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指宿 菜の花 通信(No288) 田舎医者の流儀(263)・・・ノーベル賞

 農園の金木犀が先週咲き、今週散ってしまった。大きな木が4本あり、花が咲き誇っていたので匂いがしたはずである。しかし、残念ながらこの年のわが鼻は感じてくれなかった。今週になり、シイタケが大きく育ち、収穫して食べた。おいしかった、あと20~30個は収穫できそう。先週ブロッコリーの苗を3本、ネギの苗を30本ぐらい植えた。収穫の楽しみがある。

 10月はノーベル賞ウィーク、日本からノーベル生理学•医学賞に坂口志文大阪大特任教授、化学賞に北川進京都大特別教授の2人が選ばれた。坂口教授は過剰な免疫反応を抑える制御性T細胞の発見と免疫疾患における意義を解明したことが評価された。北川教授は「金属有機構造体(MOF)の開発が評価され、MOFはさまざまな気体を貯蔵でき、環境や産業など幅広い分野への応用が期待されるという。

 同じ年に京都大学に入学した2人は在学中、大学紛争の影響をうけた。授業や試験がなくなることもあり、幅広い分野の本を読んだり、さまざまな語学を勉強したりし「余裕があった」(北川さん)という。北川さんは大学時代に出会った、中国の思想家荘子の「無用の用」という考えが今の研究にもつながっているという。絵画が趣味の一つである坂ロさんも「科学と芸術は似ている」とし、文系分野も広く知っておくことが科学をより豊かにするために大切だと言う。その上で「若い人には広く興味を持って勉強する時期が必要と呼びかけた。

 ノーベル賞 受賞数では日本は米国、英国、ドイツ、フランスに続いて世界第5位にランクされている。大国と言われているロシアは旧ソ連時代を含めて日本の半分程度である。世界第2位の経済大国にのし上がった中国はと言えば、中国国籍を有している人を含めて生理学医学と文学、それに平和賞の3個である。

 当たり前だが、坂口教授の研究は一朝一夕に実ったわけではない。「制御性T細胞(Tレグ)を同定できたのは、1995年にその細胞だけが表面に発現している特有の分子マーカーを突き止めたことが出発点となった。1980年代初頭から、私は制御性T細胞の存在を確信していたが、その分子マ—力—探しは難航を極めた。15年に及ぶ研究の積み重ねによって、1995年に制御性T細胞の分子マーカーをようやく特定することができた」。おそらく研究を始めて40年位かかっているだろう。その間、多くの否定的な見解にも遭遇したであろうが、新しい物との出会いが研究を推進するエネルギーになったのだろうか。(免疫の守護者制御性T細胞とはなにか 坂口志文・塚崎朝子著 講談社)

 私は昭和44(1969)年医学部を卒業し、医師としての修練を始めた。恩師の佐藤教授は顔を合わすと学会に発表しろ、論文は出来たかとはっぱかけられた。私の過ごした大学病院・医局の時代は博士号を取るための研究をするのが当たり前であった。そうした雰囲気の中で素晴らしい研究も生まれた。例えば、坪内博仁博士(元鹿児島大大学院医歯学総合研究科教授)と当時の第二内科坪内グループが1986年に劇症肝炎患者血清からのヒトHGFが精製に成功し、国際的にも高く評価された。

 私が大学に在職した1990年代前半までは大学病院にいる限り研究し、学会・論文発表は当たり前で、日本中の大学病院・医学部で同様であり、研究者のすそ野が広かった。その中で立派な研究者が育ち、研究業績も上がった、それが現在のノーベル賞につながっていると思う。最近、地方大学の研究予算は著しく削減され、研究活動が困難になっている。裾野の縮小は我が国の科学研究の発展を阻害しなければ良いがと心配している。

令和7年11月21日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