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子育てママは研修医(コラム)

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プロフィール

 1979年       鹿児島県指宿市生まれ
 1998年       高校卒業後薬学部へ進学
 2004年       大学院卒業後指宿へ戻りアルバイトをしながら医学部進学を目指す
 2005年10月    鹿児島大学医学部2年次後期へ学士編入学
 2008年11月    医学部5年生の時に、同じく学士編入の夫と結婚
 2010年1月      長男を出産
 2010年2月      医師国家試験を受験
 2010年3月~9月  母親業、主婦業に専念
 2010年10月    指宿病院にて研修スタート

 

まえがき

このたびコラムを担当することになりました『関』です。 現在研修医1年目、10ヶ月の男の子の母親でもあります。このコラムは私の指導医である鹿島先生(循環器科部長)が中村先生(鹿児島医療センター名誉院長。現在、指宿病院では週3日勤務)に発したこんな一言がきっかけでした。

「中村先生、彼女はお子さんの授乳を続けながら研修してるんですよ。」

日頃から『熱いハートの医師育てます』のスローガンのもと、研修医の育成に力を注いでおられる中村先生。

「授乳を続けながら研修をしている女医さんがいるということを積極的に発信していきましょう!!きっと同じような立場の研修医、医学生の励みになります。」

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実は文章を書くのが大の苦手な私。「こんな私がコラムなんて恐れ多い・・・」そう思ったのですが、妊娠・出産を機にどうしてもペースダウンせざるを得ない現在の医師の世界でも、母乳育児と仕事の両立はそんなに難しいことではないということを広く知ってもらう良い機会かと思い、書くことを決意しました。中村先生と鹿島先生のお言葉どおり『気楽な気持ちで』気ままに綴ってみようと思います。どうぞよろしくお願いします。

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第1話【母乳育児を続ける】

研修がスタートした10月、息子はまだまだ母乳が必要な8ヶ月。

母親の後追いが最も激しいと言われている時期でもありました。仕事を始めるにあたり、多少の犠牲は払わないといけないとは思っていましたが(例えば息子と接する時間が極端に少なくなる、“ハイハイ” や“たっち”などの初めての瞬間を見届けられないなど)、どうしても続けたいことがありました。それは、『息子が自然とおっぱいを卒業できる日まで母乳で育てる』ということ。

私は、授乳は子供に栄養源を与える為の行為であるだけではなく、お互いの愛情を確認しあうコミュニケーションツールのひとつでもあると思っています。おそらく、仕事が始まる前に無理やり授乳を止めて、人工ミルクに変えることもできたでしょう。だけど、ただでさえ息子と接する時間が減ってしまう中、息子の気持ちを無視して自分の都合だけで一方的に授乳を止めてしまうことだけはしたくありませんでした。

不安な気持ちいっぱいで始まった研修医生活。授乳のために家に帰るということに、なんとなく後ろめたさを感じているとそれを薄々感じて下さったのか、

「何も遠慮することはないんだからね。」と鹿島先生。

「そろそろ赤ちゃんがお腹を空かせて待っているんじゃない?」と川畑循環器科医長。

「赤ちゃんとの触れ合いも大事。授乳に帰るのは母親として当然の権利よ」と佐保総看護師長。

 研修が始まって早くも2ヶ月が経とうとしていますが、幸い田中院長をはじめとする理解ある職場の皆さんに恵まれ、ほとんど毎日、お昼休みは授乳のため実家へ帰ることができています。本当にありがたいことです。改めて、指宿病院を研修先として選んで良かったと感じています。

「あれっ、そう言えば後追いが一番激しい時期なんじゃなかったっけ?」

面倒見てくれている私の両親に抱かれながら、毎朝ニコニコ顔で送り出してくれる息子を見て、ホッとしながらも「息子よ、ちょっとくらい後追いしてもいいんだぞ。」と少し寂しい気持ちで出勤している私です。

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第2話【母親の気持ち】

研修が始まり3ヶ月が経ちました。11月いっぱいで循環器科の研修を終え、現在は荒武先生、熊本先生のご指導のもと、小児科で研修をしています。

小児科の外来には、実にさまざまな患者さんがやってきます。

本当に病気?(笑)と思うほど元気いっぱい走り回っている子
白衣姿の私達を見るなり大泣きしてしまう子
恐怖に耐えながらひっそり泣く子
泣く元気もなくグッタリしている子      などなど。

