

私事になるが、先週、義理の兄が89歳、脳出血後の肺炎でなくなった。倒れる直前迄、健診の仕事に行っていた、高齢にもかかわらずきわめて元気であった。義兄は若い頃結核を患い、重症で、義兄の父親(結核治療の今で言う専門医)は治療は難しいと匙を投げかけていた。そこに、ストレプトマイシンという特効薬が手に入り、義兄は奇跡的に回復した。そんな話を姉に始めて聞かされた。ストマイのお陰で義兄は89歳までの60数余年の「生」を得たわけである。

抗生物質は発疹、肝障害、ショックなど重大な副作用をもたらす事もあったが、それに余りある恩恵を与えてきた。しかし現在、抗生物質の使いすぎ、不適切使用、更に養鶏、養豚業での広範な使用(生産される抗生物質の7割はこの分野に使われているという)などが深刻な薬剤耐性菌問題を起こす要因の一つになっている。政府は4月「抗菌薬が効かなくなる薬剤耐性菌の拡大を防ぐため、抗菌薬の使用量を2020年迄に今の2/3に減らす目標を立て、抗菌薬の乱用防止のため風邪、急性上気道感染症の外来患者に対する抗菌薬処方の規制などを行う方針」を打ち出した。

抗生物質は「悪さをしている菌」のみでなく、「善良な菌」も殺す。腸内細菌の遺伝子解析が可能になり、その影響は腸内細菌叢にも及ぶ事が解ってきた。その結果、様々な現代病との関連が疑われるようになり、抗生物質の使用増が肥満、自閉症、アレルギー疾患の著増と関連する可能性すら示唆されるようになってきた。(マーチン・J・ブレイザー著(山本太郎 訳)『失われてゆく、我々の内なる細菌』みすず書房、2015年)

平成28年12月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.89)田舎医者の流儀(64)・・・研修医確保最大に

10月20日、来年度、初期臨床研修医最終マッチング結果が発表になった。県全体で121名、昨年99名に比し22名増となった。平成15年、本制度の初年度の数と同じになり、来年度の本県研修医は念願の100名以上になると考えられる。本制度が始まって14年、平成21年は54名まで激減した。その後、多くの人が協力し、対策を打ち出して8年、やっと目標にたどり着いた。

医師になるには、医師国家試験に合格し、医師免許証を得る。その後2年間の臨床研修を受け、保険診療が出来るようになる。この制度は平成16年からスタートした。厚生労働省が指定する研修病院(本県は鹿児島大学附属病院、鹿児島市立病院、鹿児島医療センターなど12病院)は、研修プログラム、給与などの研修条件を示し、研修医を募集する。医学生は研修予定病院を視察や調査し、指定された試験や面接などを受ける。病院も医学生もそれぞれの希望を医師臨床研修マッチング協議会に登録し、調整され、医学生の来年度の研修病院が決まる。

この制度が始まり、それ迄、医学部卒業生の7割が大学病院で研修していたが、市中の病院に研修医が集まり、5割以下になった。更に、都会の有名病院に研修医が集まり、地方から都会への流出が著しくなった。結果、鹿児島県ではそれ迄100名以上供給されていた新人医師が急激に減少し、平成21年には54名まで落ち込んだ。大学病院の若手医師の著しい減少に伴い、地方基幹病院への医師派遣が困難となり、地方では極端な医師不足が起こり、医療崩壊と呼ばれた。

平成20年秋、本県の研修医の著しい減少が明確になった。何とかしなければという思いは、本県医療界で共有され、具体的に進める体制の構築が求められていた。その事態を良く理解していた北薩地方のある市民病院長は、ある会合で当時の鹿児島県伊藤知事に会った際「このままでは大変なことになる。対策を進めるべきだ。今年、鹿児島医療センターを定年になる中村を使ったらどうか」と話されたらしい。翌週、伊藤前知事は保健福祉部に検討を指示、「地域医療研修特別顧問」という肩書きを作り、「医師確保対策室」を事務局に研修医確保の仕事が始まった。

平成21年5月、本県の研修病院、県、県医師会などからなる協議会が立ち上がり、オール鹿児島体制での対策が進み、他県の担当者から羨ましがれている。当時の県医師会米盛会長は会員の浄財を集め「医師不足対策基金」を立ち上げ、研修医への支援を行った。年間最大2千万円近くの支援が5年間も続けられた。こんなとんでもない事が出来たのは全国の中で鹿児島県医師会のみであった。多くの表には出ない人達の努力で若手医師確保の事業が進んでいる。

平成28年10月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.88)田舎医者の流儀(63)・・・肥満と腸内細菌

高血圧症、肥満症で治療中の患者さんとの外来での会話。「もっと血圧を安定させるためには、体重を減らした方がいいね。」「どうしたらいいの。」「それはいつも言っているように、食事と運動ですよ。」「先生が言うように食事も減らしているし、運動もしているよ。それでも一向に減らないよ。言われたとおりやっても痩せないね。先生、他にもっといい知恵はないのかね・・・。」

確かに、現代医学の公式見解は入ってくるカロリーと出て行くカロリーの差が肥満の原因だとする。肥満症のガイドラインにもその方向での対策しか書いてない。ただ、患者さんが漠然と感じているように「それだけではないんじゃない?」という感性もまた大事である。

   

ニワムシクイという小鳥は孵化して2ヶ月で6500kmの渡りに出るのだそうだ。長旅に出る前に、ニワムシクイは17gから37gになる。人なら63kgが140kgになるような事らしい。研究者によると摂取カロリーと糞として排泄されたカロリーを計算しても体重増を説明できないらしい。ニワムシクイは摂取したカロリー以上の脂肪をすばやく蓄えることができる。体重調節に別の要素が関わっていることは明らかだという。

この中で、最近注目度の高いのが、腸内細菌叢と肥満との関連である。動物実験では、肥満マウスの腸内細菌叢を普通のマウスを移植すると太ってくる事が証明されている。太ったマウスと痩せたマウスでは腸内細菌叢の分布が異なる。人においても、痩せた人の腸内細菌にはアッカーマンシア・ムシニフィラという腸内細菌が全体の4%を占めるが太った人では殆どゼロだという。

ベルギーのルーバン・カトリック大学 栄養代謝学教授パトリス・カニは太った人は血液中のリポ多糖(腸内細菌の膜に存在)が多いという。リポ多糖は新しい脂肪細胞の形成を妨げ、既存の脂肪細胞に過剰な脂肪を詰め込むという。このリポ多糖が腸から血液中に入りこむ量に関連するのがアッカーマンシアで、腸壁細胞に働きかけて腸管の粘液層を厚くする方向に働き、結果的にリポ多糖が血液中に入るのを阻止している。アッカーマンシアが増えれば、リポ多糖が血液中に入るのを阻止し、脂肪の蓄積を阻止、肥満の改善を期待できるというわけである。

アッカーマンシアを増やすには、食物繊維の摂取が重要なようだ。脂肪を減らし、食物繊維を増やすと腸内細菌の分布を変えられる可能性が示唆されている。肥満対策では、食事療法をそのような観点で見直すことが必要かもしれない。(アランナ・コリン 著(矢野真千子 訳)『あなたの体は9割が細菌』河出書房新社、2016年)

平成28年10月5日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.87)田舎医者の流儀(62)・・・来年の研修医増えそう

9月19日夜半から20日未明にかけて、鹿児島は台風16号に襲われた。20日未明は鹿児島市内でも風が強かった。鹿児島中央駅前の大きな楠の木の枝が落ちていた。この日は指宿に行く日であったが、当然、JRは運休で、バスで行くことにした。喜入を過ぎたあたりから、道路沿いの大きな木が倒れていた。病院に着くと、同僚の医師が「昨夜~今朝の風は強かった。家が揺れて、久しぶりに怖い思いをした」と話してくれた。

この日は指宿岩崎ホテルに泊まったが、数本の枇榔の木が根元から折れ、今年、花がいっぱい咲いたメラレウカの木(本通信No.82)も大きな枝が落ちていた。受診に来た農家の話は深刻だった。「先生、オクラが強風で倒された上に、潮風にやられ、今年の収穫は見込めないよ。薬代も事欠きそうだ。安い薬にしておいてよ」と云う。オクラは指宿の主要な農産物の一つで、貴重な現金収入をもたらす作物である。指宿・枕崎線、山川~枕崎間は倒木などで復旧に3日間かかった。垂水市では大雨で土砂崩れが発生し、家が埋まり、更に橋が崩壊し道路が寸断されている。地元紙は1週間経っても、ライフラインの復旧が出来ていない地区があると伝えている。

9月23日、来年度の初期臨床研修医の中間マッチングの結果が発表になった。現在、医師になるためには医学部卒業、国家試験合格後、2年間の初期臨床研修が義務づけられている。来年3月卒業予定の医学生は4月からの研修病院(国が指定している)の希望を出し、病院との調整を行う。10月に最終マッチが行われるが、この中間発表を受けて、学生側は定員オーバー、不足の病院の状況を見て、最終的な研修希望病院を出していく。勿論、鹿児島大学医学部出身者が県外の研修病院を選んでも良い。

本県で初期研修を受けると、その後の専門研修も本県で受ける可能性が大きくなり、若手医師が多くなり、地方医療機関への医師派遣も可能になる。従って、医師確保の観点から、本県での初期臨床研修医の「数の確保」は重視される。中間発表の時点で本県のマッチ者数は112名で昨年より21名も多かった。中間マッチ者数より翌年研修医が少なかったことは過去12年間で1回しかなく、それも1名少ないのみである。そんなことで来年度の本県の初期研修医数は悲願の3桁を達成しそうだ。平成16年新しい研修医制度が出来て以来、若手医師の都会への流出が続いてきた。その事態を何とか改善したいと平成21年に鹿児島県初期臨床研修連絡協議会が組織され、行政、大学、各研修病院、医師会がそれぞれの努力をしてきた。やっと、平成16年以前の若手医師数の確保にたどり着いたと言えるのか。

平成28年9月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.86)田舎医者の流儀(61)・・・目標

今年の夏も猛暑が続き、連日40度近い気温にみまわれている。突然の豪雨、雷も稀ではない。地球温暖化で気候変動が容易ならざる局面に来ている。危機感を共有しなければならない。自らの生活もエネルギー消費を最小化する努力が必要だ。不必要な電気はこまめに消す、冷房も制限的に使う。大売り出し、お買得などのコマーシャルにダマサレナイ、必要最小限の物しか買わない。消費を活発化しないと景気が維持されないという悪循環を止め、スモールライフで社会が維持される方向を目指さないといけない。その方向にチエを出していかなければ、この星・地球の未来は危ない。

今年の夏はリオでのオリンピックが始まり、夏の甲子園(高校野球)も開幕、プロ野球も盛り上がっている。大リーグではイチローの3000本安打の達成などスポーツ関連の話題が多い。オリンピックでメダルを取った選手の練習がすごい。重量挙げの三宅選手はこの競技では致命的と思える腰痛に悩まされながら、工夫した練習でメダルを獲得した。もともと才能に恵まれ選手が誰よりも練習する、そんな練習が出来るのもまた才能と言うべきか。

イチロー選手は誰よりも早く球場に現れ、ストレッチから走る、打つ練習を手抜きなく行うという。元ニューヨークヤンキースの名手ジーターは、「イチローについて何よりも称賛したいことは、一貫性に関するモデルであるということだ。それは、見過ごされてしまいがちだが、重要なものなんだ」と言う。イチローはシーズン中のみでなく、オフシーズンも鍛錬を休むことはないという。そのことが今日のイチローを形作っている。当たり前を当たり前にやることこそ難しい。すごい事だと思う。

イチローは小学生のころ野球の練習を一生懸命やっていた。「プロ野球選手にでもなるつもりかね」と揶揄され、大リーガーになったときも通用するのか疑問視された。彼は「子供の頃から人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はある」という。「高い目標があるので3年生の時から今までは、365日中、360日は激しい練習をやっています。だから、1週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います」とも語っている。今も、その姿勢に揺らぎがない。

大リーグ、ダルビッシュ有、田中将大投手にしても、持って生まれた身体能力もあるが、それを磨いていく過酷な練習を妥協なく行いうる能力があるのだろう。同じような身体能力を持った選手は他にも居ただろうと思われるがどこに差があったのだろうか。

平成28年8月17日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.85)田舎医者の流儀(60)・・・成熟社会

最近、いつも「経済回復に向け、大規模対策をやるべきだ」と叫ばれているような気がする。その一環として、リニアモーターカー開業を前倒ししようとする動きが出ている。「リニアモーターカーというのが最高速度時速603キロを出したという。これを使うと東京から名古屋まで40分で行くと謳う。どんな急ぐ用があって、名古屋まで40分で行かねばならぬのかがわからない。きしめんがのびてしまうのか、味噌煮込みが冷めるからか」 (追いかけるな 伊集院静 講談社)

新しいものをどんどん作っていく、都会はますます「便利」、「華やか」になり、更に東京、大阪に人口が集中していく。田舎は寂れ、在来線の存続が問われ、成り立たないなら廃止しろの大合唱。JRも儲からない路線は切り捨て、儲かりそうなところに資源を集中していく。在来線には資金を投入しないので車両は劣化、乗り心地悪く、便数も削減、お客は更に減る。一方では富裕層のための豪華列車が開発され、豪華旅が演出される。国民が国鉄民営化し求めたものはこんなものであったのか。日本の近代的なインフラは1960年前後に作られ、整備されてきた。それが今一斉に劣化し、不都合な状況になってきている。上下水道、橋、高速道路、団地・・・・原子力発電所すら劣化の中で様々な危険が指摘されてきている。

「成熟した社会における行政の役割は、国や社会のあり方をある方向にむかって誘導することではなく、無事な社会をつくり、守っていくことの方にある。二度と戦争が起こらない国際関係をつくっていくことや、人々が健康被害を受けないように、食品の安全性や放射能被害が発生しない体制を高めていくこと、薬害や医療被害の起こらない体制の整備、子どもが無事に大人になっていける体制づくりなど、さまざまな役割がここにはあるだろう。もちろん災害や犯罪がおきにくい社会づくりも必要だ。社会の無事を維持していくための基盤整備、それが成熟した社会における行政の役割なのである。(内山節 南日本新聞 2016/07/25)

そんな社会に変わって行くためには、我々の生活様式、生き方も変わらなければならない。「本当に問題なのは、この10年間、いや、この30年間、一度も自らの無節操な消費主義に疑問を持たなかったこと。物を買って気が休まるのはほんの少しの間だけだ。欲望はさらなる欲望を生む。達成することや、利益を上げることや、より多くを求めて奮闘することが賞賛される今日の社会で、アメリカン・ドリームの真の正体は、肥満で借金まみれで不機嫌で空っぽで孤独な隙間をより多くの物で埋めようとしている僕らの姿だ(あるミニマリストの物語 ジョシュア・フィールズ・ミルバーン+ライアン・ニコデマス箸 フィルムアート社)。米国にも、こんな考えの人が増えているという。

平成28年8月3日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.84)田舎医者の流儀(59)・・・謙譲の謙

先日、出身医局の開講記念会があった。事前に電話があり、私が「厚生大臣表彰」を受けた事をお披露目したい、その時、一言あいさつして欲しとの事であった。そこで、挨拶内容を考えた。

「祝って頂き、ありがとうございます。賞には似合わない人だと思われるかもしれませんが、本人も自覚しておりますのでご容赦願いたい。そもそもこの大臣表彰は国民健康保険(国保)の審査委員を28年務めたことに対してのもので、通常は15年以上務めた人が表彰され、私の場合は28年でやっと頂いたというわけです。別に厚労省があいつは気に食わないと、意地悪したわけではありません、国家公務員には適用しない規則があったようで、それが見直され表彰されることになったようです」

「表彰を頂くというのはご苦労様でした、もう引退されても宜しいですよ、という事ではないかと考えました。そこで、3月国保、介護の審査委員を辞め、他の公的仕事もけじめを付けようと、4月鹿児島大学経営委員、6月鹿児島県医師会理事も辞めました。こちらは自らの意思で辞めたつもりだが、あるいは喜ばれたかもしれない。更に、残った公的仕事も順次辞めようと思っている」

「・・・隠居をするとか言うが、そんなに全部辞めてしまって何をするの、惚けてしまうよ・・・と周りが心配してくれる。そうかもしれない、しかし、あと生きてもせいぜい10年位、心の命じるままに穏やかに暮らそうと思っている。それにはそれなりの道具立てが必要なので、農園を作って、小屋を建てて、そこで自然の声を聞きながら暮らそうと考えている」

「それをどこに作るかと考え、調べた。いろいろな場所を見て廻ったが、ある土地に目を付けて交渉を始めた。その土地は原野になっていて、200坪位譲ってもらえないかと不動産屋さんに交渉してもらった。地主さんは92歳の頭のしっかりした方で、不動産屋さんに・・・その人(私のこと)はいくつな。 72なあ。 まあ、あと10年位の事やなー、そんなら、買わんでよか、自由に使こやい(使いなさい)、ただ、あまり堅固な建物は作らないで欲しいな・・・と」

「残された人生を心の命じるままに、我を無くして生きていけたらよろしいと思うが、凡人にはなかなか難しい。かつて、その方法を問われた儒学者中根東里は・・・あるいは、謙ということかもしれません。彼を先にし、我を後にする心。この心でいけば、我を無みして、仁に近づけるかもしれない・・・と云う(無私の日本人、中根東里  磯田道史  文芸春秋)」。そんな主旨の挨拶をした。

平成28年6月29日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.83)田舎医者の流儀(58)・・・公(おおやけ)

いわゆる「パナマ文書」が公表され、金持ち連中の税金逃れの一端が表に出た。国のリーダー及びその取り巻きの名前がぞろぞろ出てくる。国民には厳しさを求め、自ら及びその周辺には利権を許す、なんとも様にならない。政治家の皆さんの政党交付金という税金の使い方にも呆れる。末端の公務員は、一円たりとも意味不明の出費は出来ない。汽車に乗っても、自動改札からは出ずに、駅員さんの方にまわって切符をもらい、出張した証拠品として持ち帰る。そんな税金の使い方をしている現場からみると、政治家の皆さんの税金の使い様は理解できない。

愛読する今野敏の警察小説は、キャリアーで警察署長竜崎の活躍を描く。この夫婦の会話。

・・・ふと、竜崎は邦彦(竜崎の息子、受験生)のことを思い出した。試験場で倒れて救急車で運ばれたと聞いたのが、はるか昔のことのようだ。だが、実際には、8時間ほど前の出来事だった。 再び携帯電話を取り出して、妻の冴子にかけた。

「お父さん、事件、解決したようね?」

「どうして知ってる?」

「ニュース速報が流れたわ」

「そうか。邦彦の具合はどうだ?」

「寝てる。熱は下がりつつあるようね」

「被疑者は確保したが、まだいろいろとやることがある。いつ帰れるかわからない」

「わかってるわ」

「明日、試験を受けるかどうかは、邦彦の判断に任せる」

「はい」

「できるだけ早く帰る」

「余計な心配しないで。国の仕事をおろそかにしちゃだめよ」

「わかっている。また連絡する」 竜崎は電話を切った。・・・

(宰 領一隠蔽捜査5―今野敏 新潮文庫)

この警察署長さんは東大出のキャリアー、いくつかのトラブルに巻き込まれ、出世の路線から外れている。しかし、一切の利権・特権を拒否、本来の警察任務を果たそうとする。更に、それを支える奥さんは、二言目には「家のことは任せて、国の仕事をしてらっしゃい」と言う。夫の地位の高さを一切利用しない、そんなことをさせない「圧力」を醸し出す。この奥さんに支えられ、小説上の竜崎署長の活躍が続く、ファンとして拍手・喝采しながら、自らへの戒めとする。

平成28年6月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.82)田舎医者の流儀(57)・・・メラレウカ

火、水曜日は指宿での仕事なので、会合等なければ火曜日、指宿に泊まることにしている。宿泊は指宿いわさきホテルになることが多い。この時期、このホテルのアプローチ部の庭に、上に「綿」が乗ったような木がある。タクシーの運転手さんがオーストラリア原産のメラレウカという木だと教えてくれた。このホテルを運営する会社がオーストラリアでも同様の事業をやっているので、そんな関係でこの木がここにあるのかと推察した。

私にとっては、初めて見る花だ。オーストラリア原産の木がこの地で育ち、可憐かつ独特な花を咲かしている。花言葉は「力強い味方」なのだそうだ。オーストラリア産であるので、乾燥と高温に適応する形でこのような花が出来たのかなと想像した。

我々は、いろんな環境に適応するように動物や植物が進化したように考えがちであるが『ダーウィンは生物の進化に「目的」はなく、それは偶然の「結果」にすぎないと言う。現在では、その突然変異が遺伝子のミスコピーによって起こる事が判っている。突然変異を起こして親と違う形質を持った子は、当然ながら生き残りにくい。しかし中には、たまたまその形質が環境に合っていたために、生き残って子孫を残す個体もいる。それを何世代も重ねていくと、やがて祖先とは(サルとヒトぐらい)違う形質になる。従って、生物がまるで自ら目的や方向性を持って進化してきたように見えるのは、結果論にすぎない』(辺境生物はすごい:長沼毅 幻冬舎新書)という事らしい。

東京の首長さんが相も変わらずのレベルの低い「お金」の問題で批判を受けている。公用車での別荘通い、家族旅行の費用を政治資金につけ回しをする等恥ずかしいかぎりだ。この手の問題は長年、繰り返されている。政治家になる人はそんな事を起こす「遺伝子」でも持っているのかと疑いたくなる。先日来日した、世界一貧乏な大統領といわれたウルグアイ元大統領ムヒカは「リーダーは平均的国民の生活感覚を失ってはならない」という。彼は農場に住み、そのように実践している。「慳貪」を嫌う、恥とする生き方は日本人の原点のように思うが、そんな政治家がこの国の主流になれない現状は何とも寂しいものだ。

平成28年5月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.81)田舎医者の流儀(56)・・・平成28年熊本地震

友人の脳外科医が定年退職し、新たなポジションに着くことになった。4月14日、二人で食事をした。午後9時過ぎに楽しい食事会を終え、帰宅途中のタクシーに緊急地震情報が流れた、間もなく信号待ちのタクシーが大きく揺れた。家に帰り着くと、熊本で大きな直下型の地震があったことをテレビが伝えていた。

4月16日未明、更に大きな地震が起こった。私は自宅の2階に寝ていたが大きな揺れを感じた。2日を空けずに最大震度7の地震が起き、16日の地震が大きく、そちらが本震ということになった。その後も異例の展開を示している。連休中も震度4クラスの揺れがあり、余震が1250回以上(5月5日現在)となり、気象庁は収束の見込みも示せない状況だ。

連休中、関西に所用があり、帰り5月4日山陽―九州新幹線に乗った。熊本を午後8時過ぎに通過したが、いつもと比べて、町の灯りが少なく、暗くなっている。走っている車も極めて少ない。被害の深刻さがうかがえる。被災者の大変なご苦労を思う、復興を願うばかりだ。

東京大学地震研究所の古村孝志教授は 「海溝型のM8級の巨大地震であれば、地震が起きかけたプレート境界の状態変化が地震活動やわずかの地殻変動として観測に捉えられる期待があります。しかし、今回のような内陸活断層によるM7級の地震では、事前に『地震発生の予兆だ』と判断できるデータを得ることはできません。熊本地震のような内陸の地震は、『何の兆候もなく突然に起きるもの』と思っておいたほうがいいでしょう」と言う。

更に別の専門家は 「阪神・淡路大震災のときも、死因の9割は住宅倒壊による『圧死と窒息死』なのです。つまり『地震で人が亡くなる』のではなく『潰れた家で人が亡くなる』のです。家の耐震化をはかり、家具を固定するなどして部屋の中を『安全な空間』にし家を強くすれば、地震は怖くなくなるのです」とも言う。

「国土技術センターによると、日本の国土の面積は全世界の0.28%にすぎないが、世界で起こったマグニチユ-ド6以上の地震の20.5%が日本で起こっている。世界の活火山の7.0%が日本にある。 世界で起こった火山の噴火件数195~200件のうち、約1割が日本で起こっている。(人類と地球の大問題―真の安全保障を考える。丹羽宇一郎 PHP新書)。そんな国土に住んでいることを前提に、生活と安全を考えていきたい。

平成28年5月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.80)田舎医者の流儀(55)・・・桜

4月3日、天気が良かったので、旧鶴丸城跡のあたりの桜が咲いているかもと思い、自宅を出た。暖かくて、歩いているうちに汗ばむぐらいであった。良く晴れていて気持ちが良い。まず、県立図書館前庭の薄墨桜を見に行ったが、やはり咲いていなかった(と思った)。後で県立図書館のHPをみたら、「皆さんお待ちの薄墨桜が咲きはじめました。花の状況が判別しにくいですが、数輪咲きはじめています」と記載され、開花した花の写真もアップされていた。少なくとも、目に付くほど花は咲いていなかった。

この桜の事は以前書いたことがある。「鹿児島県立図書館の前庭に、平成2年岐阜県から寄贈された薄墨桜の木がある。期待しながら見に行くが、今年も咲かなかった。あるいはその地で育っていたら、可憐な花を咲かせていたかもしれない」(本通信No.8)。一度も咲いたことがないのかと思っていた。しかし、今回、この桜の前に看板が立っていた。「平成2年3月2日に植えてから13年間一回も開花せず、平成15年2月に土壌の改良を行い開花した。しかし、またその後咲かなくなり、平成23年2月に再び土壌の改良を行い、8年ぶりに開花した」とあった。その後の様子は書いてなかった。一度は花の咲き誇った姿を見せて欲しい。

今年の鹿児島の桜開花は遅れている。挨拶が「今年は遅いですねー」になっている。地元紙によれば、「曰本気象協会九州支社は、同市の鹿児島気象台にある標本木の満開は九州で最も遅い6日と予想する。昨年11~12月の気温が高く、花芽が寒さで目覚める「休眠打破」が進まなかったのが理由だ。同様に休眠打破がうまくいかなかった2008年は、観測史上最も遅い4月12日が満開だった。つぼみが一斉に開かず、各地の名所で色鮮やかな桜並木とはならなかった。同支社の気象予報士は今年も同じ状態になり得る」と話しているという。(南日本新聞H28/4/3)

桜の事を少し勉強した。「サクラのツボミは春の開花の少し前につくられるのではない。開花する前の年の夏、7~8月につくられる」「夏にできたツボミが秋に花咲いたとしたら、冬の寒さのために、タネはつくられず子孫が残せない」「ツボミを越冬芽という、硬い芽の中に包み込み、冬の寒さに耐え、春を待つ」「葉っぱがアブシシン酸という物質をつくり、芽に送る。芽にその物質の量が増えると、ツボミを包み込んだ越冬芽ができる」「ツボミが寒さを感じると、芽を眠らせ開花を抑制するアブシシン酸が分解されて消失する。これで、ツボミは開花ができるように目覚めた状態になる。そして、暖かくなるにつれて、開花を促す物質であるジベレリンが合成されて、開花がおこる」という事らしい(植物はすごい七不思議篇 知ってびっくり、緑の秘密 田中修著 一部改編)。

平成28年4月5日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.79)田舎医者の流儀(54)・・・外来駐車場に車が多い、僕は機嫌が悪いのだ

今月初め、福岡でレジナビという、医学生向け卒後初期臨床研修病院を紹介する催しがあった。旧知の病院や先生方が多数参加されていた。熊本中央病院のコーナーに医師らしい方がいらしたので、「岩永名誉院長は元気にされていますか」と声をかけた。名刺を頂いたら診療部長さんであった。「実は岩永先生は10日程前に肺炎で亡くなられた」と。

