6月の終わりになって、桜ランの花が咲いた、ブルーベリーも一部実って食べられるようになった。今月は雨が多い、ゴルフも出来ない日々だ。それでも農園に出かけて暮らしている。
長い事かかったが、歯の治療が一段落した。82歳のわが歯は上下5本しか残っていず、義歯を装着せざるをえなくなった。抜歯も必要で、そのたびに麻酔を打たれた。そのたびに痛い思いをした。調査によると、男性も女性も40代半ばにさしかかった頃から、歯が抜けることが多く、50代、60代と年齢を重ねるにつれ、失う歯の本数は増える。歯の寿命は60年くらいと言われており、永久歯に生え変わってから60年と考えると人の年齢でいえば70歳前後。80歳で20本の歯を残そうという8020運動はよく知られているが、日本では80歳の時点で残っている歯の本数は平均10本未満という。私の歯は標準的なのかも知れない。
入れ歯を作らないといけなかったが、その材質で高いものは100万円以上かかるという、私は保険医療の範囲で義歯を作り、数万の負担で済んだ。インプラントを入れると更に負担は増える。治療に多大の負担がかかるのが実情だ。私は保険診療の範囲で義歯を作った、高価な材質で作ったものと比較は出来ないがそれなりに食事をするのに不自由はしていない。当分これで行って不自由が生じたらその時点で考えようかと思っている。食事のおいしさが十分に感じられなくなった。いまさらながら、自分の歯を大事にしておけばよかったと後悔している。
古代エジプトでは、紀元前3000年頃から虫歯や歯の問題に対処する技術が存在していたという。ハチミツが虫歯治療に使われ、金のワイヤーで歯を固定する技術がミイラの歯から確認され、義歯の製作も行われ、死後の世界でも歯が重要視されていたようだ。中世ヨーロッパでは、医師が少なく、歯科治療は床屋が行っていた。バーバー・サージャンと呼ばれる彼らは、抜歯などの簡単な治療を担当し、痛みを和らげる手段がなかったため、治療は非常に苦痛を伴った。
私の医学生の頃(60年も前)医学部に歯科口腔外科の講座があり、歯科に関する講義はそこの先生方に教わった。鹿児島大学に歯学部が併設されたには昭和52年。九州で歯学部あったのは昭和42年に開設された九州大学歯学部のみであった。昭和54年長崎大学に歯学部が出来、九州では国立の歯学部は3か所になった。それから歯科医の供給は満たされるようになった。厚生労働省の2024年の統計によると、全国にはなんと66,843軒の歯科医院があリ。 驚くべきことに、この数は全国のコンビニの店舗数55,657軒を上回っており、歯科医院の方が1万軒以上も多い!現在では歯科医院は供給過剰気味であるとされている。
令和8年7月3日
国立病院機構指宿医療センター 総合内科
中 村 一 彦