しかし子供はそれぞれでも、お母さん方は皆同じような表情でわが子を見つめているような気がします。子供を心配する気持ちはきっとどの母親も同じなのでしょう。

かく言う私も11ヶ月の息子を持つ母親。恥ずかしい話ですが、採血や点滴などを行う際にお母さんから引き離されて不安げになく子と、それを心配そうに見つめながら子供から離れていくお母さんを見て、泣きそうになる時があります。

「もしもこれが息子と自分だったら・・・」

そう思うと、胸が締め付けられるような気持ちになるのです。

とは言っても、患者さんを目の前にして涙ぐんでいる余裕など全くなく・・・。次の瞬間には母親モードから医師モードに切り替え、全力で抵抗する子供たちを優しくなだめたり、動かないように押さえつけたりと格闘しています。

診察や処置の間中、どんなに泣きわめいても最後には「バイバ~イ!」と満面の笑みで診察室を出ていく子供の姿や、ホッとしたお母さんの優しい笑顔を見られるのは、小児科の魅力の一つだと思います。

研修が始まった当初、私はとても焦っていました。それは、同期の研修医とすでに半年間の経験の差があるということ、育児に追われているとなかなか思うように勉強時間が取れないということに対する焦りでした。しかし一方で、母親の気持ちがわかるという点は他の研修医にはそうそうない、私の強みであるとも思えるようになりました。

医師としても母としてもまだまだ未熟な私ですが、時間をかけて少しずつ私なりのカラーがだせるようになればいいなぁと思う今日この頃です。

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第3話【孝行息子 - 前編 -】

先日、息子が無事に1歳の誕生日を迎えました。生まれてから今日まで、大した病気もせず、健やかに成長してくれた息子。私達をいつも笑顔でいっぱいにしてくれる息子。そんな彼は親孝行者だと思います。(かなりのやんちゃぶりを発揮し、周りを困らせることもありますが・・・。)1歳という大きな節目の日、私は妊娠から出産までのことを思い返していました。

私の妊娠がわかったのは医学部6年生の6月、医師国家試験に向けての勉強を本格的に開始したばかりの頃でした。妊娠がわかったとき、あまりのうれしさに一人で小躍りしたり、バンザイしたり。そんな中、ふと、数か月後に国家試験をひかえた医学生としての冷静な自分が顔を出しました。

「予定日ってもしかして・・・」

さっそく勉強したての産科の知識を生かし、出産予定日の計算。私の嫌な予感は的中、その日は医師国家試験の11日前だったのです。しかも初産の場合、実際の出産日が予定日より遅れることも多く、出産が重なれば国家試験を受けられない可能性が十分ありました。翌日、診察してくださった指宿病院産婦人科の新村先生も、

「うーん、国家試験には間に合わないかもしれんね・・・。」

と神妙な面持ち。

「こりゃやばいぞ。」

こうして私の、『国家試験を受けられないかもしれない崖っぷち医学生のマタニティライフ』が始まりました。

次回、後編へ続きます。

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第4話【孝行息子 - 後編 -】

卒業試験や模擬試験、国家試験の重圧などでストレスフルな毎日の医学部6年生。私がストレスを感じることでお腹の中の子供に悪い影響を及ぼしてしまうかもしれない。そう思いました。ところが実際は逆でした。お腹の中の息子が私にいい影響を与えてくれたのです。

初めてエコーで小さな胎のうをみたとき、試験が受けられないかもしれないという不安はなくなり、きっと大丈夫、と思えるようになりました。まだ数センチしかない息子が小さな手足を元気よく動かしているのを見たとき、母になる喜びを感じさせてくれました。

勉強に行き息詰まったとき、ベッドに横になってお腹に手を当てると、ポンポンとお腹を蹴って励ましてくれました。卒業試験のとき、わからない産科の問題があると、「僕のことを思い出して!」と言わんばかりの見事なタイミングでもこもこと動いてくれました。同級生や家族、知らない人までが私とお腹の子供のことを気遣ってくれ、改めて人の温かさを感じることができました。

よくいろいろな人に、「出産して国家試験も受けたなんてすごいね。」と言われます。でも私は、ストレスで満ちあふれていたであろう毎日を、お腹の中の息子のお陰で幸せな気持ちいっぱいで過ごせたという意味では、他の同級生よりも恵まれていたのではないかと思うのです。