岩永勝義先生(前熊本中央病院名誉院長)は私より5年先輩だが、病院の考え方、運営の仕方など最も影響を受けた方である。先生は熊本大学医学部を卒業、血液疾患を専門にする内科に入局、「赤血球に関する研究」で博士号を得たと聞いた。その後、熊本中央病院に就職、内科の先生方が話し合って、今後の専門分化に対応するため、循環器、消化器、呼吸器など手分けして担当しようということになり、先生は循環器部門の担当となった。

先生は循環器病の基本的な勉強をするため、当時九州の循環器病学の巨頭であった故木村登先生(久留米大学医学部第三内科教授)の門をたたかれた。昭和47年の事である。その年の1月より、私も木村教授の下に勉強に行っていた。先生とすぐ親しくさせて頂くようになった。先生の研修期間は3ヶ月、その後も毎週月曜日を研修日とし、久留米にみえた。夕方、先生、古賀伸彦先生(現新古賀病院理事長)、私の3人を中心にカテーテル検査までして確診に到った症例の検討会をしていた。心電図、心音図、脈波図などを一枚一枚厳しく議論しながら、最終診断に至る議論を繰り返した。この中で、循環器病学に対する基本的な力を身につけたように思う。

カンファが終わると珈琲屋に行き、よくだべった。先生は夜10時過ぎに久留米を出て、熊本に帰って行った。私が久留米大病院にいた昭和48年10月まで続いた。先生は自院で循環器病の診療を始めると同時に熊本で循環器病検討会を各地に立ち上げ、病診連携の原型を作っていった。昭和62年、熊本中央病院の今後のあり方について、「この病院をこれからどうするのか」という当時の院長からの諮問があった。岩永先生は今から30年前に明確に「病診連携」の方向性を打ち出した。先生の考えはそれ以降、ぶれることがなかった。外来患者は少なくという思いが、「外来駐車場に車が多い、僕は機嫌が悪いのだ」という発言に結びついていく。

一緒にゴルフすると「かずちゃん、ゴルフは各ホール打つ数が決まっているの。パー4は4つであがるの」と憎たらしい事を言っていた。元気なころはゴルフも上手で、飲み代は麻雀で稼ぐとも豪語していた。医学・医療に対する考え、生き方が規格外の先生であった。    合掌

平成28年3月29日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.78)田舎医者の流儀(53)・・・矜持(きょうじ)

友人が狭心症といわれ、心配になったある方がその病院に行った。その方がいうには、お医者さんは診察もろくにせず、「検査をしましょう」と心筋シンチ検査、冠動脈CT検査などを予定した。その結果は「何も異常ありません」と言われた。私は30年近くレセプト(病院から出される診療報酬明細書)審査に関与してきた。その中で一部の病院の過剰検査・治療に苦々しい思いをしてきた。

そこで、昨年の10月、本通信(No.73)で、「急患がはいると、あらゆる生化学検査、CT,MRIなど爆弾的検査を行う医療機関がある。・・・高度・急性期医療を担っている医療機関がこのような診療形態を取ることは容認されない。・・・特に、専門性の高い医療を行っている医師には高い規範性が求められる。胸痛のある患者さんに、安易かつ多数例に冠動脈CTを行う事は認められない。専門医であれば診察の上、十分病歴を聞き、身体所見、心電図をとり、本当に必要なものに冠動脈CT検査をすべきである。我々は医師としての矜持を忘れてはならない」と書いた。

まさか経済的その他の事由でそうなったとは考えたくない。医者は人の命に関与する職業であり、高い倫理性が求められる。そこでプライドに訴えるいい方をしたかった、「矜持」という言葉を使えば思いが通じるかなと思った。その記事を見たある医師から「矜持という言葉を久しぶりに見ました。その心意気が大事ですよね」といわれた。

ところで、先月、金銭授受問題で辞任した大臣が記者会見で「政治家としての矜持に鑑み」と述べ、その言葉が話題になった。某新聞は「矜持という言葉は、あまり新聞で使わない。「矜」が常用漢字ではないためだ。 「誇り」や「自負」に書き換えて使うことが多い。英語に訳せばすべて「プライド」になるのだろうが、語感は微妙に違う気がする。 ユ二一クな解釈で知られる新明解国語辞典には「自分自身をエリー卜だと、積極的に思う気持ち」とあって、ちょっと納得した」(南日本新聞 平成28年1月30日 南風録)と解説した。

先月フィリピンを公式訪問された天皇・皇后両陛下は1月27日に催された大統領主催の晩さん会で、太平洋戦争でフィリピンが受けた甚大な被害に触れ 「日本人が決して忘れてはならないことであり、私どもはこのことを深く心に置き、旅の曰々を過ごすつもりです」と述べられた。平易なお言葉で、お気持ちをそのまま述べられ、真摯なお心が良く伝わってくる。我らは「大仰な言葉」で思いを伝えようとする・・・・なんという違いであろう。

平成28年2月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.77)田舎医者の流儀(52)・・・ネアンデルタール人の話

あけましておめでとうございます。

昨年は大きな病気もせず、大過なくすごしたと書いた。ところが、昨年末より「歯肉炎」が起こり、年末で抜歯等の根本的な治療ができず、炎症がくすぶっている感じであった。体のどこかに炎症があると、途端に血糖コントロールが悪くなる。更に年末・年始で、ある程度御馳走も食べなければならないし(?)で血糖がいつもより高めであった。年始めには、抜歯も済み一段落と思っていたら、正月休み明けに風邪を引き、急性気管支炎の症状が出てきた。更に血糖値が上がってきていたので、胸部X-Pを撮ったら、「予想どおり」肺炎であった。抗生剤の点滴等で何とか良くなった。高齢者が肺炎を起こすパターンの一典型みたいなもので、なんとも気恥ずかしい感じだ。

そういうわけで、外来診療も休むことになり、患者さんや仲間の医師・看護師さんなどに迷惑をかけてしまった。一方では、丸々一週間昼も夜も時間が空いた。年末に読みたいと思って買った「ネアンデルタール人は私たちと交配した」(スブァンテ・ペーボ著、野中香方子訳、文芸春秋)という本を読む時間ができた。小説を読むように気楽には読めない、遺伝子分析の最先端の話なので読んでスーと頭に入るほどの内容でもない。それでも暇であったので何とか読み終えた。それで今年初めの題目は「ネアンデルタール人」となった。

ネアンデルタール人は約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布し、旧石器時代の石の作成技術を有し、火を積極的に使用していた(ウイキペディアより引用)。現代人類のホモ・サピエンスは20万年前に出現した。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが生きた時代・地域は重なっている。お互いの関わり合いは化石形態、遺跡では解らない事が多い。

スウェーデン人、分子古生物学者であるS・ペーボはネアンデルタール人の発掘された骨からDNA分析を試みた。新しい血液や皮膚などを調べるのに比し、古い骨からDNAを得るのは容易ではない。付着した細菌、関わった人のDNAを排除し、古代人のものと同定しなくてはならない。それでも彼はDNAを増殖するPCR法やその他の新技術の導入で困難を克服し、ネアンデルタール人のゲノム解析に成功する。その結果、現世人類にネアンデルタール人の特有の遺伝子が少量混入している事がわかり、「ネアンデルタール人は私たちと交配した」と結論づけた。結果も凄いが、本物の研究過程も又凄い、感動的である。

平成28年1月26日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2015年

指宿 菜の花通信(No.76)田舎医者の流儀(51)・・・年末雑感

最近、いつもの事ながら一年が早い。何をしたのかなと思いながら、馬齢を重ね、72歳になってしまった。大病もせず一年が終わりそうだ、無事であっただけでも喜ばしいのかもしれない。この年になるといつお迎えが来てもおかしくない、大切な日々を過ごしているのかもしれない。患者さんと話していると、皆さん「穏やかな最期」を迎えたいという話になる。いつお迎えが来るのか、どんな事になるのか誰にも解らない。私は「穏やかな最期」になるように、仏様に毎朝、線香をあげてお祈りしている。

今年何をしたのか、手帳を繰ってみる。なんだかしれないが相変わらず「会合」の多い生活をしている。県、医師会、大学、国保審査会などに関連する会合のオンパレードだ。こんな年齢になったのだからもういいのではないかと考え、そろそろ「隠居」しようと思い始めている。自分がやらなければという「思い込み」はそろそろ卒業しなくてはならない。

当院での総合内科医の診療も7年目になった。相変わらず、風邪、インフルエンザ、健康診断の患者さん中心の診療だ。先日、精神科病院より「熱が時々出る」と紹介状を持って60歳台男性が受診した。患者さんは右の鼠径部を指して「痛い痛い」と訴える。付き添い人は整形外科を受診したが異常なかったと言う。あまりに強い痛みを訴えるので、CT検査をした。明らかな大腿骨頭部骨折であった。なんらかの事情があって、診断に至らなかったのであろう。

今朝も鹿児島中央駅でJR九州の女性乗務員とすれ違う、彼女ら3人は縦に並んで歩いていた。若いお嬢さん達なのに、横になって話しながら歩くことはない。指宿へのJR通勤もそれほど苦にはならないが、今年は雨が多く運休になることが例年より多かった。バスに乗り換えたりして通勤しているが、それがかなわないとき、タクシーを利用することになる。家人に「そこまでして行かなければならないの」とイヤミを言われながら・・・。

主な仕事の一つである初期研修医を鹿児島に残す活動は、10月発表になった最終マッチで99名(昨年92名)であったので、少し増えた。今年は鹿大医学部の卒業生が昨年より10名位少なく、県内高校出身者も少なく、厳しいと思っていた。幸い県外医大出身者が昨年より10数名多く帰ってくれ、過去2番目に多い数字になった。その後、二次募集で更に応募が来ているのでもう少し増えるかもしれない。今年は終わった、もう来年の研修医獲得の活動が始まっている。終わりなき戦いである。

平成27年12月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.75)田舎医者の流儀(50)・・・貧しい大統領

世界で最も貧しい大統領と言われるウルグアイ大統領ホセ・ムヒカは言う。「午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。けれども、私たちの本音は何なのでしようか。 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのでしょうか」

「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしようか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしようか。西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしようか。可能ですか。なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。マーケッ卜経済の子供、資本主義の子供たち、つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです」

2012年6月20日から3日間、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで国連の「持続可能な開発会議(Rio+20)」(以下リオ会議)が開催された。188力国および3オブザ—バ—から、首脳と閣僚級を含む97名の他、各国政府関係者や国会議員など約3万人が参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われた。この会議の最後に登壇したホセ・ムヒカ、ウルグアイ大統領の演説である。(世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉、佐藤美由紀著、双葉社)

この演説はネットなどで世界中に発信され、衝撃を与えた。ホセ・ムヒカ大統領はただ口先でそう言ったわけではない。彼の生活は農場に住み、ぼろ車に乗り、大統領の給与9割は寄付をしている。自らの資産は少なく、お手伝いさんも置かず、自らが料理し、生活が自立している。そして、彼は世界で最も貧しい大統領と言われた。しかし、彼は言う「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、 いくらあっても満足しない人のことだ」。

日本では良寛、松尾芭蕉、吉田兼好、橘曙覧など多くの先達が自然と調和し、清貧な生活、生き方をした。慳貪を良しとしない生き方が日本人の源流となっている。日本から言うと地球の裏側にあるウルグアイの大統領がそのような生活をし、考え方を発信するとは驚きである。我々は現代日本のリーダーにそのような人を選んでこなかったことを残念に思う。

今年、読んだ本の中で、ホセ・ムヒカの事、考え方を書いた本と抗生物質は正常細菌も殺す、その意味を問うた「失われてゆく、我々の内なる細菌 マーチン・J・ブレイザー著 みすず書房)には感銘を受けた。

平成27年12月03日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.74)田舎医者の流儀(49)・・・失われゆく

1992年、「学会がアメリカでのペニシリン使用50周年を記念してイェール大学で開かれた。司会者は、1942年に流産を起こした33歳の看護師、アン・ミラーの症例を取り上げた。彼女は1ヵ月間激しい病気に苦しんだ。体温は41.6℃を超え、幻覚が現れた。連鎖球菌感染症の兆候が全身に現れていた。産褥熱だった。出産や流産のときに若い女性の生命を奪う名高い感染症だ。ミラーは死の淵を彷徨っていた。」(注:この時代、この病は殆ど助からなかった)

「大変な幸運によって、彼女の主治医は少量のペニシリンを入手することができ、ベッドに横たわるミラーに投与された(注:この時代、商業的に流通していなかった)。数時間の後に彼女は回復傾向を示した。熱は下がり、幻覚は治まった。やがて食欲が回復し、1ヵ月後には完全に回復した。奇跡的だった。それを起こしたのは、スプーン一杯、5.0グラムのペニシリンであった。」

「司会者は短い沈黙の後に言った。そのときの患者です。ご起立いただけますか。三列目に、短い白髪の華奢でエレガントな老婦人が立っていた。ペニシリンによって贈られた50年超の歳月を生きた80代のアン・ミラーだった。彼女は90歳で亡くなった。7年後のことだった。」(失われてゆく、我々の内なる細菌 マーチン・J・ブレイザー 山本太郎訳 みすず書房)

その後、ストレプトマイシンなどが発見され、感染症治療における抗生剤の輝かしい歴史が始まった。一方で、抗生剤アレルギーによる死亡、薬剤耐性を持つ細菌の出現など、この薬の持つ負の側面も明らかになった。それでも、現代医療においては、抗生剤治療は有力な治療手段である。一方で、風邪などへの安易な抗生剤の使用、全体として過剰な使用が問題視されている。

更に、人への抗生剤の使用のみでなく、牛、豚、魚などの養殖にも抗生剤が使われている。少量の抗生物質が養殖(体重増)に有利に働く様だ。我々は治療で使われる抗生剤以外に、食品からも日常的に知らず知らずの内に抗生物質を摂取していることになる。

抗生剤は病気の原因となっている細菌を殺すのみでなく、病原でない体内の細菌も殺す。それがどういう意味を持つのか、今まで十分に検討されてこなかった。マーチン・J・ブレイザーは人が抗生剤に晒される機会が増える中で、人に必要な腸内細菌叢など内なる細菌が失われていると言う。その事が現代病の肥満、アレルギー性疾患、炎症性腸疾患などを増加させた要因なのではないかと考え、それを裏付ける研究データを発表している。重大な問題提起であると思う。

平成27年11月03日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.73)田舎医者の流儀(48)・・・医療費2

医療費増の問題は我々医療者も真正面から受け止めるべきである。我々医療界は近年、EBM(根拠に基づく医療)を推進してきた。しかし、全ての医療行為がEBMで計れるものではない、経験的、社会的側面もあり、非合理な部分もある。米国では2011年から、米国内科医学委員会が創設したABIM財団によりChoosing Wisely(賢い選択)キャンペーンが始まった。米国71学会が参加し、2013年迄に50学会が「非推奨の医療」と指摘したものは、250件以上に及ぶ。この動きは英国、ドイツなどの欧州各国、オーストラリア、イスラエルなどに拡がってきた。(無駄な医療、室井一辰 日経BP社)

例えば、米国小児科学会は「明らかなウイルスによる呼吸器疾患には抗菌剤を使うべきでない」と指摘する。これは大人の場合も同様で、細菌性の感染を伴わなければ、抗生剤の使用は不必要である。抗生剤の乱用は薬剤耐性細菌の発生や医療費用の増加、有害事象の増加などを伴う事なので、臨床現場での更なる対応が必要である。米国老年医学界などは「認知症では胃瘻を作るべきではない、栄養は口から取るべきだ」と指摘する。全日本病院協会は2011年の調査で、日本で胃瘻を作っている患者さんは高齢者を中心に26万人に達すると言う。本当に、必要な患者さんもいるが、その適応は十分に考えなければならない。社会的な要求で、ただ延命の為に胃瘻を続ける事は容認されない。

急患が入ると、あらゆる生化学検査、CT,MRIなど「爆弾的検査」を行う医療機関がある。病名が付いていると、今の出来高払いの制度では認めざるを得ない。高度・急性期医療を担っている医療機関がこのような診療形態を取ることは容認されない。これでは、現在の保険診療を内部から破壊する行為であり、更なる包括医療の拡大に向かう口実を与える事となる。

特に、専門性の高い医療を行っている医師には高い「規範性」が求められる。胸痛のある患者さんに、安易かつ多数例に冠動脈CTを行う事は認められない。専門医であれば診察の上、十分病歴を聞き、身体所見、心電図をとり、本当に必要なものに冠動脈CT検査をすべきである。我々は医師としての「矜持」を忘れてはならない。

国民医療費の上昇がこのまま進むなら、制度の破綻は避けられない。医療界を構成する全ての者が真剣にこれに向き合い、世界に冠たる国民皆保険制度を守るため、それぞれの立場での真摯な努力が求められる。

平成27年10月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.72)田舎医者の流儀(47)・・・医療費

厚生省は、平成25年度、日本の総医療費が40兆円に達する見込みと発表した。高齢化と医療の高度化(高額薬品、高額医療機器など)が要因であるとした。今後もこの傾向は続くので、医療費の上昇は続くと考えられる。医療費の財源は、1割が患者の窓口負担、5割が保険料、4割が税金である。

ここ数年、総医療費は1~2%ずつ増えている、今後も増加要因は続くので、医療費の上昇は避けられない。国民皆保険制度を維持しながら、これにどう対応していくのか。原理的には、出の部分の医療費の増加を抑え、入りの財源を確保するしかない。患者負担増、保険料を上げる、税金投入を増やすなどが考えられるが、現実的にはいずれも限界に来ていると言わざるを得ない。

医療費に関連するのは、患者、国民の受療者、診療側の医療者、それに医療材料を提供する薬品業界、医療機器メーカー、それに医療政策を担う厚生・労働省である。それぞれが医療費の増加を食い止める努力が求められている。C型肝炎の薬は一錠10万円、12週一クール使うと800万円掛かることになる。大動脈弁狭窄症の治療に使う人工弁(TABI手術)は一個350万円もする。開発の費用等を考慮してそのような値段になったのだろうが、一定の時間がたったら、市場調査の上、当然引き下げていくべきである。厚生・労働省の力量が問われている。

厚生・労働省にもう一つ真剣に取り組んで貰いたいのは、医療機器の内外価格差の件である。ペースメーカー(デュアルチャンバー型約148万円)、冠動脈形成術カテーテル(一般型約17万円)などの高額医療機器の値段が米国の1.5倍から2倍である。平成21年、国会でも取り上げられ、改善を求められているが、それから6年も経つのに、何も解決していない。どこに問題があるのか、明らかに不合理な問題である。保険財政が厳しくなっている、国民に負担を求めるなら、解決すべきである。

昨日、風邪症状で診察を受け、薬をもらったけど鼻水、咳がまだ続いている。なんで良くならないのだと再受診された。聴診器を当て、診察したが悪化の傾向はない。確かに「薬」もらったのに、風邪症状は全部とれていない。「風邪は一日では良くなりませんので今のお薬で様子見てください」と話し、それでも具合が悪いときはまた診ましょうということにした。患者さん側もコンビニに行くみたいに病院に受診せず、かかりつけの医を持ち、必要な時、必要な医療を受けるようにすべきであろう。そんな小さな努力を積み重ねて、世界に冠たる皆保険制度を守りたいものだ。

平成27年9月11日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.71)田舎医者の流儀(46)・・・慳貪(けんどん)

日本を代表する企業が不正経理(粉飾決算?)問題で、社長以下関連役員が退任に追い込まれた。社長は記者会見し、「株主様はじめ・・・にご迷惑をお掛けしました」と、まず「株主」様に謝罪した。現代社会においては、消費者・国民、従業員にお詫びするより、まず真っ先に「株主」様にお詫びしなければならないらしい。その株主様はというと「不正経理で、損をした」と訴訟を起こす見込みだという。

株はそもそも資金不足の企業に、その成長を見込んで資金提供し、成功したらその分け前を頂くのが本来の役割であったはず。しかし、今や多くが投機的になり、業績が良いと買われ、少しでも業績が低下すると資金を引き揚げる、そんな運用が主流になってしまった。それが資本主義、市場原理で当たり前の事とされている。しかし、田舎医者には、そんな「慳貪」なやり方は日本の「美学」に反するように思える。

江戸時代の茶人・書家本阿弥光悦の母妙秀は、「何よりも慳貪にして富裕なることを嫌った」という。慳貪とは「欲深くしていつくしみの心がないこと、むごいこと、貪欲な事とあり、つまり自分さえ良ければ他人の事はどうでもいいという者のことだ」という。本阿弥のみではない、日本では良寛、松尾芭蕉、吉田兼好、橘曙覧など多くの先達がそんな生き方をした。自然と共存した彼らは日本人の生き方の原点のように思われる。(清貧の思想 中野孝次著、文芸春秋)。

私の中では、株屋さん達は皆、「慳貪」にして肯定出来る存在ではないと思っていた。しかし最近、新井和宏なる人物は「投資はきれい事で成功する」(ダイヤモンド社)と主張する。彼は大手投資会社ファンドマネジャーとして数兆円を動かしていた。しかし、その生活に矛盾を感じ、体調も優れなくなり、会社を辞め、新たな投資会社を立ち上げた。彼は云う、「前の会社では投資は科学である」と教えられた。今は「私は予測しない、予測は当たらない」「社会に貢献する本物の会社を探し、投資する。株主にも利益を戻す」「困っている時に投資し、事業の発展を助ける」。彼がどこまで本物であるか私には判断できない、しかし、こういう「株屋」さんがいる事自体、嬉しいね。

小泉内閣時代、規制改革が声高に叫ばれ、その先頭に立っていた財界人?がいた。最近、この方は年間で54億円もの所得があったと報じられた。国民は規制緩和の荒波で辛い思いをさせられた、あまりに対照的である。医療者は患者さんという「弱い立場の存在」を「飯の種」にしている。従って、「慳貪」に最も遠い存在でなければならないと自戒する。

平成27年8月4日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.70)田舎医者の流儀(45)・・・辺縁系

ウチの孫殿は現在、3歳半である。合うと「ジジ、トミカが欲しい」「かんかんかん(踏切の遮断機)が見たい」などなど、彼の頭に浮かぶ欲求をただただぶつけてくる。未だ、脳の辺縁系しか発達していないので、彼の要求は本能の命じるままである。

現代社会は、欲しいものが即座に手に入る方向に「進化」させてきた。コンビニ行けば、食べ物も即座に手に入る。少し金目の張るものでも、カードがあればすぐ手に入る。現金が必要なら、サラ金で借りることも出来る。車や家・土地など高価なものは、ローンを組んで現物をすぐ手にすることが出来る。何でも、欲しいものが即座に手に入る社会が形成されている。

酷なことに、もともと返済能力が疑われる人にも特別なローン(サブムライムローン)を組んで貸し付けた。ノーベル賞を取った学者さんも、このインチキな仕組み作りに関わったと言う。その結果はリーマンショックが起こり、貧しい「消費者」は家も取られ、借金だけが残った。

こうした現代社会をポール・ロバーツは「無論、今日のように社会全体がまるで利己的な個人のように振る舞うことも予測できなかった。かつては、個人が手っ取り早く利益を手に入れようとしても、政府やメディア、学術界、企業などの組織がそれを抑えてきた。しかし、いまではまさにこれらの組織が、同様の利益の追求に走っている。あらゆる分野において、大小さまざまな規模で、私たちの社会は、たとえ、結果がどうなろうとも「いますぐに欲しい」社会になりつつある。すなわち、「インパルス•ソサエテイ(衝動に支配される社会)」となりつつあるのだ」と分析する。(「衝動」に支配される世界」ポール・ロバーツ著 神保哲生訳)

現在、ギリシャの財政破綻が大きな話題になっている。借金が多いのに、粉飾決算でごまかしながら国を運営してきた。それが表に出て、EUが32兆円も出して、再建に取り組んできた。しかし、返済計画を実行したら、国民は更なる窮乏に陥った。人ごとではない、我が国も一千兆円以上の借金を持っている。子や孫の時代に借金をつけ回ししようとしている。

今すぐの欲望を満たそうとしても、将来にそのツケが回ってくる、当たり前のことである。ヒトは他の動物と違って「前頭葉」が十分に発達し、長期的な見通しを持つことが出来る。今の自分達が良ければよいという「辺縁系的」思考では、この時代を未来に繋げていくことは出来ない、かけがえのない地球という星の未来も見えてこない。

平成27年7月14日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.69)田舎医者の流儀(44)・・・「金」を失う

今年の鹿児島の梅雨は、例年になく雨が降り続いている。先日、鶴丸城跡のお堀の近くを通ったら、いつもの様に蓮の花が咲いていた。平成19年6月に書いた前任病院時代の「院長便り」に「鶴丸城跡お堀の蓮が今年も6月11日に咲いた。例年、15日以降の開花が多いが、いつもより早かったように思う。よく見ると蕾みは10個近くあり、最初に開花したのは正門橋の左下の所、決まったように繰り返される自然の営みに感嘆させられる」と書いている。

雨が多いと、私の通勤するJR指宿線は運休したり、徐行運転をしたりで予定が立たない。先週は朝の列車が、途中駅の瀬々串や喜入までしか運航されず、そこからは時間の関係もありタクシーを利用せざるを得なかった。バスに乗って行くと、診療開始時間に間にあわない。患者さんを待たせれば、無理して行かなくてもという考えもあるかも知れないが、「古い」人間なので、約束を守らないことには抵抗感が強い。

例年、梅雨時、年に1~2回は、列車が運行せずバスに乗ることがあった。この路線を通勤する限り仕方ない事で、それはそれで受け入れている。今年は回数が多いのとバスは、2倍の時間がかかり、閉口する。列車は運行しても、「特急・観光列車たまて箱」優先で、普通列車は運休になることが多い。この路線には、沿線に高校など学校が多いので、子供達が多く利用する。たまて箱は座席指定で、また途中駅には喜入以外は止まらないので、学生らは利用できない。JR九州のやり方は地域の生活者の利便性よりも、観光客を優先に考えているようだ。

JR九州は株式上場をするようなので、ますます「株主様」の意向が重視されて行くであろう。そうすると儲からない指宿線の存続も難しくなっていくかもしれない。儲からない路線は切り捨てられていく、それが自由主義・市場主義の方向であって、公共性とは相容れない形である。それでは鉄道は、字のごとく金(使命)を失うことにならないか心配である。

医療・福祉の分野にも効率化・市場主義の方向性がますます強まっている。命の分野に「強欲資本主義」の論理を入れていったら、国民は幸せに暮らせるのであろうか。そのうち、コンビニで店員さんが「患者さん」の症状を聞いて、検査やお薬を出す時代が来るかもしれない。簡単な病気はそういう方向でも良いのではという人もいる。そんな議論をする金持ちは医者にかかり、貧乏人はコンビニで済ませなさいと言うことか。人の体は私が45年も医者をやっていても難しいと思っている。社会的弱者はますます生きづらくなっていくのであろうか。

平成27年6月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.68)田舎医者の流儀(43)・・・高価薬

先日、C型肝炎治療薬ソバルディ錠(400mg)が、1錠6万1799円で保険収載されることが発表された。一クール12週の治療で550万円位かかることになる。高額な治療機材も増えている、経カテーテル大動脈弁留置術(TAVI)に使われる人工弁は、450万もする。TAVIを受けると入院費なども合わせ600万円位の医療費が発生する。しかし、日本では国民皆保険で、高額医療費補助制度もあるので経済的事由で最新の治療を受けられないケースは稀である。

一方、アメリカでは「C型肝炎患者ケビンは、医師から承認間近の新薬を勧められた。副作用が少なく、イン夕ーフェロンを打つ必要もなくなるという。一粒1000ドル(10万円)のその薬は、もちろん処方薬リストになく、一クール12週分の薬代について保険会社からケビンに提示された自己負担額は、8万4000ドル(840万円)だった」。アメリカでは自己破産の事由として高額医療費の支払いが最も多いという。(堤未果著「沈みゆくアメリカ」)

