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指宿 菜の花 通信(No266) 田舎医者の流儀(241)・・・プーチンの老年時代

 プーチンの老年を描いた小説「ウラジミールPの老年時代」を読んだ。2016年イギリスの作家(医師でもある)の作品で最近話題になっている。大統領を辞任して2年認知症がかなり進んできた状態から物語は始まる。「そこに座ってどのくらい経ったろうか。2時間だったかも知れない。2年だったかも知れない」。「私はなぜここにいるのだ?」、あの人が怒りにまかせて叫んだ。「私は何をしているのだ?」「お待ちになっているのです」と、シヱレメーチヱフ(介護人)がベッドの上の枕を一つふくらませながら言った。「何を待っているのだ?」「会談ですよ」。ウラジーミルは眉をひそめた。「私は報告を受けていたか?」「もちろんです」。シヱレメーチヱフが冷静に応えた。

 「そうか」。ウラジーミルはうなずいた。怒りの色は消えて、表情が変わった。もう彼は自分が何に怒っていたのかも忘れていた。いま起こった何かの結びつきが脳のどこで起こったにせよ、それは鎮められたままおそらく二度と発火することはないのだ。そして彼の意識の中に一瞬吹き出した自己認識も霧消していた。彼は静かに座って、シヱレメーチヱフの仕事ぶりを見ていた。目の前の男が何者なのか,ウラジーミルが正確に言えるはずもなかった、それでもこの男といると安心だった。理由はわからないがこの男がベッドメイクをするのは正しいことだと彼は理解できていたし前にもこんなことがあったような気がした。

 それにしてもプーチンは,大統領の二期目の終了で退任していれば’原油高のおかげといえ、国民生活をグンと向上させ、大衆消費社会をもたらした優秀なリーダーとして歴史に名を残せただろうと言う。手段がいかに醜悪だったといえともチヱチヱンは平定され、モスクワはふたたび国際政治のなかのパワーとなった。帝国のファンタジーを追い求めずに国境内での強国建設で満足しておけば、プーチンは成功した国家建設者として記憶されただろうという。

 しかし、プーチンはウクライナに侵攻した。「ロシアは悪くない。NATOが東方に進出したのが悪い。正当防衛だ」と。ロシアが自国益を超えて、世界の人々が共有する「上位価値」のために戦っていると思っている人はどこにもいない。 ウクライナが悪くて、ロシアが正しいと声高に主張する支援者が国際社会にまったくいない。これはかなり致命的なことだ。国際社会におけるプレゼンスというのは軍事力や経済力だけでは決まらない。  思想的指南力とか道徳的な高潔が国際社会における地位にはおおきくかかわってくる。大義名分のない、自国益だけのための戦争を仕掛けたことでロシアの地位はいま劇的に低下した。もう歯止めがきかない。

 核兵器や生物兵器・化学兵器を使った時点でプーチンはもう負けだ。それはロシア軍が通常兵器ではもう勝てないということを国内外に認めることだ。「ロシア軍は弱い」ということが周知されると、このあともう隣国に対しても強権的な外交ができなくなる。電撃作戦、開戦2日でキエフを占領して、傀儡政権を立てるというシナリオが破綻した時点で、もうプーチンは負けていた。  ロシアが失ったものはあまりに多い。兵員兵器の損耗だけでなく、国際社会における威信を失い、経済制裁で市民生活も深い傷を負った。SNSも使えないし、Googleも使えないし、スタバもマクドナルドもない文化的後進国になってしまったとしたら「ずいぶん間尺に合わない戦争をした」と市民は思うんじゃないか。  長いタイムスパンで見ると、ロシアはこれから「滅びの道」を歩むことになる。ロシアはこれまで天然資源を売って外貨を稼いできたけれど、ヨーロッパ諸国は今後ロシアと取引しない方向に動く。海外からの投資も止まり、国債の格付けはデフォルト寸前まで下落した。(内田樹)

 「プーチンは(かつて)エリツィン同様に引退し、ダーチャ(別荘)に引き籠もるかのように語っていた。だが.プ—チンにとってこの世にはおよそダ—チャと名付けられるものなど事実上存在しないのだ。クレムリンの中で最後を迎えるであろうと。この小説ではプーチンの最後は、認知症のため暴れるため鎮静剤が投与され静かになり、翌朝死んでいたと描かれている。鎮静剤の量が多かった可能性も示唆されている。絶大な権力を持ち、反対派は牢獄に閉じ込め、あるいは毒殺し、わいろに満ちた社会システムを作り、チェチェンなどでは残虐な弾圧をした。そんな人の穏やかでない死にロシア国民は何を思うのか。

令和6年11月15日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