ところで、肝心の出産日はどうだったのかといいますと・・・38週0日、国家試験の約3週間前で、無事に国家試験には間に合いました。

実は逆子だったため、予定帝王切開になったのでした。妊娠中期からずっと逆子だったのですが、教科書には『妊娠中期までは30~50%が逆子であるが、最終的には3~5%である。』とあったので、そのうちなおってくれるだろうと呑気に構えていたら、結局最後まで逆子のままでした。でも、帝王切開でなければおそらく国家試験には間に合わなかったと思います。

「お母さんのためにずっと逆子でいてくれたんだよね!」

生まれる前からやっぱり親孝行な息子でした。(そして私は親バカです。)

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第5話【6か月を振り返って】

研修が始まり早6か月、指宿病院での研修も折り返し地点を通過しました。研修が始まった当時8か月だった息子も、もう1歳2か月。たっちができるようになり、伝い歩きができるようになり、こちらが言っていることがだんだんわかるようになり、それらしい言葉を話すようになり、大人とほぼ同じものを食べられるようになり・・・。

この6か月で息子は大きく成長しました。『成長』という言葉よりも、むしろ『変身』という言葉の方がしっくりくるかもしれません。

一方の私はどうでしょうか。研修が始まる前は、6か月後の自分は今の自分と大きく変わっているに違いないと思っていました。

ところが実際は、「あんな症状のときには、こういう疾患を頭に入れて、こんな検査もしないといけなかったな・・・。」「今日はルート確保がうまくできなかった。患者さんに何回も痛い思いをさせてしまった・・・。」「今日のプレゼンでは自分の伝えたかったことがうまく伝えられなかった・・・。」などなど、反省しきりの毎日。指導してくださる先生方の手際の良さや、技術、患者さんへの接し方などを見ても、

「まだまだ足元にも及んでなーい!」(ベテランの先生方と比べること自体おこがましいのですが。)

自分が成長しているという実感をなかなか持つことができません。医師という職業は、「一生勉強」とよく言われますが、自分の未熟さを日々目の当たりにすることで、それを身にしみて感じた6か月だったのではないかと思います。

ところで、息子はこの4月から、指宿病院の敷地内にある『やしの実保育園』に登園し、日中はお兄さんお姉さんたちとの集団生活を送ることになりました。大好きなじいちゃん、ばあちゃんと一緒だった毎日から一変、不慣れな環境できっと寂しい思いもすることでしょう。しかしそれを乗り越えた先にはまた、大きな成長が待っているのだと思います。

私も息子のように『変身』とまではいかないにしても、指宿病院での毎日の積み重ねがいつか実を結ぶことを信じ一日一日を大切にして、息子に負けないように頑張ろうと思います。

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第6話【家族の支え】

新年度が始まって2か月が過ぎました。2月、3月の消化器内科での研修を終え、現在は吉留先生、木原先生、宮川先生のご指導のもと、外科での研修を行っています。

内科系の診療科と最も異なるところは手術があるという点ですが、術前、術中、術後と患者さんと関わることで、全身管理や創の治癒過程などを学ぶことができ、とても勉強になります。緊急手術も多く、日々患者さんの命と向き合っている外科は体力的にも精神的にも大変だと思いますが、そんな中でも常ににこやかな先生方は私の目標です。

さて話は変わりますが、先日私は発熱し、寝込んでしまいました。よく言われることですが、こんなとき実感するのがやはり家族のありがたさです。

私の実家は、指宿病院から歩いて5分程度のところにあり、研修が始まった昨年の10月から息子とともにお世話になっています。嫁いだはずの娘が転がり込んできて、さらに手のかかる小さい子供のおまけつき。本当に大変だと思いますが、両親は働く私を全力でサポートしてくれています。

『仕事と育児の両立』なんて言うとかっこよく聞こえますが、実際は私一人の力でなし得ることではありません。体調を崩し献身的に世話をしてくれる家族をみて、たくさんの人の協力があって初めて私は好きな仕事をさせてもらえるのだということを、改めて感じました。

ちなみに1歳3か月にして生まれてから一度も熱を出したことがなかった息子。ちょっとドキドキしながら身構えていたそのXデーは、意外とあっさり訪れました(多分私がうつしました・・・息子よ、ごめんなさい)。甘えん坊に拍車がかかり、あまり笑顔がみられなかった数日間、大丈夫だとわかってはいたものの、心配しました。

元気いっぱい動き回り、いつも最高の笑顔を見せてくれる・・やんちゃで手がかかるけれども、そんな息子もいかに大きな精神的支えになっていたことか。家族の支えあっての私。そんなことを感じさせられた先日の出来事でした。(お陰さまで今では元気いっぱいです。初めての発熱以来、むしろパワーアップした・・・?かもしれません!)