日本の皆保険制度は、誰もが基本的に最先端の診断・治療を受けられる制度である。しかし、日本の医療費は、年間40兆円になろうとし、年々7%前後増えていくと予測されている。20兆は保険料として国民が負担し、20兆は税金でまかなっている。しかし、日本の年間税収は、50兆少々であり、増え続ける医療費をどこまで負担できるのか、このままでは皆保険制度の存続すら危うくなってくる可能性がある。

医療界を構成するのは、患者・国民、医者をはじめとした医療者、製薬メーカー・医療機器会社などからなる。高価格薬・機器で、製薬メーカーや医療機器会社だけが、儲かる構造ではうまくいかないであろう。この3者が譲り合いながら、医療を守っていく責任がある。

国民の側も、特に生活習慣病の予防のために必要な食事療法、運動療法をしっかり実行する必要がある。糖尿病なのに、食べたいだけ食べては薬の量も増えるし、合併症の発生を防げない。病気が重症化してから発見されると、治療に難渋する、何よりも本人が辛い思いをする。検診は、積極的に受けるべきであろう。

医学の進歩に伴い、今後とも高価格薬・機器が、開発されていくであろう。値段は、高い方がメーカー側は良いだろうが、それでは制度の破たんは避けられない。人の健康・命に係わっている限り、医師・医療者同様、高い倫理性が求められる。

平成27年5月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.67)田舎医者の流儀(42)・・・「ん」の話

検診で糖尿病を指摘された建築会社の社長さんに「血糖値を直接的に上げるのは炭水化物ですから、ごはん、パン、めん類が多くならないようにしてください」と話した。社長さんは「解りました。要は≪ん≫の付くものを控えろという事ですね」と。以来、糖尿病の患者さんに「ごはん、パン、めん類など≪ん≫の付くものは多くならないようにしてください」と説明している。印象に残るようで、患者さんは笑いながら頷いてくれる。

私自身、糖尿病があり薬を永年服用している。約一年前、血糖のコントロールが十分でない状況があった。時々、血糖自己測定をしているので、何をいくら食べたら血糖がどうなるか、運動の影響など実感している。炭水化物を多く取ると確実に血糖は上がる、自転車漕ぎを30~40分して、血糖を測る血糖値は30~50位低くなる。運動量や薬を増やす、更に食事量を減らすなどの選択肢もあったが、食事療法として「糖質制限」をしてみようと思い立った。

私の糖質制限は厳しくしているわけではない。朝食は生野菜ジュース、卵焼き、さつま揚げなどが付いている温野菜、果物、それに糖質制限パン(炭水化物4g程度・・・近くにないので北海道・小樽の工場から取り寄せている)、昼食は外食になることが多いが、例えば焼き魚定食なら、ご飯は小さい茶碗の1/2~3、夕食は家で食べる時はおかずのみの事が多い。宴会・外食時は最後に出る麺類、ご飯類を少量しか取らないようにしている。現在、私の血糖コントロール、体重は目標とするところに落ち着いている。

糖質制限については、それを支持するデータが十分でないので、日本糖尿病学会などは積極的ではない。しかし、書店には「炭水化物が人類を滅ぼす」「白米中毒」など刺激的なタイトルの本が並び、関心を呼んでいる。人類は今までパン、ごはんで生命を維持・繁栄してきた歴史がある。その食の歴史を無視して「炭水化物が人類を滅ぼす」とは思わないが、取りすぎに警鐘を鳴らしているなら理解できる。

アメリカでは糖質制限の考え方が「ニューヨーク タイムズ マガジン」で2002年夏、紹介されるとパン屋さんやパスタ製造会社が倒産したという(雑食動物のジレンマ ある4つの食事の自然史 マイケル・ポーラン著)。食の文化はそれぞれの民族で長い歴史があり、その中で、我々の体は形成されてきた、特殊な考え方での極端な制限は実情に合わないだろう。糖質制限の考え方も、それぞれの病状にあった形で、医師の指導を受けながら行うべきであろう。

平成27年5月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.66)田舎医者の流儀(41)・・・話を聞く

先日、「住民健診で胸部レントゲン写真に異常ありと言われた」と外来に患者さんがみえた。60代の男性で、現在人工透析を受けている、過去に狭心症があり、冠動脈にステントを入れている。心臓の方は昨年末、冠動脈造影検査を受けて問題なしといわれたとのこと。「じゃ胸部写真を撮りましょうか」と言いながら聴診器をあて血圧を測り、「胸が痛いとか、苦しくなるとかの症状はないですか」と尋ねた。「そういえば2~3日前、2時間位胸が苦しかった、冷や汗が出るような強い症状ではなかった」とのこと。それなら、心電図も撮っておきましょうと検査に行ってもらった。

胸部は明らかな異常所見はなかったが、心電図は異常所見が見られた。以前の心電図を出して比較すると明らかに変わっている。血液検査を追加すると、心筋から出る酵素が上昇し、急性心筋梗塞を疑う所見が出た。いろいろ一般検査をして、冠動脈造影をしましょうということになった。結果は予想外のもので、冠動脈のうち、右冠動脈入口部が詰まりかかっていた、左冠動脈の一本も高度狭窄であった。翌日、準救急で冠動脈のバイパス手術を受けることになり、心臓外科のある病院に転院となった。危機一髪であった。

「胸部写真の異常でみえたのですね、わかりました、じゃレントゲン写真を撮りましょう」となっていたら、危うく患者さんに潜んでいる重大な病変を見逃すところであった。患者さんが多い時などついつい基本手順がスキップすることがある。経験45年の老医にして、基本の診察手順の重要性を改めて思い知らされた。

先週、医師国家試験の合否の発表があり、本県の本年4月からの初期臨床研修医が91名と確定した。平成16年から始まった本制度の中で、2番目に多い。過去、平成21年は54名まで落ち込んでいたので、大分回復してきたと言える。オール鹿児島体制で取り組んできた成果が実ってきているのだろう。しかし、一年一年の勝負であって、来年も多いという保証はない。来年に向かって、現在の5年生に対する対策を進めている。今年になって、高知、折尾、東京に行って、医学生に会い、鹿児島での研修を勧める活動(出前セミナー)を続けている。

研修医を獲得するため、多人数を集めての説明会やレジナビフェアー(業者さんが行う就職説明会みたいなもの)への出席など多面的活動を行っている。しかし、最も成果が上がるのは時間もお金もかかるが、直接顔を見ながら話すことだ。患者さんを診察することも、研修医を獲得する活動も相手の話にしっかり耳を澄ますことが基本のようだ。

平成27年3月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.65)田舎医者の流儀(40)・・・贅沢品

先々週は指宿のホテル、JR「指宿のたまて箱」共に、中国系のお客さんが多く、混雑していた。中国では旧正月を盛大に祝う、この間7連休になっているという。その休みの間、日本にも多くの観光客が訪れた。日本のテレビは連日「爆買い」と言われる彼らの買い物の様子を伝えた。中には何百万もする高級品をいくつも買う人もいた。デパート等売る方も「特需」が来たかのように売りまくる。なんともすさまじい光景だ。かつてバブルの頃、日本人は同じような行動を取り、世界中のヒンシュクを買った。

通常の贅沢品なら、好きにしたらと言っておれる。しかし、金持ちでないと買えないような「高級品」が医療の世界に入ってきたらどうなる。1錠10万円する肝炎治療薬が出てきている。一クール十二週分の治療をするのに840万円かかる。アメリカの保険会社は、ガン、HIV等の高額治療薬を保険対象外や高い自己負担率にしている。結局その負担に耐えられる金持ちしか治療を受けられない。(堤 未果著、沈みゆく大国アメリカ、集英社)

我々はアメリカではオバマケアーがスタートし(2014年)、医療状況が改善されたと思っていた。しかし、堤さんによるとかえって状況は悪化しているという。低所得者や高齢者のためメディケイト、メディケアーという制度があるがその支払い率が6割から8割で、医師はそれではやっていけず、その保険の人を診ないようになっているという。結局保険証は持っているけれど、医師に診てもらえない、医師は目の前の患者さんと制度の板挟みに苦しんでいるという。

日本では高額な医療も国民皆保険のおかげで、誰でも平等に治療が受けられる。例えば、大動脈弁狭窄症の治療で経カテーテル大動脈弁治療という方法がある。これに使用するバルーン拡張型人工生体弁セットはそれだけで450万円位する。それに手技料、入院費とかかるので、総医療費は500~600万円位となる。しかし、この治療は公的補助(更生医療など)が適用されるので、日本では誰でも治療が受けられる。

今の日本の保険制度では高額な治療も多くは保険でカバーされ、所得にかかわらず、治療を受けられる。日本では公助、共助、自助のバランスで保険制度を作ってきた。しかし、今、混合診療とかいって公助、共助を減らし、自己負担を増やしていこうという方向が密かに進行している。一方で、新しい技術の導入もあり、医療費の上昇は避けられない。その中で国民皆保険制度をどう守っていくのか、国民的議論が求められている。

平成27年3月3日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.64)田舎医者の流儀(39)・・・ささやかなこ事

今日(1/31)は朝から雨が降っている。JR指宿駅でタクシーに乗り、病院に向かう。顔見知りの運転手が午前中は雨らしいと言う。7時30分頃、小学校の前を通る。校門前の横断歩道で、いつものように子供たちを誘導し、迎える人がいる。運転手によると、この小学校の校長先生らしい。かなりの豪雨、寒さ、暑さに関係なくその姿がある。何時からか記憶にないが、数年は続いている。こんな校長先生のいる学校で学ぶ子供たちは幸せだね。

私が20数年前、前任の病院に赴任した時、どういうわけか、歓迎されなかった。循環器内科は既にあるのに、もう一つ循環器内科が出来ることに違和感があったのだろう。心エコーの検査は週一回昼からのみ、17:00以降使う時、検査の途中であっても他のグループが使うときは直ちに明け渡す、心カテの検査は週一日、それもしかるべき医長の許可を得ること等々いろいろ制限をかけられた。

赴任して4日目、心不全の患者さんなど3名の入院があった。病棟に上がって行くと、看護師から「心電計もない、除細動器もない病棟に心臓病患者を入れて、急変でもあったらどう責任を取るのですか」と厳しい口調で言われた。もっともな話であった。事務方に行き、会計課長さんに「診療するための,機器を早急にそろえて欲しい」と話した。しかし、「今年はもう予算がありません」と冷たい対応であった。「事故が起こり、不幸な結果になり、裁判にでもなったら、私は患者さん側の証人になりますよ」と憎まれ口をたたく以外に策はなかった。

四面楚歌の病院で、真っ先に私どもを支持したのは病院の掃除をする人や看護助手の人達であった。何のことはない、私は人と会ったら自分から挨拶をする習慣があった。廊下、エレベーターで顔を合わせるとこちらから「おはようございます、こんにちは」と声をかけていた。特別なことではなく、当たり前の事である。彼女らは「今度来た先生は自分から挨拶されるよ」と言っていたという。それまで挨拶しても、返してもらえず、なんだか無視されたようで悔しい思いをすることが多かったらしい。

イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)に捕えられていた日本人ジャーナリストが殺害された。なんで、人の命をもてあそぶのか残念でならない。イスラムの人、アフリカの人、欧米人等々が「やあー」と声を掛け合い、お互いを尊重する対等平等の関係を築いていく、そんな積み重ねこそ大事ではなかろうかと思う。

平成27年2月3日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2014年

指宿 菜の花通信(No.63)田舎医者の流儀(38)・・・70歳 1年生

私は今月で71歳になる、今年は70歳1年生を過ごしてきた事になる。70歳になり、特別に変わった事はないが、ゴルフ場で届を出すと少し割引がある、チーショットの位置が白杭になって距離が少々短くなる。元々飛ばない上に、体が硬くなり飛距離の落ちた身にはなんともありがたい。そう言えば、10月盛岡で学会があり、台風が九州を直撃、福岡空港に帰れなくなった。朝早く花巻空港に行き、大阪行きに乗ることにした。親切なカウンターのお嬢さんが年齢を証明するものがあれば安くなりますよと言う。持参していた健康保険証を出すと、通常の3分の1位の値段であった。これは65歳以上の特典で、家人に得意げに話したら「知らなかったの、とっくに前から利用していますよ」と少々小馬鹿にされた。

日常の生活は、60歳代後半と殆ど変わらない。月曜日は初期臨床研修医確保対策の仕事で県庁に出かける。有能なスタッフが計画、方針等作ってくれるので、殆ど口を挟むことはない。今年度の最終マッチ者数は昨年より10名多い94名であったが、二次募集で6名増えたので100名である。我々が対策を始めたH21年以降で最大の数字で、それなりに成果が上がってきたのだろう。対策も軌道に乗ってきたので、そろそろ引き時かなと考えている。

火、水、金は指宿医療センターで総合内科医としての診療を行っている。先日、50歳台後半のご婦人が下腹部に固いものが触れると来院された。診察して見ると小児頭大のかなり固い腫瘤を触れる、CT像は卵巣腫瘍(?)であった。手術の可能性があるので、鹿大病院産婦人科に連絡を取り、翌日受信してもらった。手術前の検査としてMRI等いくつかの検査を指示された。それらを済ませて、鹿大病院を受診されることになる。なんということはない当たり前の事であるが、あっち、こっちに回さないで、必要なこと、できる事をさっさとやってあげることが患者さんのストレスが少なくて済む。専門外だからと、逃げたらこちらは楽だが、患者さんは大変だ、そんなことを考えながら総合内科医を楽しんでいる。

木曜日は休みだ。天気さえ良ければ、ゴルフをしている。いつもする仲間1人は同期の医師、他の2人は異業種だ。年齢は70歳代3人、一人が60歳代後半、腕前はそれほど変わらない。今年は50回以上ラウンドしたが、残念ながら今年は5年ぶりに平均スコアーが90台となり、一度も70台も出なかった、確実に腕前が落ちてきている。今年3月より、糖のコントロールを良くするため、糖質制限を始めた。体重も落ちて、糖のコントロールは良くなった。その分ゴルフが下手になったのか(?)、関係ないか。

平成26年12月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.62)田舎医者の流儀(37)・・・フェアトレード

フェアトレード(公平貿易)は、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す運動。主な品目としてコーヒー、バナナ、カカオのような食品、手工芸品、衣服がある。需要や市場価格の変動によって生産者が不当に安い価格で買い叩かれ、あるいは恒常的な低賃金労働者が発生することを防ぎまた児童労働や貧困による乱開発という形での環境破壊を防ぐことを目的としている。(ウィキペディアより引用)

フェアトレードの「考え方」は、発展途上国のみでなく、高度に発達した資本主義国である日本などいわゆる先進国でも必要なように思う。現に、肌着を買いに行くと信じられないような安い価格で手に入る。消費者の立場では安くて、良質のものが得られればありがたい、会社は商品が多く売れると儲かる事になる。しかし、表面だけ見て、単純に喜んでいて良いのだろうか。生産者は潤っているのか、会社の中でも経営者は儲かっているが、そこの労働者はまともな賃金、雇用形態になっているのか、余計な事を心配してしまう。

新聞に残業時間が100時間超え、休日の殆どない労働者が過労死になり、裁判になる事例がたびたび報道される。社長さんは高い収入を得て、豪邸に住み、現場の労働者は過重労働で過労死に追い込まれる。人間の叡智が資本主義というシステムを作りあげ、そこに民主主義という社会システムが機能し、人類はこの地球上で繁栄をしてきた。しかし、最近の資本主義はますます「超」株主中心となり、まず儲かることを中心に考えるようになってきている。そこがいびつになると、社会は内部に多大なストレスを抱え込み、信じられないような犯罪も起こってくる。

過度の市場主義、規制緩和が叫ばれ、岩盤規制廃止、自由競争が正しいと声高に主張される。医療、教育など人が生きていく根源の分野にも、規制緩和、市場主義の嵐が吹き荒れている。病院も株主制度にして、医師以外が経営トップになる方がよいような議論がなされている、株式会社の基本は儲ける事、株主の利益がまず確保される。そんな医療システムにして、一般国民がまともな医療を受けられはずが無い、患者さん中心の医療が困難になる。教育も「儲ける、儲けない」の世界にはなじまない。自由な市場原理、規制緩和などの言葉にだまされてはならない。

強欲な資本主義制度の基で、この地球が悲鳴を挙げている。「もし我々がこれまでと同様の発想で右肩上がりの豊かさを求めて人間圏を営むとすれば、人間圏の存続時間は100年ほどだろうと考えられる」(地球システムの崩壊 松井孝典 新潮選書)。

平成26年11月11日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.61)田舎医者の流儀(36)・・・メロンの話

私は30歳代の頃、メロンを食べるのが苦手であった。今は食べるが、その頃はムカついて食べられなかった。ある時、天文館で飲んでいたら、ある事で少しばかりお世話した方と一緒になった。お礼に食べてくださいと、大きなお皿に山盛りしたメロンが出された。弱ったなと思ったが、好意を無に出来ないので無理やり食べた。一時して、我慢できずにトイレでおう吐した、それでも残りを食べた記憶がある。いつの頃からか、美味しく思うようになったから私の嗜好もいい加減なものだ。

そのメロンの方はもう亡くなっているし、40年位前の話で、もう時効と思うので書く事を許して戴けると思う。その方は、心臓弁膜症があり重症で、心不全発作も何度も起して入院したこともあった。一応、私が主治医になっていた。今の医療水準から考えると、さっさと手術をしてあげると、日常生活も楽に出来る程度であったと思う。しかし、その頃は、心機能の悪い、多弁の手術成績は良くなかった。そんなわけで、ジギタリス、利尿剤の投与で診ていた。

その患者さんが、最近来ないなと思っていたら、刑事が訪ねてきた。「彼はある詐欺事件に関与し、逮捕状が出ている。居場所も特定している、いつでも逮捕出来る状態にある。心臓が悪くて治療中との事だけども、逮捕してもよろしいか」との話であった。私は「悪いことしたら、仕方ないでしょう。逮捕されたら、往診に行きますから連絡ください」と言った。

数日後、警察から「逮捕・拘留しています。一度診に来ていただけないか」との連絡が入った。かって行ったこともない警察の拘置所に往診に行った。患者は薬をのんでいなかったのだろう。心不全を起こしていた。「刑事さん、これは心不全を起こしている、このままではやばいこともある。病院に引き取りましょう」。

所定の手続きを終え、病院に入院、治療を受け改善した。しかし、弁済も済んでいて、再び収監されることはなかった。後日、担当弁護士の先生が訪ねてみえた。「先生の顔をみに来たのよ。弁護士の僕が出せないのに、若い医者が一言で釈放させた。どんな医者だと思ってきたのよ」と。冗談であったが、その後、この先生とは長い付き合いが始まった。

面倒な事から逃げないで、そのままにまっすぐに事態に対応したから、ご褒美に、メロンが食べられるようになったのであろう。

平成26年10月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.60)田舎医者の流儀(35)・・・もったいない

8月末、いつものように家を出てJR指宿線06:22発で、指宿に向かおうとした。しかし、未明の豪雨で運休になっていた。喜入までの列車が06:33に出るとのこと、とりあえず目的地に近づこうと乗り込んだ。喜入には遅れたがなんとか到着した。そこから指宿行きは遅れて発車、更に25km/時速の徐行運転、自転車並の速度で、指宿に着いたのは午前9時であった。都合3時間かかった。いつもは7:30頃着いているので、2倍かかったことになる。JR指宿線は山沿いを走るので、こうしたことはたびたびある。最近、土砂降りが多いので運休になることも多い、生活・観光路線なので影響は大きい。

今年の夏は豪雨、日照不足など異常気象が続いている。先月は広島で豪雨、山崩れで70余名の人命が失われた。北海道でも豪雨、山崩れで被害が出ている。6月、東京で季節外れの雹(ひょう)が降り、道路が氷で覆われた。各地で観測史上最高雨量が観測されたとの報道が相次いでいる。日本のみではない、米国西海岸は極端な雨不足、東海岸側(ニューヨークなど)は季節外れの大雪に見舞われた。フイリッピンはスーパー台風にたびたび襲われている。あげればキリがないくらい異常気象が報告されている。

地球温暖化が叫ばれて久しい。北極海の氷が極端に減少、高い山の氷河も溶けだしてきている。アマゾン川流域の熱帯雨林は伐採により、どんどん減少してきている。主要な原因は人間の活動によるCO₂増加が考えられている。一部の頑迷な学者がCO₂原因説に依然として反対しているが、世界中の学者、政治家はこの温暖化の現実を受け入れ、早急にCO₂削減を行う方向にある。このままいくと地球は「温暖化地獄」に向かうと考えられるようになってきた。

しかし、世界的なCO₂削減はなかなか進まない。発展途上国は先進国がまず削減すべきと主張、先進国側も経済優先で削減が進まない。限界に来ている資本主義の右肩上がりを信じ、その方向性の政策がとられる限りCO₂削減は難しい。地球環境は猶予ならない状況にあり、限界を超えているとの認識がない限り地球の未来はない。

エネルギーを使わない生活、我々日本人が元々の持っている「もったいない」の生活理念が今こそ必要だ。日常生活でこまめに電気を消す、食事と運動で病をコントロール、薬剤量を減らす(薬を作るのもエネルギーを使う)、物をできるだけ買わない、出来ることをこまめにやりたい。ゴルフの時、電動カートに乗らない・・・これはちょっと辛いな、現実は厳しい・・・。

平成26年9月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.59)田舎医者の流儀(34)・・・予知・予測

先週末、南九州は梅雨明け、真夏の気候になってきた。しばらく、熱帯夜が続くことになる。先週末、北海道函館に行った。夜は上着なしでは肌寒い位であった。夏の北国は涼しく、過ごしやすい。長い夏を鹿児島で過ごす身には、この湿気のない涼しさはなんとも心地よい。早いとこ、夏は北海道、冬は鹿児島で暮らすようになりたい。

今年の春頃の予想ではエルニーニョ現象が起こり、日本は冷夏になるのではと云われていた。しかし、最近の予報では例年と変わらない暑い夏になりそうだという。長期の天気予報は外れる事も多い。我々の世代の感覚では、衛星写真などもあり、天気予報はよく当たるようになった。それでも突然のゲリラ降雨、雷、竜巻などの予報は成功していない。

アメリカの気象学者エドワード・ロレンツは「予測可能性について-ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起きるか」と題する講演を行い、初期条件のわずかな違いが結果を大きく左右しうるとした(1972年)(科学は大災害を予測できるか・・・フロリン・ディアク著、文春文庫)。予報が外れると、気象庁は非難されることが多い。しかし、そもそも気候・気象はカオスの世界で、外れるのはある面必然と考えたが良い。

我々の住む地球は生きた星である。地震、津波、火山、台風、小惑星の衝突など、災害を起こす事象に満ちている。出来る事なら予知して、被害を最小限に食い止めたい。地震の予知は現在の「技術」「知識」では成功していない。予知したかの報道が時々あるが、現実に神戸大震災、東北大震災は予知されなかった。今後も南海トラフ巨大地震の危険が指摘されている。しかし、何時、どんな規模で起こるかは不確かである。現時点では、地震の予知は不可能として、対応策を立てることが現実的である。

病気の予知も出来ればよろしいが、現実は難しい。例えば、心筋梗塞はなんの前触れもなく、突然起こることが多い。心筋梗塞は起こると依然として30%近い死亡率である。胸部、顎を締め付ける、左背部痛などが前駆症状としてあることがある。症状のないとき心電図検査をしても異常所見のないことも多い。症状のある時は医師に相談して欲しい。30年位前だが、40代歯科医の先生が胸痛あり来院された。精査を勧めたがどうしても入院できないと云われた。その数日後に新聞に死亡広告が出た。今なら説得する自信があるがその時は出来なかった。今でも、辛い思い出である。

平成26年7月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.58)田舎医者の流儀(33)・・・新臨床研修制度10年

先週末は大阪レジナビ(医学生対象の研修病院説明会)、その前の週末は岡山で出前セミナー(鹿児島出身の医学生に鹿児島県臨床研修の実情を説明する会)、その前は久留米、今週は大分で出前セミナー、その次は東京レジナビ、金沢でも出前セミナーを準備している。全部は出席出来ないが殆ど出かけている。本県の初期臨床研修医を増やす活動の一環で、地を這うような努力をしないと地方の研修医確保は難しい。

平成16年、新臨床研修制度が始まる前は鹿児島県に100名以上の新人医師が供給されていた。しかし、この制度が始まり県外へ流出が起こり、平成21年は54名まで激減した。平成21年度より、組織的な対策を始めた。その結果、平成24年90名を確保したが、25年、26年は75名、73名で、結果を出せない。責任のある立場の方が「医学生の気持ちを十分汲み切っていない」のではと批判される。その通りと思うが対策方は出てこない。

都会の有名病院、全国チエーンの病院群が豊富な資金力と実務能力で研修医確保に走る。今回の大阪レジナビでも我々鹿児島県は一ブース(それでも35万円)の出展であるが、ある全国チエーンは10倍程度のブースを展開、多くのスタッフを動員している。当然、多くの研修医を確保する。医療も競争原理化で動くべきだと考える「新自由主義者」には好ましい光景かもしれない。しかし、この制度が始まって、地方は深刻な医師不足に陥った。

研修医の多く集まる病院は選考段階で、優秀な医学生を確保する。「出来の悪い」研修医は当然排除される。現実はメンタルや基本的能力に問題を有する研修医が一割近くいる。文部省が認めた医学部を卒業し、医師国家試験に合格すると研修医となる。その中に、研修プログラムを十分なサポートなしには履行できない者がいる。

そうした研修医は有名研修病院からは排除されるので、研修医の少ない、指導医も多くない病院に行くことになる。臨床研修を2年間やり、決められた課題をクリアーしないと終了証を発行出来ない。それがないと保険診療が出来ないので、現実的に医師としての診療は難しくなる。国が医師免許を与えた者に地方の一病院で「研修終了」を出さない事などしにくい。

そうした研修医をサポートし、「研修終了」させるために、つきっきりで指導をしている「指導医」の存在は知られていない。彼らがこの制度の不備を「自己犠牲」で支えている。

平成26年7月11日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.57)田舎医者の流儀(32)・・・危機管理

先週火曜日、いつものように朝6時家を出て、JR指宿線で仕事に行く事になっていた。ホームに降りて行くと、いつも開いている電車のドアが閉まって、電気もついていない。いつもこの列車に乗る高校生、通勤者が集まってくるが、なんのアナウンスもない。どうしたのだと思っていると、整備の人(?)、乗務員らが慌ただしく動き始めた。しかし、発車時刻を過ぎても、動く気配がない。

そのうち、同じホームに止まっている「次の便の列車(喜入までしか行かない)の方を先に発車させます」と乗務員が言う。仕方ない、少しでも目的地に近づいておこうと、その列車に乗り込んだ。しかし、こちらも定刻を過ぎても動く気配がない、おかしいと思い、車掌に聞くと「いや、この列車は後から出ます」という。

結局、25分遅れで発車したが、20分位走ってまた止まった。「故障ですので、少々お待ちください」とアナウンスがあった。「少々お待ちを」と言って、2時間近く遅れて、指宿に着いた。乗客それぞれに予定があったと思う。私も外来の予約患者さんを待たすことになった。おおよその見通しを言ってくれたら、それなりの対応をするのに。「正確な見通しが立たないのにアナウンスは出来ない」という事なのだろうか。

翌日の新聞に「電気系統の故障で列車が遅れた」と小さなベタ記事が出た。なぜそんな事が起こったか、再発防止策等、肝心な事は何も書いてない。多大な影響が出たわけであるので、マスコミ発表するか否かは別にしても、少なくとも利用者に見える形で、駅にでもお知らせを出すべきではなかろうか。未だ、JRの危機管理は発展途上なのだろう。

