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指宿 菜の花 通信(No274) 田舎医者の流儀(249)・・・玄冬

 「青春の次には朱夏が来る、朱夏そう朱色の夏。燃えるような夏の時代だ。そして白秋、つまり白い秋を迎え、やがて玄冬で人生を終える。玄冬とは黒い冬、死のことだ。最も充実するのは夏の時代だ。そして秋には秋の枯れた味わいがある。青春ばかりがもてはやされるのはおかしい。」
(朱夏 今野敏 新潮文庫)

 「中国の思想の中で、『春』は「青春(せいしゅん)」、夏は『朱夏(しゅか)』、秋は『白秋(はくしゅう)』、冬を『玄冬(げんとう)』といい、この4つを人生に当てはめ表現したものがある。その影響で、日本では若さの象徴として『青春』が良く使われている。そして青春以外にも他の年代にも対応する言葉がある。働き盛りの30代~50代は夏の太陽のような『朱夏』で、落ち着き出す50代~60台は『白秋』となる。60代後半になると『玄冬』と呼ばれ、次の春を待つ次世代に知識や願いを残すということになる
(ネット記事より引用 一部改変)

 60代後半から玄冬だという。仮に65歳からは玄冬とすると、私は前の病院を定年退職してからは玄冬になる。それでもまだ流れの中で研修医確保の活動、県医師会の仕事、県臨床内科医会の活動などが75歳までは続いた。寿命が長くなった分「白秋」が長くなったのか、「現役的」な活動が続いた。それなりに充実した時を過ごしたように思う。

 75歳までにすべての役職を退いたので、名実ともに「玄冬」の時期に入ったと思われる。週に4~5日は小山田の農園で暮らし、週2日指宿で診療、週1日はゴルフをするスケジュールである、2月は寒かったのでゴルフが出来なかった。3月になり寒さが和らいだので出来るかな。4月からは指宿での診療を金曜日のみにしようかと思っている。深い訳はないJRで通うのが少々億劫になっただけだ。この時期、私の最大関心事は我が循環器グループの発展だ、臨床的」レベルは高くなりそれなりの役割を果たしている。その割には情報発信・論文数が少ない、そこをなんとかしないといけないが、十分にうまくいっていない。どうしたら出来るようになるか・・・・。

 玄冬期になっても、意気軒高な先輩・後輩がいる。一年先輩のK先生は空手の修業と指導を続けてきたが、師範のポジションを後輩に穣るという。これからは日本の古武道の習得に努め、稽古を続けるという。4年後輩のM先生は心エコーの分野で業績の多い方であるが、カラーエコーから見た心筋内血流という先生オリジナルの所見を論文にまとめ、英文論文として発表しようと鋭意奮闘中である。2年後輩のI先生は認知症に関する独自の観点を英文論文にして投稿中である。我の周りの玄冬期の方々はまだまだ元気かつ意気盛んである、刺激されるなー。

令和7年3月12日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