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第7話【お母さんってすごい】

南九州は昨年より20日ほど早く梅雨入りし、ここ最近、雨ばかりが続いています。晴れの日も雨の日も好きな私ですが、ここまで雨が続くとどんよりとした気分になりがちです。

そんな中、晴れやかな気分にさせてくれるのが、何と言っても赤ちゃんの誕生!!

6月からは新村先生のご指導のもと、産婦人科で研修しています。指宿病院の産婦人科では、年間約170例ものお産を取り扱っており、私も出産に立ち会わせてもらいましたが、何度見ても生命誕生の瞬間は感動的です。医師は『死』の場面に直面することの多い職業ですが、お母さんやそのご家族と喜びを共有し、『生』の瞬間に立ち会える産科は魅力的な科の一つだと思います。

しかし、24時間365日いつ来るかわからない気まぐれなお産に備えて、指宿病院でたった一人の産科医として奮闘してらっしゃる新村先生を見ると、深刻な医師不足であることを感じずにはいられません。

生まれたばかりの小さな赤ちゃんを見ると、息子にもこんなに小さな頃があったのかと、ほんの1年5か月前のことなのに懐かしい気持ちになります。そして、このお母さんたちはどんなマタニティライフを送り、どんな気持ちで出産という人生最大級のイベントの日を迎えたのだろうと、当時の自分の姿と重ね合わせながら想像してみます。私の場合は帝王切開でしたが、逆子がなおらずもう自然分娩できないことがわかったとき、大きなショックを受けたことを鮮明に覚えています。

私も含め、おそらく多くの妊婦さんは妊娠が分かったときから『母親』であることを実感しています。妊娠するまでは『痛い』『苦しい』『辛い』という印象が強かったお産。しかし『母親』になった瞬間、それはとても待ち遠しいものになります。わが子との一体感とでも言うでしょうか、そんな感覚を味わってみたいと思うようになりました。

だから、私にはそれができないのだと思うとショックだったのです。同じような時期に自然分娩されたお母さんと赤ちゃんを見て、うらやましいなぁと少し嫉妬してしまったことは、妊娠前には想像もできなかった感情でした。

しかし、研修医として多くの妊婦さんと関わり、出産に立ち会ってきた今思うことは、どんな形のお産であれ、ここに確かな命があるのはお母さんたちが命をかけて頑張った結果だということです。「お母さんってすごい!」改めてそう感じた産婦人科での研修でした。

次回のコラムは番外編、初登場、夫による『子育てパパも研修医』を予定しています。どうぞお楽しみに!

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番外編【子育てパパも研修医】

子育てに仕事にと頑張っている妻を少しでもねぎらいたいという思いと、自分の現状を少しでも多くの人と共有できたらという思いから、今回のコラムを担当させていただきました。

まずは紹介がてら、研修医になってからの事をお話します。私と妻は学生時代に結婚し、そして同時に卒業しました。研修医になってから初めの半年は家族3人、研修先の垂水で過ごしていましたが、半年後の10月からは妻の指宿での研修が始まり、それ以来、妻や息子とは離れて生活しています。

平日は忙しく病院を走り回る毎日、週末は指宿に。という日々が続き、一週間以上家族に会わない事はほとんどありませんでした。週末を楽しみにしながら、平日は仕事に精を出す…こんな毎日ですが、時には辛いこともありました。

「いいよな、今の研修医は。週末は遊べるなんて」

土曜の夕方、指宿に行きたいとお願いすると、上級医からそういわれることもありました。通常研修医とは病院に張り付いていて何かがあったらまず駆けつけるものです。週末に病院を離れるなど論外と考える人もいます。

垂水からは40分間フェリーに揺られ、降りてからも指宿へはさらに車で一時間。日曜の夜にはまた帰ってくる。少しでも家族との時間を大切にしたいと思っての行動も、確かに病院の業務から離れてしまうことには違いありません。実際に大事な経験をしそびれることもしばしばありました。