「隠蔽捜査」という今野敏氏の小説がある(新潮文庫)。主人公の竜崎伸也はキャリア警察官僚である。「エリートは国家を守るため、身を捧げるべきだ」と考えている。3人を殺害する事件が起こり、その犯人として現役の警察官が逮捕される。一部の上層部がこのことを隠そうとする。主人公の竜崎はそんな「隠蔽」はあるべき姿ではないと考え、事実を公表する方向に動く。また、彼の息子が麻薬を吸っていたことも判明、もみ消さず自首させる。そんなことで彼は降格人事になってしまう。それで良かったと考える。

ありのままの事実に基づいて、危機管理を行う。出来そうで出来ないことだと思う。

平成26年6月20日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.56)田舎医者の流儀(31)・・・金、銀、銅の話

オリンピックで優勝すると、金メダル、二位、三位にはそれぞれ銀、銅メダルが与えられる。4年に一回の大会で、世界中の競技者がメダルを目指す。その時点で最高の状態に持って行き、ある面、幸運もないとメダルに届かない。ソチ五輪フィギュアスケートで、見事優勝した羽生結弦選手(19)は震災を乗り越え、栄冠を得た。期待どおりの結果を出した、この若き青年に多くの人々が感動した。一方、期待の大きかった浅田真央選手はメダルに及ばなかった。しかし、彼女の2日目の演技は完璧で、困難を乗り越えた姿が金メダル以上の感動を与えた。

この世で、世界中どこでも「金」の価値は高い。結婚50年で金婚式、それに到達する夫婦は少なく、価値ある事とされている。東京大学の首席卒業生に対し、金時計(実際は銀時計)が「天皇陛下より下賜された」(戦前の話)。我々の若い頃、あの弁護士さんは東大の「金時計組」だそうだとか言って、特別の存在であった。

それぞれの分野で、優れた業績をあげた者に「金」が与えられる。ノーベル賞もある意味価値の高い「金」賞である。しかし、その後も「金」にふさわしい生き方をしないと評価されない。「数学」でノーベル賞を取った学者が株の取引で、儲かる数式を編み出し、アメリカのサブプライムローンの破綻に関与したという、がっかりしてしまう。ドイツの化学者で「窒素固定法」を開発し、ノーベル賞を得た学者がナチスに協力、毒ガスを作り、人殺しに加担したと言う。彼の栄誉は泥にまみれた。彼の奥さん(化学者)はこの事に悲観し、自殺したという。(雑食動物のジレンマ・・・マイケル・ポーラン)

金融界では頂点に立っているはずの「銀行」が「銀」で、規模の小さい「信用金庫」が「金」を名乗っている。今の銀行は社会的使命(公益)に対する認識、対応はとても「金」に値していない、「金」を名乗れなくて当然かもしれない。信用金庫は全部とは言わないが「公益」を重んじ、もうけ主義に走らず、頑張っているところがある。自らを「金庫」と名乗っている以上、それにふさわしい企業でありたいと強く意識しながらやっているという(原発ゼロで日本経済は再生する、吉原毅、角川oneテーマ21)。

医療界で生活する「私」の残り人生も少なくなってきた。「金賞」は貰えそうもないが心意気だけはそれを目指したいと思う。

平成26年5月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.55)田舎医者の流儀(30)・・・動悸(その2)

心拍数が多くなると動悸を訴えるのが普通であるが、必ずそうなるわけではない。60歳代の男性が、仕事中などに急に目の前が暗くなり、しゃがみ込んでしまうと訴え来院した。以前も同様な事があり、循環器系の検査を受けたが、異常なしと言われたとの事。診察室に入ってきたとき具合が悪そうで、「いつもの具合の悪さと同じようです」と、血圧を測ると上が70mmHgしかない。急いで心電図を記録すると、心房粗動で心拍が異常に速い、血圧低下は頻拍症で起こっていた。「動悸」はしないのですかとしつこく聞いてもないという。動悸というのは自覚症状であるので、そんな事もあるのかと考えさせられた。

心拍数が速くなると、「動悸がする」と表現する。脈が遅くなったら、なんという。実はそれを表す日本語は見当たらない。念のため、ネットで動悸の反意語を検索しても出てこない。実は脈が遅いことは脈を測らないと解らない、それを感じ、自覚することはない。従って、脈が遅いことを自覚する言葉はないと考えられる。心拍が5秒以上ないと通常失神発作が起こる。医師は脈の極端に遅い患者さんの方がより要注意と考える。

緊張すると脈拍は増えて、動悸として感じる。若いすてきなご婦人の前に行くとドキドキする。もっとも、70を越えた爺さんは今やそんな事もなくなった。ゴルフで久しぶりに良いスコアーが出そうなとき、終わりのホールに近づくと緊張しているのかミスが続く。こんな時だけ、70歳の心は若者の心になってしまう、残念な事だ。

疫学的研究によれば、心拍数が遅い人が速い人より長生きである。36年間の追跡調査を行ったフラミンガム・スタディによれば、高血圧症患者では心拍数が増えると共に心血管系疾患死、全死亡共、男女共高くなる。心拍数85以上の人の全死亡は65未満に比し2倍以上である。日本人のデータでも、有名な福岡県田主丸の研究で心拍数60台に比し、90以上は2倍以上の死亡率を示している。その原因は十分解明されているわけではないが、「頻脈の背景に血圧上昇とは独立した交感神経の亢進があり、それが動脈硬化を促進する」(Juriusら)という説がある。

交感神経の緊張は脈の増加、血圧の上昇を、副交感神経の緊張は徐脈の方向、リラクセーションを起こす。心拍が遅い方が長生きするというなら、経済も右肩上がりのみでは長生き出来ないということか。減速しないと地球も長生き出来ないのかもしれない。

平成26年5月1日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.54)田舎医者の流儀(29)・・・動悸(その1)

「今朝から胸がドキドキしています」、60歳代の男性が訴えてきた。脈をとると速く、不整もある。すぐ心電図を記録することにした。しかし、帰ってきた心電図は、不整脈なく正常であった。「動悸は心電図を記録する前に止まりました」と、よくあることである。不整脈がないのではなく、記録されなかっただけである。動悸の時の心電図が記録されないと、正確な不整脈の診断は出来ない。状況を見て、24時間の心電図記録(ホルター心電図)を試みる。

脈が速くなって動悸と感じる場合以外に、心拍の不整(例えば期外収縮)、拍動を大きく感じる(例えば大動脈閉鎖不全症・・・血圧の上下差が大きい)のも動悸と訴えられる事がある。動悸の診断は心臓の電気現象であるので、心電図記録が必要である。発作性心房細動、発作性上室性頻拍症、心室性頻拍など治療を要する疾患は薬物療法、経皮的カテーテル心筋焼却術などを行なう。この分野の治療は大変進歩してきているので、治療効果が得られることが多くなってきている。

そもそも、心臓は一分間に60回前後拍動する。1時間に3600回、24時間で86400回、一年間で3200万回、寿命を80年とすると26億回動くことになる。人が作った機械では80年もあるいは100年も故障なしに動き続ける事はない。心臓が止まったら、個体の「死」になってしまう、そこで「なんとしても止めない」ように進化してきたと考えられる。心臓には止まらないための機構が多く備わっている。そのために、ちょっとした刺激で、正常以外の所から刺激が出てくる。従って、不整脈の種類も、頻度も多い事になる。

もちろん、致死的な不整脈は十分な治療が必要だが、そうでないものは治療しないこともある。そんな方には「心臓は一日8~10万回打つのですよ。全部間違えないで打ちなさいと言うのは酷ですよ」「24時間心電図を記録すると、全く不整脈のない方は少ないですよ」等と説明する。動悸等の症状がある方には薬をあげても良さそうであるが、実は抗不整脈剤には逆に不整脈を起こす作用(催不整脈作用)を併せ持つ物も少なくない。そこいらの按配を考えて治療する。

脈・心拍が速くなる、原因が心臓以外にあることもある。甲状腺機能亢進症では脈が速くなり、頻脈性心房細動を起こす事もある。貧血がひどいと頻脈になる。あるご婦人が動悸を訴え来院、かなりひどい貧血で、お腹を触ってみると下腹部に大きな腫瘤を触れた。大きな子宮筋腫が見つかり、手術で良くなった事もあった。動悸の時も全身をしっかり診ることが大切だ。

平成26年4月15日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.53)田舎医者の流儀(28)・・・新治療

先週、日本循環器学会総会が東京であった。最近、学会に行くことが少なくなっていたが、専門医の資格を維持するための研修点数が足りないことが判り、3日間学会に出席、多くの演題を聞いた。学会場は国際フォーラムを中心に3会場、東京駅、有楽町駅に近く、利便性の良い所にある。昼飯を食べようと、駅の近くで探すがどこも行列、すぐ入れる店は見つからない。連休中で春休みということもあるのだろう、ともかく人が多い。こんな所で生活している人達(官僚?)の作る政策は、過疎の町の事など抜け落ちていくだろうなと思った。

最近の循環器分野の話題の一つは、経カテーテル大動脈弁留置術(TAVIと呼ばれている)である。従来、大動脈弁狭窄症の手術は胸を開いて、人工心肺を用いて行われてきた。以前は本症の原因はリュウマチ性、先天性が多かった。しかし、高齢化の進行に伴い、大動脈弁硬化の者が多くなってきた。当然、他に合併症を有する者が増え、更に高度の大動脈硬化・石灰化を有するケースが増えてきた。すると手術のために大動脈を挟んだり、切開をする事が出来なくなり、手術不能例が増えてきた。

そこで、経カテーテル大動脈弁留置術が開発されてきた。画期的な技術で、動脈からカテーテルを入れて、硬化した大動脈弁の部位で広げ、人工弁を装着する手術である。狭心症や心筋梗塞で狭くなった血管を広げる(冠動脈形成術など)治療を行ってきた循環器内科のカテーテル治療専門医が中心になることが多いが、トラブルが起こったら即対応できる心臓外科医、この治療を熟知した看護師、画像処理の出来る放射線技師あるいは心エコーの専門医などのチームが必要である。

従来、チーム医療というと、病院全体に関連するリスク、感染、褥瘡対策などを進めるチームを指すことが多かった。大動脈弁狭窄症の手術というような外科治療、心臓外科医の聖域に、循環器内科医を始め他の分野の者が口出しは出来なかった。そこに熟練したチームを作り、対応することが成功率を上げると考えられるようになってきた。一昔前の循環器医者には考えられない事である。しかし、良好な結果を得ようとすれば当然の事であろう。

この治療には手術台と血管造影装置が一体となった、ハイブリッド型手術室が必要である。当然お金が掛かり、支えきれる病院の財力が必要である。それをやれるような規模を持った、高機能病院が鹿児島に必要な事は当然である。

平成26年4月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.52)田舎医者の流儀(27)・・・縦・横(その3)

私が赴任した当時の(H4年)国立病院は、各診療科は独立しており、それぞれの専門科が独自の診療を行い、横の連携は乏しい状況にあった。他科の診療が必要な時は、紹介状で患者さんを受診させ、その返事を見て判断、お互いが顔を見て議論をする事は殆どなかった。唯一、複数の診療科(循環器内科、小児科、心臓血管外科、麻酔科)で議論をしていたのは、心臓病手術の可否を決める「心臓病カンファランス」のみであった。

私を含め各診療科が「タコ壺」の中に入り、他からの批判・議論は受け付けない雰囲気があった。医師のみでなく、看護部、薬剤部、事務部等々病院を構成する各部門が独自に「タコ壺」を掘って、その中で暮らし、他からの批判に対しては、自己防衛的に反応していた。日本の社会はそれぞれの組織のタテ系列を大事にしてきた歴史がある(タテ社会の人間関係・・・中根千枝著より)。その思考方式に色濃く染まった私たちは病院の中でも、ヨコの連携より、タテ構造を大事にしていた。

ヘンリー・フォード(フォード自動車会社の創立者)は1908年T型フォードを世に送り、爆発的ヒットなり、世界のクルマ販売台数の半分近くを占めたという。彼はとにかくいいクルマが作りたかった。いいクルマを作ればみんなが買ってくれるはずだと思っていた。クルマのスタイルや色などには関心を持たず、輸送手段として優れていればいいと考えていた。

しかし、1927年、フォード社はGMに販売台数一位の座を譲る事になる。そのGMを率いたのがウイルアム・デュラン、彼は技術者が作りたいクルマを作るのではなく、消費者が欲しいクルマを作るのだとして、組織の中に「美術と色彩部門」をおいた。クルマを見かけで売る時代の幕開けになった(成長から成熟へ・・・天野祐吉著より)。

患者さんが病院に期待するのは、「病気」を治して欲しいということだろう。最初は「専門の、良いお医者さんが居るらしいよ」と受診、外来受診すると、受付、看護師の対応、医師の診察態度、説明など、更に入院したら、食事、お部屋の状態など多くの事態に遭遇する。そのトータルが病院の評価、患者さんの満足度になってくる。

私の医者になった時代、技術・知識を得ることが中心で、患者さんの多面的な要求に答えなければという意識はなかった。フォードさんみたいに、高い技術を提供できれば、それで十分と考えていた。医療事故への対応の中で、患者さんの病院への期待は多面的である事が解るようになり、タコ壺から出て、横の連携を取らざるをえなくなっていった。

平成26年3月12日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.51)田舎医者の流儀(26)・・・縦・横(その2)

その後、院内のトラブルがよく持ち込まれるようになった。ある古参の医長さんが「A科の医長さんが患者さんから責められて、一ヶ月位食事ものどを通らず、痩せこけていますよ。先生にすぐ相談するようにと話しておきました」と言ってきた。早速、その医長さんを呼んで、話を聞いた。「癌の疑いがあり、生検をした。その後、感染が起こり、熱発した。抗生剤で一旦よくなったが、再発を繰り返した。患者さんは怒って、対応に苦慮している」との事。

もちろん事実関係の正確な把握が必要であるので、詳しい調査をした。その部位の生検は感染を起こすことが知られており、当然、慎重に処置をし、術前に抗生剤も投与されていた。医療上はしっかりした考えと標準的なやり方で行っており、大きな問題点はなかった。しかし、感染が起こり、繰り返し患者さんは大変な苦痛を強いられたわけである。ある意味、「文句」言われても仕方がない状況であった。

その患者さんに来て頂いて、説明をすることになった。冒頭、私は立ち上がって、「このたびは大変な苦痛を強いることになり大変申し訳ありませんでした」と患者さんにお詫びした。そしたら、患者さんの顔がパッと明るくなり、「その一言を聞きたかったのよ。主治医が謝らないから、怒っていたのよ」。その後、いろいろの説明はいらない位であった。

その一回の交渉で、事態は解決した。その医長さんは、その夜スッタフ共々、美味しい食事とお酒を頂いたそうだ。翌日、私の所にみえて、「先生がパッと立って、謝られたのでびっくりした。我々は先輩から、軽々しく謝るな。裁判になったとき、不利になるぞと聞かされてきた、それで今まで、謝罪の言葉を避けてきた。謝っても良いのですか」と。

その時代(14~15年前)、確かにそのような考えもあったように思う。しかし、患者さんに苦痛を与えたことは事実なので、まずそのことは謝罪をする。その上で、医学的、医療上のことはしっかり検証し、こちらに非があれば、それなりの責任を取ることになると話した。今は、一般的になったが、その時代においては、そんなふうであった。

その後まもなく、リスク担当の専任看護師長が配置された(H14年)。院内で問題が起こると、すぐ飛んで行って事態を把握、必要なアドバイスをするようになった。現場スタッフは起こるトラブルを全て経験しているわけではない、経験を蓄積した部署が必要なことは当然であった。

平成26年2月17日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.50)田舎医者の流儀(25)・・・縦・横(その1)

私事ですが、昨年暮れ70歳となった。医学部を出て医者になる迄25年、大学病院で内科、循環器病の勉強で24年、国立南九州中央病院(現在の鹿児島医療センター)で臨床医、管理者として17年、定年退官して5年、今、臨床は週3日総合内科医として指宿医療センターで働き、県庁で初期臨床研修医確保、県医師会で常任理事としての仕事をしている。

当然の事であるが、医者になりたての頃は、内科医としての訓練を受け、そのあと循環器病を専門にするようになった。私が循環器病の勉強を始めた頃、検査手技は心電図のみで、心音図が始まったばかりであった。心臓カテーテル検査も右心、左心カテーテル検査が主で、冠動脈造影は出来なかった。その後、心エコー検査、心筋シンチ、冠動脈造影検査、CT検査、MRI検査など技術革新が続いてきた。

それらの技術を習得することに追われてきた。もちろん一人で全てを極めることは出来ないので、グループのメンバーがそれなりの専門分野を決め勉強をした。我々のグループで出来ないことは国内外の病院に留学して習得、ただひたすら、循環器病の診断と治療を深化させることに専念した。確かな技術を提供しさえすれば患者さんは満足していただけると信じ、技術さえあれば文句なしについてきてくれる、リスクについても受け入れて頂けると考えていた。

医者になって、30余年、病院管理職の端くれとなった。とたんに、医療事故が有り、それの担当をすることになった。本来、私のポジションでは担当になるはずのない事例であったが、どういうわけか上(地方厚生局)の命であるから、お前がやれとのことであった。厄介な事はあいつにやらせろということだったのだろう。

初めて、修錬を重ねた医者の技術で解決できない場に放り込まれた。患者さんの家族との交渉では罵倒されまくった。月に2回はお見舞いに行った。「具合はいかがですか」「見ればわかるだろう。こんなにしたのは、お前たちだ。どう責任を取るのか」、うなだれて下を向くばかりであった。交渉のため、あっちに行き、こっちに行きした。こちらは事故を起こした側なので、相手の指定するところに出向かなければいけない。そして、厳しい声を浴びせられ、疲れ果てて帰る日々だった。

この経験から、ただ、高い技術を提供することのみでは、患者さんに満足していただけない、提供する医療全般に気を配らないといけない事にやっと気付かされた。

平成26年1月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2013年

指宿 菜の花通信(No.49)田舎医者の流儀(24)・・・誤表示

私が大阪に行ったとき、時々利用する新阪急ホテルで、食材料に「誤表示」があったと、社長が記者会見をした。その後、「誤表示」をしていたとの会見が続いている。それも一流といわれる、ホテル、デパート、料理屋など・・・、うまいことを言うものだ、「誤表示」なんて。原価の高い食材を使わずに、いずれも安い食材に変更している。「誤表示」ではなく「偽表示」(こんな日本語ない?)と言った方が良いのではなかろうか。一つぐらい単価の高い食材を使っていました、すみません「誤表示」でしたと言うなら解るような気もするけど。

7~8年前も、牛肉として、豚肉、鶏肉などを混ぜて成形した肉が売り出されたことがあり、食品法違反で、刑事罰を受けた社長さんがいた。一流料亭が客の食べ残しを再度盛りつけ、揚げ物は揚げ直して他の客に出した事もあった。その時も、社長や責任ある地位の方が「私」は知らなかった、下の者がかってにやったと言って弁解しようとした。嘘はすぐばれて、また謝る事になった。こんなインチキしたら、会社が潰れることもあるのに、なんで同じ事を繰り返しているのだろうか。

それにしても、この世には「誤表示」に満ちあふれている。新聞、テレビを見ても、健康食品の宣伝であふれている。例えば、コラーゲンを取ると、肌がきれいになる、関節の痛みを改善すると言う。コラーゲンは蛋白質であり、そのまま体内に吸収されることはない。蛋白質は消化管でアミノ酸に分解され吸収される。蛋白質がそのまま吸収されると異種蛋白が入ることになり、生体はアレルギー反応を起こしてしまう。

どのような蛋白質であれ、アミノ酸に分解され、吸収される。たとえコラーゲンから分解されたアミノ酸であっても、それが体内でコラーゲンになるわけではなく、いろいろの体内蛋白の材料となる。従って、コラーゲンが宣伝されるような効果を持つわけがないし、実際にそれを示すデータもない。こんな事は最近解ったわけではない。20世紀の初めには、学問的に証明されていた。それでも効きますという人もいる。何の薬も30%近くはプラセボー効果があるので、何ら不思議ではない。

某医療グループの選挙違反に端を発した一連の不祥事は、底なしの様相を示している。「命だけは平等だ」と立派なことを言って、裏ではひどい金まみれの選挙をする。「子孫に美田は残さない」と言って、その家族が別会社を作って不当な利益を吸い上げる。掲げられた「理念」に共鳴し、懸命に働いている職員はなんと思う。この一連の報道で「医療は儲かるのですね」と言われるのは、儲からない田舎医者にはなんとも辛い。

平成25年12月05日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.48)田舎医者の流儀(23)・・・桜島

今年の夏、お盆までは桜島の降灰が少なく、「今年は灰が少ないね」と話していた。しかし、お盆を過ぎたら、例年のごとく「どか灰」にみまわれている。桜島の爆発は本日で900回以上、回数が減っていたわけではなく、風向きが鹿児島市方向に向いていなかったため、降灰が少なかっただけ。本来の東風になって、鹿児島市は灰神楽の中にある。雨も少ないので、少しの風で積もった灰が舞い上がっている。タクシーの運転手が、こんな日々が続くとコインランドリーが繁盛すると教えてくれた。本県は、人口あたりのコインランドリーのお店が沖縄県に次いで2番目に多いそうだ。

私は鹿児島市内の高校に入ったが、それ以降、ずーと桜島は爆発し、降灰が続いている。先日のニュースで今の噴火は60年続いていると言っていたので、改めて桜島のエネルギーの大きさに驚嘆する。錦江湾の奥、北寄りの部分は姶良カルデラからなる。これは29000年前大噴火で形成され、桜島はその南寄りの縁を形成するように26000年前に出来てきたという。桜島は誕生以来17回の大噴火を起こし(地層の研究)、記録に残った有史以降5回の大噴火がある。

特に1914年の大正大噴火では桜島は大隅半島とくっ付いてしまい、島ではなくなった。マグマは現在、大正噴火の前の7~8割に回復しており、地震などによる地盤の歪みが圧力となり、大噴火を起こす可能性は否定できないと考えられている。

九州は阿蘇、加久籐、姶良、阿多、鬼界カルデラが並んでいる。まさに火山の上に出来た大地だ。加久籐カルデラが最深部のマグマ溜まりから噴火を起こし(じょうご型破局的噴火)、鹿児島市、宮崎市、川内など、全方位に火砕流が及び、鹿児島県庁なども飲み込まれ全滅、更に、厚い火山灰が東京まで及び北海道、沖縄を除き、ほぼ日本全体が壊滅するという恐ろしい小説がある。(「死都日本」、作者は宮崎医大を出た医師、火山おたくの石黒耀さん)。

それは日本のみに止まらず、火山灰に覆われた北半球は気温が低下し、農作物は育たず、世界的深刻な食糧危機に見舞われる。こうした破局的噴火はあり得ない話ではなく、地球という星は長い歴史の中で、こういう事態を何度も起してきた。地震では国は滅びないが、火山の破局的噴火では国が滅びると作者はいう。ボンベイが地下に埋まったベェスビィオ火山の大噴火はその例だという。

「日本は世界の陸地面積のわずか0.28%しかない国土に歴史上の大噴火の一割が集中している」(養老孟司東大名誉教授)。我々は、そんな危うい土地の上に生活し、地震、津波、火山噴火などの天災に見舞われながら、その上に町、都市を作り、再建してきた。しかし、福島の原発事故はそこに「放射能」が絡むと再建が難しい事を示している。その事を重く受け止めたい。

平成25年10月22日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.47)田舎医者の流儀(22)・・・八月

盆に墓参りをした。両親とも亡くなったので、生まれ育った郷里には、今や、親、兄弟誰もいなくなった。今年になって、残っていた生家をシロアリ被害もあり、取り壊した。家がなくなり、その跡地に立つと感傷的な気分になる。「水平線に落ちる大きな夕日を眺めながら、あの世に行きたいな」と話したら、家人曰く「こんなところで誰が面倒みてくれるのよ」・・・と。

庭に大きな樹が生えていた、小学生の時だったと思うけど、強い台風の翌朝倒れていた。家の方向に倒れてこなかったので、被害は受けなかった誰かが、樹のすぐ近くに祭ってあった小さな神様が守ってくれたのだと言っていたのを思い出す。その樹の根っこの部分は残っていて、夏になるとサクラランの可憐な花がいくつも咲いていた。かすかなにおいも心地よかった。そのサクラランもいつの間にかなくなってしまった。

先週、例の研修医確保の為に、岡山に出向いた。新幹線で、夕方6時頃に広島を通った。マツダスタジアムが夕暮れの中で煌々と浮き出ていた。列車で通過する間、あの68年前の惨劇を思わせる風景は見えない。今年も原爆記念式典が開催され、核廃絶への願いが込められた。某国の政府高官がこの行事を揶揄する発言をしたと報道された。悲しい、こんな発言。被害の実態を学んで欲しいものだ。

我が国は唯一の被爆国でありながら、福島原発事故で再度、被曝してしまった。我々が最終処分の出来ない核廃棄物を出す原発を許容してきた結果である。原発再稼働問題も地震、津波対策を中心に論じられている。地震対策も活断層を中心に論じられているが、そもそも地震の予測は出来ないのが現状で、その起こる規模も判らない。一般の家やビルを造るのとはわけが違う。破綻してしまうと、処分の出来ない核廃棄物を抱え込むことになる。今度の福島原発問題の根源的な問いかけを深刻に受け止めるべきではなかろうか。

ゼロ戦、特攻の問題を扱った「永遠の0」という小説を読んだ。あの時代、人が大事に扱われなかった。当時の指導者は人より物を大事に考え、例えば、熟練の飛行機乗りを育てるのは大変なこととは理解していなかったようだ。無謀な作戦で、熟練の「兵士」を失っていった。特攻も最初、相手が警戒していなかったので、成功した。しかし、後では殆ど被害を与えることは出来なかったという。それでも、無謀に突っ込ませていた。・・・・・八月は戦争、命を考える月だ・・・・・。

平成25年8月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.46)田舎医者の流儀(21)・・・新商売

初期臨床研修医確保の旅を続けている。6/10久留米、6/13福岡、6/21北九州に出かけて、鹿児島県出身の医学生に帰って初期研修を受けるように呼びかけた。出前セミナーと称し、いろんなツテを使い鹿児島出身の医学生を集め、鹿児島の研修事情を説明、食事をしながら懇談している。翌日仕事があるときは、新幹線で日帰りの時もある。

鹿児島県の研修医はH24年度90名まで回復したが、H25年度は75名とまた落ち込んだ。今年度の最終マッチ者数は89名で、最終的には80名位は確保できるのではと期待をしていた。しかし、卒業試験、国家試験に落ちた者が多くて75名ということになった。なかなか思うようには行かないものだ。H26年度は再度90名以上を確保するための努力を続けている。

研修医確保のイベントで、レジナビフェアーというのがある。6/30大阪レジナビ、7/12東京レジナビが行われ、福岡でも開催される。これは民間会社が主催するやつで、東京レジナビの場合、東京ビッグサイトという大会場で、550病院が出展している。各病院がブースを持ち、訪れる医学生に自院の研修プログラム、研修条件を説明、研修先に選んでもらうように説得する。

鹿児島県初期臨床研修連絡協議会(11研修病院加盟)は2ブースを設置、懸命の呼び込みを行い、20名近い医学生に説明が出来た。両隣のブースは虎ノ門病院と聖路加病院という人気病院、説明待ちの学生であふれている。それに挟まれて我々のブースは閑散としている。いつもの事とはいえ寂しいものだ。

