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指宿 菜の花 通信(No306) 田舎医者の流儀(281)・・・張本選手

 プロ野球張本選手が86歳で亡くなった。張本選手の現役時代の打撃成績は3085安打、504本塁打、1676打点、319盗塁、打率3割1分9厘 首位打者にも7回なった。張本は1940年6月19日、広島市生まれ。59年には浪華商(現大体大浪商)から東映(現日本ハム)に入団し、新人王に輝いた。61年、初の首位打者、同タイトルは67年からの4年連続を含め7度獲得した(史上最多タイ)。史上初の3000本安打を達成。野球評論家としても、TBS「サンデーモーニング」での「喝!」はお茶の間に親しまれ、愛情あふれるコメントで人気を博した。NPB唯一の通算3000安打達成者、稀代の天才打者が、天国へ旅立った。

 4歳の冬、事故で右手の親指から中指以外の自由を失う大ヤケドを負う。翌1945年8月6日、5歳の夏、爆心地から約2kmの広島市段原新町(現在の南区段原)で被爆。学徒勤労動員で比治山の西側にいた当時12歳だった姉の点子は、大火傷を負い数日後に死亡した。点子の最後を看取った張本によれば、担架で運ばれた点子は全身にやけどをしていた。「熱いよう、熱いよう」と母の懐でうめく点子にブドウを一房もぎ、口元で搾ってあげた。「ありがとう」消えそうな声が最期だったという。張本は被爆者であると同時に在日2世であり様々の差別を受けながら、天性の才能と努力で大成した。

 張本は被爆者に対する差別を目の当たりにしたことから、被爆者であることを長年隠していた。原爆のことを思い出すのが怖く、野球に没頭してバットを振り続けることで、当時の記憶を心の片隅に追いやってきた。しかし、2005年頃に「原爆の落ちた場所を知らない」とテレビ番組で発言した若者に怒りを覚えたことや、翌年(2006年)に毎日新聞が行っている被爆者の体験談の連載企画に寄稿した「(暦から)8月6日と(長崎の原子爆弾投下日である)9日は消してほしい」を読んだ大分県の小学生から寄せられた手紙を機に考えを改め、被爆体験を語り始めるようになった。2006年8月15日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際に、被爆体験や幼少期の生活、母に対する思いなどを語った。それをきっかけとして「われわれの世代が戦争を、そして原爆でやられた体験を語り残さなければならんのです」と答えた。その後は多くのメディアで被爆体験を話している。とにかく広島の原爆資料館を見に行って欲しいと訴えた。  

 過去にオバマ、ゴルバチョフ、マザーテレサ、チェゲ・バラなど著名人が原爆資料館を訪問している。現在原爆を保有する国の指導者、トランプ、プーチン、習近平らはぜひ来てほしい、見て欲しい、それでも原爆使いますか。張本選手の訴えを聞くべきだ。

令和8年9月18日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