もちろん仕事を途中で投げ出すことはできません。少しでも早く仕事を終わらせ、なるべく指宿に向かえるように取り組んでいると、やがて先生方も理解を示してくださり、「今日は指宿行くんだろ? 早く行っておいで」と言ってくれるようになりました。毎日は色々大変ですが、それが出来ているのは周りにいる方々の理解があってのことだと感謝の意を忘れないようにしたいです。

そして何より子どもを安心して任せていられるのは、妻とその両親が子どもの面倒をしっかり見てくれているからだと思い、とても感謝しています。

今の生活は色々大変で、時にはどちらかがやりたい仕事や方向性を一時諦めざるをえないこともあるかもしれない…そう考えると不安は確かに沢山あります。

でも、悪いことばかりじゃないと思うのです。小児科医を目指すにあたって育児の経験は重要なことだし、何しろ子どもが笑顔で出迎えてくれると今までどんなに忙しくて疲れていても何だか頑張れそうな気がします。そして週末胸を張って指宿へ向かうには平日頑張って仕事を済まさなければならない、そう思うと日々の仕事にもやる気がでます。

今後も困難は山積みですが、家族で協力しながら一つずつ乗り越えていこうと思います。

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第8話【母乳育児のその後―前編―】

早いもので9月も半ばとなりました。1年間にわたる指宿病院での研修ももうすぐ終わろうとしています。

7月はいつも愉快な『指宿病院野球部監督』山根先生といつも優しい小原先生のご指導のもと、泌尿器科での研修を行いました。私が医師として働き始めてから気づいたことの一つに、泌尿器科領域の疾患で悩んでいる患者さんが驚くほどたくさんいらっしゃるということがあります。たった一か月の研修でしたが、検査や手術、処置を経験させてもらったことで、それらに対する理解を少しですが深められたと思います(もっと研修したかったです)。8、9月は再び循環器科での研修を行っています。

さて、このコラムを続けて読んでくださっている方は覚えていらっしゃるでしょうか。第1話『母乳育児を続ける』で、息子が自然とおっぱいを卒業する日まで母乳育児を続けたいという思いを綴ったことを。振り返ると、私が母乳育児に興味を持ち始めたのは医学部4年生の時、小児科実習でのある小児科医の言葉がきっかけだったように思います。

「僕んちの一番下の子は4歳までおっぱいのんでたよ。」

当時、教科書で『母乳は約3時間ごとに15~20分くらいの時間で与えるものである。それ以上の時間がかかったり、間隔が短かったりするときは母乳不足のサインである。だいたい1歳半くらいまでには離乳を完了するものである。』という主旨の内容を勉強し、それを信じ切っていた私は大きな衝撃を受けました。

そしてその小児科医は、子供の心の栄養としても、コミュニケーションの手段としても授乳は大切であること、現在は好きな時に、好きなだけ飲ませ、自然とおっぱいを離れるまで授乳を続けるという考えになってきていることなどもあわせて教えてくださいました。それを聞いた時、すべてのお母さんがそんな風に育児ができたら素敵だと思ったし、私もいつか子供を授かることがあったら、是非実践してみたいと思うようになりました。

ついつい熱く語ってしまいました。長くなったので、次回後編へ続きます。

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第9話【母乳育児のその後―後編―】

息子を出産後、私は、本を読んだり、インターネットで調べたり、学会に参加したりと、母乳育児について積極的に勉強をしました。

子供が感染症にかかりにくくなること。
母乳育児と子供の認知能力には関連があること。
母子の愛着形成につながること。
母親の卵巣癌や乳癌のリスクを減らすこと。
WHO/ユニセフは最低でも2年間の母乳育児を推奨することを宣言していること。(イノチェンティ宣言)   ・・・・・などなど。

調べるほどに母乳育児の素晴らしさを知り、より一層母乳育児を続けていきたいという思いを深めていきました。実際、母乳育児を始めてみて、全て順風満帆だったかというとそうでもなく、何度も乳腺炎になりかけて痛い思いをしたり、夜間1~2時間ごとの授乳で寝不足になったりと、大変な思いもしたのですが、それでも、十分に満たされたような息子の顔を見ると、心から続けてよかったと思いました。

保育園に通い始めてからはほとんど夜間の授乳だけになりましたが、幸い理解ある職場の皆さんと家族に恵まれ、仕事を始めてからもずっと母乳育児を続けることができました。

まだまだ続くかのように思われた母乳育児でしたが、この原稿を書いている3日前、1歳8カ月になる前日に息子はおっぱいを卒業しました。実は、息子から自然に離れたわけではありません。私がその日に卒業の日を設定したのです。