長机一個分の広さが一ブースで35万、オール鹿児島ということで2ブース確保したので70万、それにいくつかのオプションを付けたので約80万かかった。目の前は長野県のブースで広く取ってあり、ざっと350万位かかっているのではないかと思われる。全国展開の病院グループは軒並みこれ以上のブースを確保し、研修医の囲い込みに懸命だ。「金」と「ブランド」のある病院が多くの研修医を抱え込む。結果、真に医師不足の深刻な田舎の病院はますます細っていく。

医学生は1000名以上来場する。主催者の会社は医学生を大勢集めて、各病院はこの就職説明会みたいな集会に高い金を払って、出展させていただく。平成16年に新臨床研修制度がスタートし、出てきた新規の商売だ。新自由主義者にとっては、医師配置の自由化、新しい事業の創設が出来、満足な事だろう。

平成25年7月23日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.45)田舎医者の流儀(20)・・・インターネット薬販売解禁

前回、「かごしま救急医療遠隔画像センター」の案内、ご利用をお願いして、「営業」活動をしていると書いたが、先日、指宿地区のある病院を訪問した。先代の院長先生は勉強会などで御一緒して知っていたが、今はその息子さん先生が二代目として立派に病院を運営されているようであった。その病院を訪問したとき、外来の一角に売店があり、スイカ、バナナなどの果物の他に、近くで取れたらしい野菜も売られていた。野菜まで売っている病院の売店は初めてであったので、新鮮な驚きであった。

この病院に来て、治療を受け、帰りにはこの売店で、野菜を買って帰るのであろうか。あるいは、病院に野菜を買いに来る人もいるのではないか。地域の生活の場として、病院が機能しているのかと勝手に想像して楽しくなった。

そんな地域の病院、診療所が減ってきている。本県の診療所はH19年に比し、H23年130軒も減少した。診療所のベッド数はこの10年で20%も減少した。特に郡部の減少が著しい。人口減もその要因の一つではあるが、それを加速させているのは国・厚生・労働省の政策だ。ベッドを持った有床診療所は経営が成り立たないような施策が取られ、辞めざるをえなくなっている。

我々の世代では、多くの地方の病院・診療所はその子息が後を継いできた。最近はお父さん先生が亡くなっても、子息が後を継がない、継げない事態が起こってきている。過去、自分の家が開業医なら、医者になったら、後を継ぐのが当たり前であった。しかし、最近は経営的に成り立たなくなってきているので継げなくなってきている。

最近、安倍内閣の「成長戦略」の一環として(?)、薬のインターネット販売が全面的に認可される方向になると報じられている。どうして「成長戦略」となるのか良く解らない、「薬」を買いやすくすると、更に薬が売れて、経済が成長するということであろうか。

そうなると、地域社会を構成する薬局は経営困難になっていくであろう。薬局のおばちゃん、おじちゃん先生が地域の健康あるいは生活の全般に相談相手になっていた役割は削がれる。後継者も帰れなくなり、雇用も失われていく。地域の共生は多面的な側面で成り立っている。そんなものを、一つ一つ、潰していくと、ますます地域は細っていき、住みにくくなる。効率性、利便性のみを追求した結果が地域社会の崩壊に繋がっていく、それで良いのかなー。

平成25年6月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.44)田舎医者の流儀(19)・・・営業

齢70にして、初めて営業活動をすることとなった。県内各地の病院を訪問し、昨年、県医師会が立ち上げた「かごしま救急医療遠隔画像センター」を案内、ご利用をお願いしている。今まで、立場上お願いされることはあっても、することがなかったので、お願いをする「営業」活動は結構気疲れするものだ。

前任の病院を定年退職して、国立病院機構指宿病院の非常勤医師(3日/週)となった。通勤はJR指宿線に乗って約1時間、それまで市内の病院しか勤めたことがなかったので、遠方の汽車通勤は初めてだ。朝6:00に家を出るので、5時前に起きて準備を始めなければならない。年とともに早く眼が覚めるのでそれほど苦痛を感じるわけではない、冬場はまだ真っ暗の中を出て行く。

指宿病院に赴任して、院長から頂いた辞令は「総合内科医」を命じるであった。それまで40年間、循環器内科の専門医としてやってきたが、総合内科医としての診療が始まった。たまに循環器系の患者さんが見えて「今日は循環器専門の先生は見てくいやらんとな」と言われたりする。それでも、マラリアやリューマチ関連疾患(RS₃PE症候群)の患者さんを、専門医の助けを借りながら見せて頂いたりしている。総合内科を担当した事で今まで経験したことのない、新しい疾患との出会いがある。

最近はコンピュターが進歩しているので、不確かな知識は本をめくらなくともその場で検索できる。うまく利用するとストレス少なく仕事ができる。私は、今まで鹿児島市の大きな病院でしか診療して来なかったので、地方の中核的医療機関での診療は初めてである。介護と近いところでの医療現場の経験も勉強になっている。それにしても、今の医療政策は大都会中心で地方の現状を踏まえていないと思う。

定年後、もう一つ始めたのが、研修医確保の仕事である。基幹型研修病院、鹿児島県、県医師会、鹿児島大学病院などが連絡協議会を作って、減った研修医の確保対策を行っている。事務局は県庁の地域医療整備課が担当している。そこに、机があって、特別顧問という肩書きで週に1回打ち合わせに行っている。それまで行政との接点はなかったので、それもまた、新鮮な経験である。一緒に仕事をして、県庁マンの優秀さに感嘆させられる。行政の持つこの力を利用(?)しない手はないように思う。

定年後、県医師会の常任理事もしている。定年は節目であるので、さっさと後任に譲れば良い。今までの小さな「権益」にこだわらなければ、新しい、楽しい世界に出会えるように思う。

平成25年4月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.43)田舎医者の流儀(18)・・・アベノミクス

我々は心不全の患者さんがみえると、胸部レントゲン、心電図、心エコー、血液検査などを行い、病態を評価、治療にかかる。いずれにしろ、この病態では肺、その他の部位にうっ血があるので、利尿剤や強心剤を使って、尿を出し、うっ血の改善を図る。苦しみを取る、対症的治療が優先する。多くのケースは注射や薬で何とかなる。どうにもならない時には小型の補助人工心臓などを一時的に使うこともある。

かつて、我々は心機能が低下し、心不全を起こしている場合、強心剤(ジギタリス剤など)を使って最大限心機能を強化しようとした。ジギタリス剤を最大限に使える医師が一人前の内科医師の証でもあった。心不全が改善していないと、ジギタリスの使い方が足りないとお叱りを受けた。ジギタリスは過剰になると中毒症状を起こすので兼ね合いが難しかった。考え方として、力の弱った心臓をひっぱたいて、事態を改善しようとしていた。症状が改善すると、それで「よし」とし、それ以上の事は考えなかった。

ところが、スウエーデンの医師(Waagstein:1975年)がβ―遮断剤を使うと心機能が改善し、予後も良くなるという論文を発表した。当時、心機能を低下させる方向のこの薬を使うことは禁忌と考えられていた。ある内科医が心不全の患者にこのβ―遮断剤(インデラール)を使って、非常識だと非難された事を思い出す。しかし、その後の多くの研究でβ―遮断剤を使った方が予後を良くする(寿命が伸びる、死亡率が減る)事が明らかになってきた。心不全が起こると、体のホルモンや神経系は心臓を引っぱたき、血管を収縮させる方向に働く。これは心不全という病態に対し、生体の防御機能が働いた結果である。

しかし、これが持続すると、結果として逆に心臓に負荷になってしまう。その過剰な防御機構を薬(β―遮断剤など)で抑制した方が予後を改善する。つまり、心不全はうっ血を良くする対症療法だけではなく、その根本となっている病態を改善することにより、全体が良くなり、予後も改善すると理解されるようになった。

昨年末の総選挙で自民党が大勝し、安倍内閣が誕生した。低迷した経済状況を改善するため、次々に対症療法的政策が打ち出され、アベノミクスのとか言われて景気回復の期待感で沸き立っている。しかし、冷静に考えれば、対症療法はそれだけのもので、それを続けていくと、根本のところは改善されず、逆に疲弊して行く可能性がある。弱った心臓をひっぱたく治療のみでは心不全の予後を改善出来なかった歴史に思いを馳せながら、経済の根本のところを改善する施策がどう打たれるのか、田舎医者は注視し、見守っている。

平成25年4月5日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.42)田舎医者の流儀(17)・・・市場原理

私の勤務する国立病院機構指宿病院は今年度、かろうじて黒字になりそうだ。病院なのだから、赤字、黒字は関係ないだろうと思われるかもしれない、しかし、そうはいかない。当院は、国立病院時代から赤字であった。平成16年国立病院が独立行政法人国立病院機構に移行し、民間並みの独立採算を求められるようになった。当時の院長さんは赤字だと言って、上部機関に毎月呼び出されて厳しく追及された。赤字だと医療機器の更新など設備投資も一切認められなかった。そんな状況では医師もやる気をなくし、22名いた医師も次々に辞めていき、14名まで減ってしまった。負のスパイラルでますます収支は悪化していった。

そんな収支の悪い病院は潰してしまえばという議論もあった。地元選出の威勢の良い某代議士さんは自分の系列病院に吸収すると演説して歩いた。効率の悪い国立病院より、民間病院の方が地元の医療を守れると説いた。しかし、どういう経過かよく解らないけど、国立のまま存続することになった。指宿地区の医療状況からみると、当院は市民病院的役割を果たしている。この病院をなくすると、地域の医療供給は著しく厳しい状況になる。なんとしても病院を再建していく方向性をとらざるを得ない。

しかし、そんな条件の悪い(?)病院をやってくれる奇特な医師がいるのであろうか。医師は技術屋なので、診療をしっかりやることは当然と思い、そのためならいくらでも努力する。更に、それ以上、経営を良くしろと言われても「はい解りました」と言える医者は少ない。

現在の医療制度のもとでは、地方の小都市で中核的な病院を黒字で運営することは難しい。現実に、多くの自治体病院など公的病院が、何らかの補助金の注入で成り立っている。ある程度の都市、県庁所在地、例えば、鹿児島市は人口60万であり、診療圏が大きいのでそれなりに患者さんも集まる。一定のレベルがあり、他院と差別化された医療を提供出来れば患者さんは来てくれる。難しいと言っても医師の確保もそれなりに可能である。一方、地方の小都市の場合、経営的に厳しくても、そこで必要とされる医療を提供しなければならない。診療圏が小さいと患者さんの数が確保できない、収支のバランスは難しいことになる。

更に困難なのは医師確保である。市場原理に任せて、医師が自由に勤務先を選ぶなら、鹿児島で言うと鹿児島市内をより多く選ぶのは当然のことである。

市場原理に任せて、地方の医療は成り立たつわけがない。そこの医療人が強い使命感で、歯をクイシバッテ、ガンバル事を求める風潮はよくない。医療提供体制に責任を持つのは行政であることを再度確認しなければならない。

平成25年3月12日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.41)田舎医者の流儀(16)・・・利己的

我が家の狭い庭に、メジロが飛んで来た。この家に引っ越してきて、20年近くなるが初めてだ。草木にやたら詳しい「家人」は、庭に植えている「真弓」という木の赤い実を食べに来たのかな、しかし、その実は非常に硬いので食べられるのかしらと言う。約50年前(高校生の頃)、今の家の近くに住んでいた。その頃、家の周りは田んぼでカエルが鳴いていて、すぐ近くは山で友人とよく遊びに出かけていた。今や山の上まで団地になってしまった。メジロも居住地が狭くなり、食べ物を探しに来たのであろう。

生き物にとって、第一義的なことは生きることで、そのためには食べなければならない。生き物の全ての行動の根っこになるのは食べること、生きることのように思う。百獣の王と言われるライオンでも体が弱って、獲物を得られなくなると死が待っている。全ての生き物は自らが生きるため、他の命を犠牲にしている。正月、レ・ミゼラブルというミュージカル映画を観た。生きるため一片のパンを盗み、長いこと牢獄に入れられ、出てきても刑事に追われる物語だ。食って、生きて行くことは人にとっても過酷な事だ。

心臓の冠動脈バイパス手術を受けた患者さんで、術後、それまで動かなかった心臓の筋肉が元気よく動き出す現象がある。心臓の勉強を始めた頃、不思議な事もあるものだと思っていた。その後、研究が進み、説明されるようになってきた。心筋が著しい虚血状況になると、動くことが使命の心筋細胞は動きを止め、生きることに専念してくる。かろうじて生き延びた心筋細胞は、バイパス手術により血流が回復すると本来の働きである収縮・弛緩を回復する。この現象は「冬眠現象」と名付けられた。心筋が動かなくなると、心臓は血液を送り出せなくなり、個体、人様は死んでしまうことになる。個体が死んでしまったら、細胞も死んでしまう。そんなことはお構いなしに、心筋細胞は「利己的」に生き残ろうとする。そんなことをよくやるものだと思う。

我々を構成する60兆個の細胞はそもそも利己的だということだろう。その細胞から出来た個体、ヒトが利己的であってもなんにも不思議ではなかろう。ただヒトは他の生物種と違って、高度に発達した「脳」を持ち、「理性」というものを持ち合わせている。欲望のままに生きないためのルールを作ってきた。しかし、食糧がなくなり、富の分配に著しい不公平が生じると争い、戦争が起こる。

「ウツ族」が政権を取ると、「フツ族」は追い出され、皆殺しに合う、その逆もまた起こる。そもそも利己的に出来ているヒトという生物種に、富を分配し、お互いを認めあい、「人」として平和に暮らすように求めることは無理なのだろうか。

平成25年2月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.40)田舎医者の流儀(15)・・・お正月

今年は70回目のお正月だ。あと何回迎えられるか、これから一回一回を大事にしたい。子供の頃、お正月は楽しみだった。おいしいものが食べられ、服の新しいのを買ってもらえた。なによりもお年玉がもらえた。都会にいる叔父さんが帰ってくると、当時の田舎の標準的額より多くもらえるので楽しみであった。それこそ「もういくつ寝るとお正月」という気持であった。お年玉を大事にとっておいて、8月に行われる隣町、枕崎の港祭りに行く事が楽しみであった。

いつの頃か、忘年会をバタバタとすませ、正月を迎えるようになった。特に、医者になってからは日常の忙しさに忙殺され、過ごしてきた。少ない人数で臨床をやっていたので、鹿児島を離れるわけにいかず、家内が子供たちをつれて熊本の実家に帰えるときは、一人ホテルに泊まったこともあった。そんな時、知り合いのホテルの仲居さん達に「また先生は一人ぼっちな」と冷やかされ、お雑煮を食べさせてもらったこともあった。

昭和49年に、我々の循環器グループは二人でスタートした。消化器内科の中で循環器を専門にするといっても、循環器病の患者さんはどこにもいない。循環器病を勉強に行った久留米大学第三内科には循環器病の患者さんであふれていたのにと思いながら思案にくれた。冷静に考えれば、私はその時30歳、医者になって未だ5年、循環器病の研修を2年受けて、それで循環器部門を立ち上げ、私がチーフですと言っていた。患者さんを送ってくださいと言っても世間は30歳の若造医者が何を言っているのだと思っていたのかもしれない、今思えば、そう思われて当然と思う。しかし、ただただ、循環器病の患者さんを何とかしたいと思う「情熱」しかない若造医師には世間の目など、何も見えなかった。

何とか患者さんを確保しなければならない。ある時、胸部の検診で間接フィルムを見ていた先輩Drに「これは心臓が大きいね」と尋ねられた。これが縁になり、この年に撮影されていた約5万枚の間接レントゲンフィルムを見せてもらう事になった。このフィルムを昭和50年の正月休みの間に見た。中心陰影(心臓の影の部分)を見ていくのでスピードは早い、早すぎると眼振が起こって気分が悪くなる。それでもなんとか読み終えて、患者さんに受診して頂くように手紙を書いた。そのうち、100名位が弁膜症、先天性心臓病のため精査が必要であった。

我々の初期の症例はここからのものである。精査の結果手術が必要な方も出てきた。考えてみれば、30歳の若造医師の診断を信じて、よくぞ手術を受けて頂いたものだと思う。しかし、その後40年変わらず私を訪ねて頂く方もいる。ありがたいことだ。

平成25年1月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2012年

指宿 菜の花通信(No.39)田舎医者の流儀(14)・・・誰がやるの

日曜日午後、新幹線の中、岡山に向かう車中。夜、医学生4名と会う予定、彼らは鹿児島県出身、その地の医大で勉強中の学生だ。県庁の保健福祉部地域整備課の二人と、本県の初期臨床研修病院の説明をし、懇談する予定。目的は鹿児島に帰って、初期臨床研修を受けるように勧めること。今年の研修医は90名まで回復したが、来年に向けての最終マッチ者数は87名で、来年は80名前後と10名位減りそうな状況にある。新しい臨床研修制度が始まる平成16年以前は100名前後の新人医師が鹿児島に残っていた。それ以後、研修医が減り続け、平成21年には54名と半減してしまった。新人医師の減少の影響を受けて、鹿児島市以外の地方の病院は深刻な医師不足に陥り、地域医療は崩壊の危機にある。

半減していた研修医が今年は90名まで回復し、我々の対策はそれなりに効果を上げているが、来年は80名前後になりそうで、その次の年(平成26年)は鹿児島大学の鹿児島県出身者が少ないので、鹿児島出身、県外医大で勉強中の医学生に一人でも多く帰ってもらわないと、更に、減りそうだ。例年なら、5月から始める県外医学生への働きかけを前倒して、先月より始めている。地方の医師不足の悲鳴に近い話を聞いていると、悠長なこと言っておれない。少しでも可能性があれば、会いに行く。一人でも鹿児島の医者を増やさないと、地域が崩壊していく。

この仕事を始めて、4年目になる。なぜ、鹿児島から新人医師が他県に出ていくようになったのか考えさせられる。我々の世代は医大を卒業すると、当然のごとく、鹿児島大学で一人前の医師になる訓練を受けていた。その基本的な流れは平成15年まで続いた。平成16年、新臨床研修制度が始まり、医学生の間に初期研修は市中病院で受けた方が救急患者、一般的な、常識的な疾患を多く診られるとの認識が広がった。鹿児島の場合、大学以外で研修しようとしたとき、彼らの眼には魅力的な研修病院が少なく、自然に県外有名病院に眼が向いていった。大都会の一部の病院は彼らを貴重な労働力とみたので、給与も遙かに高くした。

本県の場合、新人医師が大学病院以外で研修しようとした時、鹿児島の市中病院・臨床研修病院が十分育っていなかったため、県外流出が起こった。鹿児島の400床以上の公立病院は、大学病院と市立病院の2病院のみ、お隣の熊本は5病院もある。その5病院とも多くの研修医を集めている。今後の事を考えると、本県でも初期研修だけではなく、後記研修、キャリアアップための病院が必要である。今、二つしかないが公的拠点的病院を計3~4つにする必要がある。評論のみではなく、具体的に変えないといけない。この仕事は誰がやってくれるのであろうか。

平成24年12月4日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.38)田舎医者の流儀(13)・・・うまくいくはずがない

京都大学山中伸弥教授がiPS細胞作成という生物学の常識を覆すような成果により、ケンブリッジ大学ジョン・ガードン教授と共にノーベル医学生理学賞を受賞し、日本中が沸き立った。「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」。2003年、山中伸弥教授が科学技術振興機構の研究費(5年間で3億円)を獲得した際に、審査・面接した岸本忠三・大阪大学元学長の言葉である(毎日新聞10/9)。ご自身も超一流の研究者である岸本先生が、額面通り「うまくいくはずがない」研究に、3億円ものお金を出すはずがない、何か先生の心に触れるものがあったのだろう。いずれにしろ、この研究費獲得が、研究を続け、進める基盤になった。岸本先生は山中教授のノーベル賞受賞の影の立役者の一人ではなかろうか。

研究生活に没頭するには、いろいろな条件が必要であるが、家族の理解もその一つである。山中先生の場合、奥様が医者で「家の経済」のことを含め理解があったのではなかろうか。世間は医者の給料は高いと誤解しているけれど、国立大学医学部・病院、新任50歳位の教授は、年収1000万位である。過酷な研究・臨床を行い、選ばれて教授になっても、公務員の給料であるので、それ位のものだ。この給与では、大学医学部の教授に優秀な人材が集まらなく可能性がある。山中教授の給与は、研究所所長の肩書があるので、それより少々高いかもしれないが、決して恵まれているわけではない。奥様が山中教授の研究を支えているとも言える。

これほどの研究で、今後の臨床応用の可能性も高い、入ってくる特許料も半端な額ではないと考えられる。しかし、山中教授は個人のものにせず、京都大学が保有する方向のようだ。他で押さえられると、研究・臨床応用が阻害されることを危惧しているようだ。欧米の学者なら間違いなく、個人の特許になり、膨大な特許料が入ることになる。山中教授は国から研究費を頂いて、研究した成果であるので、そうした方向にしたとも語っている。「金儲けをして、何が悪い」と開き直っている今風の金至上主義の方々には理解出来ない話であろう。さわやかである。

新臨床研修制度が平成16年度に始まったが、それ以降、基礎医学の分野に進む医師が極端に少なくなった。鹿児島大学ではここ数年、殆どいない。我々の世代では、一学年に数名は基礎医学の分野に進み、研究者になっていた。今の制度では卒業後、2年間臨床研修することが義務付けられたので、その間に基礎の研究者になろうとするモチベーションが失われるようだ。厳しい道ではあるが、山中教授のような道もあり、医学・医療の根本を変える仕事もあることを、若い医学生、医師がこれを機会にもう一度見直して欲しいと思う。

平成24年10月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.37)田舎医者の流儀(12)・・・総合内科医

最近、総合内科医の専門医資格のあり方が、議論されている。私は鹿児島医療センターを定年退官となり、同じ国立病院機構、指宿病院に非常勤医として、週に3日働いている。平成21年4月、本病院田中院長より、「総合内科医」として任用するとの辞令を受け、4年目になる。

総合内科医は、テレビ的には格好よく描かれていて、研修医や医学生が憧れる存在の様だ。しかし、現実は、それほどカッコ良い立場ではない。地方の中核的病院という条件のもとで、私の総合内科医としての日常は、循環器、消化器、神経内科の専門医がいるので、それ以外の患者さんが回ってくる。となると、総合内科に来る患者さんは、風邪ひき、健康診断、人間ドックの説明などが主になる。それぞれは重要だと思うが、どちらかというと医師としての技量を発揮することの少ない状況であり、15~20名とそういう患者さんが続くと少々いやになる。

私は、循環器専門医として40年近く働き、年齢も65歳を超え、総合内科医として働いた方が全体のためになるのではと思い、そういう方向性を選んだ。循環器専門医として働いてきた経過があるので、風邪を診ても「心筋炎は見逃さないぞ」等という「楽しみ」がある。しかし、今の私のような状況を、そのまま若い先生方がやって、医師としてのモチベーションを保てるか心配する。

ただ、総合内科医に楽しみがないかと言うと、そうではない。先日、冠攣縮性狭心症で、経過を診ている70代の男性が、多発性の関節痛、手背、足背の浮腫を訴えて来院、CRPが8近くあり、白血球も1万近くに上がっていた。リューマチ系の疾患を考え、整形外科に紹介したが、リューマチ反応が出ないことより、尿路感染症(?)として、抗生剤を投与され帰ってきた。しかし、それで症状は改善せず、CRPも高値のままで、納得できなかったので、内科のリューマチ系の専門医に紹介した。結果はRS3PE症候群が考えられるとの返事であった。

今まで、聞いたこともない症候群で、調べてみると、対称性多発滑膜炎(remitting seronegative symmetrical synovitis with pitting edema)という疾患概念で、この患者さんの病態を良く説明していた。

疑問と思った事を追及し、専門家の力を借りると、患者さんの要求に答えられる事に新鮮な喜びを感じる。43年間も内科医をやっても、初めて出会う疾患がある事は、総合内科を担当したからかもしれない。それでも、私は若い先生方は自分の専門分野を持った総合内科医を目指すように勧める。この分野は誰にも負けないぞという部分がないと、40数年を越す長い医師生活を続けることは難しいように思う。

平成24年9月18日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.36)田舎医者の流儀(11)・・・オリンピック

ロンドンオリンピックが終わった。混沌とした世界情勢の中でテロの発生等が心配されたが無事に終って良かった。日本は史上最高38個のメダルを獲得した。それにしても100m、200m連覇のボルトの身体能力はすごい、遺伝子が違う感じだ。日本は、個人戦では結果を残せなかった競技において、チーム力で多くのメダルを獲得した。組織的に戦う時の日本人の能力の高さを示した。

マラソン日本代表藤原新選手がミトコンドリアを増やす方向で練習をしていると話していた。細胞レベルでトレーニング理論が構築されている事にびっくりした。藤原選手によると、練習の中でスピード練習(インターバル練習)を取り入れる事により、ミトコンドリアを増やす事が出来ると言っている。ミトコンドリアが増えたか否かは、筋肉を生検して、証明する以外にない。検証は難しいが、藤原理論は現代生物学の理論からすると納得できるし、間違っていないように思う。

今回、藤原選手の成績が振るわなかったので、「ビッグマウスが何を言うか」とお決まりのバッシングが始まっている。成績・結果が良ければすぐちやほやし、結果が出なければ、たちまち悪口雑言、何とも情けない反応だ。アフリカの一流マラソン選手は速筋のミトコンドリア量が多いとの報告もあるようだ。それを意識した藤原選手の練習・取り組みに期待をしたい。理論は間違っていない、結果を出して批判に答えて欲しいと思う。

ミトコンドリアは我々を構成する細胞の中にある小器官で、ATPという体が動くエネルギー源を作っている。車はガソリンを燃やしてエネルギーに変えて動くが、我々の体はミトコンドリアで作ったATPをエネルギー源としている。ミトコンドリアが障害されると細胞が働くために必要なエネルギーが得られなくなる。そのため病気全般に対する抵抗力が低下、基礎体力、治癒力も低下すると考えられている。

最近の健康論ではミトコンドリアの数と良質のものを増やしていく事が大事と考えられている。ATPを作るには酸素の存在が必須であるが、ミトコンドリアの機能が低下していると、ATPを作る過程で過酸化酸素が多く発生する。それは細胞を劣化させ、動脈硬化を促進する方向に働く。体の中のミトコンドリアは70%筋肉の中にいる。ちょいきつめの運動により高効率ミトコンドリアが増え、減食もミトコンドリアを増やす方向に働く事が判ってきている。

今週からロンドンパラリンピックが始まる。楽しみにしている。

平成24年8月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.35)田舎医者の流儀(10)・・・節電

数年前ある料理屋さんのトイレに入ったら、音楽が流れ、トイレの蓋が自動的に開いた。用を足すと自動的に水が出て、流してくれた。こちらは何もしなくて良い、そこまで「進化」したかと感心すると同時に、そこまで必要なのかと思った。ウォシュレット型のトイレは気持ち良いし、冬の寒いとき便座が暖まっているのはありがたい。こうした機能の進化は文句なしに嬉しい。しかし、自動的に蓋が開たり、流す事まで必要なのだろうか。体の不自由な方等であるいは必要かもしれないが、限定的な物ではなかろうか。

しかし、驚いている間にこのトイレは普及しているようだ。そのせいかどうか解らないが、最近、公衆的なトイレで流し忘れ状態の便器を目にするようになった。「進化」したトイレを日常使用している人にとっては、「流す」事は頭の中にないのかもしれない。

前任の病院で、平成16年か17年だったと思うが、病院の改築をしていて、医局の近くのトイレが旧式のままの計画であった。この時代にウォシュレット型でないとは何事だと医局から猛反発を受けた。初期研修医が病院を選ぶ時代になって、病院見学に来た医学生が旧式のトイレでは研修先として選んでもらえない可能性があるなどの議論があった。そんなものかと思いながら聞いていたが、結局、ウォシュレット型のトイレにすることになった。だがその後、この病院の初期臨床研修医はそれほど増えていない、そこが問題の要ではなかったようだ。

私が育った昭和20~30年代は、電気を使うのは電灯とラジオぐらいであった。不必要な電灯は消すように教育を受けた。今でも、うちの家人が付けっぱなしにしている明かりを次々に消して歩く、「そこはまだ使っているのだから、消さないでよ」とお叱りを受けることも多い。昭和40年頃、学生時代アパートに住んでいて夏暑くてたまらず、母親におねだりして、小さな扇風機を買った。それぐらいでも大変嬉しかった。その後、冷蔵庫、洗濯機、冷房など電化がどんどん進んできた。今の時代コンピュター抜きには全ての作業が進まなくなってきている。台風などで停電になると日常の生活が立ちいかなくなる。それはそれで我々は科学技術の進歩を享受している。

我々の現代生活は電気というエネルギーに支えられている。水力、火力、原子力と電気を作る道具を次々に開発し、エネルギーは無限に手に入るかの如き幻想の中で暮らしてきた。しかし、火力発電の持つCO₂問題、原子力の持つ最終処理が出来ていない事など残念ながら解決の困難な問題に直面している。十分に制御出来ない原子力は将来使うべきでなかろうと思う。と同時に無制限にエネルギーを使う生活様式を改めるべきと思う。過度に快適、便利な生活は見直さなければならないのではなかろうか。

平成24年7月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.34)田舎医者の流儀(9)・・・名手・神技

先先週の米国男子ゴルフツアー(PGA)はタイガーウッズの今期2勝目で幕を閉じた。それまでリードされていたタイガーは16番パー3で、1打目をグリーン奥にこぼし、難しいアプローチが残った。そこから、そこしかないと思われるグリーン上の一点にボールを上げて落とした。ボールはカップに吸い込まれ、「奇跡」のバーディとなった。最終ホールでもバーディをとり、2打差で逆転優勝した。タイガーは過去にも、マスターズで90度位横に打ち出し、カップインさせる等数々の「神技」を見せてきた。その積み重ねが36歳にして73勝と歴代2位の記録に並ばせた。

メジャーリーグ、シアトル・マリナーズのイチローは10年連続、年間200本以上のヒット、年間最多ヒットなどの記録を持つ、打撃の名手である。ワンバウンドになりそうな球でもヒットにする。彼の打球は内野と外野の間など、不思議に人のいないところに飛んでいく。同時に守備でも信じられない技を見せる。右翼から矢のような送球で、走者を刺し、それこそ神技とも言うべき技を見せる。まさに名手と呼ばれるに相応しいだろう。野球、ゴルフ、水泳、陸上などスポーツの場合、数字が出てくる、それによって評価される。「名人」などと自称は出来ない。

ところで、医療界にも神の手、名手と「自称」している医師がいる。某外科医は神の手と呼ばれ、ブラック・ジャックみたいにもてはやされている。しかし、その医師は腫瘍位置を間違えて、患者から訴えられている。また、別の外科医はやはり積極的にマスコミに登場し(売り込み)、神の手などともてはやされた。しかし、この外科医は自分の職場からは手術成績が悪く、追い出されてしまった。医師の技量を評価することは難しい。手術成績も対象になった症例の重症度、合併症の有無など単純に比較出来ない。多くの医師は自らの技量の限界を日々見つめ、反省しながら、研鑽している。その結果は医学会で発表し、決して、自らマスコミなどに売り込みはしない。

当院に、著しい低カリウム血症と高血圧症の患者が入院してきた。この患者さんは今まで、低カリウム血症で多くのカリウム製剤と高血圧の薬を服用していた。主治医はいろいろな検索し、解らないところは専門医に相談した。そして「・・・症候群」という稀有な病気にたどりついた。主治医は更に検索し、それに間違いないだろうという結論に至り、その治療薬を投与した。一粒の薬で「低カリウムと高血圧」が劇的に改善した。熱心に検索した主治医とアドバイスした専門医は患者さんにとってはまさに「名医」であろう。

現場の医者は患者さんの訴えに耳を澄まし、向き合い、解決出来たら密かに「自己満足」する。

平成24年6月12日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.33)田舎医者の流儀(8)・・・御節介やき

「地域医療の崩壊」と言われだして10年近くなる、事態は改善の兆候を認めない。平成16年に新臨床研修医制度が発足し、地方から大都会の病院、大学病院から市中病院への若手医師のシフトが起こった。平成16年、鹿児島県の初期臨床研修医は104名、鹿児島大学病院は85名であったが、平成21年はそれぞれ54名と22名に激減した。この制度を作った厚生省とそれを支えた大都会、大病院の先生方の目論見は大成功だったのかも知れない。

そのしわ寄せは地方の病院に顕著に現れた。鹿児島県の場合、医師派遣機能を持つのは大学病院のみである。その大学病院の若手医師が激減し、地方の基幹病院への医師派遣が出来なくなった。鹿児島県北部の市立病院は37名いた医師が平成23年には16名になり、当院は22名から14名まで減ってしまった。その他の地方の基幹病院は一部の例外を除き、診療機能を維持できないところまで減った。大隅半島の某医師会病院は標欠の危機(基準の医師数がないと病床を維持できない)に追い込まれている。

地域の医療を支えてきた開業医も厳しくなってきた。大隅半島南の町では元々2軒あった開業医が閉院し、6~7年前にある医師が開業したがこれも昨年閉院、今は週数回の昼間外来の診療所があるのみである。「現地懇談会」で、4人の子育てをしているお母さんが「夜になって子供の具合が悪くなり、鹿屋まで1時間かけて受診をしないといけない、近くに医師がいると安心して、子育てが出来るのに」と話していた。今は地方の中核的病院の医師不足が問題になっているが、現実はもっと深刻で、地域医療を支えた開業医制度の崩壊が起こりつつある。人口減で「後継者」がいても、そこでの医業が成り立たなくなり廃院に至っているケースが目立ってきている。

鹿児島市は医師数、医療機関ともに多いが、基幹的病院の数、整備が十分ではない。鹿児島市には400~500床以上の病院は大学病院と市立病院しかない、隣の熊本県は400~500床以上の高機能病院が6つもある。鹿児島市の公的病院は日赤病院120床、済生会病院70床、逓信病院50床と小規模である。研修医が鹿児島から出て行った遠因として、基幹病院が育っていなかった事もある。

10、20年先を考え、鹿児島の地域医療をどう構築していくのか、誰かが絵柄を描かないといけない。この年齢になった我々世代が後輩に何を残すのか、あえて御節介をやこうと思っている。

平成24年5月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.32)田舎医者の流儀(7)・・・困った患者

長年医者をやっているといろんな患者さんに遭遇する。殆どの方とは良好な関係を築ける。患者さんが診察室に入ってくる「今日はどうですか、苦しいところはなかですか」と優しい気持ち、表情で話しかける。一般に、患者さんはお医者さんには話しにくいようだ。そこでこちらが上から目線になったら、なお話しにくくなる。同じ目線で、対等な人として接するなら、何でも話してもらえる。特殊なテクニックとしての接遇があるのではなく、単に対等な人として接すればよいだけの話だ。しかし、中には困った、こちらの気持ちが通じない患者さんもいる。そんな困った方にはこちらも毅然たる態度をとらざるをえない。

病棟看護師長が困り果てて、相談に来た。「28歳の女性患者さんですけど、胸が苦しいと言って救急車で入院してきた。1週間の間いろいろ検査したけど、異常が見つからない」「主治医が退院を勧めても、俺は(この女性患者の言葉)苦しいのに治しもしないで、追い出すのか」「病室で腕の注射跡を見せて、昔、ヤク(薬)をやっていた」「看護師を呼びつけてあれをしろ、これをしろと本来業務に支障をきたしている」等々、言いたい放題、やりたい放題である。周りの患者さん達がいやがって、4人部屋を一人で占拠、病棟運営にも支障をきたしているという。

看護師長は私にその患者と話して、退院を促して欲しいようだった。ところで、そんな理の通じない患者と交渉するには「武器」が必要だ。「師長、この患者は主治医の言っている事は聞いているのか」「主治医や看護師の言う事は聞きません」「例えば」「今朝もベランダで禁じられているタバコを吸っていて、注意しても聞き入れませんでした」。それだけ解れば十分だ。その患者を別室に呼んで、主治医、師長立ち会いの下で、話を始めた。

「あなたの症状を聞き、主治医は必要な検査をしてきましたが、異常はないようです」「俺は苦しいのにどうもないとは、おかしい」「必要な検査も終わり、器質的疾患はないようです。退院していいです」「治しもしないで追い出すのか」「あなたは今朝、禁じられたベランダで喫煙していた。療養規則を守っていない。そんな方を入院させておくわけにはいかない」「お前達は治しもしないで追い出すなら、わしは入院費を払わない」「そうですか、それなら私達はしかるべき手続きをとります」「それは俺を警察に訴えるということか」「そんなことは言っておりません。しかるべきと言いました」。

警察をにおわすこちらの発言を聞いたとたんに、この患者は落ち着かなくなり、その日のうちに入院費も払わず、退院した。もちろんその後入院費を払うことはなかった。よくある話だ。こうした事態が起きたら「現場」のみに任せず、「上」も一緒になり解決する努力が大切だ。

平成24年4月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.31)田舎医者の流儀(6)・・・ムンテラ

医師が患者さんや家族に病状や治療方針について説明することをムンテラ(MundTherapie)と呼んでいる。インターネットで調べるとあまり良い意味では使われていないような記述もある。患者さんに解るように説明するのがムンテラだが、意を尽くして説明をしても理解して頂けないことも稀ではない。理解して頂いていない場合、若先生方に「お前の説明が不十分だからだ」言うとたいてい「説明しましたよ」とムクレル事が多い。しかし、相手に理解して頂けなかったら、解るような説明をしなかった事に問題があると敢えて言っている。

検査して病気が見つかれば、それを説明(ムンテラ)することはそれほど難しい事ではない。例えば、「胸に締め付ける痛み」があると来た患者さんに必要な診察・検査を行い、心筋(心臓の筋肉)虚血を示す所見があると「狭心症」の疑いが強くなる。狭心症の病態、今後必要な検査を説明する。検査で心筋虚血の原因として冠動脈狭窄が証明されたら、いくつかの治療法を説明する。合併症など慎重に検討、粛々と治療に取り掛かっていく。それぞれの段階でムンテラが行われる。

いろいろの訴えのある患者さんに種々検査して器質的疾患がない場合、逆に難しい事もある。多くの場合、丁寧な説明をすれば納得して頂ける。しかし中には「こんなに苦しいのに何もないとはおかしい」と不満を訴える方もいる。「何もないですよ」ということはなかなか難しい、人の体は複雑なので全部絶対大丈夫かと言えばそれほど簡単ではない。そこで、こちらがあいまいさを感じさせる説明をすると、そういう患者さんは納得せず、ドクターショッピングに追いやってしまう。医師としての経験と知識が試されることになる。

外科の患者さんが重症で次々に治療の難しい事態が発生し、主治医が懸命の治療を行うも改善しない。患者さんの娘さんは医療関係者、母親の病気を心配し、毎日、土・日曜も説明を求めた。それも自分の勤務の都合で午後7時からである。主治医は土・日曜も出てきて、希望される午後7時に説明を行った。不幸にして患者さんが亡くなった、娘さんは「治療過程に不満がある、十分な説明を受けなかった」と言い出した。私は報告を聞き、主治医が自分の生活、家族を犠牲にし、懸命の診療をしていることを知っていたので、悔しい思いをさせられた。事情を知らない人が一方的な意見を聞いたらなんと酷い主治医だと思うかもしれない。

「ムンテラ」、この時代、患者さん、家族の状況を配慮しながらも、できるだけありのままに隠しだてしないで説明し、カルテに記載するようにしている。

平成24年4月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.30)田舎医者の流儀(5)・・・肥満・・・人の体・・・経済

1935年、米国コーネル大学栄養学者クライブ・マッケイ博士は「実験用マウスの摂取カロリーを65%に制限すると平均寿命が2倍近く伸びる」と報告した。その後、様々な動物でカロリー制限により寿命が1.4~1.9倍延びる事が明らかにされてきた。米国・ウイスコンシン大学のチームは76匹のアカゲザルを使って20年間研究し、成人した後(15歳)、通常食群と30%減群に分けて飼育、カロリー制限群はしわや白髪が少なく、生活習慣病や老年病で亡くなる数が1/3に減少、平均寿命も長くなったと発表した(2009年)。

カロリー制限が寿命を延ばすメカニズムについては多くの研究が行われている。ボストン・マサチューセッツ工科大学L・ガレンテ教授は酵母寿命の研究から長寿遺伝子サーチュインを発見した。その後の研究で、サーチュインは様々な長寿を司る遺伝子群を発現させる司令塔であると考えられるようになってきた。カロリー制限によりサーチュインが活性化され、体のエネルギー産生を司るミトコンドリア力をアップし、このことが長寿に結びついていると考えられている。

肥満症では脂肪細胞が肥大化してくる。正常の脂肪細胞はエネルギーの貯蔵庫として中性脂肪を蓄え、動脈硬化を防ぐホルモンを出し、最近ではサーチュインを活性化する物質を出す事も明らかになってきた。一方、肥満した脂肪細胞は血圧を上げ、インスリンの働きを邪魔するホルモンを出し、高血圧症、糖尿病、脂質異常症を悪化させる方向に働く事が明らかになってきた。

世界経済はリーマンショックから十分立ち直れない状況下で、更にギリシャの財政破綻などもあり「二番底」に向かっているのではと懸念されている。現在の経済危機を作り出しているのはどうも金融資本の暴走にあるようだ。金融は正常に機能しているかぎり、実体経済を発展させる方向に働き、新しい産業の創出など経済発展に貢献してきた。しかし、今の過度に肥大化した金融は発展したコンピュ―ターを駆使し、実態に合わない取引を繰り返し、利ざやを稼ぎまくっている。ギリシャの財政破たんを誘導したのも債権隠しを指南し、利ざやを稼いできた投資顧問会社にあるという(ゴールドマン・サックス研究 神谷秀樹 文藝春秋社)。

正常の脂肪細胞は体の機能を保つ方向に働き、一方、過度に肥満した脂肪細胞は体の機能を悪化させる方向に働く。経済における金融も正常に機能しているかぎり、実体経済を発展させる方向に働き、過度に肥大化した金融は経済を食い物にし、破壊する。本来の役割以上に過度に肥大化した「脂肪細胞」と「金融」は「人の体」と「経済」を破壊してしまう点でよく似ている。

平成24年3月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.29)田舎医者の流儀(4)・・・はいわかりました。どうぞ

年末、知人から「義理の母が自宅で倒れ、体が動かない、意識がもうろうとしている、救急隊に連絡し、市内の某病院に運びたい。申し訳ないが、その病院に受け入れてもらうようにお願いしてもらえないか」と電話が入った。その病院にすぐ電話した。事務日直のお嬢さんが「どんな具合なのですか、症状を詳しく教えてください」。こちらは実際に患者さんを見ていないので、十分答えられない。仕方がないので「当直の医師と変ってください」とお願いした。大分渋っていたがしぶとく粘ってやっと電話を回してもらった。

当直の医師は外科の医師だという。やはり、しつこく病状を聞き、ベッドが空いているか解らないと云う。少々頭にきて「脳卒中らしい症状ですよ、受け入れてくださいよ」と強引に頼み込み、なんとか受け入れてもらえた。大体、年末でベッドは空いているはずだし、かねがねこの病院は急患を何時でも受け入れますと宣言している病院だ。それが受付も、当直医も「はいわかりました。どうぞ。」という体制にない。

指宿の医療提供体制は、地方の医師不足を反映し、厳しい状況にある。それでも、指宿の救急医療体制はそれなりに問題なく機能している。指宿医師会は「救急患者」を放り投げないという原則で、可能な限り対応する体制を作っている。更に、住民懇談会を開き、コンビニ受診を控えることや、小児科の患者さんであっても全てを小児科医で対応出来ない事などを理解して頂く活動もしている。地域の中核病院である当院は医師会の先生方から依頼があったら「はいわかりました、どうぞ」と受け入れる事を原則としている。

ある地方の医師が救急機能を持つ病院に受け入れを依頼した。「解離性大動脈瘤みたいですが」「造影CTはしてありますか」「いいえ、していません」「それをしてから又連絡してください」と云われた。夜中であったが、レントゲン技師を呼び出し、造影CTをしてやっと受け入れてもらえたという。その医師は「二度とそういう病院には頼みたくないけど、この疾患を受け入れる所は限られているので困ったものだ」と話していた。それに類する話は多い。「心筋梗塞みたいですがお願いします」「どの部位の心筋梗塞ですか。前壁ですか、後壁ですか。CPKはいくらですか」等々、急患で十分な検査を出来ず、依頼するとき大変気を使うという。

医師が診て「なになにみたいですが」と言ったら「はいわかりました。どうぞ」と云えば良い。「いろいろ準備があるから」と言うが、急患を受け入れる以上はそれ位対応できるシステムを作って欲しいものだ。

平成24年2月7日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.28)田舎医者の流儀(3)・・・おばかに見える真っすぐさ・・・

東北・関東大震災から10ヵ月近くを経て、2012年新年となった。復興は被害の大きさもあって遅々として進んでいない。更に福島原発事故により放射能汚染に曝された地域は復興の道筋すら立っていない。困難な課題であるが、知恵を出し合い、譲り合い解決に向けての努力が求められている。

政治の方は野田政権が誕生して4カ月しか経たないのに、早くも支持率は40%を切り、相変わらずの短命内閣の様相を呈してきた。年に一回総理大臣を変えて、この日本はどうなるのだろう。ギリシャ型の破綻を回避するには、いつかは消費税の値上げは避けられないのだろう。しかし、その前にすることがある、国会議員の定数削減・給与削減、公務員の人件費の削減などだ、国民が求めている事をさっさとやれば良い。国会で反対が多いのなら解散して、それで民意を問うたら良い。国民は冷静な判断を下すと思う。

「おばかに見えるほどの真っすぐさ。あれが最大の武器」。ソフトバンクの川崎宗則内野手が大リーグマリナーズ入りを目指していることに対するイチロー選手のコメントだ。30歳の川崎選手が今の保障されたレギュラーのポジション、高給を捨て、何の保証もされない世界に飛び立とうとしている。ただただ、自らの理想のためであろう。その「真っすぐさ」を見抜き、評価するイチローの見識の高さに脱帽する。いずれにしろ、この薩摩のサムライ・川崎選手に拍手を送りたい。

この国には評論を生業とする者が多すぎる。自分は安全な所に身を置き、戦わずして、御高説を垂れている。批判を覚悟で、自らの「小さな権益」を捨て行動する人が求められている。「おばかに見える真っすぐさ」が必要で、この難しい時代を変えるにはそんな人が求められている。

医師になって40数年、多くの若い医師と接してきた。今は教授となった某先生は、医師になり始めの頃、患者さんを診るとこのケースは面白いですね。症例報告が出来るかもしれないといつも言っていた。実際は経験不足のために、ありふれたケースをそういうふうに言うことも多かった。しかし、この先生は伸びて行った。優れた研究をし、論文も多数発表し、教授にもなった。

研修医をはじめ若い先生方と接する事が多い。研修の条件、給与などもそれはそれで大事と思う。もっと大事なことは医師になろうと思った原点、どういう医師を目指すかと言うことだ。「おばかに見える真っ直ぐさで」追求していきたいものだ。

平成24年1月17日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2011年

指宿 菜の花通信(No.27)田舎医者の流儀(2)・・・今年はどんな年だったのか・・・

一年が過ぎるのが早い、もう今年も終わりそうだ。齢68歳にもなると、特にそう感じてしまう。年をとると代謝が鈍くなり、実時間をより長く感じ、そのため逆に一日が短くなるのだそうだ。そうは言っても、我が人生の一年である事に変わりはない。

3月11日の東北関東大震災は2万人近い人が犠牲になった。「想定外」の大地震・津波であったと云われている。我々は「想定外」と言っているが、知らないからそう言っているだけかもしれない。36億年の地球の歴史の中では「想定内」なのかも知れない。867年に起こった貞観三陸地震は今度の大震災と同程度の大地震・津波であったという。しかし、その記録があるわけではない。地質学的調査で証拠が集まってきている。地震の記載のあるのは日本書記(5世紀)が最初という。日本列島の長い歴史(約13000年)の中で文字記録が残っているのはわずか1500~1600年位の事で、それ以前の長い歴史ことを我々は十分には知らない。

20世紀初めロシアに隕石が落ちた。その時の様子が「1908年6月30日、シベリアの僻地、上空8キロメートルの地点で爆風が発生し、一帯が壊滅的な被害を受けた。近くの森で火事が発生し、2600平方メートルを越える範囲で8000万本の木がなぎ倒された」「落下した物体の直径は30メートルであり、地球にぶつかるのは100年に1回程度だ。・・・50メートルの隕石は1000年に一度」(すべてはどのように終わるのか・・・How It Ends from You to the Universe :クリス・インピー 小野木明恵訳)と記載されている。

この星・地球には制御できない危険―地震、津波、火山、気候変動、大型隕石落下などーに満ちている。その中で我々は核物質の最終処理を出来ないまま、原発を利用している。これが制御できない危険に出会ったのが、今回の福島原発の事故となる。この大災害は我々に今一度立ち止まって、今後の「有様」を考えるよう求めているように思う。

この大災害の中でも我々の日常は流れていく。NHO指宿病院での総合内科医としての生活も3年目、今迄、循環器専門医として仕事をしてきたので、内科全般の患者さんを診ることは勉強させられる。しかし、そのことは結構楽しい。指宿病院の再建も、ここ数年の努力で、おおよそ目鼻が立ちそうだ。ここで働く者としては大変嬉しく思う。もうひとつの仕事、鹿児島県の研修医を増やす活動では、来年80名を超える見通しとなった。この数は6年ぶりである。評論や弁解をしているのみでは事態は改善しない、具体的に改善の姿、数を出していく事が重要と思っている。

平成23年12月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.26)田舎医者の流儀(1)・・・まず診る

午前中の診察を終え、ほっとして昼飯を食べていた。そこに外来看護師から「胸が痛いという患者さんがみえています」と電話があった。受付時間内に来れば良いのにと一瞬ムッとしながら「胸のレントゲンと心電図を撮っておいて」と言おうと思った。しかし、かねがね若い医師に患者さんの顔を見てから、検査を出しなさいと言っている手前、診察しようと思い直して、昼飯を途中で止めて診察室に下りて行った。

50歳代の小柄な女性がうつむき加減に診察室に入ってきた。「胸が痛いのはいつからですか」「前からです」「いつ頃からですか」「わかりません」「胸のどこが痛みますか」「全体です」「痛みは持続的ですか、発作的ですか」「全部痛いです」という会話の後、診察しましょうと言った。なにか、もじもじしている。「診察しますので上の服をとってください」。胸の下着に血が付いていて、左乳房の一部が潰瘍化、出血している。一見して、乳がんで表面が潰瘍化していると考えられた。外科に確定診断をお願いした。診もしないで、検査に出したら恥ずかしい思いをするところだった。

前の病院にいた頃の事だが、「胃が痛い」と60代の男性が受診した。顔面苦悶状でうっすらと冷や汗をかいている。今朝、胃が痛いので某大病院を受診した、診察なしに胃の検査にまわされた。医師は出来上がったレントゲン写真をみながら、胃に異常はないと言った。患者さんが言うには「写真だけみて私の顔は一度も見なかった」という。「苦しいのですが」と言ったけど、胃はどうもないとの一点ばりで、それ以上は聞いてもらえなかったという。違う病院で診てもらおうと来院したという、一見して重症感があった。すぐ心電図をとり、急性心筋梗塞と診断し、緊急入院となった。最初の医師が患者さんの顔を一瞥していたなら、何らかの次の手が打てたように思う。

ヴァイオリンの銘器ストラディバリウスは本物か否かを見分ける確かな方法はなく、ヴァイオリン商はそれを独特の勘で見分けて行くのだそうだ。良いヴァイオリンを見極めるには1秒も掛からないという(本物を見極める…佐藤輝彦著)。そう簡単にいくわけだはないだろうが、勘の占める部分が大きいのだろう。病気の診断も簡単ではないが、訴えを聞き、診察をして大凡の見込みを付ける。思い込みは良くないが、勘も大事である。

日々の診察の積み重ねの中でそれを磨いていかなければならない。間違いを避けるためには冷静に裏付けを取っていく。現在の医学は検査法が進歩しているので、裏付けを取る事は我々が医師になった4~50年前に比べるとはるかに容易になってきている。それでも検査が先ではない、愚直に患者さんの話を聞き、診察をして、検査で裏付けして行くという順番が大事であると思っている。

平成23年12月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.25)初期臨床研修医(鹿県)減少に歯止め

本年度、初期臨床研修医の最終マッチング結果が発表され(H23/10/27)、本県の最終マッチング者数は97名、昨年より24名増となり、平成24年度の初期臨床研修医は80名を超える見通しとなった。新しい臨床研修医制度が導入されて以降の本県初期臨床研修医数減少傾向に歯止めが掛ったと評価している。

新制度となり、H16年(初年度)105名とそれまでと大差なく、H17、18年度迄は87名、極端な減少はなかった。しかし、それ以降、都会の大病院の「魅力ある」研修状況が医学生側に伝わるようになり、H19、20、21年は57、68、54名と減少し、H20年はH16年の半分となり激減した。H20年から対策を始めたが、H22、H23年は75、64名と増加せず、H24年度やっと80名を超える見込みとなった。80名を超えるのは6年ぶりである。

我々は本県の初期臨床研修医の減少に手をこまねいていたわけではないがいろいろの条件で対策が打てなかった。しかし、このままでは鹿児島の地域医療は崩壊すると有志(臨床研修病院院長)が集まり、H20年春、医学生向けの「鹿児島県初期臨床研修病院合同説明会」を開催、鹿児島の研修医を増やす活動が始まった。

平成21年5月には「鹿児島県初期臨床研修連絡協議会」が発足、この協議会には県医師会、鹿児島県、鹿児島大学医学部、14の県内管理型臨床研修病院、公的病院会、全日本病院協会鹿児島支部の代表が参加し、オール鹿児島体制での取り組みを始めた。

本協議会は初期臨床研修医の希望する「魅力ある研修プログラムの作成・改変」「研修条件の改善(給与の改善、宿舎の提供)などに取り組み、県医師会は「医師不足対策基金」を立ち上げ、研修医への生活支援、研修医獲得活動への援助を行った。魅力ある研修体制の整備を進める一方でそれを医学生に知らせる活動も強化した。医学生への本県研修病院の研修内容を説明する合同説明会(春、秋2回)の開催、東京、大阪、福岡で開催されるレジナビフェアー等への参加など本県研修病院の紹介・露出を積極的に行ってきた。

また、鹿児島県出身の他県医学部在学中の学生への働きかけも強め、大学所在地まで出かけて行う説明会(出前セミナー)を琉球大学はじめ9大学で行った。こうした活動が少しずつ実ってきたのではないかと思っている。しかし、この制度が始まる前は約100名の新人医師が鹿児島に残っていたので、最終的にはそれを超える事を目標にしている。

物事を進めるには実行部隊が必要である。この活動の事務局を担っているのは県保健福祉部地域医療整備課である。私と共に行動する「公務員」は信じられないぐらいよく働く人ばかりだ。