自然に離れるのを待たずに授乳をやめようと思った理由はいくつかありますが、ひとつには息子が大きく成長したと感じられるようになったことが挙げられます。きっとおっぱいを離れても、それ以上に周りの世界に興味を示すようになると思ったし、授乳という方法以外でもお互い十分にコミュニケーションをとりあえるようになったと感じたからです。

ただし、息子の気持ちを無視して私の都合だけで無理やり授乳をやめさせたくないという思いは変わらなかったので、約1カ月前から毎日、言い聞かせをしました。カレンダーに目印となるシールを貼り、「このシールの日になったらおっぱいにバイバイするんだよ。」と。そのうち、シールを見ると自ら手を振り、「おっぱいバイバイ」とまで言うようになりました。

あまりにも笑顔で手を振るので、本当に意味をわかっているのだろうか?と心配しましたが、当日朝、目印のシールを見てほんの少し泣いただけで、意外にもあっさりと諦めてくれました。

その後も時々思い出したように「おっぱい!」と言っては、すぐに自分に言い聞かせるように両手を振り「おっぱいバイバイ」と言っていました。

こうして私と息子の、1年8カ月にわたる『おっぱいライフ』は幕を下ろしました。息子の成長とようやくお酒が飲めることをうれしく思う反面、少し寂しくもある私です。

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第10話(最終話)【次の目標に向かって】

早いもので3月も終わろうとしています。指宿病院での研修を終えた後、10月は枕崎の病院で地域医療を経験し、11月からは大学病院での研修を行いました。大学病院での研修開始とともに、再び親子3人での生活が始まり、私達の生活は一変しました。

保育園の送り迎えから食事の支度、掃除・洗濯まで全て自分たちで行わなければならない毎日。慣れない環境でのストレスに加え、1年間両親のもとでぬるま湯に浸かっていた生活を送っていた私にはちょっときつい日々でしたが、プレゼンテーションする機会をたくさん与えられたり、一つの症例に対して皆で意見を出し合いながら最良と思われる治療・検査を考えていく方法を身につけられたりと勉強になることがたくさんありました。

研修開始当時8カ月だった息子は今では2歳2カ月となりました。

『魔の2歳児』とはよく言ったもので、ご多分にもれずわが息子も反抗期の真っ最中です。猫の手も借りたいほどの忙しい朝、お気に入りのパジャマを脱ぐのを嫌がって床を転げまわったり、『その日の気分』の靴下が見つかるまで4回履き換えたり・・・。

口を開けば
「いやいやいや!」「ちがう!」「○○じゃなかった!」
そして最後の決め台詞は

「おかあさんがだっこするの!!」

そんな時には(遅刻するかも・・・!)という焦る気持ちをぐっと抑え、ぎゅっと息子を抱きしめながら声をかけたり歌をうたったりします。すると安心するのか、急に聞き分けがよくなり、何事もなかったかのようにニコニコ顔で保育園に登園してくれます。息子の成長を実感する瞬間です。(もちろん、そう上手くいかないこともありますが・・・)

子育てをしながらの研修。勉強会に参加できなかったり、貴重な症例を経験する機会を逃してしまったりと不利に感じることがあったり、周りと比べて焦りを感じたりすることがあったことも事実です。しかし母親としての喜びや周りの方々の優しさ、子を持つ親の大変さなど、医師として成長していく上での糧も得ることができたような気もします。

また、医師としてだけではなく、人としても尊敬できる先生方に多く巡り合えた私はとても幸運でした。

4月からは奄美大島での新生活が始まります。2年間の研修義務期間のうち、育児のため初めの半年間を休止していた私はもうしばらく研修医としての修行が続きます。いずれは小児科医として鹿児島の医療に貢献できればと思っています。同じく夫も、4月から小児科医としての一歩を踏みだすこととなりました。

これからどんな生活が待っているのか、どんな出会いがあるのか、息子がどんな風に成長していくのか、とてもわくわくします。まだまだ未熟者ですが、医師として、人として、母として成長していけるよう頑張ります。

最後になりましたが、『子育てママは研修医』を読んでくださった皆様、そして、このコラムを書く機会を与えてくださった指宿病院の鹿島先生、中村先生、田中院長、ありがとうございました。

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