平成23年11月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.24)下町ロケット

最近「下町ロケット」という小説を読んだ。下町の町工場の社長さんが主人公だ。製品を納めていた大企業から、突然「自社で生産することになったので取引を中止したい」と申し渡され、経営上大打撃を受ける。追い打ちをかけるように製品面で競合する一流企業から「あなた方の主要製品は当社の特許を侵害している」と訴えられる。「そんな、とんでもない言いがかりだ」と歯ぎしりするが、訴訟を起こした「一流会社」の目的は訴訟に勝つ事ではなく、言いがかりを付けて町工場の信用を失墜させることにある。

そういう風評の中では銀行の融資もされにくくなる。一流企業の担当者は「これで町工場の経営が経ち行かなくなる、その時点で買収し、町工場の持つ技術もそっくり手に入れる」とうそぶく。「人は法と倫理で生きていくけど、企業は法さえ守れば良い」とも言う。なんだか今起こっている福島原発事故を見ているような感じだ。

離婚した奥さんの紹介した腕利きの弁護士さんが奮闘、この訴訟を何とか乗り切る。今度は町工場の持つロケットエンジン部品の特許を初の国産ロケットの打ち上げを狙う超大企業から狙われる。特許を買い上げると持ちかけられる。主人公は悩んだ末、その特許技術を持ってロケット打ち上げに参加したいと申し入れる。超大企業側は「しがない町工場」の申し入れに怒り狂ってしまう。

しかし、特許は物作りに使ってこそ生きてくる、それに参加してこそ今後の自分たちの物作りが進歩すると考える主人公は粘り強く交渉し、ついにロケットの打ち上げに参加することになる。ついに下町の技術を積んだロケット打ち上げは成功する。まあー、こんな物語だ。

単純な私はこんなストリーが大好きだ。私は昭和44年に医師になった。3年近く鹿児島大学で研修、昭和47年1月から久留米大学で循環器病の研修、昭和48年11月鹿児島大学に帰り、循環器病に一人で取り組み始めた。循環器病の分野は一人でやれるわけもない、若気の至りでそんなことも十分理解していなかった。ただただ循環器病を勉強したいとの思いが強いだけであった。幸いにして、地位も、名誉も、研究費も、何もないところにどういうわけか飛び込んできてくれる仲間がいた。そんな仲間が現在90名もいる。

中小企業どころか零細企業であった我々には様々な「言葉」が浴びせられた。「お前らの循環器病の診療は開業医以下だ」「エコーの機械は殆ど毎日我々が使っている、君たちは金曜日午後だけ使いなさい。夕方は使っても良いけど、自分たちが検査に来たら君たちが検査中でもすぐ立ち退きなさい」「中村は俺の眼の黒いうちは絶対に院長にしない」等々。大企業が零細企業をいじめるのはどこでも変わらない。「権力」は自分の為に使うより、「公と他人」の為に使うとカッコ良いのにと思う。

平成23年10月21日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.23)捨て難しとて捨てざらむや

前任の鹿児島医療センターを定年退職した時、約500名の外来予約患者さんがいた。この病院で17年間診療し、院長になるまで毎日外来を診ていた。院長になっても週3日は外来に出ていた。それに、その前の鹿児島大学病院に24年在籍したので、約40年間、鹿児島市で診療したことになる。長い時間の流れの中で、地域の先生(医師)方、患者さんとそれなりの繋がりを持ってきたので、退職時はこれ位の外来患者さんがいたという事になる。

さて、退職時これらの患者さんをどうしたものかと考えた。多くの長い付き合いの患者さんを診療し続ける方法としては、引き続きこの病院で非常勤医師として外来を診るか、市内のしかるべき病院に勤務して希望される患者さんを診る方法などが考えられた。しかし、そのいずれも選択しなかった。長い付き合いの患者さんには大変申し訳ないと思いつつも、この病院を受診されている患者さんは循環器の専門医療を希望されている方である。

その希望には後輩の優秀な医師が答える力を持っている、私が何時までも「自分が診ない」と思うのはおこがましいと思った。例え、今回私が診る体制を作っても何時かは退かないといけない時は来るわけで、其の時期が今来たと思って頂ければと考えた。そんなわけだ、今まで診ていた患者さんには大変申し訳ないと思いつつ、後輩医師に託することにした。

定年後は指宿病院の田中院長にお願いして、非常勤医として週3日、外来診療を中心にして働くことにした。総合内科医としての辞令を頂き、今までの循環器専門医としての専門分野の診療から、内科全般を診る立場になった。循環器疾患の患者さんを診ると「今日は循環器専門の先生は診てくいやらんとな」と言われ事もあった。熱発、検診など一般内科の患者さんを主に診ている。それでも今まで自分で診断したことのない「マラリア」「眼窩腫瘍」などをみつけて、それなりに自己満足している。

患者さんに「先生はやさしいね」「よく説明してくれてありがとう」「良い先生に会えて良かった」などとリップサービスして頂くと素直に喜んでいる。

診療以外では「鹿児島県保健福祉部地域医療特別顧問」という肩書を頂き、研修医を増やす活動、鹿児島県医師会常任理事として「医師確保」の仕事にも取り組んでいる。その中で、今まで経験しなかった出来事や新しい出会いを頂いている。定年という区切りを頂いたので、そうした新しい事が出来ていると感謝している。迷惑をかけた面も多いと思うが、この年、このキャリアでないと出来ないこともあると思うので、この形で少しお役に立てれば良いかなと考えている。「捨て難しとて捨てざらむや」(徒然草)

平成23年9月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.22)ミッション

後輩のH先生はそれまで週2日、坊津町立病院(当時、現在は市立病院)に診療応援に行っていた。その病院から常勤で来て欲しいと要請された。私は「先生は唐津の出身だし、同じ‟津‟の坊津だし、縁があるではないですか」と話した。殆ど意味不明の「口説き」にもかかわらず、H先生は「いいですよ」と引き受けて、20年そこで地域医療を担っている。

これももう15年位前の話だが、県立大島病院が副院長を求めていた。奄美大島出身の後輩のS先生にどうしたものかと相談された。私は「今、大島病院で亡くなっていく人達は、未だ大和ちゅう、島ちゅうという意識をもった世代だ。地元出身の先生がその人々を見送ってあげると、心安らかにあの世に行けるのではないですか。じいちゃん、ばぁちゃん達が喜ぶと思うよ」と話した。そんな話に乗って、S先生が赴任したとは思わないが、その後、奄美大島で地域医療をしっかり支えている。

今度は、比較的最近の事で、当院の田中院長が赴任してきた時の話だ。平成18年秋頃、田中先生が当時属していた鹿児島大学病院を出ることになった。そこの教授に田中先生を指宿病院にどうですかと話した。教授は「えっ、指宿病院ですか。もっと彼にふさわしいポジションはないのですか」と言われた。もっともな事で、彼はその大きな内科教室の教授の次のポジションにいた。その人を当時、国立病院機構の中でも最も下の方にランクされる大赤字病院・指宿病院の診療部長にという話だから、普通では考えられない人事であった。

指宿病院は平成14年24名いた医師が平成18年は14名に減っていた。平成19年度は10名程度になり、病院としてやっていけないのではという瀬戸際に追い詰められていた。当時の院長が涙ぐましい努力をしていたが、全体の流れの中でいかんともしがたい状況にあった。九州の国立病院機構の有力院長が「指宿病院の再建は無理だよ」と冷たく言われたこともあった。しかし、指宿病院は地域の中核病院であり、これがダウンしてしまうと、地域医療・地域社会が成り立たないことになる。私は前院長と同期で、近くにいたのでその苦衷が分かっていた。

そんな中で、私は「田中先生、日本一の赤字病院を再建出来るのは先生しかいない」と口説いた。そして平成19年4月、教授も彼の「心意気」を是とし、消化器内科3名を加え、計4名で赴任することになった。それから2年後、平成21年4月、田中院長が誕生した。そして、誰も出来そうにないと思っていた指宿病院の再建が実現しつつある。面白いものだ。

平成23年8月24日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.21)医師確保の旅

この4月以降、九州大学、福岡大学、川崎医科大、長崎大学、久留米大学、大分医科大、佐賀医大、琉球大学の鹿児島県出身医学生との懇談会を、それぞれの大学所在地に出かけて開いてきた。鹿児島県内初期臨床研修病院の紹介を行い、引き続き意見交換を行う、「出前セミナー」と称している。県外医科大学で勉強をしている本県出身医学生を「初期臨床研修」で地元鹿児島にU-ターンをさせることが目的だ。

鹿児島県初期臨床研修連絡協議会が主催している。事務局の鹿児島県庁保健福祉部・地域医療整備課が準備、連絡、場所の設定などを行っている。出かけていくのは本協議会の会長である私、担当課長の中俣先生(自治医大卒)、鹿児島大学病院卒後臨床研修センターの加治先生、瀬戸山先生、それに県庁の事務方などだ。

鹿児島県で初期臨床研修を受ける医師が少ない原因として、研修プログラムの魅力がない、研修条件の整備が遅れているなどの問題点が指摘されてきた。平成21年5月に発足した鹿児島県初期臨床研修連絡協議会はこれらの問題点の地道な改善に取り組んできた。例えば、鹿児島大学病院は臨床研修センターを発足させ、研修医のためのレジデントハウスの建設、研修プログラムの改定を行ってきた。各研修病院も同様な努力を重ねてきている。この2~3年鹿児島県の「初期臨床研修」への取り組みは大きく変わってきている。そのことを宣伝して歩く旅である。

鹿児島県の初期臨床研修医はこの制度が始まった平成16年105名、平成17年、18年87名、その後段々減って平成21年には54名となり、半減してしまった。これに伴い、鹿児島大学病院への入局者も減り、それまで年100名位供給されていた新人医師が40名台とこれまた半減してしまった。地方の医療機関の医師は鹿児島大学病院からの派遣で充足されてきたので、一挙に医師不足が顕在化することになった。ある市立病院は12名いた内科医が現在2名しかいない。

本県の医師不足の主な要因は卒業後新人医師の県外流出にある。それを食い止めるために、県医師会、行政、鹿児島大学病院など臨床研修病院が一体となった努力をしている。この出前セミナーも県庁の方々の実務的な努力、県医師会医師不足対策基金からの財政援助などによって行われている。こんな努力が実を結ぶか、結果は判らない。「そこ迄やらなくとも」と冷めた見方もある、しかし、「やらなきゃ」何も変えられないと思っている。

平成23年7月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.20)空腹を感じますか

いつ頃からだろう、私は「空腹感」を失っていたようだ。私は昭和18年生まれ、戦後の食糧難の時代に育った。いつも「ひもじい」思いをしていた。「粟飯」や「サツマイモ」の一杯入ったご飯を食べさせられ、お正月や節句の白いご飯が嬉しかった。甘いものもなく、母が土間でサツマイモを一日中「ぐつぐつ」煮て「芋飴」を作り、熱いのをフーフー言いながら食べたのを思い出す。

そんな育ち方をしたので、出てきた食事を残さず食べる習慣がついた。腹一杯食べられる事が嬉しく、空腹に対する恐怖感を持ちながら生きてきたと言える。その結果は当然肥満になり、ついには糖尿病を発症する事になった。父母とも糖尿病はなかったので、そうした自分の食行動が糖尿病発症の原因になったと考えている。我々の世代には「自分は空腹ということを知りませんでした」「空腹感からものを食べた記憶は殆どありません」(人間失格 太宰治)という人は極めて少ないように思う。

ところで、1935年頃からの研究で、線虫、ショウジョウバエ、マウスなどで食事量を3割位減らすと寿命が1.5倍位伸びることが分かってきた。2009年には人間に近い「アカゲザル」の観察実験結果が発表され、成人したアカゲザルで、通常食群と食事3割減の群を比較すると、食事を減らした群の方の寿命が延び、癌の発生も減じ、全体として若々しかったという。どうも動物という生き物は食事量を減らした方が長生きするようだ。人という動物においてもおそらく同様と考えられるが、そういう実験は難しく十分確かめられていない。

こうした現象が起こる原因として、約10年前、ガランテ教授(マサチューセッツ大学)が発見した「サーチュイン」という長寿遺伝子が注目されている。サーチュインは空腹によって誘導され、増加するという。サーチュインは細胞の中のミトコンドリアの機能を高める。ミトコンドリアは体のエネルギー源となるATPを作り、その過程で体に有害な活性酸素が発生する。ミトコンドリアの機能が高いと活性酸素の発生が減少する。従って、サーチュインが増加するとATPが良好に産生され、活性酸素の産生が抑制されることになる。そんなことで、体が若々しくなり、寿命が延びると考えられている。

約400年前貝原益軒は「酒食茶湯ともに控えて七、八分にて、猶も不足と思うとき早くやむべし」と過食を戒めている。どうも健康に生きるためには「お腹が空いた」感覚を取り戻す事が大事なようだ。

平成23年6月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.19)たまて箱

この3月よりJR指宿線に「たまて箱」という特急列車が走りだした。九州新幹線の全面開通に対応し、指宿への利便性を高めようということらしい。2両、60席全指定席で、指宿まで約一時間、桜島と錦江湾を眺めながらの旅である。座席も工夫され、海の見える方向に向いている。列車内もきれいで、観光客に人気が高い。時間前に駅に行っても、予約なしには乗れないことが多い。平均の乗車率は80%以上との事だ。

タクシーの運転手さんによると、連休明けは例年お客が少なくなるのに、減っていないという。ホテルの従業員も忙しくて、休みが取れずぼやいているという。駅前も列車が到着すると、多くの観光客が下りてくる、ホテルのお迎えとかあり、華やいだ感じだ。JR指宿駅の売り上げは40%増加したという。観光客も増えているようだし、メデタシ、メデタシである。

一方で、「たまて箱」は料金が高くなっている。従来の料金に特急料、指定席料が加算されるので2倍以上になっている。列車の運行数は変化なく、「たまて箱」が3本出来たので、一般利用者にとっては利用出来る列車が実質減ったことになる。指宿線は沿線にいくつかの学校があり、通勤・通学の利用者が多い。生活者の視点からすると、実質不便になったと云わざるをえない。生活者に配慮し、「たまて箱」を3両にして、1両は自由席にすることは出来なかったのであろうか。

JRはこの「たまて箱」の運行に関して、重要な顧客である「生活者」の意見を聞いたのだろうか。JR指宿線は対抗するのは私鉄バスのみである、これは鹿児島まで約2時間かかるので、利用客は少ない。この路線に関して言えばJRは独占事業である。事業を独占しているがゆえに、利用者の意見に耳を傾ける姿勢が大事であったように思うが・・・・・。

医療は公共性の高い事業である。公的病院は不必要で、私的病院を中心にして「競争原理」でやった方が良いとの意見もある。一見もっともらしい意見である。

しかし、医療には患者さんの多い分野、少ない分野などがある。効率性のみを追求したら、採算性の悪い分野は切り捨てられることになる。経済的効率のみで「同じ命」を差別化することは出来ない。特に、人口の少ない地方においての医療は採算性の悪い分野もやらなければならない。公共性の高い事業に関与する場合は顧客の「声なき声」に耳を澄まさなければならない。今回の東北大震災対応においても自分達と株主のみを優先する態度が見え隠れするのは残念である。

平成23年5月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.18)レントゲンは撮りたくありません

「胸のレントゲンは撮りたくありません」という患者さんに連続して遭遇した。被爆を避けたいからだという、福島原発事故の影響であろう。患者さんの自己決定権は尊重されるので、説明して納得頂けない場合はしないことにしている。こんなところにも影響が及んでいる。

それにしても、3月11日に起こった東日本大震災の惨状は眼を覆うばかりだ。現時点で、死者・行方不明者は合わせて約28,000人と集計されている。想像を絶する大津波に襲われ、根こそぎ集落を壊されてしまった。この地域は過去にも大津波に襲われているので、それなりに備えはなされていた。しかし、その想定をはるかに超える規模で、大災害になってしまった。被災者にかける言葉がない、ただただ、ご冥福と復興を願うばかりだ。

今回の地震、大津波はプレート境界で発生したと考えられている。それだけ見るとプレート運動は災害の元凶であり、なにも良い面はないように考えられる。しかし、「プレートテクトニクスは、生命の要素を作る主たる作用であり、おそらくこれが働かないと生命は生まれない。その作用によって複雑な化学作用が生じ、二酸化炭素のリサイクルが実現して、地球を保護する暖かい毛布が作られるのだ。」(クリス・インピー:すべてはどのように終わるのか、早川書房 P242)という。

地球という惑星に生命が育まれ、人類が発生したのはこのプレートテクトニクスのおかげだと考えられている。その星に我々は生きている、そのことを前提にしなければならないことを思い知らされたということだろう。

福島原発の状況も深刻だ。昨日、事故のある程度の終息に6~9か月かかるとの見込みが示された。原発事故としてはレベル7という最悪の事態で、その最終の終息には10~15年かかるとの見方もある。事故当初、レベル4程度と発表され、今のような重大事態に至るとは発表されなかった。しかし、事態を振り返ると、当初より電源が全て機能しなくなっており、原子炉及び使用済み核燃料を冷やせない状況にあったわけだから、今の事態に至ることは専門家なら判っていたはずである。何故こういう事態に迄至ったのか、十分な検証が必要であろう。

この星・地球には制御できない危険(地震、火山、気候変動、大型隕石落下など)が一杯ある。その中で我々は核物質の最終処理を出来ないまま、核兵器を作り、原発を利用している。この大災害は我々に今一度立ち止まって、今後の「有様」を考えるよう求めているのではなかろうか。

平成23年4月19日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.17)同窓会

高校の同窓会に出席した。昭和37年に卒業したので、卒後49年、来年は50年になる。現役を引退した者が多いので、東京など遠くからの人も出席していた。皆大概、いいおじさん、おばさんになっている。それぞれの人生を歩んで来たから、それなりに変わっては来ているが、基本的な性格は変わってはいないようだ。

齢67歳ともなると、さすがに同窓生の一割位は亡くなっている。昨年12月には一緒にゴルフをした同級生が10日後に突然亡くなった。ゴルフ中も元気で冗談を言いながら、楽しく遊んだ。朝起きて来ず、亡くなっていたという。彼は高校時代、サッカーのゴールキーパーで彼の蹴るボールは高く遠くに飛んだ、それが今でも眼に浮かぶ。合掌。

話題は健康と孫自慢が多い。この歳になると、大なり小なり病気をした、手術をしたとかの話がよく出てくる。そして「死に方」もよく話題になる。たいてい、「楽に、おだやか死にたい」と思っている。「生病老死」はお釈迦様の世界で我々が思うように出来るわけではないが・・・・。

「生」は親を選ぶわけにはいかないし、自らの意志ではどうにもならない。選べないで得た「生」が親の勝手で閉ざされたりする最近の風潮は悲しい限りだ。「病と老」は医学・医療の進歩で大分様相が変わってきた。上手く利用すると、「病老」の悪化や進展を遅らせることが出来る。「治らないで死に至る」病であったものも、コントロール出来るようになった。例えば、40数年前までは不治の病であった「腎不全」は「人工透析」「腎移植」などの医療技術の進歩で、少なくとも死に至ことはなくなった。

ヒトとて、一生物種にすぎないので、「老病死」が避けられない。そこに付け込んで健康食品の宣伝が満ち溢れている。

例えば、ヒアルロンサン、医学的には経口では吸収されないとされている。それにも関らず、有名俳優さんを使ったコマーシャルが大々的に流されている。効くというエビデンスはなく、効いたというのは「個人の感想」ですという。責任の逃れもはなはだしい、こんな事象こそ「仕分け」すべきではなかろうか。

誰でも、最後は穏やかに迎えたいと思う。しかし、現実はなかなかそういかない。自らの「死に方」のあり様を明確に伝えておきたいものだ。

平成23年3月16日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.16)「不可能を可能に」「感動をめざす」

今年もまた指宿から情報発信をしていきたいと思います。よろしくお願いします。当院田中院長の年頭あいさつは「感動の年2011年」と題して「不可能と言われていたことが可能になるのだと」という「とんでもない感動」を目指すと言う。

今、日本の地方病院は医師不足の波を被り、どこも存亡の危機に晒されている。指宿病院も例外ではない。平成14年22名いた医師は現在14名、平成19年には10名になるかもしれない危機的状況であった。その中で、田中院長は平成19年4月、3名の内科医とともに「困難を承知の上で」赴任し、前熊本院長(現名誉院長)を支え、診療部長として再建に取り組み始めた。

平成21年4月、熊本前院長の定年退官に伴い、田中院長が誕生した。「50歳の院長は国立病院機構の中にはいない、若すぎる」などの意見があった。しかし、他に適任者もなく前院長の強い推薦もあり、「若すぎる」院長が誕生した。

「仕分け」の中で赤字病院はたたき売れと言わんばかりの乱暴な議論がある。指宿病院は再建計画中で、今年度はおそらく九州の国立病院機構病院の中で唯一赤字の病院であろうと思う。しかし、指宿地区の医療の現実はこの病院がないと崩壊してしまう。

今の医療保険制度のもとでは高度医療・救急医療をやっている都会の大病院、重度心身障害などをやっている療養所等はなんとか経営的に成り立っている。指宿病院みたいな地方の急性期病院は経営的に苦しい。制度的に苦しい状況に置かれている。

田中院長が九州の院長会議などで再建を目指すと云うと「指宿の再建は無理」だという有力院長もいるくらいだ。

しかし、この病院を潰すわけにはいかないのだ。皆「やるしかない」という気持ちであらゆる努力をしている。幸いに、医師、看護師、事務など全ての職種が前を向いて、懸命の努力をするようになってきている。

その中で、指宿病院は平成23年度、単年度黒字化をねらう。不可能と云われた事をやり遂げようとしている。その事が田中院長のいう「不可能を可能に」「感動を目指す」と年頭の言葉になっている。

平成23年2月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2010年

指宿 菜の花通信(No.15)医師不足対策

鹿児島県の医師不足が深刻だ。私は鹿児島医療センターを定年退職後、週3日指宿病院で非常勤医師を務める一方、平成21年5月より、鹿児島県保健福祉部地域医療特別顧問として主に研修医対策、平成22年4月より、鹿児島県医師会常任理事として、ここでも医師不足対策を中心に仕事をしている。

大隅地方のある医師会病院では、今年度、外科医4名が退職し、30年近く提供された外科診療が中止になった。鹿児島県北部の市立病院では平成14年度12名いた内科医が平成21年1月には2名になった。私が現在非常勤で勤務している国立病院機構指宿病院も平成14年22名いた医師が現在15名となっている。特に地方の中核的病院での医師不足が顕著である。

平成16年新臨床研修制度が施行される以前、鹿大病院には、毎年100名以上の新人医師が入局していた。その後、年々減少し、平成21、22年度入局者はそれぞれ41名、47名となってしまった。更に、鹿大医学部卒業生の大都会の研修病院への流出も著しく、鹿児島県全体の研修医も激減して行った。県全体で、平成16年105名いた研修医は平成21年には54名まで減った。それでも鹿大病院からは現在でも約400名の医師が県内の各病院に派遣されている。派遣機能が低下したとは云え、依然として鹿大病院は地域医療を支える基幹的役割を果たしている。

現実の医師不足は深刻で、早くなんとかして欲しいとの悲鳴が聞こえてくる。各病院でそれぞれ対策を行っているが、なかなか改善しない。本県における医師派遣機能は歴史的に、鹿大病院に「おんぶに抱っこ」の状態で依存してきた。その大学病院の医師派遣機能が低下し、一挙に医師不足が顕在化してきた。この歴史的状況の中で、医師の配置をどうするのか医師自らが考えるべきである。人任せではいけないのではなかろうか。

対策を進める側としては、研修医の生活、研修条件を改善など様々な対策を行っている。希望も出来る限り聞き入れている。それはそれで重要と思う。しかし、もっと重要なことは医師として、この「県民の悲鳴」をどう聞くのかという事ではないか。医師になって何をしようとしているのか、医師になろうとした原点はなんなのか。「志の高い」医師を増やさない限り、医師の数をいくら増やしても、事態は一向に改善されないと思う。医師確保対策は「病者」のために戦い、困難な状況を変革する医師をより多く育てることであるのかもしれないと思いながら、この事業に取り組んでいる。

平成22年12月8日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.14)アンチエイジング-ウィズエイジング

昨今、アンチエイジングとかウィズエイジングという言葉をよく耳にするようになった。所詮、人も動物の一種、年を取ること、老化を避けられるわけではない。私にはアンチエイジングと老化に抗するより、共存するウィズエイジング(鳥羽研二、杏林大医教授)の考え方が良いように思える。

我々の体を構成する真核細胞は20億年前、原核細胞から進化した。その時、酸素を取り込み、ミトコンドリアでエネルギー源ATPを産生するシステムを構築した。これにより効率的にエネルギーを得ることが可能になり、その後の生物進化の基盤となった。と同時に、酸素を利用するシステムは当然そこに活性酸素を発生させることになった、この活性酸素は現在動脈硬化進展の主要因子の一つと考えられている。従って、我々の体は、構成する細胞がミトコンドリアで効率的にエネルギー源ATPを産生するシステムを作った見返りに(?)活性酸素を受け入れなければならなかったとも言える。人の体の作られ方は日々生きる事が老化への道を歩んでいるとも言える。

老化に抗する様々の健康食品、薬(?)が巷にあふれている。お金で健康、若さを買えるわけでもないのに、テレビ、新聞などの広告でそんな幻想をふりまかれている。例えば、「不足した」コラーゲンを補う健康食品の広告があふれている。

コラーゲンは蛋白質である。蛋白質は人の体ではそのまま吸収される事はあり得ない。蛋白質はアミノ酸に分解されてはじめて体の中に入っていく。蛋白質がそのまま体の中に入ると、異物と認識されてたちまち抗原・抗体反応が起こり、大変な「病気」になってしまう。コラーゲンは分解されてアミノ酸として吸収されるが、そのアミノ酸は体の中で再びコラーゲンになるわけではなく、その他のいかなる蛋白質の構成要素になりうる。コラーゲンを食べたから、体の中にコラーゲンが増えるわけでない。そんな事は現代科学の常識である(1937年 ルドルフ・シェーハイマー)。従って、それによって体調が良くなったというのは奇妙な「個人の感想」でしかない。

それでは老化の進展を遅らせることは出来ないのか。細胞が元気で、ミトコンドリアの数、機能が保たれる事が肝心である。年をとってくるとミトコンドリアが減少し(高齢者では半分近くになる)、機能も低下してくる。それを維持するには、最近の研究でも過食を戒め、運動をするということが最も有効である事が明らかになってきている。

元気で長生きをするには特効薬はなく、過食を戒め、運動をするしかないようだ。

平成22年10月29日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.13)ホメオパシー

昨年、助産師がビタミンKを与えるべき新生児にホメオパシー治療薬を投与し、死亡に至った事件があった。それを重くみた日本学術会議は代替え医療の一種「ホメオパシー」について「その治療効果は科学的に明快に、否定されている。それを効果があると称して治療に使用することは厳に慎むべき行為」との会長談話を公表した(8/24)。これに対して、長妻厚生労働大臣は「本当に効果があるのかないのか厚労省で研究していきたい」と述べたそうだ。

ホメオパシーは原理的には症状を起こす原因物質を水で薄め(1060倍も)、攪拌し、それを砂糖玉にかけて飲ませるという療法である。出来るだけ薄めた方がよく、その水に原因物質のオーラ、波動が染み込み、体の抵抗力を引き出し、自己治癒力などが高まるとする。しかし、この理屈はとても現代科学では認められない荒唐無稽であるというのが学術会議の立場である。

米国初代大統領ジョージ•ワシントンは1799年、化膿性扁桃腺炎に罹り、67歳で亡くなった。現在であれば抗生剤中心で治療すると思うが、その時は大量の瀉血が行われた。記録によれば2日間で2.5リットルの瀉血が行われたという。最後の瀉血はあまり血が出てこなかったという。人の血液量は約5リットルであるので、約半分が瀉血されたことになる。現在ではこの瀉血による大量出血(?)と脱水が死亡の原因ではないかと考えられている。

瀉血はギリシャ医学に端を発し、西欧では長く行われた治療法で、当時の医学では主流であった。従って、アメリカ大統領に当時、最も有効と考えられていた瀉血治療が行われても当然であったといえる。しかし、現在、特殊な例を除きこの治療がおこなわれる事はない。現代医療はその治療法が有効であるか否かを科学的な臨床試験を行い検証してきた。瀉血療法も1809年、A・ハミルトン(スコットランド人軍医)によって有効性を検討する臨床試験が初めて行われ、瀉血療法を受けた患者の死亡率が高いことが示された。その後の臨床試験でもこの治療法の有効性を示す事は出来ず、段々行われなくなった。

テレビコマーシャルみたいに「良くなったような気がする」という個人の感想で、その治療が有効であるということは出来ない。現代の医学では原則、いかなる治療法も科学的な臨床試験を行い、有効性が証明されなければならない。ホメオパシーは科学的臨床試験でプラセボ以上の効果はないと結論づけられている。今更、「厚労省」が研究する事もなかろうと思う。

平成22年9月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.12)病院ランキング

最近はなんでもランキングを付けたがる風潮がある。ネットで検索すると様々のランキングが出ている、人気投票みたいなものも多く、そこで上位にランクされるとお客が殺到する。自ら苦労して良い物を探すのではなく、安直に風評に頼る様は現在の世評そのものなのかも知れない。医療界でも様々のランキングが発表され、最近も某有力週刊誌に「頼れる病院ランキング」が発表された。鹿児島県では鹿児島大学病院、鹿児島医療センター、南風病院の順で1~3位であった。ちなみに我が国立病院機構指宿病院は17位であった。

問題はランクの根拠となった事項と点数の配分である。今回のランキングでは医師数、看護師の配置基準、ICUなど高度治療施設の有無、在院日数、経営の収支などである。そういう点数の付け方をするといわゆる都会の大病院が上位にくることになる。例えば、鹿児島医療センターは循環器、脳卒中、ガンに特化した病院で、その専門的な診断・治療を行う病院である。

そういう病院は当然点数が高くなるので上位に来ることになる。一方、指宿病院は地方にあって、地域の医療状況に答えないといけない。ある意味、選り好みしないでなんでも診なくてはいけない。介護と医療が一体となっている側面もある。そういう病院はそうした点数の付け方では上位にはなれない。

上位になれないから文句を言っているのではない。指宿病院は「頼りになる病院」ランキングでは上位に入っていないが、実際は指宿地区の地域医療の中では大いに「頼りに」されている。急患はなんでも引き受けるし、まず断らない。小児科の時間外診療は各地で問題になっているが、当院は当直医がまず診て、大きな問題がない場合は必要な処置をして、翌日小児科受診をお願いしている。実際は、小児科の夜間急患は9割がこれで済むことになる。

もちろん、当直医が診て、問題が有りそうなケースはオンコールで待機する小児科医を呼び出すことになる。2人しかいない小児科医で全てをやることは不可能なのでこういう形で地域の実情に答えざるを得ない。都会と地方の病院を同じ物差しで評価する事は難しい。このランキングは残念ながら、実情を反映していないと言わざるを得ない。

そもそも、病院のランキングを行うのは難しい問題である。否、そういうランキングは無意味なのかもしれない。病院で評価されるべきは「医療の質」であり、「患者さんの満足度」などである。それを反映した指標で評価しないと、都会の効率中心の病院が上位にランクされることになる。医療の質は医療の技術的側面とリスク管理、感染管理、栄養管理などトータルの質が規定している。そもそもランキングが必要ではなく、「品質」が保証されている病院が「頼れる病院」であると思う。

平成22年8月27日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.11)マラリア

22歳の青年が2週間前から、1日1回40度以上の発熱があると外来受診した。この青年は1年以上東南アジア、インド、バングラディシュなどを旅行し、10日ほど前に帰国、郷里指宿に帰ってきたばかりである。CRP18.8、血小板6.2万、いずれも決め手にはならないが、病歴、生活歴より直感的、臨床的にマラリアと考え、鹿児島大学病院に連絡した。旧同僚の血液内科の医師が診てくれる事になった。血液標本を見て、マラリアの診断は確定し、即刻入院となった。本邦では今でも年間100名位のマラリア患者が発生しているという。診断と治療が遅れないことが肝心と云われている。

医師になって40年、初めて、自分でマラリアの患者さんを診た。私は昭和45年、鹿児島大学第二内科に入局し、医師としての勉強を始めた。当時の第二内科は故佐藤八郎教授が指導されていた。昭和22年、先生が枕崎地区の検診に出かけられた時、ある地区で熱発患者が多発していて、多くが南方からの復員兵士であった。調査が始まり、マラリアが多発していることが判った。佐藤教授は「輸入マラリア」として報告され、学会でも大きな話題となった。我々の世代はまだそのことが記憶にある。

更に、10数年前に、アフリカで活動していた医師が鹿児島に帰ってきて、マラリアの診断が付いたが劇症型で亡くなった事があった。この時、マラリアと診断し、治療に当たられたのが熱帯病の専門家である前第二内科助教授尾辻義人先生であった。そのケースを詳しく教えられた事もまだ頭に残っていた。恩師お二人のお顔を思い浮かべながら、迷わずに速やかに診断に至った事を感謝している。

定年後、当院の非常勤医師となり、総合内科を担当するようになった。40年間循環器医師として、過ごしてきたが、新たな分野に挑戦している。そういう立場になったからこそ、今まで経験したことのない疾患に遭遇している。過去の小さな自分の権益に拘っていると見えないものが、この立場になり見えてくるものもある。それもまた楽しからずやである。

臨床医には経験が大事である。いくら教科書やマニュアルを覚えても見えてこない事も多い。それを超えたところに臨床の面白みがある。効率の良い研修を求める風潮があるが、経験主義の中にすっぽりとはまらないと見えて来ない真実もある。臨床の奥は深い、過酷な臨床現場での先輩の何気ないささやきの中から学び取らないといけない事も多いように思う。

平成22年7月28日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.10)定年人生・・・2年生

定年退職し、非常勤医師として当院勤務を始めて1年が経った。朝6:00時に家を出て、6:20のJRに乗る、指宿まで1時間10分の通勤である。JR指宿線は通勤・通学のお客で結構込んでいる。車掌さんが「混み合いますので、中ほどへお詰め願います」と言っても通学生があまり反応しない、これも最近の風潮かと眺めている。この線は大雨が降るとすぐ運休になる、それらしい場合は早めにバスに乗るようにしている。ただ閉口するのは時間が倍かかる事だ。

又、昔からこの線はどういうわけか飛び込み事故が多い。朝の通勤時にこの1年間で1回遭遇した。事故処理に時間がかかるので、指宿に着いたのは3時間後であった。いろいろあるが、この時間は誰にも邪魔されず、本を読んだり、考え事をしたり、うたた寝も出来る至福の時間でもある。寝過して終点の山川駅まで行ったことも2回あった。

病院に着いて、まずコーヒーを沸して飲む、この習慣は今までと変わらない。その後、総合内科医としての外来診療が始まる。高血圧、心筋梗塞など循環器系の患者さんも診るが、総合内科なので風邪、健康診断、人間ドッグ説明など何でも診る。診断出来ない患者さんも少なくない。足底に庇疹があり、痛みが酷いと訴える患者さんがみえた。

良く判らず近くの皮膚科の先生に診て頂いたところ、「帯状疱疹」の診断であった。そんな部位にも帯状疱疹が起こるのかと勉強させられた。総合内科といっても風邪や診断書の患者さんばかりが続くと、医師としての技量の高さを問われないのでストレスがたまる。若い医師が総合内科医を目指すのが一つのトレンドになっているが、循環器、消化器、呼吸器など専門医がいない分野だけみるとなると、なんだか医師としての技量の高さを発揮出来にくい患者さんだけまわってくることになる、そうなると、総合内科医のやる気が削がれそうな気がする。病院の中での総合内科の位置づけを明確にしないといけないように思う。

今まで、私は大学病院で24年間、鹿児島医療センターで17年間診療し、今回初めて、いわゆる「地方の病院」で診療をすることになった。今までは、循環器専門医として、心臓だけを修繕をして、それ以外のところはどうぞ他でやってくださいという立場であった。都市部のセンター的な専門病院ではそれで役割が果たせた。しかし、指宿病院では認知症のひどい方のペースメーカー治療や脳梗塞で動けず、対話も出来ない方の心不全の治療をどうするかという問題にぶつかる。医療と介護が一体で切り離せない現実の中にいる。介護は出来るだけ自宅でと云われるが、そう簡単ではない。

地域の中で急性期医療から介護まで連続線上で考え、どういう医療、介護を提供出来るのか、行政、医師会、地域の基幹病院が率直に話し合い、地域の医療計画を作っていくべきではなかろうかと考える。

平成22年6月25日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.9)奇跡のりんご

りんご作り農家木村秋則さんの事を書いた「奇跡のリンゴ」という本がある。農薬なしには不可能と云われるリンゴ作りに有機肥料、農薬なしで挑戦し、成し遂げた木村さんの記録だ。今や木村さんの作るリンゴはなかなか手にはいらない、そのリンゴは噛むとパリンと音がしそうなほど、しっかりした歯ごたえ、強烈な甘みと酸味、樹の実と呼ぶのにふさわしい野生の味だそうだ。

木村さんは奥さんが農薬使用後に寝込んでしまう事が多く、なんとかならないものかと考えていた。たまたま自然農法を説く本を目にし、リンゴを農薬、肥料なしで作ろうと決心した。やってみると虫、病気の発生でリンゴは全く実らず、当然収入もなくなり、世間からは「かまどけし」と云われ、家族は貧乏にあえいだ。それでも、誰よりもリンゴの木を世話し、虫、病気から木を守るためあらゆることを試し続けた。しかし、リンゴは実らず、大事な木もだんだん弱っていった。

6年目にはどうにもならず、夏の夜、ロープを持って山に登っていく、ここら辺でとロープを木の枝に掛けたがロープが飛んでいった。それを探しに下の方に降りたら、なんと見事な葉を付けたリンゴの木(実際はどんぐりの木)があった。なんで、こんなところにこんな立派な木があるのかと観察を始めた。土が違うことに気づいた。「死のう」と思って来たことはすっかり忘れ、そのまま畑に帰り、自分の畑のリンゴの木は根が貧弱と気づく。それから土の改造、根っこからのリンゴの木の再生に取り組み始めた。

その翌年、リンゴの木一本が7個の花を咲かせた。実に無農薬に挑戦してから8年目のことであった。うち2個が実になった。家族皆で食べた。驚くほど美味しかった。9年目にはリンゴの花が一面に咲いた。しかし、リンゴ農家として売れる商品になるまでは苦労は続いた。しかし、今や、無農薬、肥料なしの木村さんのリンゴは自然と人との関わりまで考えさせる存在になっている。それにしても、農薬を使いさえすれば高収入が約束されているのに貧乏にあえぎながら、信念を貫く強さに感嘆させられる。その後も「リンゴの教えてくれたこと」を伝えに国内外を飛び回っている。

当院の平成21年度収支は残念ながら赤字で、独立行政法人になって6年赤字続きである。指宿病院が黒字化は無理だよと広言する人もいる。しかし、この病院はこの地域になくてはならない存在だ。木村さんに似た院長さんがめげずにがんばっている。結果はついてくると確信している。

平成22年5月21日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.8)今年も薄墨桜は咲かなかった

鹿児島県立図書館の前庭に、平成2年岐阜県から寄贈された薄墨桜の木がある。期待しながら見に行くが、今年も咲かなかった。あるいはその地で育っていたら、可憐な花を咲かせていたかもしれない。我が家の庭に花みずきを植えているが、残念ながら、今年も白い花と葉っぱが半分位ずつだった。私の通勤路の花みずきはそれこそ木全体が白い花に覆われている。花が咲いてくれるにはそれなりの条件が必要なのだろう。

私が関係する部署にもこの4月、多くの新人が入ってきた。医師国家試験に合格した初期臨床研修医75名が県内の研修病院で医師としての人生をスタートさせた。この4年間、鹿児島県の初期臨床研修医は減り続けてきたが、昨年の54名に比し21名増となり、減少傾向に歯止めが掛かった。成長するために、良き先輩医師との出会いがあって欲しいと思う。当院にも新人看護師10名をはじめ、転勤を含めると29名もの人が新たに赴任してきた。赴任した皆さんが成長できる職場になりたいものだ。

高峰秀子さんという御年85歳の女優さんがいます。「高峰秀子の流儀」という本が出て、新聞の書評に「求めない、期待しない、驕らない、こだわらない・・・」高峰秀子の「生きよう」を書いているとの事であったので、読んでみる気になった。更に、彼女の事を知りたくなり、自伝的エッセイ「わたしの渡世日記」も読んでみた。彼女は小学校すら、まともに行っていない、字は映画の撮影に行く時、担任の先生が持ってきてくれた絵本で覚えたという。

彼女は30歳で既に大女優であったが、当時名もない助監督であった松山善三さんと結婚する。その時、足し算は出来たが引き算は出来ず、辞書を引く事を知らず、夫に教えてもらったのだという。その彼女の文章は研ぎ澄まされ、観察力、洞察力の深さに驚かされる。

新人の教育は管理者側としては可能な限り、十分なものを与えたい。最近の風潮としては教育体制が整っていることを望まれる、その通りかも知れない。しかし、十分な教育システムを作ったからといって、人が育つわけでもない。高峰秀子さんは世間的意味では十分な教育を受けていないにもかかわらず仕事も出来て、人としてのレベルも高い。どうしたら、そんな人が育つのか考えさせられる。

平成22年4月15日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.7)おだやかな関係

指宿病院で診療を始めて1年近くになった。何よりも感じるのは、患者さんと医師との関係が「おだやか」である事だ。70歳過ぎのご婦人が診察にみえた。ご主人は介護を要する状態で自分が元気にしていなければと言われる。その方は冠動脈3本のうち1本が完全に閉塞し、あと2本は冠動脈形成術を受け、ステントが挿入されている。その部分が詰まってしまったら「お終いだ」と気にされている。

再発を予防するために行っている薬物療法などを説明し、必要な予防策を講じているので「心配し過ぎないでください」とお話した。又、冗談ぽく「いつお迎えが来るかは誰にも判らないですよ」とも言った。帰り際、にこやかな顔をされて「今日は気分が晴れた」と帰られた。なんの変哲もない、当り前の患者さんと医師のおだやかな会話であり、関係である。

医療現場は平成13年の患者取り違え、注射間違い事故などを契機に国民の医療不信が高まり、その対応に追われた。我々は「人は間違いを起こす」ものだという前提で、システムの改善に力を入れ、間違いを起こさないための教育にも取り組んできた。専任リスクマネージャー、教育担当専任看護師長の任命、医療安全委員会の定期的開催、感染症対策の専門家の養成など様々の事に取り組んできた。それなりに、医療の安全対策は進んだと思う。

しかし、これらの対策は医師や看護師を増やして対応したわけでもなく、経済的負担も何ら保障もされず、現場に押しつけられた。患者さんへの承諾文書の増加、説明時間の延長など医療現場は更に忙しくなっていった。

更に、医療不信を背景にして、モンスター患者、家族が増えていった。十分な説明をしながら、検査・治療を進めても、結果が良くないと「聞いていなかった」と聞くに堪えない「悪口雑言」を浴びせ掛けられ、あまりにひどい状況に警察を呼んだ事もあった。その中で主治医は疲弊し、ついにはそこから「立ち去り」、「医療崩壊」と云われる状況が作り出されて行った。急患があり、そちらを優先しなければならないこともある。すると、予約の時間が過ぎていると外来看護師は罵倒される事も少なくない。

我が日本の現代社会は、いつの間にかお互いを思いやる「寛容さ」を失って来たようだ。だが、指宿にはその寛容さが残っており、患者さんとの関係がおだやかである。私が医師になった40年前の古き、良き関係が残っている。「都会の診療」で疲れた医師・看護師はここで働いて欲しいと思うこの頃だ。

平成22年3月9日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.6)声がでかくなりました

研修医一年生S先生が医師になって10ヶ月、当院での研修4ヶ月を終えることになった。彼女の感想は「声がでかくなりました」でした。当院は地方の病院、高齢者の入院患者が多い、彼女は循環器内科30数名の入院患者さんを指導医とともに担当していた。ラウンドするだけで小一時間はかかる。そこで手際良く、患者さんの状態を把握していくには大きな声にならざるをえなかったようだ。

彼女は当院で、まず産科研修、カイザーにも多く立ち会い、産科医師は一人しかいないので、多くのことをしなければならなかった。小児科ではちょうどインフルエンザの時期で、外来・入院ともに忙しい時期、赤ちゃんの採血に苦労した。循環器内科では、救急搬送された心肺停止の患者さんの初期対応に一人で立ち向かい(もちろん指導医もすぐ駆けつける)、一時ペーシング、中心静脈確保などの手技を習得していった。私にはこの研修医の女医さんがだんだん「医者らしい顔つき」に変化したように思える。

鹿児島県の初期臨床研修医はこの制度が発足した平成16年105名いたが、昨年(平成21年)は55名と殆ど半減してしまった。原因は複合的であろう。私どもが医師になった40年前は本県出身の者は当然の如く、鹿児島大学病院で研修して、一人前の医師になる道を選んだ。それが新臨床研修制度では都会の大病院が魅力的(?)なプログラムと好条件を提示、勧誘するので選択肢が増えてきた。2年間位は他所に行って、勉強したい気持ちも理解できる。

しかし、鹿児島での研修が県外病院での研修に劣っているわけではない。鹿児島大学病院をはじめ県内の研修病院は「熱いハートの医師」を育てる熱気に満ちている。現に、我々の周りで研修している医師は逞しく成長している。

県外での研修では「研修医」の間は大事にされる、しかし、その後は十分面倒見てくれるわけではない。医療現場は「医療事故」など厳しい現実に満ちている。そうした事態が起こったら、十分なサポートが必要だ、我々にはそれを十分に行ってきた実績がある。「自己責任」のみで強く生き抜いて行くのも良いが、覚悟が求められる。県内に基盤を置きながら、国内外の病院に研修・研究に行く道も十分保障されている。一人前の医師として成長する道筋を目の前の事のみでなく、長期戦略の中で考えて欲しいと思う。

平成22年2月2日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.5)指宿 脳卒中 来たれ脳内科医

明けましておめでとうございます。

日本の脳卒中死亡は岩手県、高知県、秋田県の順で高く、鹿児島県は全国6位です。鹿児島県の中では、指宿保健所管内が1位(平成19年)、この数年、指宿とお隣りの南薩地区が鹿児島県で一番死亡が多い。薩摩半島の南部が多いということになる。いろいろ議論はされているが、その原因は解らない。指宿は気候も温暖、食材も豊富で新鮮なものが多い、もちろん温泉の町でもある。それなのに何故多いのかよく解っていない。

ちなみにここ10年、九州では鹿児島県が常に脳卒中死亡1位である。全国1位の岩手県で10万にあたり162.1人の死亡に対して、鹿児島県は147.7人、その中で指宿地区は224.9人と大変高いレベルにある。生活習慣病の中では鹿児島県はがん15位、心臓病14位で、脳卒中の順位が高い。この事実は鹿児島県の脳卒中専門医にも良く認識されていないようだ。この話をすると、専門の医師が意外にびっくりしている。

その中で、指宿地区には重症例の手術が出来る脳外科施設はない。約6万人の診療圏ではそうした脳外科施設の設置は難しいのかもしれない。昨年暮れに、県内の病院としては初めての施設内にヘリポートを開設し、迅速に鹿児島市の脳外科施設に搬送出来るシステムを構築した。一方、当院の脳内科医はかって4名いたが、初期臨床研修医制度の発足後、大学からの派遣が減少し、現在は1人しかいない。当然であるが、脳卒中の急性期治療、リハビリを含めた慢性期治療などに一人で対応することは難しい。努力はされているが、医師の確保は難しいのが現状だ。

指宿地区の脳卒中死亡が多い現実を放置できない。急性期、慢性期の治療のみでなく、その予防まで取り組まなければならない。なぜ多いのかも解明していかなければならない。この現実に立ち向かう脳内科医が欲しい。医師として、やりがいのある課題だと思う。「求む脳内科医」の声が志のある医師に届くのを願っている。

平成22年1月12日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

2009年

指宿 菜の花通信(No.4)政権交替

今年を象徴する出来事はなんと言っても「政権交代」でしょう。アメリカでは1月、オバマ大統領、わが国では9月、鳩山政権が誕生しました。単なる政権交代ではなく、今までの路線・政策の大きな転換を掲げた政権交代でした。

オバマ大統領はChange(チェンジ)と訴えました。環境、核兵器問題など軍事、経済政策全般を転換していきましょうと訴えました。「Change」とだけ聞くと耳障りは良いが、本当は「Change or Die」、変われなければ地球もアメリカもダメになりますよと言いたかったのではないでしょうか。しかし、まさか「Die」という刺激的な言葉は使えなかったのでしょう。本来「Change」には痛みも覚悟も伴うが、「Change or Die」と言えなかったため、「覚悟」を求めた事が十分に伝わらず、現在、約束が違うと反発を受けているように感じられます。

鳩山政権の「事業仕分け」は連日テレビ放映され、大変な関心を呼びました。予算がどう使われているのか、その一端が公開された意味は大きいと思われます。それぞれの事業にはそれなりの歴史的経過があり、それを十分理解して、「仕分け」をしていくことは大変だったと思います。

今後は事業そのものの可否と同時に事業が行われる際のコストの妥当性も俎上に乗せて欲しいと思います。国の行う事業については民間と比べてコストが高く、建築コストなどは民間より高いと言われています。そういう問題は従来のシステムでも会計検査院などは十分把握しているはずです、それが今までは十分に表に出てきませんでした。そうした経験と実績のある組織にさらに権限を与えていくと現実的に無駄の把握と改革が出来そうに思います。一歩一歩積み重ねた改革こそが根こそぎの改革に繫がって行くと思います。

ところで、地方にある公立病院は医師不足、経営の厳しさに喘いでいます。「事業仕分け」の対象になったら、どういうことになるのでしょうか。地域医療の中で、なくてはならない存在だと訴え、聞いてもらえるのでしょうか。

「費用対効果」の伝家の宝刀でばっさりやられたら、ひとたまりもないかもしれません。ただ、「地域医療」と「地域社会」を守る事は同じであると理解して欲しいものです。

平成21年12月10日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.3)指宿病院も医師不足

指宿病院は平成14年、22名の常勤医師がいましたが、平成17年に14名になり、現在15名しかいません。それに伴い、6病棟(282床)あった病室を3病棟(143床)に縮小しています。指宿病院は指宿市、頴娃町、旧喜入町の一部など約6万人を診療圏にし、国立病院機構の病院でありながら、実態は指宿市立病院的役割を果たし、地域医療の中核を担っています。需要が減ったのではなく、医師不足のため縮小せざるを得なかったのです。

限られた医師数で、指宿地区消防組合の救急出動1700件のうち、500件を受け入れ、その他の救急患者も3843件受け入れています。お産件数は平成20年170件、今年は200件を超えそうな形勢です(ちなみに、指宿市の出生数352人)。小児科もこの地区で唯一の病棟を持ち、入院の必要な子供を受け入れています。それを、産婦人科、小児科共、ただ一人の常勤医で対応しています。

地域の医療は、そこで生活する人たちの基盤となるものです。例えば、若いお母さんはその地域で安心してお産が出来、小児科があれば、居住してくれます。我々はそこのところを十分理解しているつもりです。ただ、現在の指宿病院は医師の自己犠牲の上にギリギリのところで地域医療を支えており、現在の医師数では限界を超えていると言わざるを得ません。何とか医師が増えて欲しいというのが切実な願望です。

医師数が減ったのは平成16年に始まった新臨床研修制度が引き金になったことは否めません。平成21年度の鹿児島県の初期臨床研修医は54名、鹿児島大学の入局者(卒後3年目、後期研修医)は40名でした。平成16年以前は少なくとも100名を超えていました。約半分になっています。鹿児島県の医師のうち亡くなる方、廃業する方が45~50名です。

すると、やっと現状維持ということになり、地方の医師不足を解消するどころか、今後、ますます厳しくなると云わざるをえません。

鹿児島に若い医師を残す施策、医師の地域、診療科偏在、女医の働き易い環境の育成など課題は多く、真剣な議論と行動が望まれます。

平成21年12月01日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.2)閉まるドアにご注意ください。

私はJR指宿線で通勤し、朝6:20の列車に乗る。「間もなく発車します、閉まるドアにご注意ください」とアナウンスがある。なんだか耳に引っかかる。「ドアが閉まります、ご注意ください」の方が耳に優しいように思うが・・・・・。

今まで気がつかなかったが、九州新幹線でも同じアナウンスをしている。テープで流れる放送、車掌さんの放送も殆どが同じである。時々、車掌さんが「ドアが閉まります。ご注意ください」と言うこともあるが、不定期のアナウンスの時のみだ。JR九州のマニュアルは「閉まるドアにご注意ください」となっているのだろう。

JR指宿線は海岸線の山沿いを走っている、大雨だとすぐ運休になる。その日は大雨で、前の列車が運休、やっと運行再開となった。当然、乗客が多く、混んでいた。沿線に高校や大学があるので、高校生など学生が多く乗ってくる。

車掌さんが「中程へつめてください」と何度もアナウンスしているが、入り口付近の乗客が譲り合う気配がない。私は真ん中辺りの席に掛けていたが、中の方は空いているのにどうして譲り合わないのかと気をもんでいた。乗車に時間がかかるので、なかなか発車出来ない。遅れている列車はますます遅れる、会合に遅れてしまうと少々いらいらしてしまう。

よく観察すると、乗客の多くが携帯電話を持ち、メールをしている。同じ列車に乗っている乗客同士という、その場での人同士の繋がりではなく、携帯を通じて列車の外の人と繋がっているようだ。乗客同士という、その場の繋がりが希薄なことが、譲り合う行動に結びついていかないのかと勝手な想像をしている。

平成21年11月6日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦

指宿 菜の花通信(No.1)定年医師、総合内科医師をめざす。

18歳の青年男子が就職試験の健康診断書を作成に来た。GOTが104と上昇していた。さて何だろうと思い、消化器内科の医師に診てもらうことにした。

「先生、この青年はここ数日激しい筋トレをしていて、念のためCPKをチェックしたら、1040と上がっていました。筋トレのためのGOT上昇で、病的なものではないようです。」

私は循環器専門ですので、CPKが上昇していると、筋肉由来のものを考える習慣はあるが、GOTが上昇していてそれは考えなかった。言われてみれば、当然であり、新米の「総合内科医」としては厚顔の至りであった。

この4月、国立病院機構鹿児島医療センターを定年となり、指宿病院非常勤医師(週3日)となり、総合内科医の辞令を受けた。

医師になって40年、その大半を循環器医師として働いてきたが、今後は総合内科医を担当することになった。

前の病院ではそれなりに循環器医師として認知されていたが、ここではそうはいかない。循環器の患者さんを診ると、「今日は循環器専門の先生は診てくいやらんとな」不満顔である。「すみません、私も一応循環器専門医ですけど」と弁解しながら診ている。

総合内科医ですので、風邪、腹痛、健康診断まで何でも診ることになる。循環器専門外来だけやってきた「頭」を「総合内科」に切り替えなくてはならない。65歳の古ぼけた「頭」が切り替わるものか、楽しみだ。

平成21年10月30日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科 中村 一彦